止まらない老侍 (八兵衛視点)
おかしい――何故に姫様は機嫌を損ねられた?
あれから体力の限界まで暴走を続けた結果、力尽きて寝込んでしまわれるとは…。
姫様は以前、当方や大殿には御気持ちを察すること能わずと仰られた。
――確かに分からぬ…。
昨夜、意識を失った葦拿を運ぼうとした際、姫様は御自分でやると言って決して譲らなかった。
その御様子から、少なからず御好意を抱いていると思っていたのだが――当方の見当違いだったのだろうか?
先程までの会話を鑑みても、当方の具申が癇に障るような落ち度などなく、そこまで取り乱す事態に陥るとは考えられぬ。
――待てよ……暫し待て……。
もしや、当方は重大な思い違いをしていたのではあるまいか?
考えてみれば姫様も、鬼属として御歳39の多感な頃合い。
獄卒の如き身分の者に心中を言い当てられ、憤慨なされたのではあるまいか!?
だとするなら……なんたる失態!!
斯様な大罪を雪ぐに相応しい行いは一つしかなかろう!
「姫様!
御休みのところ、恐れながら申し上げまする!」
「お、おお…どうしたというのじゃ?」
粗末な床から身を起こされた姫様は、かなり衰弱された御様子。
それだけの御心痛を与えてしまった次第は、臣下として一命を賭して平伏に処する覚悟なり!
「これより矢旗 八兵衛が一世一代の腹切りにて御覧致しまする。初音姫様におかれましては、どうか当方の辞世を見届けて頂きたく存じ上げまする候う。では、いざ――」
「ちょぉぉぉおおおいいぃぃいいい!?
待てやぁあああああコラァァアアアア!!
なんで!? なんで急に腹を切るんじゃあ!?
えらーえらー理解不能意味分からんいみふ!!
分かっとんのか!? 死ぬんじゃぞ!?」
………………は?
――姫様の御心中、皆目見当すらつかぬ…!
当方が持ち得る最大限の謝罪をも拒絶されてしまわれるとは…。
これでは葦拿との間で取り交わした密約も水泡と帰し、いつまで経っても熊野へ戻ってくださらぬとなれば――武士の面目丸潰れではないか!
否……否、否!
当方の面目など取るに足らず!
このままでは守役の重責すら果たせぬ!
「やはり、腹を切る他あるまい!
こればかりは姫様の命にも応じる訳にはいき申さん! 御免!!」
「あああああ! まてまてまてまてまて!
ワシの方こそゴメンて! 謝るから!
もう我儘も言わぬから、腹を切るのだけは勘弁して給もれ~!」
――波切り八兵衛、困惑の極みなり!
神奈備の杜に姫様の懇願が響き渡る――。
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こんな感じの殿様と家来も居たんだろうなぁ。
そんな思いで書いたエピソードです。




