試練3.お師匠、死にそうです
目を開けると、男の肩に小刀が刺さっていた。
「…………し、師匠……?」
「都、お客さまがきたら居間にお通ししなさいと言ったでしょう」
師匠。師匠だ。
思わず顔がへにゃっと綻ぶ。
お師匠さま。
お師匠さま。
「兄貴!肩から血が」
「逃げるぞ。」
「逃げるってどこに!?やっとここまで逃げてきたんじゃないか!」
「知らん!死にたくなければ走れ!」
「だから言ったんだ、正直に話して今晩だけ泊めてもらおうって!」
「何だと!?」
なんだか口論を始めた隙に、あたしは師匠のもとへ。
もふっとその大きな胸に抱きついた。
「師匠」
「おやおや、血まみれですね。大丈夫ですか?」
「はい…」
言われたとたん、手のひらと背中に鈍い痛みが走った。
ガクンと力が抜けて崩れ落ちるあたしの体を、師匠が支えてくれる。
どうやら、緊張で麻痺していた感覚が戻ってきたようだ。
「俺はずっと兄貴に言った!やめようって…これ以上手を染めてどうするんだって!でも兄貴は俺の話を聞こうともしなかった!」
「今その話を蒸し返して何になる!ああそうだろう、すべて俺のせいにすればお前は満足だろうな!」
「ところであれ、どうしましょうね。あまりに隙だらけで逆に呆れます」
師匠はあたしの頭を優しく撫でながら言った。
頭だけじゃなくて、どうも変な所まで撫でられている気がしたけど、背中と手のひらが燃えるように熱くて、それどころじゃない。
意識が遠のいては、痛みによってまたハッキリさせられる。
とどめは刺されなかったけど、わりと手遅れですよ、お師匠。
それも、あたしが斬られるところを遠くから見てたっぽいですね。
「その言い方はずるいよ!なんでそう卑屈なんだ、俺はただ…、子供を殺す必要はないって言ってるんだ!他にたくさん方法はあったはずだ!」
「ああそうか、結局お前が言いたいのはそれなんだな…とんだお人好しだと思っていたが、ただの馬鹿だったようだ!お前のような未熟者、私がいなかったらとっくに死んでいたというのに!!」
「誰かを犠牲にしないと得られない命なんかいらないよ!!俺は兄貴みたいな生き方はできない…そんな、そんな生き方するくらいだったら死んだ方がましだ!!」
「ならば勝手に死ね!!だがな、お前だって私だって動植物を殺して数え切れぬほどの命を踏み台にしてきた!!何の犠牲も無しに生きることなんて最初から出来てないじゃないか!!」
人んちの寺でギャーギャーと口げんかを始める泥棒兄弟。
師匠はやっと、喋れないくらい重症なあたしに気付いたのか、あたしをゆっくり床に座らせた。
血を流しすぎて頭がボーッとする。
指先に力が入らなくて、だんだん冷たくなっているのが分かった。
師匠は懐から小さな瓶を出すと、あたしの手のひらに塗り込む。
「う……」
ギュッと目をつむって痛みに耐えると、師匠は大きな白い布でグルグルと傷口を巻いた。
すると燃えるような痛みがだんだん引いていって、ずいぶん楽になった。
「わあ、お師匠、痛くなくなってきましたよ…」
「まあ、痛み止めの軟膏を塗りましたからね。それにしても、死にそうですね都」
「えらい他人事ですね、お師匠」
「いえ、あの人の娘ならこれくらい平気かと」
「え?」
「いや、まあ。あとは背中と首ですね。血は止まっているようなので、薬草でも貼っておきましょうか」
「はあ…あの、でも、傷口を洗ったり、血を拭かなくていいんですか?ばいきん入りませんか?」
「んー血液には自然治癒の力がありますからね、容易に拭き取らない方がいいですよ」
「えっ」
「水などで刺激を与えることも治りを遅くするだけですし」
「し、知らなかったです」
「もちろん、傷口が砂だらけになった場合などは洗わなくてはいけませんが…」
「でもでも、刀傷は、破傷風になったりしませんか?」
「おや、都は詳しいですねー。…まあ大丈夫ですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、きっと、その白い布が守ってくれますから」
師匠が微笑む。
あたしは手のひらをジッと見つめると、本当に守られているような気がしてきた。
師匠の言葉はなぜか説得力があって、ほのかな温もりまで感じる。
きっと何か大切な、おまじないのかかった手ぬぐいなのかもしれない。
心なしか黄ばんでいるところも、ご利益がありそうだ。
「なにせ私の褌ですから。御利益ありますよ」
師匠がサラッと言った言葉に、あたしは一瞬固まった。
プルプルともう一度手のひらに巻かれた白い布を見ると、もはやただの黄ばんだフンドシにしか見えない。
あの感じた温もりは…、
あたしは手首から先を千切って捨てたくなった。
「そうだよ…。だから、俺はこれ以上、無駄な殺生はしたくないんだ。それが人間なら、なおさらだろ」
ふと兄弟の方を見ると、まだギャーギャーやっている。
「ほ…本当にお前はあいつそっくりだ。いいか…お前の些細な行為が死に繋がる。その迷惑を被るのは自分だけではないということを覚えておけ…」
「何、ちょっと待ってよ、勝手に終わらせんなよ!まだ終わってない、兄貴は…兄貴の考え方は間違ってないのかもしれない、だけど、そうやってずっと一人で何かを抱えて生きていくのは、すごく寂しいことだと思ったんだ」
「………」
「兄貴が悪事に手を染めるたびに、俺は兄貴が変わっていくように見えた。そのうちふらっとどこかへ行ってしまうんじゃないかと思ったよ。俺は、そんなの嫌だよ」
「黙れ」
「聞いて、兄貴。よくないことをすれば、それはその分自分に返ってくる。兄貴が小さい頃言ってたことだろ?そんなことも忘れるくらい、兄貴が変わってしまったというなら、仕方ないけど」
「黙れ!!」
「だけどっ…それでも俺は諦めない!!兄貴が昔に戻ってくれるまでっ」
パチパチパチ。
「えー、熱弁のさながら失礼します。いい加減の無礼千万にも飽きてきましたので」
兄弟二人がハッとした。
この状況でケンカしていたことに、やっと気づいたようだ。
人は何かに一生懸命になると、なんにも見えなくなっちゃうんですね。
「兄弟喧嘩は犬も食わないとは言ったものですが」
師匠、それ夫婦ゲンカですよ。
「自分達の身の上をすっかり忘れてませんか。見たところ、ただの盗人ではなさそうですね、院から逃げてきた奴隷といった感じですか」
男二人がビクッと肩を震わせて、思いきりたじろぐ。
「あにき……。大人しく捕まろう」
兄が下を向いてうなだれたところに、師匠の手癖の悪ーい右手が動いた。
ここまでご読了ありがとうございます。
このへんでちょっと休憩。
というかこれ、四年前に書いたものを修正して何となく投稿してみたので続きがありません、ごめんなさい…それにしてもなんちゅー拙宅な文章だ。
師匠の年齢は当初50~60代後半の予定でしたが、都が10歳くらいなので幼女とスケベジジイの一つ屋根の下になってしまうのは何となく憚られたのでかなり若くなってしまいました。
これはこれで都が年頃になったら大変ですね。
都の変な敬語は連翹のまねっこです。物心ついたときから寺にいるので感染ってるですよ~。
あとは…
ぜんぜんお話が始まってすらいませんね、続き…がんばろう。
ちなみに師匠の名前、本名はまた違いますが連翹、都は都忘れという花から取っています。