ラムネ
『ひだまり童話館』の『たぷたぷな話』に参加しています。
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日曜日の昼下がり、僕は家の近くの駄菓子屋さんで大好きなラムネを買った。これはスーパーでは売ってない。ビー玉をカシャンと落として飲むのが気に入っている。
お行儀が悪いとママに叱られそうだけど、帰り道に川原で飲む。シャワシャワ、カランカラン!
ラムネを飲むのは大好きだけど、時々、ビー玉を飲み口に詰まらせてしまう。そんな時は、飲むのをやめて、ビー玉を下に落とさないと飲めない。
「なあ、そのラムネくれへんか?」
僕は辺りを見渡した。誰か友だちでもいるのかなと思ったからだ。
「こっちや!」
声がした足元を見ると、変なタヌキっぽい猫? 多分、猫だと思われる動物が僕を見上げていた。
猫図鑑で見たヒマラヤンという猫に似ている気もする。耳と鼻の周りとバッサバッサの尻尾が濃い茶色だ。だからタヌキ感がするんだよ。でも、毛がヨロヨロで化け猫みたいに見える。まぁ、目は薄いブルーで唯一可愛いかも。
「ラムネ欲しいの?」
動物がラムネを飲んでも良いのか? 僕にはわからない。それに、猫が話せるものなのか? あまりに驚いたので、猫の言うことを確認してしまった。
「そうゆうてるやろ。ラムネをこの中に入れて欲しいんや」
図々しい猫だ。これは家の冷蔵庫に入っている物ではない。僕のお小遣いで買ったラムネなのだ。それに猫が差し出した瓢箪は、ラムネの瓶と同じぐらいの大きさだ。
「そんなにあげたら、僕が飲む分が無くなるよ」
これは僕のラムネだ。変な猫にあげる義理は無い。
「大丈夫や。これは魔法の瓢箪やから。あんさんのラムネは減らへん」
こんな怪しい猫の言うことなんか信用できない。でも、よく見たら可愛いのかもしれない。もしかしたら猫図鑑に載っていたヒマラヤンという高級な猫かもしれない。
「飼い主に買って貰いなよ」
猫は悲しそうな顔をする。なんだか僕が悪い事を言った気になる。
「飼い主なんかおらへん。前はいたけど、お婆さんは居なくなったんや」
「えっ、もしかして捨てられたの?」
タヌキっぽい猫とはいえ、捨てるなんて酷い。僕は動物を虐待する人は許さない。
「いや、お婆さんが居なくなったんや。それで、お婆さんが好きやったラムネを用意したら帰ってくるかなぁと思ったんや」
それって、お婆さんは亡くなったのか、施設に入ったのでは無いだろか? こんな人間の言葉を話す猫なのに、そこら辺の事情は知らないのか? 僕はなんだか可哀想になった。ラムネはまた買えば良い。
「猫がラムネを飲んで良いものか分からないけど、お婆さんが飲むなら大丈夫だろうからあげるよ」
「おおきに!」
猫もどきは瓢箪を差し出す。そこに僕はラムネをとぽとぽと入れる。
「本当にラムネは減らないね!」
瓢箪にいっぱい入れても、瓶にはまだラムネが残っている。不思議な瓢箪だ。
「ほな、帰りますわ。おおきにな」
濃い茶色のバッサバッサな尻尾を振って猫は、土手を登っていく。大きな瓢箪を口に咥えているから、歩くのは遅い。
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「気になるなぁ」
僕は猫が心配になった。そのお婆さんがラムネに惹かれて帰ってくるとは思えなかったからだ。
土手の上の道を超えて、そしてまた下ると、細い路地を猫は歩く。僕はかなり後ろからついていく。もしかしたら、お婆さんは病院へ行っただけで帰ってくるかもしれない。と思おうとしたけど、その家の庭は荒れていた。
「お年寄りだから庭の掃除ができないのかな?」
腰が痛いとか理由を考えてみたが、人が住んでいるとは思えない荒れ方だ。
「あいつは何処に行ったのかな?」
家の前の傾いた金属門は片方が外れているから、簡単に中に入れる。猫もどきはここのお婆さんに飼われていたなら入っても良いだろうけど、僕は駄目かもしれない。
「他所の家に入っちゃ駄目なんだよね。でも、庭だけなら?」
庭は草がぼうぼうだ。でも、玄関までは飛び石があるから、入れそう。
「確か、不法侵入ってお巡りさんに捕まるんだよね。そんな事になったらママやパパにすっごく叱られる。でも、猫をほってて良いの?」
僕は勇気を出す為に、瓶に残っているラムネを一気に飲み干した。
「ゲホン!」
ラムネの泡が気管に入った。
「誰? お婆ちゃん?」
猫が草の間から出てきた。そして、僕を見てがっかりする。そんなにモロにがっかりしなくても良いのにな。
「お婆ちゃんでなくて悪かったな」
ちょっと言葉にトゲが入っちゃった。それに、猫はさっさと玄関の方へと戻っちゃうし、もう家に帰ろうかな。
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「あら、この家に何か用なの?」
隣の家からおばさんが出てきて、僕に訊ねる。不審者に見えたのかな?
「あのう、ここに猫はいませんか?」
おばさんは「ああ」と溜息をついた。
「吉田さんが飼っていた猫のことね。お葬式の後で息子さんが探していたけど、僕見つけたの?」
何だか嫌な予感がする。よく見ると門柱には吉田と表札がある。つまり、あの猫は吉田お婆ちゃんに飼われていたのだ。そして、息子さんがお葬式の後で探していたと言うことは……
「本当に、この家も住む人が居なくなって荒れてしまっているわ。猫を見つけたら教えてね。息子さんに電話して引き取って貰わなくては」
やはりお婆ちゃんは亡くなっていたのだ。あの猫は息子さんの家に行った方が良いんじゃ無いかな?
隣の家のおばさんが買い物に行くのを見送ってから、僕は庭に入った。
僕の腰ぐらいまで草が生えている。でも、飛び石の上には草は生えないから、玄関まではすぐに行けた。
玄関の扉の前に猫は瓢箪を置いて箱座りしていた。箱座りするのは安心しているからだとTVで聞いた事がある。つまり、どれだけ荒れ果てていようが、ここが猫にとっては安心できる場所なのだろう。
「吉田お婆ちゃんの猫だったの?」
猫は薄らと目を開けて、僕をチラリと見る。
「お婆ちゃんの猫やったけど、おらへんようになった。おっさんが来て捕まえようとするから逃げたんや」
猫が言うおっさんは、きっと吉田お婆ちゃんの息子さんだ。よく見ると猫は痩せている。本当はふわふわの長毛種なのだろうけど、ばさばさだ。
「そのおっさんは、きっとお婆ちゃんの息子さんだよ。その人に飼って貰えば良いじゃないの?」
猫は背中を丸めて伸びをした。
「おっさんは猫が好きみたいやけど、おっさんの連れ合いは猫が嫌いやねん。だから、お婆ちゃんが帰ってくるのをここで待っているんや。ラムネが好きやったから、きっと来るはずや」
そう言うとまた猫は寝てしまった。こんなに喋れて、魔法の瓢箪まで持っているのに、お婆ちゃんが亡くなったのは分からないのかな? いや、分かりたくないのだ。
つまり、吉田お婆ちゃんの息子さんは猫を引き取っても良いと考えているみたいだけど、奥さんは猫が嫌いだから、お婆ちゃんの家に居るって事だ。
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僕は猫をこのままにはしておけない気がした。でも、どうしたら良いのだろう。
「兎に角、吉田のお婆ちゃんの息子さんに聞いてみなくちゃ」
猫だって本当は家の中で寝たいだろう。それに餌はどうしているのか心配だ。
隣のおばさんが買い物から帰ってきた。
「おや、まだいたのかい」
「うん、猫を見つけたんだけど……」
おばさんに玄関の前で寝ていると告げるのが辛い。でも、猫をこのままにはしておかないよ。
「玄関の前で寝ているんだ」
おばさんは「そっと見てみるよ」と言って、庭の中に入っていった。
「いたね! 吉田さんの息子さんに電話しよう」
バッグから携帯電話を出して、おばさんは息子さんに「猫が玄関前で寝ているよ」と伝えた。
「猫を引き取りに来るってさ」
おばさんは「スーパーで買ってきた物を冷蔵庫にしまう間、猫を見張っててね!」と言って家の中に入った。
僕は、おばさんに見張っててと言われたのと、猫がどうなるのか見届けたいと思って、その場に立ち尽くしていた。
「まだ、息子さんは来ないね」
おばさんが出てきても、まだ息子さんは来ない。
「あのう、息子さんって近くに住んでいるの?」
遠くに住んでいるなら、なかなか着かないかもしれない。
「駅前のマンションに住んでいるそうだから、すぐに来るんじゃないかな? それに日曜だから、仕事じゃ無いだろうし」
マンション? 猫を飼っても良いのかな? 飼えるマンションだと良いのだけど……それに息子さんの奥さんは猫が嫌いなのだ。
むずむずしながら息子さんを待つ。
「ああ、おばさん。連絡ありがとうございます」
息子さんは、猫の言う通り「おっさん」だった。息子さんと言うから30代ぐらいかなと思っていたのだ。うちのパパよりずっと年上に見える。
「あのう、猫をマンションで飼えるの? 奥さんは猫が嫌いなのに大丈夫?」
息子さんは見知らぬ僕に質問されて驚いていたが、ちゃんと答えてくれた。
「住んでいるマンションは小型の動物なら飼えるんだよ。エレベーターは籠に入れないといけない規則だけどね。妻が猫嫌いだなんて、母に聞いたのかな? 確かに猫が嫌いだから、誰かに引き取って貰わないといけないかもな」
やはり、猫の言う通りだった。息子さんは猫をほっておけないと考えてはいたが、飼えるとは思っていないようだ。
息子さんが庭に入ると、猫が「ニャン!」と鳴いて草むらに逃げた。
「ラムネ!」と叫んで追いかけるが、捕まえられない。猫は素早いのだ。
僕は猫が息子さんが飼ってくれないのが分かっているのだと感じた。それにしても「ニャン!」だなんて猫みたいだ。
「捕まえられないな。何か罠でも掛けないといけないかも」
草だらけの庭を駆け回った息子さんが、ゼイゼイと息を荒げながら出てきた。
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「あのう、家に帰ってお父さんとお母さんに相談しなくちゃいけないけど、少し待ってて下さい。僕が猫を飼います」
息子さんは驚いたみたいだけど、保護者の許可があるならと待っててくれた。隣のおばさんがお茶をあげている。
僕は全速力で家に帰り、吉田のお婆ちゃんと猫の話をした。そして息子さんの奥さんが猫が嫌いだから飼えない事も説明した。
「お願い! ラムネを飼わして!」
パパとママは呆気に取られていたけど「ラムネ」と聞いて笑った。
「ラムネが好きだからといって、猫までラムネなのかい」
パパが笑いながら言った。ママも笑っている。
「ちゃんとお世話ができると約束するなら飼っても良いわよ」
「やったぁ!」
でも、少し心配だ。あの猫は話せるのだ。パパとママは気持ち悪いと思うかもしれない。それとうちに来てくれるか分からない。
「ほら、吉田さんの家に行こう!」
僕がぐずぐず考えている間に、パパとママは猫を引き取る準備をしていた。
「猫用のキャリーケースなんて無いから、段ボールに穴を開けたので良いかしら?」
ママから手渡された段ボール箱をパパが持って、吉田さんの家へと急ぐ。
息子さんは一人でキャリーケースを持って暇そうに立っていた。
「あのう、吉田さんですか? この子の父親です。猫を貰うと言い出したのですが、宜しいのでしょうか?」
やはり吉田のお婆ちゃんの息子さんの方がパパよりかなり年上だ。
「本来は母が飼っていた猫を私が世話をするべきなのですが、捕まらなくて。それに妻が猫嫌いな上にアレルギー持ちなので……」
二人が大人同士の話をしている間に、僕は庭に猫を探しに行く。
「ラムネ、僕の家に来ないか?」
玄関前には瓢箪だけが転がっていた。でも、ラムネはお婆ちゃんをここで待つつもりなのだ。きっと庭の草の影に隠れていると思う。
「あんさんの家?」
草から顔だけ出してラムネが言う。やはり喋れるんだ。それも凄い関西弁。僕も関西弁だけど、ここまで凄くない。あっ、お年寄りの方が関西弁がキツい。きっと吉田のお婆ちゃんはこんな喋り方だったんだろう。
「そう、パパもママも飼っても良いってさ」
猫は一旦は草むらの中に引っ込んだ。考えているのだろう。少し経ってから、出てきた。
「ほな、お世話になります」
僕は庭の外に出た。パパは吉田さんの息子さんが持っていたキャリーケースを手に持っている。
「ラムネがうちに来るってさ」
「そうなのか? じゃあ、このキャリーケースに入れられるかい? それとも私が捕まえようか?」
見知らぬパパより、僕の方がラムネも安心するだろう。
「ううん、僕が捕まえるよ」
玄関の所まで行く。僕がキャリーケースの扉を開けて、地面に置くとラムネは一度後ろを振り向いてから、中に入った。
「お婆ちゃん、さいなら」
僕は少し重いキャリーケースを両手で抱えて、片方外れた金属の扉の外に出た。
「あっ、やっと捕まえた」
吉田さんの息子さんは、キャリーケースの色の付いたプラスチックの扉ごしにラムネを見て、大きな溜息をついた。
「母が最期まで心配していたので、本来なら飼ってやりたいのですが……お願いします」
奥さんがアレルギー持ちなら飼えないよね。
「ラムネ、これからは一緒だよ」
「ニャン!」と猫のように返事をした。
そういえば、僕はラムネが話せる事をパパにもママにも言っていなかった。
家に帰ってから、ラムネはクンクンと彼方此方を嗅いだ。僕は、そろそろ秘密を言わなくては! と思ったのだが、ラムネはその後一度も話したりしなかった。
「ラムネ、話しても良いんだよ」
僕の部屋で話しかけても「ニャン?」としか鳴かない。それに、不思議な瓢箪も何処にも無い。
「夢を見ていたのかな?」
ラムネは僕のベッドの上でちらりとこちらを見て「ニャン!」と鳴いた。
「絶対にラムネは僕の言っている事が分かるだろ!」
そう言ってもラムネは素知らぬ顔で寝ている。
「まぁ、可愛いから良いか」
はじめ見た時は、タヌキみたいな変な猫だと思ったけど、今では世界一可愛い猫に見える。
もしかしたら騙されているのかもしれない。
でも、ラムネはラムネ! 可愛い僕の猫だ。
おしまい