春の海に消えないで
砂浜に降り立った途端浜の匂いに包まれる。砂と海とが混じり合ったこの匂いは、街まで香るそれの匂いよりも鮮明で、眉をひそめる不快さはない。僕は息を大きく吸い込まずにはいられなかった。
凪いだ海。打ち寄せる波もつつましげだ。
どうやら今日は引き潮のようだった。普段は見えない底までもが見える。そこらの岩にこびりつく貝や海藻の類を見れば元の水位が計り知れた。
君はこんなに潮が引いているのは見た事がないとはしゃぐ。
都会では桜隠しなどと騒いでいる。
こちらはまだ桜すら咲いていない。ただ朝方、雪が降り消えるのみで、こたつもストーブも手放せやしない。
では何故海に来ているのか。
なんとなく、気分が向いたからだ。
春の海は寒い。4月も後半に差し掛かる頃であるのに手がかじかむ。
歩けば足元の石達がジャリともキュイともつかない悲鳴をあげる。
「春と言われて何色を連想する?」
「青」
「ピンクじゃないんだ」
「そうだよ。冬はずっと曇ってるからね。晴天こそ春のサインかなって」
君はいつも上を向いているのだろう。だからそんな答えが出てくるんだ。僕は少し悲しくなる。
気づけば君は靴なんて気にせずに冷たい海水に足を晒している。
「ね、踊ろ」
「いいよ」
波打ち際、手を取り君と踊る。ルールなど何もない。ステップもあやふやに、リズムもおぼろげに。
濡れた靴底、ズボンの先。後先を考えてはいけない。
「雪、降ってこないかなぁ」
名残惜しそうに空を見上げる君を見て決意した。
びり、びり、びり。
僕は恋文を全て破いて両手いっぱいに収める。
そしてそれを勢い良く天高くぶちまけた。
「わ、雪だ!」
「ははは」
君が平たい雪にはしゃいで舞う。
ちらちらと回りながら落ちる中に君がいる。
きれいだなぁ、そう思う。
まるで他人事のように。
君のいた後に落ちた紙くず。
思いの断片は沈み、朽ち、跡形もなく消える。
一緒なんだ。全て、一緒なんだ。
ウミネコの鳴き声が響く。潮が満ちます帰りましょうとでも告げるように。
さあ、始まりだ。
僕はまだ濡れた靴底の事を考えていない。




