世界間の意外な価値観と老侍の提案
「お、おい……どうしたんだよ!?
なんか…随分とやつれてないか?」
「まぁ…………そうじゃな……」
初音はタープテントに帰ってくるなり、疲れきった様子で言葉少なげに座り込む。
また八兵衛さんと喧嘩でもしたのだろうか?
「それが……爺の奴め、突然腹を切ると言いだしてのう。何の前触れもなく、いきなりじゃぞ!?
疲れた……とにかく全力で止めたが…疲れた…」
予想の遥かナナメ上空すぎるだろ……。
文字通りぶっ飛んでるとしか言い様がなく、そんな場面に出くわしたら誰だってビビりまくるわ!
「お、おぉ…そうか。今日は大変だったな…」
「父上の御苦労が初めて身に染みたぞ…まじで!」
初音の父 九鬼 澄隆公は伊勢國を治める地方豪族で、現代風に言ってしまえば八兵衛さんの勤める会社の社長みたいな人だ。
もしも部下が仕事の手違いの末、責任を取るとか言って切腹なんてしたら……想像するだけでも悪夢としか思えない。
「あー…お侍さんって皆そうなのか?」
侍の考え方なんて時代劇でしか聞いた事がなく、実際には殆どが謎に近い。
しかし、初音は首を横に振って否定する。
「あれだけ固いのは今時珍しいわ!
父上が戦場に居った頃は大半があのような者達だったそうじゃが……はぁ」
八兵衛さんは澄隆公にとって、かつての往時を彷彿とさせる老臣であり、信頼するからこそ初音の守役を任せているのだろう。
しかし、比較的現代人に近い感覚を持つ初音からすれば、彼は時代錯誤で堅物な老人のように感じているのかもしれない。
「お陰で満足に食料を調達できなんだ。済まんな」
「そんなの気にすんなって!
それより、これを見てくれよ。
でっかい鰻をたっぷり釣ってきたんだぜ!」
てっきり大喜びするかと思いきや、バケツの中を見た初音は顔をしかめる。
「……えぇ……なんじゃこれは……蛇みたい」
マジで!?
意外過ぎる反応に、切腹未遂事件並みの衝撃を受けてしまう。
困惑している最中、八兵衛さんがヌマタイネの採取から帰ってきた。
「姫様、只今戻りまして御座います。
おや、桶を前に何を御覧になられて……おぉ、鰻ですか。そういえば姫様の御膳に上る事はありませんでしたな」
「そうなんですか? 俺が居た世界では滅多に食べられない高級魚なんですけど…」
それを聞いた八兵衛さんまでもが、眉を潜めて怪訝そうな表情を浮かべる。
「鰻が? 適当な事を申すな。
どこの川でも探せば大抵は見つかる。
故に高貴な方々はあまり食さぬのだ」
マジかよ……あの鰻が大衆魚?
衝撃を受ける一方で、かなり昔に祖父から聞いた話を思い出す。
昔はどこの川でも簡単に釣れたのだと。
当時は冗談だと思っていたのだが…あの話は本当の事だったのか!
「えーっと…今夜は鰻の蒲焼きにする予定だったんですけど、ダメっすかね?」
途端に顔を見合わせる二人。
え? なに、その反応…。
「他に口にする物もないのなら仕方があるまい」
しゃーなしって感じの妥協!?
思わぬところで遭遇した価値観の違いに、思わず顔を被ってしまう。
だがここで、面食らっていた俺へ八兵衛さんが意外な提案を持ち掛ける。
「よかろう。今夜の夕餉は当方が務めよう」