世界が終わる前に
とにかく走って逃げていた。息が切れ、足はもう感覚が鈍くなっていたが、逃げる他無い。
なんでこうなったかは、わからない。
幼馴染の瑠璃子が家にやってきた。ずっと会っていない彼女だったが、頼まれごとをされた。大学生になって一人暮らしをしているアパートだったが、ゲームと漫画大好きな引きこもり体質の俺にとっては、こんな客はかなり珍しかった。
「この聖書を預かって欲しいの」
「は? 何この本?」
見た事もない本だったが、よく読み込まれボロボロだった。辞書ぐらいの分厚さがあり、表紙には、十字架の絵が描かれていた。
「これ、私の大事な本。でも、これ持ってたら殺される」
「は? 意味がわからない」
本を持つと、ずしりと重い。何故か赤ん坊でも抱いているような気分になった。
「どういう事だよ、瑠璃子」
瑠璃子は、時々唇を噛みつつ説明してくれた。過去、人類には「宗教」という概念があったが、数々の戦争やカルトのトラブルが解消できず、崩壊した。今はとある救世主が現れ、メタバース世界に安楽死できるシステムが作られていた。脳のデータだけをメタバースに移植できる技術があり、生きづらさを抱えているものは続々と自ら死んでいるらしい。この世界は、老いる事も飢える事もなく、死んだ人間にも会える「天国」のような世界という。ただ、そこに行くには一つ条件があった。
今の世界は、地震、戦争、疫病、食糧危機と有事が相次ぎ、人口はかなり減っていた。今は日本の街も壊れている所が多い。子供も滅多に見なくなっていた。
そんな中、救世主が現れた。この人物が、メタバース世界を「天国」といい、言葉たくみに死へ誘っていたが、死ぬ直前、額に刻印を打たなければならなかった。これが「天国」に行く条件だった。
今の世界は、この書物に描かれている黙示録の世界に似ていると瑠璃子は言う。この書物は、過去に崩壊した宗教、キリスト教の聖典だったが、今はこれを持っているだけで、投獄され、酷い場合は殺されるらしい。確か子供の頃、そんな宗教があったという記憶はあったが。
「でも、仏教やイスラムの本持っていても問題ないよね。なんでキリスト教だけ迫害受けてるのさ?」
「それだけ都合が悪いのよ。今いる『救世主』にとっては」
瑠璃子は、聖書の黙示録を開きながら説明してくれた。二千年前に書かれたものだが、今の時代とそっくりな部分も多く、鳥肌がたってくる。なぜ迫害を受けてるのか、直感的に理由がわかってしまった。
「俺がこの本持ってたら、殺されるじゃん」
「うん、でも他に頼れる人もなくて。聖書は全部丸暗記してるから、本自体は無くなっても良いけど、主が、神様が帰ってくるまでは死ぬわけにはいかない……」
外からサイレンの音やスピーカー音がの響く。警察が巡回しているようだが、瑠璃子の名前を呼びながら探しているようだった。これは本格的に、何かヤバい案件に巻き込まれた?
「逃げなきゃ!」
「なんかわかんねーけど、付き合うぜ!」
俺は聖書を右手に抱えて、左手で瑠璃子の指を繋ぎながら逃げる。
そういえば、昔住んでいた家の近所に教会があった。瑠璃子と一緒によく遊びに行った事も思い出す。とりあえず、次の行き先はそこにしよう。
何でこうなったかは、わからないが。
壊れかけた街並みを二人で夢中で走っていると、だんだんと生き返っていく気がしてきた。もうゲームも漫画も飽きたし、汗を流して走るのも悪くは無いと思う。
ふと、見上げた空は、世界が壊れかけていると思えないほど綺麗だった。




