少女と慶福
あの日以降、少女の身体を検査し、どこに異常があるのかを調べる為、診療所が休みの木曜日に通うことになった。
「おねえちゃん!今日ものーじーのとこいくの?」
「ぼくもいきたーい!」
「ずるい!わたしも!」
「それじゃあ皆で行こうか」
大抵は、ほとんどの孤児が一緒に着いてきていた。大勢で診療所を訪れても昇は笑顔で出迎えてくれた。
「よく来たね。みんなは今日もちゃんと良い子で待てるかな?」
「はーい!」
「おわったらえほんよんで!」
「ちがう!おうまさんごっこ!…う?」
孤児達が互いのやりたいことを押しつけ言い争いを始めるも優しく微笑み喧嘩する二人の頭を撫で仲裁する。
「終わったら絵本も読んでお馬さんごっこもしようね。それまで待っててくれるかな?」
「わかった!」
「まつ!」
あっという間に両者の怒りが収まり笑顔を取り戻した。
「昇おじいさん。ありがとう」
孤児達の笑顔を見て自然と少女の表情も明るくなる。
昇は少女の検査だけでなく、孤児達の相手も嫌な顔一つせずやってくれている。六十は下らない歳であろう昇だが、鬼ごっこやかくれんぼ、お馬さんごっこなど身体に負担がかかる遊びも積極的にしてくれた。通い始めて数週間後には「のーじー」と呼ばれ孤児達全員に慕われていた。
昇は笑顔のまま首を横に振った。
「子供たちの相手をするのは私も好きだからね」
昇の優しさが少女や孤児にとって光になっていた。
一人きりで孤児のことを守っていた少女も今では昇のことを頼るようになっていた。
「それじゃあ検査を始めようか。準備はいいかい?」
「うん」
「いってらっしゃい!」
「がんばれよー!」
診療室に入っていく少女に孤児達が声援を送る。それに笑顔で手を振って答える。
「行ってきます!」
毎週同じ検査を繰り返しても結果は変わらなかった。依然として色は少女の世界に戻らず、原因も分からない。
それでも、少女は前を向いていた。昇の言葉を信じ、いつかきっと治ると信じていた。
「…そういえばのーじーは一人でここに住んでるの?」
「そうだよ。この道に入ってから色恋沙汰とは縁遠くなってしまってね。患者さんのことに専念していたらこんな歳になってしまってね」
苦笑し弱々しい声で語る昇の背中はいつもより小さく見えた。少女はそんな昇を元気づけようと声の調子を上げた。
「でも、今は一人じゃないよ!私達がいるから」
「そうだね。嬉しい限りだよ」
楽しそうに喉を鳴らし元気が戻る。その事に安堵していると昇の視線が少女の腕に新しく出来た痣に向く。その瞬間、腕を掴んで痣の状態を確認し悔しそうに呻き声を漏らす。
「…また、殴られたのか」
「っ…これは、転んだだけだよ。もう痛くないし大丈夫」
通い初めてすぐの頃、孤児達から孤児院の話を聞いた昇はすぐに少女達のことを引き取ろうとしてくれた。が、孤児を扶養するためという名目で政府からお金を貰っている院長は、断固として拒否し一日中話し合ってもまともに取り合おうとしなかった。最終的に腰達が昇の元に通うことを許可し、それ以上は譲らなかった。その後、何度も昇が訪ねてきても沈黙を貫いていた。
その後、昇は診療の度に少女の身体に新しい痣が出来ているのを見る度に自分の無力さに唇を噛みながら治療していた。
――*――
「…今度新しい家を買おうと思っているんだけど」
ある日、検査が終わった後、いつもより緊張している様子の昇が口を開いた。
「ここよりももっと大きくて綺麗な家にしたいと思っているんだ」
「へー。のーじーってお金持ちなんだ」
「何の趣味も無かったからお金も使わないで貯めっぱなしだったからね。こういうときにこそ使うのが一番だと思って」
棚を漁り家の写真の束を見つけ出すと少女の前に置いた。一枚一枚を手に取るとその度に瞳を輝かせた。
和風らしい外見に塀。三階建てで屋根裏もあるらしい。キッチンやトイレは孤児院のものよりも綺麗で使いやすそうだった。部屋の床には見たことのないカーペットが敷かれていて首を傾げた。
「なにこれ?カーペット?」
「これはね、カーペットじゃなくて畳だ。この国の誇るべき文化さ」
「たたみ?なんかざらざらしてそう」
「はは!その通りさ。まぁそこがいいのだけど」
馬鹿にされたと頬を膨らませると昇はごめんごめんと平謝りし対面の席に座った。
「一つ、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「…なに?」
昇の声のトーンが変わり、真剣な眼差しを向けられると頬を膨らませつつ耳を貸した。
「この家で一緒に暮らさないか?勿論あの子達も一緒に」
「え」
少女があっけにとられ気の抜けた声を漏らす。その後も昇の言葉が続いた。
「この家は孤児院からも遠い場所にある。あの院長でも見つけられない様な場所に、ね。君やあの子達の暮らしは私が支える。ご飯も服もおもちゃも必要なものは全部揃える。だから」
「ちょ、ちょっと待って!それならここは?この診療所は」
「ここは、今日で閉めることにした」
驚く少女から視線を外し机の上に置かれていたカルテを揃えた。
「実は昨日で君以外の患者さんが全員退院してね。私の患者さんはもう君だけだ」
「私だけ?」
その言葉に触発されて少女の脳裏に街で聞いた噂話が過ぎる。
――*――
前にゴミ捨て場に食料を取りに行った時におばさん達が話していた。
「そういえばあそこに大きな病院が出来たらしいわよ。国が作ったとかなんとか」
「へぇ。でもあそこって診療所があったわよね?なんでここに」
「噂だと、そこの診療所の人への当てつけらしいわよ。昔から国に反抗し続けてていろんな場所を追い出されてるって話」
「近所でも変人って揶揄されてるものねぇ。最近汚い子供たちを誘い込んでるみたいだし」
「本当街の治安が悪くなったらどうしてくれるのって話よ。あーいう人とは関わらない方がいいわね」
昇のことを好き勝手に語られ笑われて悔しくて涙が溢れた。
「…だいじょーぶ?」
一緒に来ていたヒマワリが心配そうに顔を覗き込んでくる。ヒマワリはまだ五歳担ったばかりで今の話が昇に関するものだとは理解していないのか、戸惑ったまま少女のことを見つめていた。そんな優しいヒマワリに心配をかけないように涙を拭いて笑顔を見せた。
「大丈夫!早く帰ろうか」
――*――
そのことについて少女から触れることは無かった。少女は昇が悪いことをするなんて考えても居ないし、話したところで傷つけるだけだと知っているから。
「どうかな?他の子達に聞く前に君に聞いておきたくてね」
「私は…」
行きたい、と本心が溢れそうになる。が「汚い子供」という言葉が頭に響く。自分たちの存在のせいで昇は変人扱いされている。これ以上一緒に居たらもっと迷惑をかけてしまう。
「でも、のーじーにはいつもお世話になってるしこれ以上は」
「君はまだ子供なんだ。そんな風に遠慮する歳じゃない」
俯いている少女の頬に手を添えそっと正面を向けさせる。
「君はどうしたいのか、私はそれが聞きたいんだ」
昇の瞳に戸惑う少女が映る。少女が反射的に顔を逸らそうとしても真剣な眼差し逃がさない。
「……のーじーと一緒に暮らしたい。あの子達も皆一緒に」
禍細い声で願いを紡ぐ。
「君は本当に優しい子だ」
少女の優しさにしわくちゃな顔に笑顔が咲く。少女の髪を梳くように撫で野原を吹き抜ける風のような優しい声で付け加えた。
「明日、ここに荷物を纏めて皆で来なさい」
引き出しから鍵を取り出すと少女の手に握らせた。
「なにこれ?」
「これは私からのプレゼントさ。無くさないようにちゃんと持っておくんだよ」
「わかった、あ」
握り直そうとすると手が滑り地面に落ちて金属音が響く。
「あはは。君は危なっかしいね。それなら…うん。よく似合ってるよ」
昇が鍵の持ち手の丸い穴にひもを通して少女の首にかけて結ぶ。首元で光る鍵に触れて頬を緩ませる。
「のーじーからの、プレゼント」
年相応に笑う少女を見て昇の目が細められる。
「君たちは私が守る」