動き出した歯車
”積み木”
人生は積み木の様なものだとレイは思う。
自分自身が持って生まれた体、考え、才能、親の地位、環境、裕福か貧乏か。
この世に生を受けた瞬間から、土台の積み木はすでに決まっている。
簡単なところで言うと、大企業の社長の一人息子にして
秀才の父と容姿に優れた母を持ち、その息子も両親の良い所だけを持って生まれた子供と、一時の盛り上がりに任せて学生なのにも関わらず、出来てしまった子には
裕福な環境はおろか、虐待で幼いながら、死んでしまう話も聞かなくはない。
知力、体力、人望、経済力、その他もろもろの人生で後天的に手に入れられる“経験や力”が
一つ、一つの積み木と考えよう。
良い土台には、良い質の積み木がドバドバと積み重なってゆき、形になったそれを、
それを自分好みの外見に仕立ててやるだけで良い。
反対に悪い土台には、良い質の積み木を支えるには脆すぎて、乗せても壊れないそれ相応の質の積木を一つ一つ選び、しかも、自分の土台に合った形の物を重ねていくしかない。
命が始まった瞬間から一直線に並んでよーいどん。そんな綺麗事はどこにも存在しない。
良い土台を持てなかった人間が、努力し手に入れた成功や幸せがあるとしよう。
しかし、持って生まれた人間からすれば生まれたとき既に持っていた当たり前のものでしかなかったら。
これがどんなに馬鹿馬鹿しいことか。
土台の上にはそれ相応の物しか建てられない。これが雨宮 玲の持論だった。
雨宮家は決して裕福とは言えなかったし、レイ自身も他より飛びぬけた才能は持たず。
強い反骨心も無ければ気骨も勇気も無い。
持ってない方の土台、そう自分に結論付けた雨宮 玲にこんなことが出来るはずないのだ。
“酒場を追い出された女の子を追い掛ける”、なんてレベルの高い事は。
「ほっとける訳、ねえだろ。」
その感情に任せて走った。
息が切れるのやけにが早い。
最近運動をまともにしなかったから。いや、慣れないことをしようとしている心労故か。
どこか、心がざわついて落ち着かない。
ふと、数メートル前の彼女と通行人の肩がぶつかった。
その急な出来事に、足を止めることを選んだ。
彼女はさして問題なし、といった感じだが、通行人の持っていたカバンから
小さな瓶が一つぶつかった衝撃で転げ落ち、中に入っていた緑色の液体が地面に弾けた。
彼女は止まって頭を下げ、深々と謝罪し、
自分の持つカバンから金貨を取り出して通行人に差し出している。
ぶつかった方も大丈夫だ、と軽く会釈し、彼女の差し出した金貨を懐に収めさせると、
彼女の肩を一度叩いて微笑み、何事も無かったかのように、再び歩き始めた。
「間違ってねぇ、ねえんだけど。」
一度、止めてしまった足は簡単には動かない。
もう一度進むには理由が必要だ。と頭を回す。
こんなの、現実的じゃない。
何もかも中途半端な自分があの子に声を掛けた所で何になる。
あの子のことを知っている訳じゃない。
この国の事情もろくに知らない。
しかし、出てきたのはマイナスな物ばかり。
冷静になったと言えば聞こえはいいが、つまるところはビビッているのだ。
心臓の音が体の内側で響く。
「何か、してやれんのかよ。」
自分という人間の情けなさに先ほどまで盛り上がっていた感情はかき消された。
残ったのは情けない自分だけ。
――また、中途半端かよ。
「何かするというのなら、早いに越したことはないと思うわ。」
情けなさから、下を向くレイの耳に艶めかしい女性の声が滑り込むように聞こえてくる。
その声に顔を上げると、先ほどの通行人が心配するような視線を向けていた。
「え、」
唐突の出来事に困惑して、言葉の意味を飲み込めない。
その様子を見た通行人はふふっ、と笑ってこう続けた。
「物は作り直せばいくらでも替えが効くものだけど、命は違うわ。一つしかない。大切にしなきゃね。失ってからじゃ何もかも遅いのよ。そう……」
――まるで変な宗教の勧誘みたいな口ぶりだな。
目が、虚ろだ。
目の前の女性を見てレイはそう思った。
何かに縋って縛られている。そんな目をした人たちのことをレイは知っている。
街で必死に聖書を配っていた明らかにアブノーマルな宗教の信者たち、それと同じだ。
――あれと同じ匂いを感じるな、うん。
これ以上話を聞いては面倒臭い、と頭を掻きながら困った表情を浮かべる。
「ええと……」
「ああ、ごめんなさい。こんな年増の女にかまってる暇なんてないわよね。もう、行くわね。」
それを察したのか、片目を閉じて会釈すると、再び歩き出した。
「いや、そんなことは……」
実際、かなりの美人だ。
しかし、先ほど超が付くほどの美人を見たからか、感動が薄い。
「でも、」
そう思いながら、歩いていく女性を見ていると、足を止めて振り返る。
視線を気取られたのかと思い、心臓が一度大きく跳ねた。
「貴方は見込みがありそうね。」
微笑んでいるのだけなのに、どこか不自然で不気味。
そう、認識すると全身に鳥肌が立つ。
「同じ匂いがするもの。」
何がそんなに嬉しいのかと言いたくなる表情で女性はそう言った。
得体の知れないものから受け取るものは何であれ気持の良いものではない。
「はは、またまた……」
レイがそう言うと再度、微笑みを残してゆっくりと去っていった。
「何だったんだ、間違いなくまともじゃねえ。」
道の角を女性が曲がるのを見届けてほっと胸を撫で下ろす。
暫くして本来の目的を思い出す。
「あ、あの子は……」
見渡せる視界には既に彼女は居なかった。
気を取られている間にどこかに行ってしまったのだろう。
「まあ、いいや。荷物も置きっぱなし、だしな。」
探そう、とも思ったが、諦める理由を口に出して自分を納得させる。
「ただでさえ、分かんないことが多すぎるんだ。さっきのことはもし、次合うことがあれば埋め合わせすりゃあいい。」
僅かに残った感情を追撃で完全に消してしまうと、足を再び酒場へと向けた。
「ありゃ、戻ってきたのかい?」
カラン、と来客を告げる鐘の音。
それに反応したエリザベスがレイの姿を見てそう言った。
「変な人に絡まれて、見失っちまった。」
探しに行かなかった罪悪感から視線を合わせずに元居た席まで戻った。
バックとローブ、ちゃんとある。
「さすがに、盗まれはしなかったよな。」
心配事が解消され、ほっと一息。
受け取った経緯は少し特殊だが、曲がりなりにも初期装備、これを取られたともなれば、
真剣に今後が危うい。
「そうだったのかい。お兄さんだったらもしかして、と思ったけどねえ。」
少し残念そうな声でそう言うエリザベス。
その言葉が心に引っ掛かり、聞き返す。
「どういう意味だよ、それ。」
「いや、こっちの話さ。お兄さんが気にする問題じゃないよ。」
――よそ者が首を突っ込むな、か。
そう言われたような気がして、落ちていた気分がさらに落ちた。
会話を打ち止めし、バックの中を弄るが、出てきたのは小袋一つだけ。
「勇者の剣、とかは欲張りすぎたな。」
僅かな期待を打ち破られ、中身を確認すると金貨が5枚と銀貨、銅貨が3枚ずつ。
「この世界の価値は分かんねえけど、セオリー通りで行くなら、装備一式買いそろえて丁度ってとこか。」
「あの俺がそこまでこだわっていることを祈る。」
――これで一日も持たなかったら恨むからな……
今は抜け殻となったローブを睨んでそう言った。
「そういえば、お兄さん何か聞きたいことがあったんじゃなかったかい?常連さんは帰っちまったけど特別に答えてあげるよ。」
「ああ、そういえば。」
特別に、がやけに強調されているところに恐怖を感じるが、おかげで思い出した。
エリザベスは確かに言ったのだ。“一人でお楽しみ”、と。
「普段ならボッチ煽られたところで何も言わないんだが、エリザベスさん、俺の横にもう一人、居ただろ?」
大変長らく待たされて、やっと本題に入れるような感覚。
指で抜け殻のローブを指さしながらそう言った。
「エリさんで頼むよ。みんなからもそう呼ばれている。」
答える前に、と呼び方の訂正を打診され、頷く。
それから、頭を悩ませてこう言った。
「ピールを持って行った時にはお兄さん一人しか居なかったけどねえ。」
「何かの見間違いじゃねえのか?俺一人で飲めもしないピール二杯も頼まねえよ。」
「馬鹿言ってんじゃないよ。この店じゃ一人に付きグラス一つって決まってんだ。たとえ初めて来た客でもそのルールは守ってもらってるよ。」
「ともかくだ、お兄さんの横には私の覚えてる限り誰もいなかったねぇ。」
「んな……」
――俺以外には俺しか見えてなかった?なんでだ?
「聞きたいことはそれだけかい?」
次の質問を考える間もなくそう言われた。
さっきの騒動で僅かに人が減ったとはいえ、まだまだ繁盛状体。
もう一人の店員さんがあちこち忙しそうに動き回っている。
これ以上引き留めるのは営業妨害もいいとこだ。
「ああ、助かったよ、エリさん」
話が終わると同時に、反対側の客が「エリさ~ん」と顔を真っ赤にして呼ぶ。
「はいはい、今行くよ。」
腰に手を当て、ため息をつく。
どこの店にもいるめんどくさい酔っ払い、という奴だろう。
「また聞きたいことがあったら言いな。」
「ありがとう。」
最後にそう言い残すとその客のもとに向かっていった。
なるほど、“お世話になる”といったアメミヤ レイの言葉は嘘じゃなかったらしい。
どうして、自分以外には見えなかったのか、理由を酔っぱらいと格闘するエリさんを眺めながら考える。
「シンプルに考えて、一つの世界に同じ人間がいちゃいけないってのはベタ中のベタだよな。それ以外で考えると、アイツが答えなかったところに答えがあるのか?」
しかし、いくら考えても納得できる要因を見つけられない。
アメミヤ レイがきて来て、どうしようもない現状が
どうにかなりそうな現状に変わったのだが、その代わりに残していった
謎は一つたりともさっぱりわからない。
「わからないこと考えてもしょうがないか。」
機会があったら考えよう。そう結論付ける。
「おいおい、」
酔った男が、あろうことかエリさんに抱き着いたのを見て声が出る。
「調子に乗るんじゃないよ!!!」
捕まれた酔っ払いがいとも簡単に放り投げられ、地面に顔面から床に突っ込んだ。
一連の出来事で、静まり返っていた酒場に一気に活気が戻り、笑い声が上がる。
「絶対痛え……」
その痛々しい光景を見て、そう呟く。
口角が上がり、自然に笑いがこみ上げてくる。
「ははは、あとで、エリさんに安い宿屋でも聞いてみるか。」
色々問題はあるが、直近の問題だ。寝床、欲張ると生活基盤の安定。
今自分の居る異世界が用意してくれないのであれば、自分で整えるしかない。
そう思い、空になったグラスをのぞき込む。
木樽の底に薄く残ったピールに自分の顔が映る。
――でもやっぱり、あの子探せばばよかったな……
後悔先に立たず、後の祭り。いつもだ、事が終わってから後悔する。
なんて情けない。
―――――――――――ブチッーーーーーーーーーーーーーーー
唐突、原因不明。
耳の中でその不快な音は鳴り響いた。
その音に似たものなら覚えがある。急にコンセントを抜かれたゲーム機、
庭に生えた雑草を抜いた音。髪の毛が千切れる音。
どれにしろ、気持ちのいい音ではない。
それと同時に頭を襲う違和感の名を口に出す。
「痛っつ、」
―――――――――――ブチッツーーーーーーーーーーーーーー
今度はもっと明確な音が耳の内側から鳴り響いた。
それと同時に耐え難い痛みがレイを襲う。
「あ、あああ、ああああ!!」
体が、反射的に声を上げて痛みを誤魔化そうとするが、その痛みは増すばかり、
頭を抱えて椅子から転げ落ち、のたうち回る。
「おい、どうしたんだい?!」
エリさんが異変に気付き、呼びかける姿が目に映る。しかし、それだけ。
助けを求めることも、口にすることすらできず、膨れ上がる痛みに思考のすべてを
持っていかれる。
―――――――――――ブチ、ブチチチ!!ーーーーーーーーーーーーーーー
一際大きな音が鳴り、痛みが消える。テレビの電源を落とすように色が瞬く間に黒に変わる。
それと、同時に襲っていた痛みと違和感の正体がハッキリとする。
「剥がれた。」
正確には剥がされた、か。思考が、感覚が、存在が文字通り、体から剥がれ落ちた。
「なんだ、ここ。」
眼前に広がったのは見渡す限り地平線の先まで真っ黒で何もない場所。
この光景は死に際に見たあの景色にどこか似ている。
「まさか、俺死んだのか?何で?は?訳わかんねえ、どうなってんだ?」
しかし、一致しない部分も多い。
目は見えてるし、口は動く。体も特に異常はない。
「それと、」
―――なんだ?これ。
“****、****。”
目の前に蠢く影。近しいものは影だろうか。
蠢き方で似ているものを上げるとすれば陽炎だ。
ただ、光がさしている訳でもない。黒い何かが陽炎のように揺らめいている。
その認識が正しいだろう。
「影のような見た目に、陽炎みたいな揺らめき方。“影炎”ってとこか。」
伊達に普段から妄想の海を漂っていない。
この手のネーミングセンスにはちょっと自信がある。
“****、****。“
その言葉に反応するかのように影炎が言葉を発する。
「何か、言ってんのか?」
“****、****。”
「おい、聞こえねえぞ。」
酷くノイズがかかった声、何を言っているのか全く理解できない。
もう一度、耳を凝らして聞くが同じだった。
「気持ちわりい。」
“!!!!?????!!!!!??????”
その言葉に影炎が強く反応する。
「おいおい、寄るな。」
目の前にいる影炎はじりじりとレイに迫る。
苦し紛れにそう言うが、一瞬動きを止めただけ。すぐに迫ってくる。
――ヤバい。逃げ……
「足、動かねえ?」
まるで石にでもなったかのような足に視線を向ける。
「うわああああああああああ!!!」
足に纏わりつき、蠢く影炎から伸びたモノが足をきつく巻きその場に括り付けていた。
絶叫を上げ、体の力が抜けて座り込む。
もう、目の前には影炎の姿。
“****、****。”
聴き取れないノイズ。
それを最後にレイの意識は“影炎”に呑まれていった。
「もう、店長。この子、困ってるじゃない。」
笛のように、綺麗に澄んだ声が酒場に響き渡る。
「は?」
声が出た。意味が分からない、その意味を孕んだたった一文字。
それを切っ掛けに意識と感覚がハッキリしていく。
――おいおい、なんで、どうして。
レイの動揺をお構いなしに、場面は進む。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
「何か聞きたいこと、あったんでしょう?」
――なんで、戻ってんだよ!?
二人目:√1、可能性の消滅により“詰み直し”。
今回も今作に目を通していただき、ありがとうございます。
さて、今回はレイがはじめて物語を”詰み直し”ました。
そのトリガーとなった要因は果たして何なのか。
次回、必見です!!