デイストピア2030
年が明けた。今年は2030年だ。
あっという間に正月休みは終わった。昔は初詣というものがあったらしいが、宗教は争いの火種を生むので、すっかり下火になっていた。
今はAIが神となり、人々の悩み相談などにのっていた。宗教につきものの「天国」という概念もAIが担当し、メタバースがその代わりになっていた。老いる事も死ぬ事もないアバターを操り、死んだ人間の記憶もデータで再現されている。
限りなく自分に都合の良い世界で、まるで天国らしい。現実世界が生きづらい若者などは好んでメタバース世界にハマっているようだ。
一方、私はこの世界を楽しんでいた。製薬会社の研究員とし、続々と新薬を開発し、正月明けは表彰式もある。私にとってはこの世界はユートピアだ。何が生きづらいのかわからない。
といっても結婚や子供はなく、その点に限っては「欠け」があるわけだが、メタバースでも疑似恋愛ができ、周りの異性はクソに見えた。最近は人口子宮のニュースもあり、子供も好きに作れる時代がくるのかもしれない。
しばらくメタバースで疑似恋愛を楽しんでいたら、あっという間に正月休みは終わった。朝ごはんを買う為、会社の近くのコンビニに入る。無人コンビニで、数々の監視カメラに見守られながら、パンや水を購入した。パンは食糧危機にそなえ、コオロギパウダーで作られたものだった。2023年ごろは反発があった昆虫食だが、今はすっかり定着している。2023年の夏に首相が暗殺された。犯人はネットで誹謗中傷を繰り返していたため、言論への縛りが厳しくなり「昆虫食なんて食べない」とSNSで呟いただけでも逮捕された。
あの事件をきっかけに逮捕の概念もかわり、まだ犯罪をやっていない段階でも怪しい人物は予測逮捕できるようになった。街中の監視カメラも増え、顔認証も当たり前になっていた。私は会社の入り口で顔認証をすませ、研究室のほうへ向かった。ちなみにLGBTに配慮し、女性更衣室が消えていた。私は白衣を上に羽織るだけなので問題ないし、この会社では大きなトラブルが無いが、性犯罪が急増し、トイレの入り口に顔認証と監視カメラがつくようになった。この会社も廊下にたくさんの監視カメラがあった。
私は一人、研究室でメイクの最終チェックをしていた。これから表彰式だし、肌や眉毛をチェックする。
「薬害は許さない! 責任をとれ!」
窓の外からデモ隊の声が響く。日常茶飯事の事で、メイクを直し続けた。こんな声をいちいち聞いていたら病む。心を鈍感にして無視していたら、いつの間にか生活音になっていた。
私が新しく作った薬で、似たようなデモ隊の声は大きくなるだろう。この薬は、副作用が免疫を攻撃し、さまざまな病気を引き起こすものだった。
これが新薬?
普通の人は首を傾げるだろうが、医療もビジネス。この薬のおかげで、さらに継続的に利益を生み出す事が出来るので、上司は大喜びしていた。最初は元の病気も全治したかのように見える薬でタチが悪い。時限爆弾のように免疫をそご落とし、徐々に身体の不調が出やすい薬だった。
以前いた先輩は、安価な抗がん剤を開発していた。しかも数回の投与でがん細胞が全消滅する夢のような薬だったが、こんなものは会社の利益にならない。一部の金持ちに販売する薬となり、先輩も消されてしまった。今は生きているのかどうかもわからない。
世の中は、こんな風にできている。わざと「不幸」を作る方が儲かり、そうでない者は淘汰される。私は出来るだけ世の中に「不幸」を撒き散らし、この世界を楽しみたかった。そう、私にとってこの世界はユートピア。
「説明しろ! 子供が死んでんだよ!」
デモ隊の声が響くが、どうせ彼らも予測逮捕されるだろう。どうでもいい。私の心はすっかり鈍くなっていたようだ。
メイクチェックを終えると、表彰式の為に研究室から出た。
廊下にある監視カメラが、ずっと私を見つめていた。