四万十 葦拿、21歳。極めて普通の大学生
ソロキャンこそが生き甲斐
俺は四万十 葦拿、21歳。極普通の大学生だ。
地方から東京の大学に入学後、気ままな一人暮らしで順風満帆なキャンパスライフを謳歌する予定…だった。
別に特別な事がやりたかった訳じゃない。
受験勉強に明け暮れた先にあるはずの明るい未来、若さ故のバカ騒ぎと暴発、ちょっとした甘い体験などなど――そんな…極々普通の新生活を期待してた。
しかし、フタを開けてみれば例の世界的感染症の影響でキャンパスは閉鎖。
約二年という長い自粛期間を経て初めて大学の門を通ったのも束の間、同学年は既にサークル活動を楽しむという雰囲気ではなく、気づけば就職の足音が耳元まで迫っていた…。
そんな中でも参加した飲み会で知り合った子と意気投合して仲良くなり、付き合うに至ったのだけれど、単位の修得とバイトに終われる日々でロクに会う事もできず、徐々に疎遠となってしまう。
そして、とうとう共通の友人であるAが先日、彼女と見知らぬ男が仲睦まじい様子でホテルに消えていく所を見てしまったそうだ。
俺にだって2人で過ごす時間を作れなかった落ち度はあったさ。それは認める。
だから浮気した彼女を恨むつもりはない。
「恨むつもりは――はぁ……」
心身ともに荒れた俺を癒してくれたのはソロキャンプだった。
切っ掛けは休日でも外に出ようとせず、塞ぎ込む俺を心配したAの何気ない言葉。
「あんまり考え過ぎるなよ。
そうだ、キャンプでも行かないか?
最近流行ってるらしいぞ」
彼には今でも感謝している。
人生で趣味と言える物を一切もたなかった俺が、胸を張って主張できる生き甲斐を見つけられたのだから。
都会を被う灰色のコンクリートビル群を飛び出し、自然溢れる緑の中で淹れた一杯の珈琲は今でも忘れられない。
あんなにも豊潤で豊かな時間が存在するだなんて想像もしていなかった。
大袈裟かもしれないけど、本当に人生の転機を迎えたような気分だったんだ。
俺は沼へ沈むようにアウトドアにハマリ込んでいき、最終的にはAが呆れる程のキャンプギアを買い揃え、寸暇を縫って国内の主要なキャンプ場を制覇していった。
そして、ここ山ン中ヒュッテで冬キャンを楽しんでいたのだが…不思議な事に、そこからの記憶が全くない。
気付いたら鬱蒼とした木々に囲まれた森の中で寝ていた――らしい……。
一体どうなっている?
ここはどこだ?
季節は冬だというのに、さっきから汗ばむ程の陽気と木漏れ日を全身に浴びていた。
俺は堪らず着込んでいたダウンジャケットを脱いでシャツのボタンを開けた。
まるで夏のような暑さじゃないか。
こんなの絶対変だ…。
少し前までテントの周囲は雪と氷に被われた一面の銀世界だったんだぞ?
それが今では芽吹いたばかりの新緑と小さな虫まで……。
「ちょっと待てよ――なんだ、この樹木は!」
俺は自慢じゃないがアウトドアに長年親しんできた事で、日本国内の動植物にはかなり詳しいと自負していたのだが、この葉は二分裂葉の特徴を持っており図鑑でも見た事がない。
色の濃さと葉の厚みから年間を通して落葉しない常緑樹だと思うが…。
他のキャンパーが面白がって葉に細工をしたのかと考えたが、辺りを見回すと視界にある全ての樹木に同様の特徴がある。
悪戯だとすれば何千、何万のこれら全ての葉を裂いて何のメリットがあるというのだ?
そんなのは考え難い。
悪戯にしては手が混みすぎている。
俺は頭を振って今一度、冷静さを取り戻そうと深呼吸をしたが、胸中は言い知れぬ不安に襲われていた。