冷酷非道な狼人王は、ふんわかもふもふワーシープちゃんの甘やかな誘惑になんて屈しない?
「リカント様〜。膝枕してあげますわ〜」
「要らん」
「たっぷりお仕事されてお疲れでしょう〜? わたしが癒して差し上げるのですわ〜」
「抱きついてこようとするな」
「モコモコふわふわで気持ちいいですのに〜?」
「……とにかく離れてくれ頼む」
「リカント様、今日こそはわたしと結婚してくださいますわよね〜?」
「しないに決まっているだろう」
「リカント様リカント様〜」
「うるさいぞ」
最近、こんなやり取りばかりしている気がする。
ふわふわな温もりの感触と共に告げられる優しげな愛の言葉。そしてそれを拒み続ける俺。
どんなに冷たくあしらっても、怖がらせようと脅しても追い払っても気がつけば俺の前に出現する羊娘。その存在が最強の狼人王たる俺の頭を悩ませているのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼女――ペコラとの出会いは突然だった。
獣人の王として城の玉座に腰を下ろし、つまらない政治を取り仕切ることに疲れた俺がふらりと縄張りの森を息抜きがてらに徘徊していた時、彼女は緑の木々の陰からひょっこりと飛び出してきた。
「こんにちは〜。あなたがリカント様ですわよね〜? お城に行ったのですがいらっしゃらなかったので探していましたのよ〜」
間伸びした穏やかな声でそう言いながら微笑んだのは、乳白色の綿のようなふんわりとした毛を全身にまとわりつかせた少女。
ワーシープと呼ばれる羊人族の娘であることはすぐにわかった。
だが、理解不能なのはどうしてここに俺以外の者がいるかということ。
「誰だお前は。この森に入っていいのは俺だけだ」
「あら〜? 縄張りを主張するのは構いませんけれど〜独り占めは良くないと思いますわ〜」
「質問に答えろ。お前は誰だと言っている」
「わたし〜? わたしはペコラと申しますわ〜」
桃色の瞳をキラキラと輝かせながら、娘は無謀にも俺に擦り寄って来た。
怖いもの知らずな彼女に俺が呆れていると、さらにペコラは信じられないことを言い出したのである。
「実はわたし、かっこいいリカント様に憧れているんですの〜。お嫁さんにしてくれませんか〜?」
「は?」
俺は言葉を失った。
だって、そうだろう。俺は狼人、しかも狼人王だ。狼にとって羊は格好の獲物であるのだ。
そんな俺に、彼女はなんと言った?
「お前、命が惜しくないのか」
「もちろん命は惜しいですけれど〜、リカント様が殺してくれるならそれでもいいかな〜と思いますわ〜」
ふわふわと笑うペコラに、俺は戸惑うしかなかった。
こんな奴、今まで出会ったことがない。ただの馬鹿なのか、それとも俺に殺されない自信でもあるのか。ただこの時に直感としてわかったのは厄介な奴には違いないということだけだった。
俺はリカント。
現在この世界に王として君臨する者。亜人を蔑み虐げた人間族の全てを滅ぼし尽くし、彼らに味方をした獣人どもも根絶やしにした、冷酷非道の狼人の王。
最初でこそ一匹狼な俺を見下す連中はいたが、今となっては多くの者が恐れ慄いて逆らおうとしない。
それと同時に俺に親しくしようとする者も一人としていないのだが。
だからこうして馴れ馴れしく話しかけられると、調子が狂ってしまうのだ。
ああ嫌だ。もう二度と、優しくなんてされたくないのに。
「お前は一体何が目的だ。俺の体か?」
「ですから、わたしはあなたに憧れて、結婚したいだけと言っておりますのに〜。
そうそう、そんなことより、わたしのモコモコな体を触らせてあげますわ〜。とっても気持ちいいですのよ〜」
「……やはり俺を魅了する気か」
「魅了〜? いーえ、ただリカント様に喜んでほしいだけですわ〜」
そう言いながら、彼女は俺の全身を柔らかな羊毛で包み込もうとする。
しかしそうはさせない。俺は自慢の牙でペコラを威嚇しながら、尾で彼女の体を振り払った。
ワーシープという種族は、その毛に特別な魔力を宿し、男を虜にするのである。
人間のように軟弱ではないから簡単に負ける気はしないが、それでも警戒するに越したことはない。吹き飛ばされ、それでも「あらあら〜」とどこか嬉しそうな笑顔を浮かべている羊娘を見て、俺は少し背筋が寒くなった。
「お前の馬鹿な申し出は受けない。俺の伴侶となるに相応しい雌は俺が決めるからな。お前はさっさとこの森から出て草原にでも行って昼寝をしていろ。二度と俺の前に現れるな」
「残念〜。わたし、嫌われてしまいましたの〜?」
「早くどこかへ行け」
「わかりましたわ〜、では〜」
白く柔らかそうな毛をぽふぽふ言わせながら手を振って、ペコラがゆっくりゆっくりと森の木々の中に姿を消していく。
その後ろ姿を見送り、ようやく警戒体制を解いた俺は、一人そっとため息を吐いた。
「息抜きに来たはずが逆に心労が溜まってしまったな。仕方ない、城へ帰るか」
この時の俺はまだ知らなかった。まさか翌日から毎日ペコラが城へ押しかけて来て、俺を誘惑し続けるだなんて……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ペコラの存在が迷惑かそうでないかと言えば、もちろん迷惑だった。
毎日俺の前に現れたかと思えば、結婚したいだの自分に触れだの可愛がってほしいだの言って笑顔で擦り寄ってくる。
「これ以上近づいたら丸呑みにしてやるが、いいのか?」と脅したことは数知れず。それでも平気な顔をしているのだから恐ろしい。
ペコラと初めて会ってから、どれほどの月日が経ったろう。
最初は徹底的に排除しようとしたものの、どれほど城を厳重に警備させてもどこからともなくペコラが忍び込んで来るとわかってからは、俺も諦めた。
それに、彼女が直接的俺に危害を加えるつもりはないとわかったからでもある。俺が言葉で断れば無理に襲い掛かってきたりはしない。ペコラは非常に温厚で、穏やかな甘さを持つ少女だった。
そうして日々を過ごすうち、俺はいつしか彼女のことを受け入れていた。
誘惑に屈したわけではない。ただ憎めない奴だなと、そう考えるようになっただけだ。
交わす言葉は大して多くない。同じ部屋で過ごす。他にはほぼ何もしていなかった。
彼女と俺の関係を表すとすれば、どういう表現が正しいのだろう。知人とも言えたし、招かざる客と主とも言えた。もっともペコラに言わせれば恋人以上夫婦未満なのだが、俺は恋人どころか友人になったつもりもない。
でもそんな関係性が心地よいと思う気持ちが胸の内に芽生え始めていた。
俺は冷酷非道の狼人王。そのはずだ。なのに……。
「リカント様〜、今日もやって参りましたわ〜」
「ああ。そこら辺でも座ってろ」
「じゃあ、ここでゆったりさせていただきますわね〜」
今日も呑気にペコラがやって来る。
机に向かい合ってうんうんと唸っている俺を、ソファに横たわって見つめるつもりらしい。
ここ最近、すっかり当たり前になってしまった光景。しかしそれに変化を生んだのはペコラの一言だった。
「なんだか近頃〜リカント様の元気がないように見えますわ〜? 何か嫌なことでもありましたの〜? もしそうなら、わたしのふんわかもふもふな体をベッド代わりに休むといいですわ〜。楽になりますわよ〜」
「断る」
「もう〜仕方がないですわね〜。ならお話ししていただくだけでもよろしいですわ〜。何があったか教えてくださいまし〜」
「お前には関係ないだろう」
「ありますわ〜。だってわたし、将来あなたのお嫁さんになるんですもの〜」
「お嫁さん、か」俺は彼女のその言葉に冷ややかに笑った。「悪いが、それは無理な話だ」
「あら、どうしてですの〜?」
「俺はこの世界の王だ。今まで力だけで人間を滅ぼして、獣人の国を築き上げて栄えさせてきた。それも限界だってことだ。
……鳥人の国の姫を娶ろうって話になった。俺に世継ぎがいないとかなんとか、どいつもこいつもくだらないことをほざくから、仕方なくな。
だがそれでも娶るという事実は事実だ。悪いがお前の望みは破れた。恨みたければ恨め。この冷酷非道な狼王をな」
俺だって、結婚なんてしたいわけじゃない。
本当は鳥人の国を血の海に変えてやっても良かった。でもそれではきっと、いつか小国全部に叛逆を起こされてしまう。
だから仕方なかった。
ペコラとのこのなんとも言えない関係も今日で終わりだ。これを告げる勇気がなく、ここ数日ずっと迷っていたのだが、今踏ん切りがついた。
俺は言わなければならない。彼女との、別れの言葉を。
「今度こそ俺の前に二度と姿を見せるな、ペコラ。そもそもお前のような者が俺とこうして話していること自体がおかしいのだ。きちんと自分の身分は弁えて――」
「そんな泣きそうな顔で言われても全然説得力がありませんわよ〜? ほら、いい子いい子〜」
そう言われて俺は気づいた。
ふわふわな感触が全身を包み込んでいること。そしてすぐ目の前に、ペコラの桃色の瞳が輝いていることに。
「何をしている」
「リカント様が泣かないようにしてあげてるだけですわ〜」
「泣く? 俺が? ふざけるな、おい、放せよ……」
俺はもがき、彼女の腕の中から逃れようとした。
しかし俺を抱きしめるペコラの両腕は強く、全然剥がれない。いや違う。逆だ。俺の全身から力が抜けているのだった。これがワーシープの魔力に間違いない。
温かく、どこか懐かしいような、幸せな温もり。ふわふわモコモコな柔らかな毛が心地よく、すぐに抗おうという気まで失せてしまう。
「嫌なんですよね〜? 本当は、嫌なんでしょう?
なら、結婚なんてしなくていいと思いますわ〜。だって結婚って幸せなものですもの〜。リカント様が不幸せな結婚をするなんて、わたしも嫌ですわ〜。
泣きたいならわたしの胸で泣いてくださいな〜。いくらでも慰めてあげますわ〜。あなたの涙が枯れるまで」
ああ、嫌だ。また優しくされるのか。
安堵感と共に強烈な恐怖が湧き上がる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
「俺に、優しくするな。お前は俺の前から消えてくれればいいんだ。お前なんか、いてもいなくても同じなんだからな」
「あら〜? それなら、なんで今とっても切なそうなんですの〜? 口では強がりながらわたしと離れたくないから、そんな顔をしているんじゃなくて〜? まあ、そんなところも愛おしいのですけれど〜」
「そ、れは」
ああ、それは。それだけは言わないでほしかった。
自覚してしまったではないか。俺の中にある、確かなこの感情の名を。
「好きなんでしょう〜? わたしのことが」
そして耳元に囁かれる甘やかな声。
俺はそれに肯定も否定も返すことができない。
彼女の言葉はこんなにも気持ちいいのに。なのに、嫌なことを思い出してしまう。
『好きなんでしょう、あたしが。ならあたしの言うことを聞きなさいよ。聞けないなら死になさいよ』
ペコラの声に重なって、そんな幻聴が俺の耳に響いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺は元は捨てられた狼人だった。
普通は狼と同じように群れて暮らす習性のある狼人族の捨て子は珍しいらしい。よほど差し迫った理由があったのかも知れないが、俺にそれを知る由はない。
狼人族は凶暴であるが故に人間からも、そして他の獣人たちからも倦厭されていた。いくあてがなく、そのままでは飢え死んでいたであろう俺を引き取って育ててくれたのは、一人の人間の少女だった。
彼女は優しかった。まるで弟のようにたくさん面倒を見てくれたし、俺は彼女に愛してもらっているとすら思っていた。
……しかしそれは幻想でしかなかったのだ。
『今日からあんたには役に立ってもらうわよ』
彼女は俺を利用し、たくさんの人を殺した。
少女は人間の国の有力者の娘だった。気に入らない人間がいると、俺を使って殺させる。クソッタレな日々だった。俺は彼女に愛してもらうためひたすら殺戮を続けた。
そんなことが一体どれだけ続いたか、わからない。
俺は獣ではない。頭部や尻尾こそ狼らしいが、胴や四肢は人間とよく似ているし、何よりきちんと人並みの知能を持っている。だから少女の都合のいい道具になんてなれるはずがなくて。
ある日、ふとした言葉をきっかけに、壊れた。
『好きなんでしょう、あたしが。ならあたしの言うことを聞きなさいよ。聞けないなら死になさいよ』
ガブリ。
少女の頭を噛み砕いた時の感触は、今でも忘れられない。
その日以来俺は誰かを頼ることをしなくなった。多くの血を流させ、俺を蔑むもの、虐げるもの、全てを排除し尽くした。
そして心の空白はそのままに、王の座に君臨し、無理矢理に自分の存在意義を見つけて生きながらえたのだった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつの間にかまどろんでしまっていたらしい。
目を覚ました途端、すぐそこに見えたのはペコラの顔。いつもと同じふわふわした笑顔に安心させられる。可愛いな、と素直に思った。
「あら、お目覚めですのね〜。良い夢を見られましたか〜?」
「いいや、何も見ていない」
彼女の無邪気な問いかけに、俺は嘘を吐く。
あんな夢、思い出したくもない。今はペコラのモコモコな毛に身を委ねてしまいたかった。
「わたしの毛、気持ち良かったでしょう〜?」
「…………」
「ワーシープの中でもわたしの毛は上等な方ですもの、間違いないですわ〜。
実はわたし〜ワーシープ族の姫ですのよ〜。ふふ。驚きましたかしら〜?
リカント様と婚姻するには充分な立場でしょう〜? 本当はそういうことで判断してもらいたくなかったから、黙っていたのですけれど〜」
ペコラはくすくすと笑いながら言った。
「最初は〜わたしの実力を試すためだったのですわ〜。
本来ワーシープ族の女は人間を虜にするものですが、彼らは全てあなたが滅ぼしてしまったでしょう〜? それなら冷酷非道な王と有名なあなたを虜にしてみたら面白いのじゃないかと思って〜」
やはりな、と俺はぼんやりとした頭で思う。
わかっている。ペコラのこの温もりだって、すぐに俺を裏切るだろうということくらい。それでも俺は抗えなかった。彼女を本気で好きになってしまったから。
「そして案の定、いーえ、想像以上に面白かったですわ〜。でも計算外なことがありましたのよ〜。
冷たく振る舞うのにわたしを心から拒絶できないあなたの心根に惹かれて。あなたの真面目さが愛おしくて。健気さが可愛くて。
虜にされたのはあなたが先かわたしが先か、一体どちらだったでしょうね〜? でもまあどちらでもいいですわ〜。だって、夫婦になればそんなの関係ないでしょう〜?」
「……は?」
なんだ、それ。
それまで彼女の話を理解していたはずなのに、急にわけがわからなくなった。
「ですから〜わたしもあなたのことを愛してしまったのですわ〜。
鳥人のお姫様には悪いですけれど〜諦めてもらうしかありませんわ〜。一度好きになった者は絶対に手放さない、それがワーシープの流儀ですので〜」
どういうことだ、と問いかける暇もなかった。
なぜなら直後、俺の口にペコラの柔らかな桜色の唇が押しつけられていたからだ。
「……!?」
「冷たいあなたも好きですが、驚いたお顔も素敵ですわね〜。
絶対に逃がしませんわ、リカント様」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「リカント様〜今日もお疲れ様でした〜。わたしの膝、お貸ししますわ〜」
「……ふん」
「どうぞ好きなだけ休んで行ってくださいね〜愛する旦那様」
結局、ペコラの甘やかな誘惑に屈してしまったということなのだろう。鳥人姫との縁談を潰して彼女と結婚してしまったのだから。
疲れ切った俺は、妻となったペコラの柔らかな膝の上に頭を乗せて横たわる。それだけで満たされた気分になるのだから不思議だ。
桃色の瞳で優しくこちらを見下ろすペコラを見上げ、俺は思った。
――ああ、可愛いな。
優しくされるのはまだあまり得意ではない。周囲からは今も冷酷非道な王だと思われたままだ。
でも、ペコラだけには心を許してしまっている自分がいる。そして心から愛しいと、そう思えてしまうのだった。