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アムキリクル  作者: 東藤茉里衣
1/1

蒼い時季

北星町 冬

-透-

(美しい…)群青色の天空に、瞬く星々が果てしなく何処までも広がっている。北国の冬空は空気が澄み渡り、益々空を美しく輝かせている。

この土地に住むようになり、この大地の美しさに惹かれ、その一瞬をカメラで残したいと思い…趣味で始めたつもりが、いつの間にかプロと呼ばれる様になっていた。

ただ与えられたこの自然を愛しく感じた。それだけだったのに。

今夜も、予報を調べて絶好の夜空を写せる美しいスポットに向かい、ハンドルを動かしていた。夜空が美しい日は、イコール氷点下の寒さが厳しい日でも有る。

北の大地の冬は、広い道はほとんど整備され、除雪がなされている。ただ真っ白い道の両端に赤く『ここまで道』と分かるように、点々と矢印の標識が立ててある。雪原が青ざめて見える。何処までも広がる大地が、夜空をキャンバスに映すかの如く鏡の様にキラキラと輝いている。しんと静まり、音が消えたような白い道を走り続けた。


-彩ー

まさか、こんなにも不自由で、苦しい時期が来るとは…思ってもいなかった。もうどうして良いのかわからなくなってしまった。生きている意味。生きている価値の何も無い自分で在ることを知らされた気がしていた。

誰も居ないところ…とにかく一人になりたい。

近くの駅から衝動的に電車に飛び乗り、幾度か乗り変えて、何時しか…見知らぬ小さな駅に下りていた。そうして当てもなく只ひたすら歩き続けた。足も、手も、かじかんで感覚が無くなって来た。吐く息が、真っ白く空気中を漂っていく。

ふと、辺りの白い景色が変わった。

日が傾き始めたと思うと、空も大地もオレンジ色に染まっていく。少しずつ落ちていく夕日が強烈に美しかった。思わず、足を止めてしばらく見入っていたら、名残惜しげに太陽が大地に徐々に吸い込まれ、いつしかドームの様に空が月と星でいっぱいに輝いていた。

気が付くと頬から涙がこぼれ落ちている。あれから涙する事すら、忘れていたのに…。

何か見えない大きな存在に抱かれたような温かな感覚を覚えた。

身体は寒さに震えているのに、怒りや絶望が渦巻いていた心は何時しか洗い流されたかのように消え去り、ただ感動で満たされていた。

このままで、この大地に抱かれて命を終えても良いように思えた。

(ああそうだ…)コートのポケットに小さな瓶を入れていたのを思い出した。ウイスキーの瓶。(これを飲んで暖まろう。そして眠ってしまおう。)歩きながら、ちびり、ちびりと飲んで行く。

『不味い…。』何故大人になると美味しくも無い酒を飲むのだろう…。けれども、次第に身体が火照り始め、暖かくなってきた。(そうだ!)リュックに、電車の中で見知らぬお祖母さんから貰ったチョコレートが入っていた様な…。心配そうに、優しく話し掛けてくれた見知らぬお祖母さん…。「甘いものさ食べたら、ちょこっと元気さなる。」そう言って、買い物帰りだろう、膨れ上がっていたリュックから、チョコレートを渡してくれた。

それを取り出して、口に入れると思わず「ふふふ」と笑いが出てくる。一人スナックだ。酔い始めたのか、何だか楽しくなって来た。「よし!あの雪の中に飛び込んでしまえ!」道から外れて、雪原に向かって雪を踏みこえて行く。上はカチカチだが、中はサラッとしていて、歩きにくい。酔いが回って来たようだ。「あーっはっは」と笑いながら進んで行く。暫くすると、身体が更にポカポカして来た。今度は何だか疲れてしまい、雪の中に倒れ込んだ。小さな瓶の中は空になり、眠気が襲って来る。「歩くのはもう疲れた…もうどうでもいい…」意識が薄れていくのがわかった。


-透-

始めは、動物の死骸かと思った。

血の様な小さな塊が、向こうの雪原に見えたのだ。車を止めてよく見て見ると、道から奥へと1本の溝の様な跡が続き…そのゴールに紅い布の様な塊がある。

まさか…必死に雪を掻き分けて近づき、布の塊を触ると…人の様だ。うつ伏せになり、横向きの顔に血の気が無い。慌てて息を確認する。なんとか生きているようだ。ほっとし、背負って車の位置まで戻ろうと雪を掻き分けて行くが、思う様に歩けず、何度もずり落ちる。背負い直しては、やっと車までたどり着くと汗が下着に張り付いていた。

車のキーを開けて後ろの座席をフラットにして抱え入れた。何かあったら…と常備している寝袋を広げ少女らしき体に巻きつける。エンジンをかけて、車内を温めると、電話を掛けた。


-響子-

ベルの音で、目が覚めた。うたた寝していた様だ。ふらっとしながら慌てて携帯を取る。『遅くに申し訳ないけど、これからそっちに行って良い?』『良いけど、何かあった?今夜撮影だと思っていたけれど…』『そうなんだけど…悪いけど、布団を温めておいて貰える?着いたら詳しい説明するから…。』『?ええ。わかったわ。』携帯を置くと、何事かと近づいてきた愛犬に『どうしたんだろうねぇ』と頭を撫でて話し掛けながら、布団を敷きに客間に向かった。

今日は星が綺麗な夜だ。その分、さすがに冷え込んで来た。

冷えて来るから、暖まるものが良いね。

『ワン!』

『貴方は、猫舌でしょ』

笑って頭を撫でる。

さて…そうだ、酒粕があるから、甘酒でも造ろう。

暫くすると…「チリン」ドアの開く音がして透が入って来た。

女の子を背負っている。『悪い!響子さん。そこのベンチに一旦下ろす』そう云うと、女の子をそっと座らせてから、横に寝かせた。

『その子どうしたの?』慌てて近づくと、女の子の体がやけに冷たい…。驚いて透の顔を見つめる。


-彩-

(頭が痛い…体が重い…)何とかまぶたをあけた。『ああ…。やっと目覚めた!』知らない顔が見つめている。

『なに。私どうした…』そしてまた、水の底に沈む様に目蓋が重くなり、意識を失った。

(なに?顔がくすぐったい)目ざめると、目の前に犬の顔が…。

『あらっ、今度は本当に目覚めたみたいね。』見知らぬ女性の声がする。側に居たらしい犬が、『クーン』と優しい声で鳴いた。その女性が言うには、どうやら私は凍死寸前だったらしい。

あそこで見つけられたのは、奇蹟に等しいらしく、いわゆる私は『運が良い』との事。

今までのささやかな人生で、運が良いなんて思ったことも、考えたことも無かった。

あわよくば眠ったまま、あの世に行っても良いと思っていたのに…こんなとこで、運があるって…何だか皮肉だ。

まだ少し頭がフラッとするが、そろそろと躰を起こした。

ラブラドールらしき大型の犬が、そっと近づいて頬を舐めた。女性が温かなミルク粥を持ってきてくれた。

『少しづつ食べれる分だけ食べてね。』そう言われればお腹が空いているような…。

温かなお粥を口に含むと、何だか心までほっと温まる気がした。

始めて会った女の人と、始めて会った犬といるのに、なんだか心地よい。

体調以外は何も聞かれず、ただ温かく時間がゆっくりと流れ、そしてまた眠り込んだ。

-透-

『おはよう。あん時の子大丈夫だべか。そうしたっけ、ちょこっとは元気になったっかい?』獣医の佐藤さんに声掛けられて、透はスコップの手を止めた。

『ああ…佐藤さん。あの時は、お騒がせして済みませんでした。』

『なんも、なんも。あれからどうしたんだべなぁと、思ってさあ。』

『あの時は、本当に驚いたけど、まさか響子さんの知り合いの子だなんて思わなくて…お騒がせしちゃいました。 』

『それにしても、何だってあんな所で寝ちゃったんだべか…?今時の子供のする事は判んないべさ。したっけ、あんたが偶然通りかかってよかったなぁ。』

『そうですね。あの子が言うには、天気も良かったし、なんたって夕焼けと、その後の星空がきれいで、思わず歩いたって。その内疲れて眠くなってしまったらしいです。』

『あんた、 天気良いって…そったら事言っても、マイナス20度近くあるべさ!都会育ちは、恐ろしいなぁ。まさか、それで死ぬなんて考えられんのかい。』

『どうなんでしょうかねぇ。確かに久し振りに綺麗な星の夜ではありましたが…』

『まあ、とにかく大事が無くて良かったべさ。その内、風花に顔出すって言っといてくれっかい。』

『はい。判りました。伝えておきます!お世話になりました。』

透は、内心はらはらしていた。

あの子のたっての頼みで、響子さんの知り合いの子だと佐藤さんには話していたが、実は全く知らない女の子なのだから…。

ここら辺りは、病院は本当に少ない。過疎の村や町が点在している。

あの日も、車で二時間かかる診療所や、ましてや救急車を呼んでも来るまでに特に冬は間に合わないと判断して、一番近かった響子さんの店まで取り合えず運んだのだ。この辺りは、近いといっても歩くにはかなりの距離がある。

獣医の佐藤さんが、近く…(と云っても車で20分)に住んでいたから応急措置を頼み、何とか助かった。

佐藤獣医曰く、ホモサピエンスと牛はほんの少しの違いなんだとか…。

豪快で、あったかい人だ。

こちらの思いを知ってか?知らずか?判らないが、奥の方から女子二人の賑やかな笑い声が聞こえて来た。

少しして響子さんが、あの子の食べ終わった食器を持ってカウンターの洗い場にやって来た。

「元気になったみたいだね。」

シンクで洗いながら響子さんが「あの子は本当に運の良い子。若いから、回復力もあるけれど…。」そう言うと、手元から視線をこちらに向けて、にっこりと微笑んだ。

「雪掻き有難う。助かったわ。さて、店を開ける前にレラの散歩に行って来るかな。少しの間ここにいて貰えるかしら?」そう言うと、ダウンジャケットを羽織ってレラと外に出て行った。

ドアを開けると外から流氷のギギッという音が聞こえて来た。


-彩-

『ここは、海辺に近いのかしら?』どこからか、波の様な音がした気がする…そう思うと、寒さが増したように感じて毛布を顔まで引き上げた。

そして、また心地よい眠りに誘われた。


-風花-

「しばれるねぇ~」ドアベルの「チリリン」という音と同時に、そう言いながら達郎さんが入って来た。

「すいません。響子さんが散歩へ行ってて。」そう言うと「なんも、なんも。暖まって待ってるからさぁ。良いっしょ。」と言いながら、薪ストーブの前に椅子を置いて座り、火の前に手をかざしている。

響子さんが出掛ける前に落としていったコーヒーを、達郎さんに渡した。

「暖冬っていうけどさぁ~。やっぱし寒いしょ。歳かなぁ~。身体に来るんだよねぇ。年と共に寒さが身に染みてさぁ。今、良い肌着やら、ダウンやらあっけどさぁ、やっぱりしばれるっしょ。ここいらの冬は年寄りには厳しいねぇ」なんて言いながら、両手でカップを持って疲れた様なため息をついた。

「達郎さん、なんか有ったんですか?」そう話し掛けた時、「ただいまぁ。」とドアの音と同時に響子さんの声がした。

「ああ。寒かったぁ~」「あらっ。達郎さんいらしてたの?」響子さんの登場で、その場の空気が「ふわっ」と温かみを帯びる。達郎さんの表情も、今あんなに重い溜息をついていたとは思え無いほど明るくなる。

その場の空気を察する様にレラが、達郎さんのところへ尻尾を振りながら近づいて行く。達郎さんも嬉しそうに、頭を撫でてやっている。

「ひゃ~、レラの頭はしゃっこいなあ」

「達郎さん、何か食べる?トースト?ホットサンドが良いかしら?」響子さんは既にエプロン姿で袖まくりをしながら聞いて来た。

「温まるのが良いべさ。したっけホットサンドかな…。」「はい。では急いでとって置きのホットサンド作りますね。」響子さんが手早く作業を進めるその間、二人で天候の話等、たわいの無い話をしていた。

外は少し風が強くなって来たようで、ガタガタと霜が張り付いた窓を震わせている。

風に紛れてギシギシと流氷の音も聞こえて来る。


-彩-

(暖かい…)ウトウトしながら、少し寒いなぁと思っていたのに、いつの間にか暖か~くなっていた。

おかげでお風呂に入っている夢を見た。(まずい!)こんな夢をみたら、漏らしてしまったかも…。慌てて敷き布団を触ってみたが…何とか大丈夫。

そして、暖かい原因解明!レラが温めてくれていた様だ。

「ありがとうね。」レラは聞こえていないのか?スースーと寝息をたてて添い寝するかのように眠っている。

危機を回避するために、トイレに行こうとゆっくりと起き上がった。

すると、寝ていたはずのレラが起き上がって来た。

「あなた、人間だったら私、確実に恋してる。」レラをハグして、ゆっくりとトイレに行く為に部屋を出た。

やはり廊下は寒い!後ろからレラが付いて来てくれる。「ここで待っていてね。」素晴らしいナイトぶりだ。良い子でステイしている。

用を済ませると、お腹が「ギュルル」と鳴った。

(恥ずかしい…凄い音。)そーっと部屋に戻ると、響子さんがホットサンドを持って来ていた。

「美味しそう…」思わす声が出た。

響子さんは、にっこり笑って「召し上がれ」とホットサンドの入ったバスケットと紅茶を差し出した。

「ありがとうございます。頂きます!」久しぶりに、まともな食事にありつけた気がして、本当に美味しかった。

「あの…すいません。この辺に海が有るんでしょうか?」ずっと疑問だったことを聞いてみた。

「そうか…貴方が倒れていた所は雪原だから、海が有るなんて思わないわよね。ここはオホーツクと云う海が近いの。晴れると遠くまで海が見えるけど…今は流氷の時期だから、吹雪いていたり、この辺に住んだことがないと、何処までも雪原が有るように勘違いする人もいるわ」

「流氷!」

「そう。だから、外は酷く寒いわよ。ここの言葉で『しばれる』と云うの。身体の芯まで凍える寒さのこと。」そう言う響子さんの話す間にも、風が窓を激しく叩く音がしている。「ところで…そろそろ、貴方を何て呼んだらいいか教えてくれるかしら?」「ごめんなさい。私は『色彩の彩』と書いて、『さや』と言います。」「彩ちゃん。いい名前。」

優しく微笑むと、「では、彩ちゃん。そろそろ布団を畳んで着替えましょうか?」

そう言って、私の着ていた服を一式持って来てくれた。その上に、暖かそうなダウンジャケットが重なっている。

「今日は、寒いし急に外は無理だと思うから、先ずはお店で温かいココアでも飲みましょう。」

気が付いたら、布団の中だったから、ここがお店だとは知らなかった。

響子さんに案内されて、部屋から出て、廊下を少し行くと、突き当たりにお店があった。お店に入ると、暖かそうなペチカの前でいつの間にかレラがリラックスした様子で横になっていた。

そこは木と石で造られ居心地のよい空間だった。

「好きな処に座っていてね。

今すぐココアを作るわね。」

そう云うと、カウンターに入って準備を始めた。

甘い香りがお店の中に漂い始める。

「どうぞ」

マシュマロが乗ったとても美味しそうなココアが出された。

何て久しぶり!

「ああ~幸せ」

思わず声が出た。

「本当にココアは温まるわよね。心も身体も…」

にっこりと笑う。

静かな部屋に薪の爆ぜる音がしている。

レラが大きく欠をして、こちらに近づいて来た。

「響子さん、この子は男の子?女の子?」

こちらを見つめているレラの顔を両手で撫でながら、尋ねた。

「さあ?どっちかしら?」いたずらっ子の様な表情をして、こちらを見た。

「え~っ。男の子の様な気もするけど…お母さんの様な感じもするし…」

「ふふっ。近からず、遠からず…かな?」そんな会話の途中で「チリリン」とドアベルがなると同時に、大きな声が聞こえて来た。

「ひゃー、まんずひゃこいなぁ。シバレルっしょ」

足下の雪をトントンと落としながら、上着の雪を払って初老の男性が入って来た。

「あら、いらっしゃい。今日は非番?」常連客の様で、響子さんが気軽に声をかける。

「今日は船が動きそうもなくってさぁ。休みになったっしょ。」

「あら。そんなに酷く吹雪いている?厚さが増してきたものね。」

何の会話か全く理解出来ない。そもそも、流氷があるのに、船が出せる?頭の中で、クェッションマークを飛ばしていると…「めんこい子だぁ。色白で。どっから来たの。」いつの間にか会話の矛先が廻って来た。突然で、ポカーンとしていると、「私の知り合いの子で、彩ちゃんというの。」響子さんが気を利かせて答えてくれた。

「そっかい。そっかい。どおりでめんこいはずだわ」にこにこしながら、顔を皺くちゃにして笑う。「そうだった」両手を合わせて手を叩くと、玄関を開けて発泡スチロールの箱を抱えて戻ってくると、カウンターの上に置いた。

「したっけ、これを持って来たのに、めんこい子を見たらうっかりしたっしょ。」「宝箱ね。」嬉しそうに響子さんが蓋を開けると、タコやら、シャケ等、魚がタップリ詰め込んである。

「凄い!」思わず大きな声が出た。

その様子を満足げに頷いて見た後、おもむろにブルゾンの内ポケットから、ビニール袋に包んである乾いた魚を取り出した。「チョイと契って食べてみて」その魚を受け取って、力一杯契って口に放り込んだ。

「噛めば噛むほど味が出るっしよ?」確かに…口の中に魚の旨味が広がっていく。「美味しい!」「そうだべ~!なまらうまいっしょ。これは、シャケの燻製だわ。浜で干して、また潮風に晒されて、旨味が凝縮するのさ。自然が上手くしてくれるんだべさ。此処いらでは、トバっていうの。」嬉しげに話してくれる。

「それ、やっから。食べ過ぎるなぁ。したっけ。」と、名前も聞かないうちに片手を上げて帰って行った。「寅さんみたい…」思わず呟くと響子さんが「そう言われれば、確かに…寅さんみたい。」そう言って、涙を流して笑った。

一通り笑い終わると、「皆、源さんと呼んでいるの。流氷が来るまでは漁をして、流氷が来ると、漁が出来ないので流氷を観に来る人達の為の観光船に乗っているの。」「流氷でも船が出せるの?」「そう。特別な船。驚いた?船の前に氷を砕く機械が付いていて『ガリガリ』と音をたてて行くのよ。操縦技術が必要な船。」何だか想像がつかない。

「凄いね。」レラが頷いているような?感じがした。

「響子さん、この子人間みたい。」

すると、響子さんは「きっと自分が犬とは思っていないことは確かね。」とレラを撫でた。

-流氷-

自分を知っているようで、実は知らないのだ。

そんな事実を初めて発見した様に感じた。

寒さには弱いと思っていたけれど、この、肌を刺す程の寒さが返って心地良い。

風と波打つ流氷を見つめながら、佇んでいると、何だか清々しい。

「彩ちゃん、さすがに凍えちゃう。もうそろそろ帰りましょう。レラも帰りたいみたいで、ソワソワしているし…」「そうですね。」レラを見ると、確かに帰る方向を見つめながらリードを引っ張っている。

「この子は、もうおばあちゃんだから…。」響子さんが少し気の毒そうな声で、レラを見ながら話した。

(これで、レラは女の子と判明!)帰途に着きながら、尋ねる「レラって良い響きの名前ですね。どんな意味ですか?」「レラってアイヌ民族の言葉で『風』と云う意味が有るの。この子は私が預かった子なの。」「風…素敵な名前。」少し吹雪いて来た。

ダウンジャケットのフードをしっかり被り、急いで風花に向かう。

(そうか。レラは吹雪くのが判っていたんだ。)そう思いながら、何とか辿り着き、ほっと一息ついた。

「危なかったわね。ホワイトアウトに成ると、方向が判らなくなって、海に落っこちるところだったかも…」

本当に、何分か周りが真っ白で慌ててしまったけれど、何とか視界が開けてレラの声も聞こえた。大人しいレラが、辿り着くまで吠えて教えてくれた。

「本当に良い子ね。ありがとう。」レラの頭を撫でる。レラの声は、吹雪の中で風の音の様に聞こえた。(名前の通り…。)今はさすがに疲れたのか、ペチカの前で伸びている。

「ねえ、彩ちゃん。ご両親が心配していらっしゃると思うの。何か深い理由があるのは判る。でも、このままここに居ても解決しないんじゃないかしら?ご両親の了解を得て、ここに居てくれる分には構わない。でも、やっぱりこのままではいけない…きっと彩ちゃんも、気づいているわよね。」

そう。私は気づいていたけれど、気づいていないふりをしていた。

ここから、この場所から離れなければ成らないのがわかるから…。

こんなに居心地の良い場所から離れなければ成らない…。それが出来るのだろうか?

今、また帰っても私はやって行かれるのだろうか…。

けれども、まだ未成年の私がここで、実は見も知らない他人だと他の人にわかってしまったら、響子さんや、透さんに迷惑を掛けてしまう。

「響子さん、ごめんなさい。私…親に黙って来てしまいました。何なら死んでも良いと思って、自棄になって後先考えずに飛び出して来ました。きっと捜しているかと思います。ですので、一旦帰ります。けれども、また戻って来ても良いですか?」響子さんは、レラと何時でも待っている。と答えてくれた。私は決心して帰り支度を始めた。

また、ここに帰って来られるなら、頑張れるかも知れないと、そう思えたから。

-春-

〈仙台〉

桜がいよいよ散り始めた様だ。

桜の花吹雪の中、清々しい気分で家を出る。

仙台発、新千歳空港行きの飛行機に乗るため、バス停でバスを待つ。

その時、風が桜色に染まって彩に纏わり付いたように感じた。

(頑張らなくっちゃね。私。)

自分自身を鼓舞してバスに乗った。

両親には「見送りは要らない」と伝え、玄関で別れた。

車窓から観る景色は、北国の遅い春の饗宴の様で、様々な花や木々が一斉に色づいている。ただ…今年早かった桜が、最後の力を振り絞るかの様に 刹那に美しく見える。

瞼が次第に重くなり、何時しか夢を見ていた。

あの日の、美しい雪原に雪がはらはらと舞い降りて、何時しか雪が桜の花片に変わるのだ。

「お客様。空港に到着しました。」乗務員に声を掛けられ、目が覚めた。

慌てて、寝ぼけまなこでバスを降りる。


〈札幌〉

新千歳空港に着くと、透さんと待ち合わせているロビーのベンチに座った。

津軽海峡を越えると、さすがに寒い。北海道の春は足踏みをしている様だ。

小さくまとめていたダウンジャケットを広げて羽織るとほっとした。

ほどなく透が手を上げながら近づいて来た。

「ごめん、ごめん、待たせたかい。駐車場で、手間取っちゃって…久しぶりだねぇ。」一気に話した。

「お久しぶりです。今日は、わざわざ迎えに来て頂いて、ありがとう御座います。」

深々とお辞儀をすると、照れくさそうに頭をかいた。

車まで、案内されると…懐かしい!あの時の車があった。

「びっくりしたっしょ。まだ、乗ってんの。既にポンコツだけどね」

そう言って、助手席のドアを開けてくれた。

2年間が無かったかの様で、あの時の空気を今吸っているのが、ただうれしかった。

「先ずは、2~3日は札幌で泊まりだね。」中島公園近くのホテルに着くと、ロビーに響子さんがいた。

「彩ちゃん久しぶり!」優しく笑ってハグしてくれる。

「お久しぶりです。」

電話で話していたけれど、会うのはあれ以来だった。「髪伸びた?すっかりお姉さんになって…。」そう云う響子さんは、益々若く綺麗だ。

「さあ、お部屋に案内するわね。疲れたでしょ?少しやすんだら?」

今日から三日間は、響子さんと一緒にホテルに泊まり、透さんのフォトギャラリーに行く予定なのだ。

「お腹は?何か食べた?」「母が持たせてくれたお握りを、飛行機の中で食べました。」

「じゃあ、シャワーでも浴びて、一休みしましょう」

透さんと一旦別れて、ホテルの部屋に入り、サッとシャワーを浴びて、少し休んだ。


〈ギャラリー〉

響子さんに起こしてもらい、着替えると響子さんの案内で、ギャラリーに向かう。

外は寒いけれど、地下鉄には乗らず、電車乗り場まで歩きながら向かう。所々日陰が凍っている。

それでも空気が清々しいので、心が軽くスッキリと感じる。

たわいない話しをしながら歩いていくと、あっという間に停車場に着いた。ガッタン、ゴットンと懐かしい音をさせながら電車が停止した。

初めての路面電車に揺られながら、ギャラリー会場に向かう。何だかわくわくして来た。

電車のギーッと停止する音が、何だか不思議な、異空間の世界に居るような感覚になる。

響子さんに促されて電車を降りると、程なくしてギャラリー会場に着いた。

山に近いせいか、ホテルのあった街中よりも、少し肌寒い感じだ。

会場に入ると…暖かい。暖房が効いていて、暑い位だ。前から思っていたけれど、ここは外と室内の気温差が激しい。

響子さんと一緒にギャラリーを見て回る。透さんの写真は圧巻だった。

彩が初めて見たあの日の星空がそこにあった。過去に遡って雪原に立っている様な自分を感じた。

『凄い…!』

言葉が出てこない。

ふと気が付くと、響子さんが見当たらない。

辺りを見渡すと、展示スペースの陰にチラッと響子さんのワンピースの裾が見えた。

そちらに近づいて行くと、注文していた料理が届いた様で、セッティングをしていた。

「響子さん、今夜の打ち上げの準備ですか?」

そう言うと「そうなの。お手伝いを頼んでいたスタッフに、上手く伝わっていなかったみたいで…遅れているみたいなの。」

そう言いながら、手は物凄いスピードで動いている。

「私も手伝います!」響子さんに指示を受けながら、何とかセッティングを終えた。

「ありがとう。助かったわ。さっき着いたばかりなのに…ごめんなさいね。」

響子さんは、そう言うと「少し休みましょう。」そう言って、コーヒーを持って来てくれた。

「ふう~。くたびれた」

にっこり笑う。

すると…「申し訳ありません!」と、人がバタバタと入って来た。

「大丈夫。彼女が手伝ってくれたから。」

響子さんの知り合いの様だ。

その中の1人が、今度は私に向かって頭を下げた。

展示会が無事に終わり、主役の透さんが乾杯の音頭をとって、打ち上げパーティーが始まった。

明日、ギャラリーを引き上げて、買い手が決まったパネルを梱包発送する作業がはじまる。

「展示が終わっても、する事が沢山あるんですね。」

響子さんは「年に数回行うだけなんだけど、毎回結構バタバタ。」そう言って笑った。

「透さんに、素敵な人がいると直ぐにバトンタッチするのだけれど…。」

そう話していると

「今どきの女子は、恋人を置いて知らない場所に黙って飛んで行っちまうような男には、寄りつかないさ」

何時の間にか透さんがいた。

「今や、これだけの作品を世に出す男に、関心が無い女は居ないわ」見知らぬ女性が言葉を被せた。

「ルックスも、まあまあ悪くないし」

「では、冴祐未さん。宜しければ?」響子さんがそう返すと「あら、残念!私には先客がいるので。」

「あら?別れちゃっても良いわよ。」

響子さんが、珍しく辛辣な言葉で返した。

その遣り取りを、目をキョロキョロして聞いている私に「この二人は従姉妹だから、気にしないで。いつも僕をこうやっていじめているの。」透さんが言った。

響子さんと、冴祐未さんが、透さんを軽く睨む。

なるほど。従姉妹だから二人は綺麗で、何だか雰囲気が似ているのか。

彩はそう思った。

冴祐未さんは、私の方を見て軽くウインクし、向こうへ行ってしまった。

「綺麗で華やかな方ですね。」

大勢の人に囲まれて、賑やかな笑い声を上げている冴祐未さんを見ると、別の世界を観ているかの様に思う。

「そうね。彼女は確かに華があるわね。」

「本当。冴祐未が来ると、あっちが主役に成っちまう。」

透さんが苦笑いをしながらそう言った。

「だから、冴祐未を打ち上げに誘ったんでしょ?」響子さんの一言に「まあね。」と透さんが応えた。

「透くんは、パーティーが苦手なのよ。」

響子さんが私にそう囁いた。

打ち上げがクライマックスになり、冴祐未さんが、皆と主役の透さんを引き連れ二次会に繰り出した後、響子さんと、頼んでいたスタッフ数人とで、後片づけをして、タクシーでホテルに戻ったのが夜中の既に0時を過ぎていた。

クタクタで、シャワーを浴びる事も出来ずにベッドに飛び込んで眠った。

〈彩〉

目覚めて、慌てて飛び起きた時には既に日が高くなっていた。

モソモソとベッドから下りるとテーブルにメモが貼ってあった。

「昨日は、お疲れ様でした。お陰様で助かりました。今日はゆっくりと過ごしてね。3時位に戻ります。札幌の街でもブラブラしながら楽しんで。」

(響子さんは、字も綺麗だ…。)そう思いながら、先ずはシャワールームで目を覚まそうと、ボーッとした頭で動き始めた。

初めての札幌の街。

(先ずは、ラーメンかな?空いたお腹に何か入れないとね。)

ホテルを出て、フロントで貰った地図を見ながら、ぶらぶら歩く。

今日は、少し陽射しが暖かく空が広く感じる。春めいた日…。

美味しいラーメンをお腹一杯食べて、街を散策していると、大通公園にたどり着いた。

春の始めの大通公園は、木々がまだ肌寒そうだ。

ベンチに座って一息つくと、所々日陰に雪が溶けかかって残っているのが目に入った。

殆どの人は、まだ地下を歩いているのだろう。

人がまばらで、公園を歩いている人びとはコートをしっかりと着込んで手袋をはめているか、ボケットに手を入れている。

けれども彩は、ベンチでこうして太陽の陽射しを浴びていると『春が来ている!』

何だかそんな嬉しい気持ちになる。

風は殆ど無いが、日陰に行くと、やはりまだ冬の寒さが残っているかのようだ。

日向を歩きながら、元気に低空で飛んでいる鳩をよける。

生き物は、何も云わずとも四季を感じている。陽射しの当たる木を見ると、紅く木の芽が芽吹いている処がある。この自然界の様に素直に生きられたら良いのに…ふと、そんな思いが溢れてきた。

(さてと、ゆっくりしていたら、3時を過ぎてしまう。)彩は、ホテルに戻ることにした。


〈響子〉

もうすぐ春ですよ。

愁さんの好きだった桜が咲きます。

響子は墓石にそっと触れながら、そう囁いた。霙に触れた手が凍える様に冷たく感じた。

花屋で見繕った花束の水仙の黄色い色が明るく墓石を彩っている。

春早く咲く花の色は黄色いと聞いたことがある。

「次は、桜の花を持って来ますね。」

そう囁くと、まだ足元に雪が残る道を下りて行く。

遠くで海が眠たそうに見え、空はどんよりと曇りながらも、少しずつ薄いブルーの色を増やしているようだ。

風と共に汽笛が耳を通りすぎていく。

駐車場に着くと、車に乗り込んでエンジンをかける。

寒さから解放されたが、暫く車内を暖めないと手が悴んで運転出来そうに無い。

そうは言っても、まだオホーツクの街よりは遙かに暖かいのだが…。

暖まってきたな。と思い出発しようとすると、携帯が鳴った。

透からだった。

話が済んで、まだ所々雪が残る坂道をソロソロと走り始めた。

少しずつ雲が太陽の力で流されて、薄いブルーの空から、より青みがかったブルーへと変化して行った。

(春が来ている…)

そう思うと、気分が晴れ渡った様に感じて、ホテルに戻るため急いで車を走らせた。

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