ツチナマズの隠された秘密とは…?
俺は夕食を済ませて早々に、泥沼地での夜釣り準備を始めた。
残された時間はあまりに少なく、今夜を逃せば次の機会はないかもしれない。
「ところでのう、どうしてそこまでツチナマズを釣りたがるのじゃ? 今でなくともよいであろ?」
「言いたい事は分かるよ。
けどさ、問題は女媧じゃないんだ」
脳裏を過るのはヒメユリトウロウが咲き乱れる滝壺で出会った不可視の化物。
女媧の目的は依然として不明な一方、一緒に現れた不気味な影からは明確な殺意を感じた。
酷く冷徹で容赦のない、本能と呼ぶべき衝動。
「…アイツを放置しておくのは危険過ぎる。
ここで――殺さなきゃならない……」
「本気なのか?
相手は魑魅魍魎の類いじゃぞ!?」
珍しく狼狽する初音。
『殺す』などと耳にすれば当然の反応だろうが、信心深い巫女として神奈備の杜に棲む存在に対する畏怖も大きいのだと思う。
「だけど――血を流す神なんて存在しない。
あれは森に住む野生動物だ……間違いない!」
力強く断言した言葉に初音は息を飲む。
琥珀色の瞳を見開き、神への冒涜を諫めるべきなのか、それとも一笑に付すべきなのかを考えあぐねているといった様子だ。
無理もない。
これまで信じてきた信仰に近い部分をまやかしと言われ、動揺しないワケがない。
むしろ、人によっては感情的になっても不思議ではないのに、口に出さなかった初音の自制心が人並み外れて凄いという証拠だ。
「あの化物は俺達を食おうと追ってきてる。
それだけはハッキリと分かったんだ。
ここで防がないと……誰かが犠牲になる」
恐らく、途中の小屋で死んでいた男も化物に狙われた末、逃げる事も出来ずに餓死してしまったのだろう。
初音やギンレイを同じ目に遭わせる気はない。
ここで――必ず始末する!
「ツチナマズの体内で長い時間をかけて作られる特殊な石、『発酵石』があれば短時間で酒が作れるんだ。これさえあれば…」
「酒!! 何故それを先に言わぬ!
そのナマズを釣れば酒が呑めるのであろう!?
こうしてはおれん! ついて参れギンレイ!」
俺の真剣な語り、ちゃんと聞いてた?
引き止めるよりも早く、初音とギンレイは夜の泥沼地を目指して走り出していた。
やっぱ自制心なんてカケラもねぇわ。
俺は目まいのする頭を抱え、暴走娘が置いていったランタンを手に急いで後を追う。
「待ちなさーい。走ると沼にハマるぞー」
まるで日曜の朝、元気な娘を公園に連れて来たお父さんみたいな気分だな。