呼び水
こんな不運はそう無いだろう。
私は店のカウンター席に座ってため息をついた。
2020年3月、カップケーキ専門カフェをオープンさせた。可愛らしい小さなカフェをオープンする夢をどうにか叶えた。カップケーキも見た目が可愛い上、味も最高だ。質には自信がある。
しかしタイミングは最悪だった。コロナ渦とオープン時期が重なり、躓いた。
自粛しろ等と近所からのクレームも酷く、ついに私はコロナにかかってしまった。体調はすぐに良くなったわけだが、噂を噂を呼び、閑古鳥が鳴き始めた。
「はぁ、泣きたいわ」
ついつい愚痴がこぼれた時、客が一人やってきた。
「いらっしゃい。というか、先輩じゃないですか」
「うん。コーヒーとバナナチョコカップケーキくれよ」
客は、大学時代の先輩だった。
名前は栗原礼央という。超絶変わり者だった。都市伝説や陰謀論が大好きで、このご時世でもノーマスクを貫き、元気そうだ。こうして飲食店にも平気で毎日やってくる。
「どうぞ。コーヒーとチョコバナナカップケーキよ」
「サンキュー!」
先輩は、それ以上何も言わなかった。
以前は「コロナは茶番陰謀論」を嬉々として語っていたが、今はそんな話を聞いても笑えない。それを知ったところで、多くの人がコロナを怖がり引きこもっている。私の店の売上が上がるわけでも無い。
そんな事を考えていると、礼央はあっという間完食し、会計を済ませて帰っていった。
このご時世でわざわざカフェに来てくれるのだ。文句は言えない。むしろ感謝はすべきだが。
礼央のいたテーブルを片付けようとした時、ペーパーナフキンが何枚も重ねられているのに気付いた。
「何これ? 小説?」
何かの物語が書き込んであった。タイトルは「バナナチョコカップケーキが食べたいウサギちゃん」。
小説みたかった。
甘いものが好きなウサギが主人公で、色々なカフェを旅する。その途中で私の店に来て、バナナチョコカップケーを美味しそうに食べていた。最後は「コーヒーは頼むつもりも無いのに、ついつい買っちゃったよ」というウサギのセリフで終わっていた。
「意味がわからん」
先輩は意外と童話とか好きなのお花畑だったのだろうか?
いや、何か伝えたい事がありそうだ。
そういえば私はカップケーキに集中するあまり、コーヒーはこだわってはいなかった。礼央は以前、コーヒーは味の割に高いと言っていた事を思い出す。
何かヒントがありそうだ。とりあえず私はコーヒーの味、質、値段を改善する事にした。
そして数ヶ月後、客が戻ってきた。
まずコーヒーのサイズを小さめにし、ワンコインのものを作った。またコーヒーとカップケーキをセット注文すると、値段も下げる事にした。豆も変えたり、コーヒーの研究も始めた。
持ち帰りのコーヒーカップのデザインも先輩に相談し可愛いものに変えた。先輩はデザインなどの仕事を副業でやっていた。これが意外とSNS映えし、インフルエンサーに取り上げられたのが一番幸運だったが。
まさにコーヒーが呼び水になったようだ。そういえば、コンビニコーヒーは呼び水的な立ち位置だ。コーヒーだけ買うつもりでも余計なお菓子やスナックを買ってしまう。
ちなみにコーヒーを飲んだ後に買い物をすると衝動買いしてしまうという研究結果もあるらしい。単なる黒い水だが、人の理性を狂わす何かが入っている気がする。
本当に売りたいものは奥に隠し、餌を全面に出すのは悪く無い考えだ。カップケーキ作りに熱中し、経営者視点が抜けていた。
「よお、賑わってるじゃん?」
「ええ。カップケーキよりもコーヒー目当ての客の方が多そうだけど」
先輩がやってきて季節限定のマロンクリームカップけとコーヒーを注文した。
「でも、このアクリル板とかどうにかならね? 邪魔なんだけど。コロナは茶番だぜ?」
「そんなのどうでもいいじゃない」
「まあ、客が戻ったならいいけどな」
こうして先輩はマロンクリームカップケーキとコーヒーを完食し帰って行った
テーブルには、ペーパーナフキンが重ねられていた。どうやらあの小説の続編が書かれていた。ウサギが反ワクチンの集会に参加するという物語が綴られていた。タイトルは「ワクチンは獣の刻印か!? ついに目覚めたウサギちゃん」……。
「はぁー、先輩は変わらないね……」
私はちょっと苦笑してため息をついた。
でも、悪い人では無いだろう。閑古鳥が鳴いている時期でも毎日店に来てくれたのは先輩だけだった。意外と面倒見は良いのかもしれない。