30:13~45:53
キィッと錆び付いた音を立てて、ドアがゆっくり開かれる。
ドアの下には黄色の「立ち入り禁止」と書かれたテープが落ちていて、何度か人が出入りしたのだと分かった。
「うっわぁ、普通に家じゃん。どこが廃屋だよ……。お邪魔しまーす」
藤条の声が広い玄関に響きわたる。
屋敷の中は埃だらけではあるものの、本当に普通の家だった。
俺はカメラを下に向け、散らばった靴を映す。
父親のものと思われる革のビジネスシューズ、赤やベージュのヒールたち、お洒落なスニーカーに男の子用のランニングシューズ。
玄関脇には大きなシューズボックスがあり、その上にゴッホの「星月夜」の複製画が飾ってあった。
一通り入口付近を撮り終え、俺は隊員とともに土足で家に上がる。
玄関から向かって左側の部屋がリビングだ。
「……そういえば、殺害現場ってどこなんだっけ」
原田がリビングのドアを開けながら尋ねる。
それを受けて、藤条は渋い顔で口を開いた。
「両親の寝室と子供部屋だって。さっき宮越が言ってた」
「藤条さんのお題、条件にビンゴなんじゃないっすか? 俺、鏡の方で良かったぁ」
そんな話をしながら、俺たちはリビングに足を踏み入れた。
ここもやはり普通のリビングだった。
強いていえば、少し一般家庭より豪華だろうか。
埃を被っているとはいえ、上等な革張りのソファーが置かれ、質の良さそうなワインレッドの絨毯が敷かれている。
大きな窓にはレースのカーテンが外れかけの状態でぶら下がっていて、隙間から月の光が射し込んでいた。
そのおかげで懐中電灯を使わずとも部屋全体を見渡すことが出来た。
「うん、ここから始めようか」
藤条が腰に手をあてて言った。
「30分経っても俺が見つけられなかったら、ここに集合ってことで。それじゃ、100数えるから二人とも隠れて。あ、カメラ回すの忘れんなよ!」
「うっす」
「うん」
隊員二人は言いつけ通りカメラを録画状態にし、緊張した面持ちでリビングを去っていった。
「川西さ、俺がカウントしている間にリビングの中撮ってくれる? そういうのも視聴者さんは興味あると思うから」
さすがリーダーと言うべきか。
見る側の気持ちをきちんと察するところに舌を巻きつつ、俺は頷いた。
「1……2……3……」
気持ちゆっくりめのカウントダウンが始まり、俺は広々とした部屋の中をぐるりと見渡した。
(まずはキッチンかな)
この家のリビングルームはダイニングルームとキッチンがくっついた造りになっているようだ。
四人家族にしては大きめのダイニングテーブルを過ぎ、調理場を通り、その向かいの棚にカメラを向ける。
「ここがキッチンです。10年前とはいえ、かなり綺麗に残っています」
裏方なので極力声を出さないようにしているが、話す人が俺しかいないため、ぎこちなく説明を入れた。
カメラを揺らさないように気をつけながら、俺はそっと引き出しに手をかける。
「えー、中はこんな感じになっています。ここはカトラリー入れかな? 銀製のものだけじゃなくて、木製のスプーンやフォークもあります。箸も色々な柄の物があって、こだわりを感じますね」
次の引き出しを開けてみる。
「こっちは調理用具ですね。ピーラーや包丁、菜箸にお玉。他にも沢山入ってます。さっきの引き出しもそうでしたけど、綺麗に整頓されています。あっ、待って、包丁の隣に謎の隙間が……。ここ、もう一本包丁があったんじゃないかな」
言いながらゾワリと寒気を感じた。
綺麗に刃の向きを揃えて片付けられた包丁が二本。
その右側にある隙間は、明らかに包丁一本分のスペースがあった。
「弟が家族の殺害に使用したのはナイフだったそうですが、もしかしたらここにあった包丁を使ったのかもしれませんね」
これ以上この話題を口にしたくなくて、俺は急いで引き出しを閉める。
横に移動して棚を開け、中の確認をしつつカメラを持ち直した。
「これは食器戸棚ですね。色んな種類のお皿が並んでいます。紅茶用のカップも高そうなものばかりです。その横には冷蔵庫があります。開けてみます」
慎重に中を映す。
しかし、捜査の過程で処分されたのか、中は空っぽだった。
「98……99……100! もういいかい?」
藤条がカウントダウンを終えたらしく、かくれんぼのお決まりのセリフを口にした。
「もういいよ!」
「もういいよ!」
「まーだだよ」
かなりの声量だったため、きちんと原田たちにも届いたようだ。
四方から僅かに返事が聞こえた。
俺は藤条のいる場所まで戻りつつ、壁にかかった時計や有名画家の複製画を撮っていく。
そこでふと、違和感を覚えて立ち止まった。
(なんか変だ。何がと言われたら分かんないけど、なんだろう、何か足りない気がする……)
「どうした? 行くぞ」
藤条の呼びかけにハッとして、俺は顔を上げた。
「あっ、悪い。ぼーっとしてたわ」
「珍しいな。大丈夫か?」
「ああ」
ほんの少しの違和感は、会話の最中にサラリと消え失せた。
(まあいいか。その程度のものなんだ、大したことじゃないだろ)
感じたモヤモヤを振り払うように、俺は軽く頭を振ってリビングを出た。