いざ、出発!
翌日は日が昇りきらない内から朝の準備を始めた。
さっと火を起こすとダッチオーブンで湯を沸かし、乾燥ハーブでお茶を淹れて体を暖める。
6月の初旬であっても木々に囲まれた森の早朝は肌寒く、焚き火とお茶のセットはまだ手放せそうにない。
「東雲に見える一時の贅は、玉を饌うが如くじゃのう。まさに得難き安息よな」
良家のお嬢様らくし優雅に振る舞う反面、食卓の隅に置かれた日本酒が致命的なダメさ加減を物語る。
朝食は昨日の豆フレークを砕いてメープルシロップをつけてみたが、久しぶりの強い甘味は驚きと同時に、森から元気を貰った気分を味わう。
「さて、そろそろ出発しようと思うんだけど、荷物が想像以上に多いな。こりゃ何度か往復する事になりそうだぞ…」
ホームで生産された物品は鹿肉のジャーキーにサイダー、同じく鹿の脂身から作った蝋燭にマツバヤニの葉煙草など、結構な量であった。
「あしなよ、猪の毛皮と鹿の角も売るのか?」
「あぁ、ワンチャン売れるかもしれん。
換金できる物はこの機会に売っておくよ」
いくら荷台を備えたバギーであっても、これだけの荷物を一度に運搬するのは到底無理。
運搬方法に苦慮していたところで、見かねた飯綱が懐から小さな財布を取り出す。
「しゃーねェなぁ。
ほれ、コレを使えよ」
「なにこれ? ただのガマ口じゃん。
つーか、よくこんな古道具を……おぉ!?」
見た目は何の変哲もない財布――としか思えなかった。
ガマ口を開いた瞬間、宙にFPSゲームでお馴染みの照準が浮かび上がり、俺の視線にあわせて自由に動く!
「何をそんなに驚いておるんじゃ。
中に珍しい品でも入っておるのかや?」
「何って――俺の視界にしか照準が存在してないのか!? 凄い……あ、急に色が変わったぞ!」
白色の照準が緑色に変化したかと思えば、小さく点滅する矢印が表示されている。
目の前には大量の鹿肉ジャーキーが積まれ、矢印は手前に引くように誘導しているように見えた。
「そのまま宙に浮いた矢印を指で引きな。
流石にもう分かンだろーよ?」
確かに、既に先の展開が予想できる……いや、分かってしまう。
しかしながら、それでもなお想像を超える出来事が起きるだろう――間違いなく!
「矢印を引くと……ジャーキーが消えたぞ!
が、ガマ口を閉じると照準も消えた…。
いや、ガマ口にはジャーキーのアイコンが浮かんで……今度は逆方向の矢印が…まさか!?」
震える指が矢印を押し出すと、消えたジャーキーが音もなく現れた。
初音は驚きのあまり声すら失い、代わりにギンレイがしきりに吠えて尻尾を振り乱す。
無理もない…。
俺だって顎が外れそうな位、驚いているのだから!
「まァ、そういうこった。
分かったンなら、チャッチャと仕舞いなよ」
信じられない…!
あれ程の大荷物が指先ひとつで消え去り、簡単に出し入れできてしまうだなんて…。
改めて未来の技術進歩に驚かされ、自分の居た世界と見比べてしまう。
「こんな物、完全なオーバーテクノロジーじゃないか…。ちょっと待てよ…なぁ、飯綱がクノイチに狙われてたのは…」
「ソレも、そういうこった。
もういいだろ、サッサと出ンぞ。
アタシは他の連中に見つからないように飛ンでくから、先に町へ行ってろ」
そう言い残し、彼女は空高く上昇して見えなくなってしまった。
切り取った風景に取り残されてしまったような錯覚を味わう中、ポツリと初音が呟く。
「行ってしもうたな。
……ワシらも行くか」
未だボーッとする頭から雑念を振りほどき、気を取り直してバギーに乗り込む。
だが、少し待って欲しい。
背中に感じる暖かい毛むくじゃらは何だ?
「ちょっといいかな。それは…何?」
「何ってギンレイじゃよ。
まさか…置いていくとは言わんじゃろうの?そんな酷な事、人の所業じゃないぞよ」
そう言うお前は鬼だろうが。
初音はギンレイを抱えて離そうとせず、どうしても連れて行くと言って聞かない。
このまま押し問答を続けていると、折角早起きした意味がなくなってしまう。
「どうすっかな……はぁ…」
仕方がない。
渋々Awazonで犬用キャリーリュックを購入すると、そこにギンレイを入れてみた。
最初は狭い場所を嫌がるかと思ったが、以外にも大人しくしてくれたので一安心といった所か。
「それじゃ、お前がちゃんと責任持って面倒見るんだぞ」
そう言うと笑顔の返事が返ってくるが、ぶっちゃけ不安しかない。
タテガミギンロウの姿を見た町人達が騒ぎを起こさなきゃいいけど…。
俺の心配をよそに、リュックから顔だけ出したギンレイがワンワンと彼なりの返事をしてくれた。
「本当に分かってんだろうな…」
道中は初音の案内もあって快調。
昨夜の内に女媧には行き先を伝え、後をついてくるようにお願いしたのだけど、相変わらず昼間は御姿が見えないので少し不安だ。
時々、付近の地形や採取場所の調査がてらに休憩を取っていた際、初音に渡しておく物があるのを思い出す。
「忘れる所だった、お前にコレをやるよ」
そう言って昨日買っておいた、つば広帽子を手渡そうとすると、えらく意外そうな…いや、心底意外そうな御顔をしやがりました。
「あしなが…女子にぷれぜんととな!?
これは奇っ怪な…あり得ん事じゃぞ!」
ここまで言われるか?
自分の人物像に不安を覚えるレベルだわ。
とは言えだ、これには正当な理由がある。
以前、初音から人里での様子を聞いた際、周囲の人達は極々一部を除いて、あまり鬼属と関わろうとせず、必要最低限の接触しかしようとしなかったらしい。
まだ異世界の社会を完全には把握できていないが、初音が鬼属だという事は伏せておいた方が無難だろう。
このつば広帽なら小さい角を隠すには最適で、不要なトラブルを予防するのに役立つと考えたからだ。
初音は手にした帽子を珍しそうに見たり、何度も被り直してみたりと妙に嬉しそうな表情を浮かべている。
基本的に珍しい物が好きなんだよな。
「…良いのう。
お主からの献上品、しかと受け取ったぞ」
「お? おぉ…気に入ったのなら幸いだ」
微妙な空気を察してか、ギンレイが先を急ごうと吠えていたので構いに行く。
「腹でも空いたのか? 可愛い奴め~」
元気に走り回る様子は犬にしか見えない。
リュックに入れておけば人里でも騒ぎにはならないだろう――多分…。
「なぁ、人里まで残りはどれくらい?」
「5里程かのう、馬戯異ならすぐじゃ」
「残り20kmか。
積んできた氷が溶ける前に行こう」
再び走り出したバギーは小気味良いエンジン音と白煙を上げ、異世界の人々が集まる里を目指して疾走する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄