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そんな学園の日常  作者: 檜 楓呂
五月二十二日水曜日の出来事
30/31

第三章:17 ここにいたいから

 銃弾を少し受けたのか、ところどころがへこんだ理事長室の扉を開き、部屋の中に足を踏み入れた俺は、まずここの広さに驚いた。

 天井は他の所と同等の高さなのだろうが、他の広さ――横幅とか奥行とかはかなり広い。パッと見まわしただけでも、二十人ぐらいが宴会をするのに困らない程の広さはあるように見える。その広い室内の床は、ただでさえ他よりも綺麗であろう秋葉学園のそれらに、更に輪をかけたぐらいに見事なものだった。窓際を除く壁に沿っては本棚やらの高級そうな調度品が置かれている。見える範囲でのその中身は難しそうな本だったり一昔前の人気漫画だったり、思わず目を奪われる宝石のような置物だったりよく分からない三角錐の置物であったりと、とにかく一概に言って統一性がないものだった。

 それらの調度品に囲まれるように向かい合わせで置いてある黒いソファーとその間にあるテーブルの向こう側、色々と事務には関係なさげな物が煩雑に置かれた大きな机を挟んでこちらをものすごく不機嫌そうに睨みつけている、布で口を封じられたおばあさん。いや、おばあさんと言うには少し若いかもしれない。

「あれが理事長か……そう言えば初めて会った気がする」

 ……初対面が猿轡さるぐつわをされてる姿っていうのも斬新な出会いだよなぁ。

「そんな呑気な事を言ってないで、さっさとアレを外すぞ」

 薫はそう言うと、さっさと理事長の背後まで移動し、少しかがんだ。

「うーん、これはほどくのが面倒だな……。矢城、これ、千切れないか?」

「どれ?」

 俺は理事長の後ろに回り込んで、少しかがんで薫が指すものを見る。

「うわ……なんだこれ?」

「一般的な縄だろう」

「いやそれは分かるんだけど……」

 後ろ手に、縄で縛られた理事長の両手。その縛り方。解き方がまったくと言っていいほど分からない、ものすごく複雑な結び目が何個もある。

(確かに、これはほどくのに時間かかりそうだよなぁ……)

「これ、千切れないか?」

「あー、多分千切れる」

 俺もそっちの方が早いと判断して、若干遊びがあるところを両手で持って、紙を破くように引き千切る。

「…………」

「ん? どうした、さか――じゃなくて薫」

 と、さらに緩くなった部分を引き千切りにかかる俺を不思議そうに見ている薫に気付いた。

「いや……」

 薫は何か少し考えるような間を置いた後、

「てっきり、縄を燃やすものだと思って……」

「は?」

「いや、さっき、電灯燃やしてたろう?」

「ああ……」

 そういえば見てたんだっけ。俺と御更木のやり取りと、俺の黒歴史……。

「いやああいう力は、基本使わないんだ」

「何故だ?」

「だから、この状態の時は手加減をするようにしてるし、そもそもああいうの使うの苦手なんだよ」

「ほお。それでも使ったという事は、あいつはそれなりに手強い相手だったという事か」

「うーん、まぁ……」

 持ってるものが反則だったりしたけど、それ以上に色んな意味でバカだったしなぁ、あの人。

「っと、これで全部ほどけるかな」

 微妙に返しづらい話題になったので、話をそらす。

「そうだな、これならもう両手は動くだろう」

 薫はそれ以上は特に突っ込まず、立ち上がって理事長の口を封じていた布を取った。

「ふはぁ……」

 理事長は手と口を開放されると、一つ大きく息を吐き、手首をプラプラとほぐし始めた。

「これで、救出完了……か?」

「そうだな、当初の目的は果たしたし、後は私が廊下でノビてるあいつを持って帰れば万事オーケーだろう」

(ようやくこの騒動も終わりか……)

「はー、苦しかった。まったく、なんだったんだあの男は……」

 そう思ってホッとしている俺のすぐ近くで、手首をほぐし終わったのか、今度は伸びをしてそう呟く理事長。……なんか、失礼だろうけど、見た目より随分若い口調だな……。

「いやーありがとうねぇ、君たち……えーと、二―Cの坂上薫さんと矢城功司君」

 そんな感想を抱いていると、理事長から穏やかな表情を向けられ、話しかけられた。

 ていうか、今すごく普通に言ってたけど……

「……なんで俺の名前を?」

「うーん? 自分の管轄にいる人間の顔と名前を覚えるのは当然の事じゃないかな?」

 思わず疑問をぶつけてしまった俺に、当たり前のようにそう言う理事長。

「管轄って……一口にそう言っても、実際に五、六百人の人間が少なくともいるんですよ?」

「そうかい? 昔――まだ私が現役だった頃は、何百といるお得意様の名前はもとより、趣味やら何やらまで完璧に頭に入れていたもんだよ? それに比べれば生徒の顔と名前の五百や六百なんて、軽い軽い」

「…………」

 その言葉に、唖然とする俺。やっぱり、超一流企業の総帥ともなると、それくらいは常識なんだろうか。

「いやぁ、常識って言うか、トップに立つ者としての責務でもあると思うけどねぇ」

 そんな疑問が顔に出ていたのか、優しそうな笑顔と共にそう諭すように言ってくる理事長。そこに、何か貫禄のようなものを感じた。

「ところで……」理事長は俺と薫の顔を交互に見る。「今日のこの騒ぎは、一体なんだったんだい?」

「あー、それはですね……」

「それは私の方から説明しよう」

 口ごもった俺の代わりに薫が前に出て、今日のこの騒動についての説明を始める。発端からついさっきの俺と御更木の戦いまで、ところどころ(主に坂上がからかわれている辺り)を端折り、俺の秘密の事は、俺の確認を取ってから、オブラートに包んで話した。

 理事長はその坂上からの話を終始穏やかな表情を崩さずに聞いていた。そして聞き終えると、

「君たちもなかなか大変な人生を歩んでるんだねぇ……」

 そう感慨深げに呟いた。そしてその言葉に拍子抜けした俺。

「え? あの、感想それだけですか?」

「ん〜? 他に何か思う事ある?」

「いや、自分とその孫が危険な目に遭いかけたんですよ?」

「あーそのこと。ん〜、梢も助け出してくれたんだろう?」

「え、ええ、まぁ……」

「それなら何も気にする事はないじゃないか。それにこんな事を仕掛けてくる所なんて高が知れてるし、大体の見当はつけてあるんだ。それに――」理事長はそこまで言うと、今までの柔和な表情を崩し、こちらがうすら寒くなるほどの笑みを浮かべる。「――大丈夫。私の孫を危ない目に遭わせようとした事は、きっちりと、三倍返しくらいで思い知らせてあげるし」

 そして暗い笑い声を上げ始めた理事長に、正直俺はかなりビビった。しかし隣に立っている薫は全然平気そうだし、それを知られることはなんとなく恥ずかしいと思ったので、どうにか平静を装う。

「理事長。それはつまり、今回のこの件についての私と矢城の処遇は不問とする、という認識でいいのか?」

 薫がそう言うと、理事長はまた穏やかな表情に戻った。

「ええ、不問にしますとも。というよりも、こちらが礼を言うべきでもあるんだよ。ありがとう、梢を助けてくれて」

「あー、理事長。ちょっといいですか?」

「なんだい?」

「いや……今回の件を不問にする、と言いましても……その、あの扉の向こう側にはけっこうな惨状が広がっているんですが……。具体的に言うと電灯が一箇所、多分配線からイカレちゃったのと、トイレの扉が取り外されてボコボコになってるのと、所々銃弾が跳ねた跡が残ってるのと、消火器が一個ダメになっているんですが……。さらに、それの大半は俺がやっちゃった事なんですが……」

 これ、立派な公共物破損だよね……。

「その惨状は、あの私を縛った男と闘ってできたものなんでしょう?」

「え、ええ、まぁ……ちょっと勝つためにやむを得なかったというか、なんというか……」

 ああ、こればっかりは怒られて弁償ものだろうなぁ……。やっぱこの状態になると絶対に金銭問題に発展するよなぁ……。

「えーと、そういう訳で、その……すみませ――」

「あっはっはっは! いいじゃない、そういうの!」

「――え?」

 とりあえず謝ってしかるべき処分を受けようとした俺の声を遮る、理事長の笑い声。

「うん、すごく面白い! そんな漫画的なバトルが私の学園で行われてたなんて……考えただけでもワクワクする!」

「え、えぇ? あの、弁償とかは――」

「あっはっはっは、いらないいらない! やっぱり男の子はそのくらいの元気がなくちゃー!」

「…………」

 理事長はなんだかものすごく上機嫌だ。ていうか本当にいいのか!?

「うんうん、桐垣君には毎度イベントの時には楽しませてもらっていたけど、今度は君と桐垣君が組むのかぁ!」

「いや、組みませんから」

 多分一方的に巻き込まれたりするんだろうけど……。

「ははは、いいじゃない、楽しみなさいな! ただ一度の高校生活、楽しんだものの勝ちだよ!」

 理事長は上機嫌に笑ったまま、そう言って俺の背中をバシバシ叩く。

(……なんというか)

 ものすごく豪放な人だったんだなぁ、理事長って……。

「はは、良かったじゃないか矢城。好きな人を救えて、隠し事はなくなって、この学園にいられるようになって」

「…………」

 確かに万事めでたしめでたし、なのだが……本当に俺はこの学園にいていいのだろうか?

 またいつか、今日みたいな出来事があった時に、今度は誰か大切な人を傷つけてしまうかもしれない。

 そしてみんなに嫌われてしまうかもしれない。

 今でも脳裏にこびりついている、あの事件で俺に向けられた東の目。何か怖いものを見るような、得体のしれないものを見るような視線。

 もしもまた、あんな目をみんなから向けられる時がくるとしたら――

(それに……)

 廊下の惨状。本来なら停学、悪ければ退学にもなるであろう行いだろう。

「なにやら浮かない顔だね。何をそんなに悩んでいるんだい?」

 そんな考えが顔に出ていたのか、理事長が先ほどの上機嫌な様子は見せずに、心配そうに尋ねてくる。

「……いえ、別に」

「ふむ……。大体何を悩んでいるかは分かるけど、それはそんなに悩む事なのかい?」

「…………」

 そりゃ、悩むだろう。だって、俺のせいで友達にまで迷惑がかかるかもしれないんだぞ?

「別に、それでもいいんじゃないか?」

「え……?」

 薫がなんでもないように言った言葉に、俺は間抜けた声を出してしまった。

「別に、友達にならそんな迷惑はかけたっていいんじゃないか? それに、少なくとも私はそれを迷惑だと思わないと思うぞ?」

「い、いやでも、もしかしたら次にこの状態になった時には平静を保ってられないかもしれないんだぞ? 今日以上の厄介事を起こすかもしれないんだぞ?」

「今日の厄介事の発端は私で、君はそれに巻き込まれただけだと思うが」

「そ、そうかもしれないけど……廊下を壊したりしたのは俺だし……」

「だから、その発端はすべて私だろう。それに君は、人間に対して力を振るう時、神経質すぎるほどに気を付けていたじゃないか」

「…………」

 ……当たり前だ。多分、全力で人間を殴ったら、その人は――

「手加減に手加減を重ねるように、ずっと気を遣っていたんだろう? 相手の事を思いやってたんだろう? ふっ、いいじゃないか。そんな、人に気を遣いすぎる友達にかけられる迷惑っていうのも」

「……そんな風に、人に気を遣うって言うけど……」

 本当は、問題を起こしてここを離れるのが嫌なだけ。両親に、また迷惑をかけるのが嫌なだけ。

「それは君の思惑だろう。私は勝手に、矢城功司は人に気を遣いすぎる人間、と思っておく」

「まぁ、そういう事だよ」

 そこで、俺と薫のやり取りを黙って見ていた理事長が喋り出す。

「つまり君は『一方的に友達に迷惑をかけるだけ』だと思っているけど、実際に友達は『そんなの迷惑の内に入らない。それよりも君といる方が楽しくていい』と思っているわけだ」

「そんなの、薫だけかもしれないし――」

「そうか? さっき、矢城の秘密がみんなに知れ渡った時の反応を見る限り、みんな大体同じような事を思うだろうけどな」

 さっきの、みんなの反応。普通なら気味悪がったりするかもしれないのに、何にも変わらずに、むしろそんな事を気にしていた俺がバカに思えるくらいにいつも通りなやり取りをした。

(そういえば、その時思ったな……。あいつら相手にシリアスになるのは馬鹿げてるって)

「そう、かな……そうかもな」

「そうだぞ、まったく。君は本当に思い込みが激しいな」

「……うっさい。16年間培われてきた性格なんだ」

「くすっ……」

 そのやり取りを見ていた理事長が不意に笑いだした。

「いやぁ、若いっていいねぇ……私も昔を思い出したよ。うーん、あの頃は梢みたいに外見がちっちゃくて、よくからかわれ――」と、そこでなぜか理事長の言葉が止まる。「――そういえば、矢城君」

 そして俺に向けられる笑顔。おかしい。柔らかい笑顔のはずなのに、なんだか寒気がして……

「梢に、何かした?」

「は、はい?」

 来宮さんに、何かしたって?

「いやぁねぇ、なんだか、梢が最近、よく君の話をするから。しかもその事を梢に聞くと、何故か、真っ赤になって話を逸らそうとするんだけど……何で?」

 笑顔の迫力が上がった……ような気がする。

「え、え? 俺に聞かれても……えっと、来宮さんとした事は……」確か、初めて会ったのが倉庫で、そこでとりとめのない会話して、ロッカーに閉じこも――「……あ」

「なに? 今の『……あ』ってなに? なにしたの、私の愛しい梢に? さぁ怒らないから素直に白状してみなさい? 早く自白すれば罪も軽くなるよ?」

 え? あれ? なんか罪になること前提で話が進んでませんか……?

「言わないのかい? はっ……まさか言えないような事をしたんだね? どこか暗い所に閉じ込めて洗脳したんだね?」

「あ、いや――」

 あながち外れていないだけにはっきりと否定ができない。いや閉じ込めようとしたんじゃなくて、あれは不可抗力で一緒に入っただけだヨ?

「ああ、可哀想な梢……嫁入り前の体なのに穢されて……。いつも護身用に持たせてる武器も、きっと相手が可哀想だから使えなかったのね……」

 ……ポケットから出てたアレ、マジでナイフの柄だったのか……。

「だ、だから違――」

「なに!? それじゃあ同意の上でしたの!?」

「違いますから! そもそも前提が違います! なんで俺が来宮さんになにかした事前提で話が進んでんですか!?」

「だってあんなに可愛い梢の事だもの、きっと色んな男に言い寄られて……」

 そうして脈絡もなく始まった理事長による孫自慢。延々と朗々と、淀みなく語られる、来宮さんのいいとこ可愛いとこ。

(……この人も……東家印の親父殿と同類か……)

 という事は、来宮さん、悪い虫がよらないようにこのおばあさまに過保護られてたんだろうなぁ……。

(だからあんなに初々しい反応したのか? あの時……)

 来宮さんの、小さいくせにしっかりと凹凸があった体の感触を思い出すという変態行為に及んでいると――

「あっ……」

 ――不意に、視界が歪みだした。

(あー、まずい……倒れる)

 ぐにゃぐにゃと、天井と床と壁が混ざり合っては溶け合わず、まるでマーブル模様のような世界が俺を包み込んだ。

 地に足がついているのに感じる浮遊感。頭がめちゃくちゃ重くて、喉が乾いて、足に力が入らなくて。

「ど―した? ―城―」

「か――ろ悪――? だ―丈夫?」

 薫と理事長の声も、どこか遠い。

(多分、力使いすぎて……気を失うっぽい……)

 声に出したが、本当に出ていたかは分からない。

 その辺りで、マーブル模様の世界に、黒い光がポツポツと浮き出てきた。

 眩しい。

 そう思って目を閉じたけど、その光は容赦なく俺の視界に映っては消えていく。

(あー……ここらが限界かなぁ……)

 頭の中が掻き回されたような感じがするけど、意外と冷静に自分を見ていられた。

(まぁ……来宮さんも、理事長も、東の事も救えたし……)

 万事オーケー。もう倒れても大丈夫だろう。

 そう思った俺は、ゆっくりとその世界に身を委ねた。


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