試練4.お師匠、お勉強です
お昼。
あたしは台所に立って包丁を叩く。
朝採った野菜の残りを洗って水気をよく絞り、木の器に乗せて、彩りがよくなるようにトマトを添えると、パラパラと塩をまぶす。
これを四人分。
次は煮物の蓋を開けて中を覗くと、湯気がもわっと出て大根や人参が美味しそうな香りを漂わせた。
鍋の中はグツグツと煮立っている。
お玉で汁を少し取って小皿によそい、ずずっと味見をする。
「………。」
うむ。いいお出汁が出ました。
あたしは笑顔になると、お鍋の火を止めて換気扇を切った。
「お師匠、弟さん、ご飯ができたですよ~」
炊きたての玄米、煮物、生野菜、漬け物を合わせてお盆に乗せて居間まで運びに行く。
すでに師匠と弟さんは真ん中の卓袱台に座っていて、二人とも神妙そうな顔で向き合っていた。
「…だそうです、是吉殿。話は後にしてお昼にしましょうか」
「あ、あの、おれ…」
「どうぞお構いなく。腹が減っては戦も出来ぬというでしょう」
「い、いくさっ? い、いや、あの、」
「お兄さんでしたら隣の部屋でぐっすりですから、ご心配なく」
「あ、そうで…」
居づらそうに正座してヘコヘコと頭を下げる弟さん。
それとは打って変わってニコニコと笑顔が眩しい師匠。
お師匠ってば、そんなふうにしたら相手を怖がらせるだけですよ。
「お師匠、あたしお師匠の隣に座っていいですか?」
あたしは全部の食事を並べ終えると、少しでも弟さんの緊張がほぐれるように間に割って入る。
「おや珍しい。いつも私から出来うる限り離れて食事する者が」
「それはお師匠が食べながら変なこと言ってくるからです」
「ふむ、さては私とこの男の仲に嫉妬しましたね」
「え?」
「大丈夫ですよ、体を触りたくなるほど愛しているのは都だけですから」
あたしはガチャガチャと自分の方に食器を並べながら、ブッと吹き出した。
きっと真顔でこんなことを言うのは、どこを探してもお師匠だけだろう。
(お、お師匠はきっと、えっちな泉からブワシャーっと産まれてきたえっちの神さまですね…)
あたしが顔を赤くしていると、隣の弟さんがわなわなと震えだして後ずさりしているのに気がついた。
まるで、あたしの後ろにお化けでもいるかのように顔を引きつらせている。
あ、ドン引きされてますよ、お師匠!
「う、動いてる……あ、兄貴が、さっき、き、切ったはずなのに…」
「え?」
あたしはお茶碗を持つ手を止めた。
もしかして、あたし?
そういえばぜんぜん痛みがないから忘れていたけれど、首と両手が包帯でグルグル巻きで、着物で見えないけれど胸と背中にかけてもサラシのように包帯が巻かれている。
今ではすっかり血も止まっていて痛みもほとんどないので、本当に怪我をしているのか疑問に思うくらいだ。普通なら体も動かせないくらいの重傷かもしれない。
「私の薬は随一ですから。あのくらいの傷なら二、三日で傷口が塞がるでしょう」
モグモグと大根を咀嚼するお師匠。
今回の煮物はこないだ取り寄せてもらった圧力鍋でじっくり煮ましたから、とろとろのフワフワ~ですよ。
本当は鶏肉じゃなくて、豚肉を角切りにした豚の角煮ってやつにしたかったですけど、我が家に豚さんはいませんからね。
残念なのです。
「も、もしかして、不老不死の薬っ!?兄貴が探してる宝玉の…!!」
「ただの痛み止めの止血薬ですが」
「つ、作り方を教えて下さい!!あに、兄貴は怪我をしてるんです!!」
ガタンと席を立つ弟さん。
この人、兄貴兄貴って、お兄さんが本当に大好きなのですね。
「まあまあ、食べてからでも遅くないでしょう、そろそろ落ち着かないと砕きますよ」
お師匠の冷やかな一言により、場の空気がさらに冷えて固まった。
◇◇◇
客間で眠るお兄さんを、お師匠が手当てをしている。
背中と腕に四か所も矢傷を受けていて、布でぞんざいに止血がしてあるだけだった。
「今回都に使ったのは、傷が深かったので茜草根と呼ばれる元来の生薬を主体に、桔梗の根や蔓の鱗茎など12種の薬草を調合して痛み止めの効能を加えた、オリジナルの塗り薬です。かなり強力なので、逆を言えば副作用も強いですが」
「は、はいっ、せ、先生、有難う、有難うごぜえます!!か、書き留めておきますだ、かみ、紙と筆っ…」
「え…お師匠…?副作用って…?」
「ただ茜は山へ行かないとなかなか生えていませんし、微量でも薬の量を間違えると毒薬になり得るので、調合はあまりお勧めしませんね。ですからこれと同じ薬を作ることはまず不可能です。初めは一種類の薬草から試すのがいいでしょう」
「お師匠、副作用って、副作用ってなんなんですか!?」
「ちょ、先生、ちょっと待って、もうすこし、ゆっくり!」
「葦の茎や根を乾燥させたものを蘆根と言います。これが止血に役立ちます。葦ならそのへんの川縁に生えていますから、これなら材料集めは簡単ですよ」
「あ、あし……、昔の屋根の材料になる草ですね、百人かるたの」
「芦の丸屋に秋風ぞ吹く!」
「そうですね、大納言経信の区に出てくる芦のことです。簡易な掘立小屋などに今も使われていますよ。傷薬としては弟切草やアロエの生葉をもんで、切り傷につけるだけでも効果があります。緊急時であれば蓬など、辺りに生えている草を代用してもいいでしょう」
「お師匠、ヨモギってあの匂いがキツいやつですよね!お外にいっぱい生えてる」
「そうです。都は蓬餅を作るのが上手でしたね」
「えへへ」
「他にも調合や服用法によっていろんな効能がありますが、どんな薬草も粉末にして漢方として飲むのが一番ですね。蒲公英の根を煎じてお茶にしたものを蒲公英珈琲と言いますが、体に良いですし美味しいですよ」
「あ、こないだお昼に飲んだ黒いやつですね…。にがくって美味しくなかったですよ~!あたしは普通の杉菜茶がいちばん好きです」
「ふ、都に珈琲はまだ早かったようですね。まあ民間療法には限界がありますから、あまりひどい傷の場合はさっさと医者を呼んだ方が賢明だと私は思いますがね」
「あ、お師匠、お師匠、弟さん、頭から煙が出てるです…」