猪肉のリエットとベニワラベのデザート
初音の体調が回復したとはいえ、即日で山道を歩かせる訳にもいかず、大事を取ってもう一日同じ場所に滞在する事にした。
懸念があるとするなら、女媧がどこまで迫っているのかという点につきる。
しかし、これに関しては今さらアレコレ考えていても仕方がない。
「安心致せ。
時が訪れたならワシが追い返してみせようぞ!」
誇らしげに立派な胸を目一杯に張るが、足元の震えは隠しようもなく、まるで生まれたての子鹿のように立っているのがやっとだ。
……初音の気持ちは嬉しいが、次に追いつかれたなら――本当に終わりかもしれない。
「この近辺だと食料調達は難しい。
今日は残しておいた保存食を食べて、明日の早朝に出発しよう」
早々に食べる事となった猪肉の保存食。
昨夜もギンレイと一緒に食べたものの、やっぱり皆で食べておきたい。
当然、食事だけでは時間をもて余してしまう為、この間に今後を見据えて色々と済ませておこう。
「『りえった』…と言うたかのう。
どう言い表してよいものやら、なんとも面妖なれども……悪くはない」
フランス料理に詳しいワケじゃないけど、リエットはパンに直接塗ったり、ビールのつまみにして楽しむ物らしい。
温めずに常温でも食べられるが、時間はたっぷりあるので竹筒に入れたまま湯煎する。
筒から出すと見た目は形の崩れたコンビーフに似ており、溺れる程の脂身で全体が包み込まれている。
口にした途端に味覚を刺激する塩分と、鼻孔に広がる様々なスパイスの香り。
どちらも訴えを譲らず、『我こそは!』と自己の存在をこれでもかと主張してくる。
「ガッツリと効いた塩気と豊かな肉の味わい…。
こりゃ酒が欲しく――だろ?」
「全くじゃ。このような物、酒もないのに持ってくるなど…お主も分かっておらん男子よのう」
抗議じみた口調ながらも表情は涼やかで、心身ともに状態はバッチリみたいだ。
けど、流石に主食なしで食べるには辛すぎる。
これは口直しが必要だろう。
「その竹筒はなんじゃ?
まだハチミツが残っておったのかや?」
「結構な量が採れたから料理に使ってみたんだ。
あしな特製ベニワラベのハチミツ漬けさ」
そのままでは酸っぱ過ぎるベニワラベも、飛び上がる程に濃厚なハチミツをプラスすれば上手くマッチするかもしれない。
そんな実験的な要素を含んだ料理だったが、初音の口に合うだろうか?
「おぉ! 適度に抑えられた酸味にハチミツの甘さが加わって旨いのう!
甘酸っぱさと柔っこい食感が癖になるぞ」
ベニワラベは軽く湯通しした後に冷水で締めると、簡単に薄皮がむけて一段と食べやすくなる。
前日の内に下ごしらえを済ませたベニワラベに、たっぷりのハチミツとカドデバナの果汁を加えた竹筒に入れ、涼やかな清流で一晩冷したら完成だ。
一口すれば夏の旬を感じられる爽やかな味わいが楽しめる上に、茹だるような暑い日にはキンキンの冷感が何よりも有り難い。
「デザートも食べた事だし、午後もやれるだけの仕事はやっとくかねぇ」
出発は明朝。
それまでにやるべき事は相変わらず、山ほどあるのだから。