希望、つなげて
八兵衛さんの敗北という事態によって、体を蝕む痛みすら忘れてしまった俺の目に、更に想定を超える光景が飛び込む。
老侍との勝利に酔う女は唐突に身を翻した直後、周囲の空間が球状に歪み、膨張と圧縮を経て消し飛んだ!
視線の先には拳銃に似た装置を手にした飯綱が、怒り心頭といった面持ちでクノイチを睨む。
「器用に避けてンじゃねェ!
動くと当たらねェだろうがッ!」
「そう……そういうの……もっと…欲しい!」
装置の先端から射出されるソフトボール大の弾丸が着弾するたびに、半径1m程の空間が塵も残さず消滅する。
女は未知の現象を前に臆する事なく、恐るべき体術を駆使して攻撃をかわし、飯綱との距離を確実に詰めていく。
奇妙な拳銃が生み出す理屈や原理は不明だが、あの歪みに巻き込めば逆転も可能だろう。
問題は――まるで当たる気がしないという事!
「どう…か……隙を……奴を…止め……力…を!」
体を動かそうにも、手足の感覚は殆ど麻痺して立ち上がる事もできない。
辛うじて動くのは指先――人差し指一本のみ。
「畜生! 当たれ! 当たりやがれ!」
飯綱が必死の抵抗を試みる一方で、変幻自在の動きで獲物を追い詰めた狩人は笑みを浮かべ、任務完了へ王手を掛けるべく凶刃を振り下ろした!
「ぐぅ…………ぅ……」
「あら…あら……おやさしい……」
破壊の爪痕が刻まれる研究室に轟く反響音。
この特徴的な音は――女媧の力!
飯綱の肩を狙った短刀は寸前で止まり、半透明の膜がこれ以上の暴挙を拒絶するように二人の周囲を被う。
切れ長の細い眉を精一杯に逆立て、華奢な白い腕を伸ばして不退転の決意でクノイチの前に立ちはだかる女媧。
しかし――!
「素敵……やさしい…かみさま……けど…ね?」
暗殺者は二刀を構えると左腕も同様に関節を外し、全身で両腕を操って膜の一点へ刺突による攻撃を集中させた。
あの膜を破るのは絶対に不可能だ!
2mを超える巨体を持つヘンショウヒキガエルですら、どれだけ衝撃を加えても突破できなかった神の防御――そのはずが!
攻撃を受けるたびに徐々に振動は強まり、強固に形成された膜は雲散し、見る間に薄れていく!
死々ヶ淵で見せた物理的手段の一切を封じた神の力が弱まっているという、信じ難い事実。
やはり初音の言った通り、女媧は神力を使い果たした状態なのだろう。
「もう……じきよ……すぐに……とどくから…」
もはや迷っている時間はない!
俺は自由の利かない体ながらも、唯一動く指先で胸ポケットにあった防犯ブザーのストラップを引き抜いた。
途端に、一点集中を続けるクノイチが手を止める程の大音響が鳴り響く!
「…………なに? ……それ」
「へ、へへっ……さぁ? 何…ぐぅぎぃぃ!」
背中に容赦なく短刀を突き立てる女。
どうやら、陰キャ相応に大きな音はお気に召さないらしい。
「この…おと……はやく……とめて……」
何度も鋭い刃が体を貫くが――血は出ない。
あぁ、やっぱりか…。
悶絶する苦痛の中、それが…少しだけ悲しかった。
だけど、コレだけは守ってみせる!
激痛による筋肉の硬直を利用して、鳴り続ける防犯ブザーを身を挺して守る。
「お、お前……何のつもりだ!?
そンな事して……何の意味があるってンだ!?」
腰を抜かして座り込む飯綱が、悲痛な声を上げて叫ぶ。
女媧でさえ呆気に取られた表情を見せる中、件の暗殺者が初めて語気を荒げた。
「とめろ…と……言ったのよ!」
信じらんねぇ。
女は片足を振り抜くと、72kgある俺の体をサッカーボールみたいに蹴り飛ばしやがった!
驚異的な筋力で吹っ飛ばされ、地面に転がり落ちる防犯ブザー。
それでも――!
「今は……これしか…出来ねぇ……これだけは…」
『やる』と決めた精神は遂に肉体の限界を凌駕し、猛毒に犯された体で這いずり、再び防犯ブザーに覆い被さる。
しかし、この一見無意味に思える行動が暗殺者の凍った感情に火をつけたのか、ムキになって何度も蹴りを入れてくれた。
実に都合が良い。
「止めろと言っている!
……もういい、別世界の道具は手に入った。
お前はとっくに用済み……。
首を切り落としても死なずにいられるかしら?」
「おいおい……キャラは…最後まで通せよ…。
普通に……喋れるんじゃ…ねぇか……。
その調子で……陰キャ…も…治しやがれ!」
しなやかな刃がギロチンの如く迫る。
けどな、俺はもう用済みなのさ。
何故なら――研究室の向こう側で、岩を砕く音がハッキリと聞こえるからだ!
その瞬間、爆撃にも等しい衝撃が室内を駆け巡り、閉塞した空気を押し流したばかりでなく、絶望的な戦局に一石を投じる。
必勝の盤面は整った。
俺は舞い上がる砂塵に佇む者へ、最後の希望を託す。
「ここから先は――任せたぜ、初音…!」
「安心致せ。
今こそ鬼属の力、存分に奮ってみせようぞ!」
途方もない岩壁を圧倒的な暴力で破壊し、ギンレイを伴って堂々と下着姿で現れた初音が暗殺者の前に立つ。
薄れゆく意識の傍ら、勝利を確信した俺は次に目覚めた時、鬼巫女が嬉々《きき》として様子で自身の武勇伝を語る姿を思い浮かべながら、支えきれなくなった目ぶたを閉じた――。
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