キャンプ最大の楽しみ、夕食!
時刻は日没を間近に控え、茜色に染まる空に追われた鳥達は帰路を急ぐ。
穏やかに今日という日を儚む時間。
俺は一日の中でも、特にこの瞬間が好きだ。
言葉に出来ない寂しさと、キャンプ最大の楽しみである夕食を迎える高揚感。
相反する気持ちが交錯する感覚は、キャンプを趣味にしている人には分かってもらえると思う。
「あしな、でっかい鹿を丸々焼くのか?
ならば今宵は宴じゃのう!」
「明日もあるんだし、飲酒は程々にな」
初音は嬉々とした様子で竹筒に入れた日本酒を抱え、配膳の用意を整え始めた。
聞くところによると最高の酒を求めて、自分で竹を伐採して節間に貯まった水、『竹水』と古代米のヌマタイネを原材料にして見様見真似で作ったらしい。
「本当に興味を持った事に関しては、並々ならぬ熱意でこだわるタイプだな」
「鬼属は皆、無類の酒好きじゃ。
あ、肴も忘れるでないぞ!」
そういえば、昔話の鬼も酒が原因で痛い目を見てたのを思い出す。
多分、こっちの人達も同じ様な失敗談が山ほどありそうだ。
配膳を済ませると、初音はギンレイと一緒に焚き火の前で待機を決め込み、今夜の夕食にかける期待の大きさを物語る。
「今回の料理は少し集中したいからさ、ギンレイは先に鹿のアキレス腱でも食べててくれ」
「これが鹿の腱か。
人のそれより、ずっと長いのう」
アキレス腱は軽く炙った事で香ばしさが増し、犬用ガムに似た独特の食感はギンレイも気に入ったみたいだ。
けど、食べ盛りの狼には到底足りないだろう。
俺は飯綱が近く居ない事を確認すると、洗浄しておいた鹿の内臓を食べさせた。
こちらも焼肉にすると最高に旨いのだが、繊細な未来人には少々刺激が強過ぎるのだ。
「そうじゃ、猪のモツも旨かったのう。
残念じゃがギンレイよ、ワシらの分までたんと食すがよい」
食事中に卒倒されても困る。
焼肉屋でホルモンを見て騒ぐ人など居ないと思うが、あの未来人ならやりかねない。
ここは内々で処理しておくのが無難だろう。
「ハトマメムギからフレークを作ってみたんだ。
これがないと今日の夕食は別物になってたよ」
聞いた事のない言葉に初音が反応を示す。
「ふれーく? それが今宵の夕餉かの?」
「いや…そうじゃなくて、これはパン粉の代わりというか…」
どうにも上手い表現が見つからない。
仕方がないのだが初音と話していると、時々カルチャーギャップのような感覚に陥ってしまう。
「兎に角だ、楽しみにしてな」
ハトマメムギは種子の部分である豆を取り出し、ダッチオーブンで炊いて柔らかくした物を潰して練っていく。
最後に薄く伸ばして天日で干すのだが、イメージとしては一枚の大きなコーンフレークと言えば分かりやすいだろうか?
こうして乾燥させておけば保存が利くので、必要な分だけ砕いて使おうと思う。
次に採取しておいたヒヨコムギを用意。
これは野生麦の一種で、その名の由来となった黄色の小さい実を付けているが、形が少し歪でヒヨコにギリ見えなくもない。
これを粉末状にして簡易の小麦粉にした。
正直、ふるいにすら掛けていないのでクオリティが高いとは言えないが、流石に市販品と比べるのは贅沢だろう。
この小麦粉に今朝見つけたミズサシシギの卵と水を加え、鹿肉のロースとヒレを浸し、ハトマメムギのフレークを細かく砕いた物をパン粉代わりに纏わせていく。
「ところでさ、今回の料理に必要不可欠な油はどこから調達したと思う? 俺も初めて見た時は驚いたよ」
初音にヒントとなる萎んだ皮を手渡す。
当初の鮮やかな紅色はくすみが出ていたが、特徴的な二枚の皮は元の弾力を維持している。
「このプヨプヨは…鹿の頬じゃのう。
あれの中身は全て油じゃったというのか?」
レイホウシンロクを解体する際、その特徴である頬の役割が何なのか知りたくてナイフを入れたところ、中から大量の油が漏れ出てきたのだ。
どうやら越冬に備えて余った脂肪分を頬に溜め込むらしく、突然の飢餓にも耐えられるように吸収しやすい液体状で保管されていた。
お陰で貴重な油を大量に使う調理が可能となったというワケ。
「もう分かっただろ?
今夜は皆が大好きな揚げ物だぜ!」
熱々のダッチオーブンに鹿肉を潜らせると、ジュワッという小気味良い音が暗い森に広がり、初音の歓声が沸きあがる。
「おぉ、天ぷらかぁ! ワシの好物じゃよ」
確かに似ているが、これはフライの方。
俺の認識だとパン粉をつけるかどうかの違いなのだが、揚げる食材の種類でも呼び名を分けるらしい。
「肉の天ぷらとな!?
これは…天才の発想じゃ!
日ノ本広しといえど、誰も思いつかんかったわ」
いや、俺が初めての人じゃないから。
変に持ち上げられると手元が狂いそうで逆に怖い。
揚げ物をする上で油の温度は重要な要素。
とはいえ、使っている油が通常の植物性の物ではないので、少々不安があるというのが正直な話。
「良い色合いに仕上がってるけど、ちょっと中身を確認させてくれよ~」
揚げたてをナイフで切ると、内部は絶妙な火加減で調理され、そこから肉汁が続々と溢れ出る。
そろそろ女媧様と飯綱を呼びに行こうとした矢先、完璧なタイミングで鉢合わせた。
「お、おぉ…体調は平気か?
あんま無理しない方が良いと思うぞ」
「…………うっせェなぁ」
うわぁ、壊滅的不機嫌モードですわ。
隣を歩く女媧様が心配そうな顔で飯綱に触れ、何かを伝えている様子だったが、言葉とは異なるコミュニケーションなので俺には聞こえなかった。
簡単にたとえるなら糸電話による会話みたいな感じで、直接触れていないと話が出来ないのだ。
女神の計らいで飯綱も食卓に顔を出してくれたようだけど、やはり昼間の一件が尾を引いているのは明らかだろう。
今の内にわだかまりを解消しておきたかったのだが、初音とギンレイが待ちきれないといった具合で文句を言い出してしまい、仕方なく食事を始めざるを得なくなった。
全く、俺はオカンかよ!
「さて、大変長らくお待たせしたな。
あしな特製、熱々揚げたてレイホウシンロクの鹿カツ完成だぜ!」