勇気
二人から聞いた症状によって、恐らく流行り風というのはインフルエンザの事だろうというのが分かった。
だが、それも医学の心得がない素人が導き出した結論に過ぎず、本当の所は確信が持てない不安で押し潰されそうな心持ちだ。
「お藍は…妹は助かるんですよね!?」
言葉の持つ力。
普段は意識すらせずに唇を漂う音が鋭い刃となって突き刺さる。
そんな事、俺が知るはずないだろう。
……決して口にできない。
お江さんの必死の想いを込めた言葉が、その心情を深く知れば知るほど鋭さを増して俺に向けられる。
言葉とは、これ程の暴力となり得る物なのか…。
「分かりました、調合の為の時間をください。夕食の後、薬をお渡しします」
しばしの間を置かず、2人から気後れする程の感謝が贈られてしまう。
お願いだから……礼は病気が治るまで取っておいて欲しい…。
そんな心境を悟られまいと飯綱を連れ出して席を立ち、逃げ出すようにして部屋を後にする。
背後からは二人の希望を口にする声や、絶え間ない嗚咽が耳を打つ。
コイツには…飯綱には絶対答えてもらう。
「一体どういうつもりだ!?
お前、もしお藍さんが……もしも…」
「助からなかったらどうするかって?
アンタはどっちみち、助けるつもりなンだろーが。そのついでに、チョイと恩を売っておくだけさ。今日は町で色々なモノを売っただろ?
コレも、その――ついでさ…」
未来人の感覚ってのはどうなってやがる!
流石にキレ過ぎて言葉を失い、近くの木に八つ当たりの頭突きまで叩き込んでしまった。
「……そうカッカすんなよ、ぜ~んぶ順調さ。
全部、アンタのシナリオ通りに…な」
「シナリオだと!? ふざけんな!
俺が決めたとでも…あ、おい待て!」
問いただす間を置かず、飯綱は黒の翼を広げると上空へ舞い上がり、俺を見下ろしたまま捨て台詞を吐く。
「今日のアガリだけで何週間も町に滞在できると思ってンのか? メシの時間までに空っぽのオツムを冷やしとけ!」
「コイツ…!」
高笑いと共に翼を羽ばたかせ、夕暮れの神宮へ向かって飛び去ってしまった。
俺は空を見上げたまま、カンカンになった頭で最後の言葉を思い返す。
「売り上げは全部で…………3860文。
多くは……ないけどよぉ…」
俺達の目的は行方不明の八兵衛さんを探しだす事。
飯綱はあくまでも協力者という立場であり、全てを済ませれば初音の庇護を受けて安泰の日々。
アイツはその為に俺達に協力しているのだから、利用できるなら初音だろうと、森田屋の人達だろうと同じ事。
「お前、マジかよ……」
沸騰した血液が冷めるほど、どちらの方が合理的か明確になっていく。
しかし、その過程で自分が人の命に関わるだなんて考えもしなかった。
――いや、そうじゃない。
「命の危機を考えないで済むように、誰よりも怖がっていたのは……俺の方だ」
その後、俺は誰も居ない事を確認してから、ひとり呟く。
「この臆病者め……」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「それでな、ワシに妹ができたんじゃよ!
……お~い、聞いておるのか?」
「んぁ……? …あぁ……」
炭酸の抜けたサイダーのような、まるで気のない返事に業を煮やした初音が俺の顔にギンレイを押し付けてくる。
腹周りのフワフワとした毛が視界を覆う。
「どうしたと言うんじゃ?
いつも以上に情けない顔をしておるぞ」
聞き捨てならない台詞も今は耳に入らないが、酷い事を言われてるってのはハッキリ認識できた。
「大人には大人の事情ってのがあるのよ」
呑気としか言い様のない初音に若干強い言い方をしてしまうが、これがマズかったらしい。
「じ…情事じゃと……あのお江とかいう女か!
貴様、よくもワシを前にしてそのような戯言をほざいたなァ!!」
心ここに在らずといった俺の太股に鋭い牙が突き刺さり、夜も更けつつある宿に悲痛な叫び声が轟いた。
あれから飯綱が帰ってきた後も、考え事をするばかりで夕食の味すら覚えておらず、初音が眠ったのを見計らってスマホからAwazonを開く。
相変わらず食品の類いは一切表示されていないが、なぜか医薬品に関しては異様に充実している。
「インフルエンザの薬は…これか。
…必要なポイントは……」
違う。
人の命が懸かっているんだ、余計な事は考えるな!
俺は何も見ないようにして抗インフルエンザ薬を購入すると、直後に背後から視線を感じて飛び上がってしまった。
「やはりな、宿に入ってからのお主は妙じゃった。コソコソと何を企んでいるのかと思えば…そういう事か」
そこには合点がいったという表情の初音が、背後からスマホの画面を覗き込んでいる。
別に悪事を働いていた訳でもないのに、このバツの悪さは何なのだろうか…。
「お鈴の母であろう?
早う薬を届けてやらんか」
今日は参りっぱなしだ。
少しは男である俺の面子も気にして欲しいのだが、今は置いとくとしよう。
「…やれやれ、そいじゃ行ってくるよ」
後ろ姿を見送る視線に後押しされ、お藍さんの私室に入ると娘のお鈴ちゃんまで居るではないか。
期待と不安、それらが入り交じる中だったが不思議と怖さはない。
なぜなら…頼りになる鬼娘、その後押しのお陰だろう。