託される者、残される者。
”思いは願いに、願いは力に、力は罪に。”
「一人で心細かったろ。雨宮 玲くん。」
「俺は、アメミヤ レイ お前だよ。」
そう言って左目を閉じる男に衝撃を隠せずに、
頭が“は?”の一言だけ生み出してフリーズする。
「え、おまえ、ちょっと待って。え?」
その中途半端を象徴するような顔、低くも高くも無いその声を知らない訳が無い。
目の前に確かに存在している“アメミヤ レイ”を自称する男、それは確かに自分だ。
顔、声、仕草に至るまで、いちいち共感させられる。
「時間が無い。ほれ、これ着て、さっさと行くぞ。」
背負われたバックから無造作にローブが投げ渡され、受け取った。
「ありがたい。めちゃ助かるんだけど……」
「ん?どうした?」
歩き出そうとしていた“アメミヤ レイ”に声をかけ、それに反応して振り返る。
これを被れば好奇の目に晒されずに済むだろう。が、少し渋る理由が二つ。
少し考えて、言葉を口に出した。
「これちょっと臭わねえ?その、体操服みたいな……」
一つ、手中にあるローブからは、ほのかに汗のしみ込んだ体操服と同じ匂いが漂ってきた。
これを着るなど、あまり気の進むことではない。
もう一つは、この男が“アメミヤ レイ”を語る偽物である線も無くはないから。
もし仮にこの世界で姿を変えられる魔法があるとすれば、
こいつは何か邪な考えで俺に近づいてきたはず。
――異世界式の転生初心者を狙った詐欺ってか?
偽物にひょこひょこ付いて行って速攻ゲームオーバーは避けたいところだ。
――こいつが本当に俺なら“体操服”も理解できるはず。
「おい、何とか言えよ。」
「ぷっ、ははっつ。」
“アメミヤ レイ”は暫く黙った後、一瞬目を丸くして腹を抱えて笑った。
「何がおかしいんだよ。」
「あ~。いや。そういえばそんなこと言ってたなって思ってな。そっか、俺の番が来たってことだな。」
「それって、どういう……」
相当ツボにハマったのか、言い終わったあと笑いをこらえきれない様子だ。
「やっぱり、お前は俺だよ。」
にかっと、笑顔でそう言う自分を見て言葉が詰まる。
反論の余地も無い。疑いをも見透かされたような物言いに本物だと判断せざるを得ない。
渋々、ほんのり臭うローブを着るのを見ると“アメミヤ レイ”は付いて来いと背を向けた。
「第一村人が自分自身って設定おかしくねぇ……?」
やけに上機嫌な“アメミヤ レイ”の後を付いていきながらそう呟いた。
向かった先はこれまた、いかにもな空気の酒場。
ドアを開くとカラン、と鐘がなり「いらっしゃい」と声が。
ぱっと見の、客のほとんどは、冒頭に登場したような防具や武器に身を包んだ者たち。
円卓を囲み、顔を真っ赤にして酒を嗜んでいた。
「こんなとこ来ちまってどうすんだよ。」
未成年のレイには当然こんな所に来る経験はおろか、まともにお酒を飲んだことも無い。
あるとすれば正月のおちょこか親父の晩酌を一口、くらいのものだ。
その問いに、また表情を明るくさせてこう言った。
「情報収集と出会いといえば酒場だろ?」
にやにやと笑みを浮かべて、アメミヤ レイは慣れた様子で奥のカウンター席に座る。
その様子に少し感情を突かれたような気分に。
何がおかしい、と再度言いかけたところで踏みとどまる。
目の前にいるのが自分、と信じてしまったことで何だか申し訳ない気分になったからだ。
「俺って気付かないうちに人を苛立たせたりしてたのか。気を付けよ。」
“人の振り見て我が振り直せ”、ということわざがあるのも納得がいく。
もっとも、レイの場合は冒頭部分が“我が振り見て”、になるのだが
効果が2倍くらいに感じるので少しの状況違いくらいは目をつぶっておくとしよう。
「俺、飲めないぞ?」
「知ってるよ。俺、だからな。」
トントン、と隣の席に座れと指示してくる。
「ついでにお金も無いぞ。」
不毛なやり取りに堪忍して、
答えを聞く前にフードを取りながら、渋々隣の席に腰を下ろした。
「とりあえず、ピール2つ。」
「なっ、」
それを知ってか、帰ってくる返答は無く、代わりに近くに居た店員に声をかけ、注文する。
「お前、話聞いてたか?今の絶対ビールだよな。俺は飲めないって言ったんだけど。」
「まぁまぁ、固いこと言うなよ。俺のくせに。」
馴れ馴れしく組みよってきた肩を手で振り払う。
「お前を信用した今さっきの俺を殴りてえ。」
数分前の自分を思い出して拳をわなわな震わせていると、
背後にただならぬ気配を感じて振り返る。
「あいよ、お待ち。銅貨二枚、いただくよ。」
ドカッ、と音を立てて木樽に注がれた“ピール”が二つ、差し出された。
アメミヤ レイは何食わぬ顔で小袋から銅貨を二枚、手渡した。
「お、おい。何だよあのラオウみたいな……」
どんな生活をすればそんな体になるのか。
レイは前に見たボディビルダーの世界チャンピオンにも引けを取らないキレッキレの
女性店員の後ろ姿を指さした。
「ぷはぁ、美味い!」
答える前に、と言わんばかりに大げさに喉を鳴らして喉にピールを流し込んだ。
「ああ、あれは店長だ。元、王国騎士団っていう設定付きの。」
暫く、歓喜に打ち震えるように酒を飲み、口に見事な泡ひげを付けて答える。
その様はまさに、この瞬間のために仕事を頑張ってきたサラリーマンのよう。
「名前はエリザベス。これから沢山お世話になるからよく覚えとけよ。」
「名前が全然エリザベスじゃねえな……」
名前とのギャップに困惑しながらも、手前の木樽を持ち上げて中の液体を一口舐めるが、
風味そのものは、ビールと変わらず少しの落胆の気持ちと共に木樽を下に置いた。
「おい、」
茶番はこれくらいにして本題に入らねばならない。
レイは、自分にできる限りの真剣な目で睨む。
「俺に何が起こってるんだよ。」
一時はどうなる事かと思ったが、何とか望みはつながった。
この世界の情報、知識さえあるならまだどうにかなる。
その問いに一瞬、困ったような表情を浮かべてこう言った。
「難しいことは言えないが、お前の考えで正しいと思うぞ。」
レイの真剣な疑問に曖昧な答えで返す。
もう、自分のは空になったのか、そう言ってレイの目の前の木樽に手を伸ばす。
「真面目に答えろ。」
その手を払いのけ、今度は声にも気持ちがこもる。
ここで、ある程度のことを知っておかないと本気でこの先、野垂れ死にしかねない。
「気持ちは分かる、でも、これだけは俺の口からは答えられねえんだ。ごめんな。」
真剣に頭を下げるこの、アメミヤ レイの仕草は知っている。
自分に非があると思ってる時の謝り方と同じだ。
そこまでする必要はあるのかと聞きたくなるが、それを飲み込んで次に話を進める。
1がだめなら2を。情報の次に聞きたかったことを聞けばいい。
「わかったよ。じゃあ、お前はなんでそんな風に笑える?」
雨宮 玲は、アメミヤ レイのように笑えない。
アメミヤ レイが起こす行動の一つ一つが自分と同じ存在だと感覚が告げるのに、
その笑顔だけは知らない。そんな風に笑えたことがない。
「あ~たぶんそれ、“恋”だな。」
「は?」
思わぬ返答に動揺したレイの手元から隙ありと言わんばかりにピールを強奪する。
「まぁ、もうじき分かるさ。」
そう言いながらウインクして、ゴクリと喉を鳴らしてピールを流し込む。
「いくら何でもそれは無いだろ。彼女いない歴=年齢の俺だぜ?」
まさか目の前の俺は勝ち組だけが味わうことの出来る恋愛をした、というのか。
この中途半端な俺が?
――告白すらやり遂げられないっての。
脳裏に中学時代の苦い記憶が蘇る。それのせいで、意図せずに視線がカウンターに落ちる。
「それが、するんだよな。」
心の声を見透かしたかのようにその笑顔でそう言ってくる。
その声に視線が再び戻った。
「いつ、どこで、何で、どうやって?俺だぞ?俺。」
その問いに僅かな沈黙の後、指先を見てはぁ、と小さくため息をついてこう言った。
「もうちょっと楽しみたかったけど、お開きだ。これはお前の“物語”だもんな、雨宮 玲。」
「何を、言って」
そう言いかけて辞めたのは、アメミヤ レイの異変に気が付いたからだ。
指先が消えている。
それだけじゃない。徐々にその消失は徐々にゆっくりとアメミヤ レイを飲み込んでゆく。
「お前、指!消えてる、おいって。」
やけに落ち着いた、アメミヤ レイの両肩に手を置いて
消え始めた指先と顔を交互に見ながら狼狽える。
無理もない。
人が目の前で消えかけているのだから。
そんな経験、ただの一般人どころか世界中探してもいるはずがない。
「いいか、よく聞けよ。」
しかし、そんなことは気にも留めない様子で言葉を続ける。
「お前が持つ力はチートでもなければ、便利な能力でも何でもない。でもな、無力で中途半端なお前が、お前だけが“あの子”を救ってやれる。」
腕はすでに消えたのか、ローブにあるはずの膨らみは無い。
「“あの子”って誰だよ。」
「もうじき、会える。リアルな話、死ぬほど美人だぜ。」
紙が、燃え尽きるように存在が急速に速度を上げ、失われてゆく。
「心を、意思を強く持て。どんなに絶望的でもお前だけは諦めるな。」
「可能性を信じろ。そうすれば何度でも“詰み直せる”。」
トン、と失われたはずの拳でレイの左胸が押される。
「積み直せる?」
自分自身の知ってるものと、少しニュアンスが違う気がして聞き返すが、返答は無い。
その代わりのように“何か”が拳を伝って体に入り込んでくる。
例えるならば、真っ新な水の中に落とされた黒い絵の具。
しかし、それは“落とされた”のみ。
周りの水はそれを毛嫌いするかのように絵の具を拒否するが、
真っ新な水に混ざりたい、と渇望する絵の具は真水の底で存在を強く主張する。
その感覚に、自分の左胸とアメミヤ レイの顔を交互に見やる。
燃え尽きる紙が放つ、細く空に伸びる煙。
レイは目の前の消えゆく自分にそんな印象を抱いた。
「次、託したぜ。俺。」
全てが失われる刹那。最後に、にかっと口を開いて笑った。
「訳、わかんねえ。」
返事の代わりと言わんばかりに、中身を失ったローブがはらりと椅子に落ちた。
それは、アメミヤ レイの存在が消え去った証明であり、事実だった。
:一人目:
・“あの子”に会いに行く。
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
ご指摘があれば、教えてくれると嬉しいです。