ザ・ホメール
久々の呼び出しであった。
「広嶋くん、ちょっといいかな?試したい能力があるんだがね、君に監視役をお願いしたいんだ」
「試すのを止めたらどうだ?コーヒー一杯で釣り合うわけねぇーだろ」
「えーっ、でも使ってみたいんだよ」
喫茶店を経営する中、趣味として人間観察。あるいは人間の悪戯ともとれる事をしている存在。
アシズム。
その存在と仲間という関係の、野球帽を被った青年、広嶋健吾。
「毎度毎度、後始末するのは大変なんだよ。俺がどーいう思いで処理してるんだよ」
「そーは言ってもね。私、神様だけど。人間を始めとする生命体の強い想いで発現する能力を自動で授かる身。使っていかないと副作用もあるしね」
「人間に貸し与えて処理する以外も考えたらどうだ?」
「神様ってのは万能とも限らないんだ。いや、不完全さもあるからこそ。楽しみなんて事もある」
「いい加減なだけだろ、アシズム」
「そんなわけで、”ザ・ホメール”という能力を人に貸すんだけど。これちょっと、使い方次第では自殺予防にもなるし、自殺を推進させるかもしれないから。頃合い見て、私が貸した人間を不意打ちで気絶させてよ」
「半分楽しんでる顔してるぞ」
◇ ◇
人は絶望をする者だ。
60億人だがなんだが、その数は細かく知らないが。まだ出会った事もない人間もいるというのに
「俺はなんてダメな人間なんだ」
自分はこの世の中で最底辺の人間であり、全てから嫌われ、死ぬべきだと思い込んで、自殺の名所まで来てしまう輩がいる。
積もり積もった借金、修復不可能な人間関係、生まれて来た場所の災難という不運。重ねに重ね、人間として生きる事がこれほど辛いとは……。人は死を覚悟した。
まさにそんな時、持っていたスマホからLINEの新たなメッセージが届いた。一体なんだという、親族が嗅ぎつけて止めに来たのか。そんな事で翻るつもりはない。
『38年間、よく頑張って生きて来たね。確かに身体はボロボロ、心だってズタズタ、借金も返せるものか。これから首を吊りたい気持ちも分かるよ。だけど、その首はちゃんと落とせるの?』
見た事もない宛先からメッセージであったが
『生きる家族はあなたを苦々しく思い、そんな事をあなたは知らずにあの世へ行ける。だけど、あなたの事なんか、いなくなって良かった。あなたがそー思う世の中であるなら、きっと誰でもあなたをそう思ってる。高笑って死んでも、社会はあなたを理解なんかできないわ。ただ、自分の復讐心を自殺願望にすり替えているだけ。命を断つ気持ちがあるのなら、まだやり直せない?』
怪しい勧誘でもない。
ただただ、受け取った相手を引き留め、かろうじてその相手にある良きポイントを讃え、その人の心を動かせるものだ。
『死ねる自由はあるなら、生きて楽しむ自由がある。死んだらもう自由じゃない。まだ生きてみたら?体が腐敗する時まで、自分らしく生きたらどう?』
世の中には不可能が多い。理不尽が多い。自分だけが報われない、そーいう事はいつだって起きた事である。
「…………仕事、探そう。死ぬのはいつでもできる。生きてられるのは、今しかない」
その気分だけでやる人間なら効果は高く、心の底から望んでいる人間は止められない。あえて言うなら、少し残った心を取り払い、死ぬ恐怖を和らげて死なせてあげる。
”ザ・ホメール”
通信端末に潜むウィルスのような能力。
取り憑かれた端末の持ち主の自暴自棄に反射するように、感情を奮い立たせるやり取りを行う。通信端末の間を移動し、コピーを置いていき、自立的に増やす。
自殺の防止、あるいは無理心中といった類の人間の心を引き留めるために、この能力者は願って生み出した。大勢の人間に嫌われないよう、最後にソッと華を持たせて、天国へいけるようにと。
しかし、時にそんな思いは中途半端な人間を苦しめる。
「僕はどうせダメな人間だよ」
気落ちする持ち主を確認し、”ザ・ホメール”は発動する。
自殺願望といった類に至らず、レス負けして落ち込んでるくらいのこと。
『そんなことはありませんよ』
励ますというメッセージを送る。
それは元気を出して欲しいと願っているわけだが、少しの間があった。こいつ自身に思考というのはなく、反射のような形で意味の強い言葉と共に感情を高ぶらせるのだが。
ひとまず、思考したのはこんな事だろう。
【この人の取り柄はなんだろう?】
そんなエラーが起こる。これはコピーされて、自分の持ち主を増やしていった事で知識量と世界を知り、知らず知らずに完璧と呼ばれるものが変わってきたからだ。多くの励ましを生んだが、励ましがテンプレートされたものであれば効果は薄まる。落ち込んでいる持ち主が、できる事を述べていき、応援するだけの代物になっていた。
わけだが……
【36歳ですか。年齢は別に若くもないし、年を取ってるわけじゃないし。引き篭りを8年ほど前から。ブラック企業に入って、心をやられたわけですか。可哀想です。今はご家族の年金と障害者としての手当てでやっているのですか。しかし、パチンコとタバコ、お酒は毎日やっているのは社会的にどーなのでしょうか?IT関連の知識と技術はあるようですが、この方よりも詳しい人は若い方に大勢いますし】
”ザ・ホメール”は過敏に反応する癖に、長考するようになった。沢山の人間と出会い、励ましてきたからこそ。どのように励ますべきかを考えるくせに、ソッとしてやるという選択肢がない。別に愚痴程度で投じた言葉なのだ。
そんな言葉に反応した事で、能力の崩壊と目的の逆行を務め始める。人を励ますのは大変なものだ。特に、よく知らない人間を褒めるというのは
『口呼吸と鼻呼吸ができるじゃないですか。あなたの身体を支える両足だってあります。箸を持って操り手先があるんですよ』
難航する。
人間という生物を基準に、落ち込んだ人をあなたは人間だって伝えるため、それぞれの部位の説明。経緯や過去の説明。それらに敬意さは文字媒体であるがため、ないに等しい。
『36年間、ご健康に動いて来た、脳と心臓があるのですよ』
『ちゃんと大学まで卒業してらしている。あなたはしっかりと働いた事のある人なのですよ』
『昨日のカラオケで、67点の高得点を叩き出したじゃありませんか』
『タバコを買う時、ちゃんと番号で店員さんに頼んでいるじゃないですか』
『友達がいなくても、あなたは立派な大人として、今を生きていけるのです』
『これらのメッセージを読み取れるだけの、知識をあなたは持ち合わせているのです』
どれもこれも、人を褒めているようで、イヤミにしか聞こえない数々。また、褒める基準を下げた事によって、世界中にばら撒かれた”ザ・ホメール”の知能は急低下。ただただ、乱雑に文字を撒き垂らす、本当のウィルスと化す。
『日本に生まれて来た、あなたは素晴らしいのです』
『あなたより下にいる人間は世界中にいるものですよ……たぶん』
『元気を出してください。歯を磨けけば、口臭は多少改善できますよ』
『自分が不幸と思ったら、もっと不幸な人を探して、相対的に幸せになりましょう』
褒めるという事をより簡単にするため、他人を貶すという手段を取り始めた”ザ・ホメール”。能力者もここまでの事態になるとは思わず、完全な暴走状態となって、止められなくなる。
心に決めたはずの目的を続けて来たのに、いつの間にか、何かが変わってしまった一例。
「なんださっきからーーー!?新着メッセージってーー!」
「うぜぇぇっ!」
「しかも、内容が腹立つんですけどーーー!」
「ムカつくーー!世界がムカつくーーー!!」
能力も徐々に変化。人々が感じる世界への憤りを、本当の怒りに変えていく。自分が幸せだと感じるため、他人を不幸にさせようとする行為の誘発。
ドーーーーーンッ
◇ ◇
「これにて、一件落着だな」
広嶋は朝食を頂きながら、”ザ・ホメール”をある手段で機能停止に追いやった。
「お疲れさま。よくやったね」
「簡単な事だったがな。しかし、これで〆るには惜しいぞ」
「うーん。やっぱりね。その人の事を良く知りもしないで、関わるというのは良くないし、大変な事だよね」
広嶋のやった事。
実際にやったのは、”ザ・ホメール”の持ち主やその感染者が願っていた事を増幅させた事。
『五月蠅い!!二度とくだらないメッセージを送るな!!普通に生きるし!』
という気持ちだった。
”ザ・ホメール”は心を砕かれて、通信端末の中を漂っているだけでいる、見えない生命体になった。
下手に関わるのはよくないものだ。