医療神話
2031年、全ての宗教は力を失い、崩壊していた。何しろAIが全部仕事をやってくれるし、人口子宮で子供を産むことも可能と言われていた。メタバースに「天国」があり、日本のような無神論者が世界でも一般的になりつつあった。
人口子宮は、今は一部の金持ちしか利用できない技術と言われていたが、そのうち一般人でも実用化されるだろうと言われていた。
そんな中、再び疫病によるパンデミックが発生した。十年以上前に流行った疫病とは比べ物にならない感染力があり、道端で人がバタバタと人が倒れて、死にゆく様子が報道されていた。十年前のようなロックダウンが再び行われ、街はゴーストタウン化していた。
人々は希望を失い、自殺者も続出していたが、ある製薬メーカーの研究員が、疫病の特効薬を開発した。錠剤の薬で、それを飲めばすぐにウィルスを無毒化できる夢のような薬だった。まさに救世主。
すぐに国がその薬を買い取り、国民に摂取義務を命令した。十年前の疫病を顧み、今度は法律上でも強制力があった。
実際、疫病は無くなった。みるみるうちに消えた。
ハッピーエンド。めでたし、めでたしと言いたいところだが、この話には続きがある。
なんと、薬を開発した製薬メーカーの研究員が崇められ、宗教が出来ていた。多くの病院には、彼の写真が祭壇に飾られ、写真、石、カード、アクリルスタンド、キーホルダーなどのグッズが販売されていた。これらを持っていると、病気の害から守られ、もちろん疫病の被害は二度と無いという噂が広まり、すっかり定着していた。他にも医者達も神格化され、病院はそれぞれの「神々」が崇められている神殿になっていた。
「薬と医療従事者に感謝をー♪ さあ、感謝を捧げよう♪」
今日もある街の病院の前では、珍妙な音楽と歌声が響いていた。病院の前には、喜び組というダンサーも常時いて、狂い歌っている。誰が言い出したかは不明だが、こうする事で、病気や疫病から守られるらしい。
最近は、病気はAIが全部診断していたが、かえって人間の医者が持て囃されるようだ。彼らの手書きの診断書は、多額のプレミアがついていた。「免罪符」とも呼ばれている。これを部屋に飾っておくと、患者の罪が許され、あらゆる不幸から守られるという。実際、休学、休職、生活保護や障害年金申請なども簡単に通るらしい。
医者が書いた小説も聖典扱いされ、病院で患者達が熱心に読んでいる。中でもあらゆる病を治す天才外科医が、死んだ人間も生き返らせる小説が一番人気があった。
「お布施をしないと余命一カ月」と予言された患者は、借金苦を抱えながらも健気に貢いでいる。なんせ「神様」のいう事は患者にとって絶対だった。逆らう理由もないのだろう。
「ねえ、ママ。これってカルトじゃない?」
病院の前を歩く子供が、無邪気に親に問う。
「ダメよ、あっちゃん。そんな事を言ったら逮捕されるわ」
母親は両手で子供の口を塞いだ。
今は、言論の自由などもなく、ちょっとでも医療や医者の事を発言すると、異端者として逮捕されていた。その為に迫害され殺されていくものも少なく無い。庶民の間では「反医療狩り」という暴力も肯定され、異端者は問答無用で皆殺しても良いという法律が出来る噂もあった。
「大丈夫。何かあったら、病院に行って薬を飲めば、私は救われる……!」
母親は子供の手を引き、病院の中へ向かって行った。
「薬と医療従事者に感謝を〜♪」
珍妙な音楽が、ずっと鳴り響いていた。