忍び寄る影
「バッ……馬鹿言ってんじゃねぇ!
俺が大人しく『はい、分かりました』とでも言うワケねぇだろうが!! どういう事か説明しろ!」
修験者に女媧の呪いを解いてもらうという当初の目的すら忘れ、とてもではないが許容できない提案に怒りを露にして、怒鳴り散らしてしまった。
「ふぅ、お前な…ちったぁ考えてもみろよ?
アタシらが束になっても喧嘩にすらならねェ相手が表を彷徨いてンだぜ?」
「言ってろ! こっちにはAwazonがある。
修羅場なら何度も切り抜けてきたんだ!
今回だってやってやるさ!」
互いに一歩も引かない喧々諤々《けんけんがくがく》のやり取り。
俺達に挟まれて困った表情を見せる女媧には申し訳ないけど、こればっかりは全否定させてもらう!
「分ッかンねェ野郎だな!
あの女はアタシやお前が頼りにしてるスマホを狙ってンだよ! それ以外に、こ~んなクッソ辺鄙なトコに訪ねてくるワケねェだろうが!」
俺の…スマートフォンを?
理由は――考えるまでもないだろう。
電波基地局など存在しない異世界において、電話やインターネットが使えないスマホは鍋敷きよりも価値がない。
にも関わらず、求める理由はAwazonと『異世界の歩き方』のどちらか…あるいは、その両方を欲しているからに他ならない。
「アンタが狙われる理由は…この研究室か?
どうやってパソコンを手に入れたんだ?
外の女はソレを使って何をしようとしている?」
「ゴチャゴチャうるせェ!
アタシは質問されンのが大ッキライなんだよ!」
議論が平行線を辿ろうとした最中、唯一残っていた扉モニターに聞き覚えのある声が届く。
しばらくして、八兵衛さんを伴って初音の姿が映し出された!
「この先にあしなが居るはずじゃ!
おーい、ここを開けて給れー!」
「初音! 良かった…無事だったんだな!
これは扉の前か? あの女の姿も見えない。
頼む、二人を中に入れてやってくれ!」
必死に懇願するが飯綱は全く取り合おうとせず、逆に二人が本物なのか疑う始末。
「おいおい、どう見ても本人だろ!?」
「この馬鹿が。
それっぽく見えンのが一番怪しいンだよ!」
疑り深い飯綱を説得する為、モニターに齧りつく勢いで注視していると、一つの名推理を閃く。
「待てよ……変態女は初音達よりも先に谷底へ降りたんだろ? だったら後から来た初音達が偽物なワケがない!」
あの女がどれだけ優れた体術を持っていても、剣豪と鬼属を二人同時に相手できるとは思えない。
これには流石に反論が上がらず、黙ってモニターを覗き込む。
秒針が何度か周回する頃になって、ようやく飯綱は重い口を開いた。
「これは貸しだからな。
後でキッッッッチリ返せよ?」
「ああ! 早く開けてやってくれ!」
キーボードからパスワードらしき物を入力すると、飾り気のない壁に光の扉が現れ、初音と八兵衛さんが驚いた様子で入ってきた。
「…………当方は……呆けておるのか?」
純粋な日ノ本人なら当然の反応かもしれない。
八兵衛さんは困惑の色を隠せず、信じられない現象を目の当たりにして愕然とした様子。
俺は二人を落ち着けようと、即座に駆け寄った。
「ここなら安全だか……ら…………ごぼぉれは…?」
「ごくろうさま…あなた…やっぱり……やさしい」
何故……初音が俺を刺しているのか全く理解できなかった。
左胸には深々と見覚えのある針が突き刺さり、傷口を中心に薄紫色の斑点が広がっていく!
「これは……ヒメユリ…トウロウの…毒!
お前…………まさか!?」
夢を見ているとしか思えない……。
初音だったモノは骨が軋む音を立て、子供ほどの身長から見る間に大人の背丈まで伸び、声から顔の作りまで変化していく!
その光景は変装や擬態といったレベルではなく、もはや蛹から蝶へと羽化を遂げた変貌と呼ぶべきものだった!
「チィィィッ! だから言っただろーが!
コイツは……殺しのプロでも指折り…。
暗殺を生業とするクノイチだ!」