第一章:3 学園案内
我が学びの園、秋葉学園は先述の通り、ある程度な都会に建ってるくせにやけに敷地面積が広い。あの某ドーム球場一.三個分相当のグラウンドもそうだが、校舎自体もけっこう大きい。しかも生徒の教室がある棟、職員室や購買、食堂や保健室がある棟、音楽室や実験室がある棟と、三つの棟に分かれていて、各棟間の移動は渡り廊下を利用して行うことになる(ちなみに各棟の名称は、生徒棟、管理棟、特別棟)。この学園の主な三棟は、上空から見ると凹に近い形をしている。
「まぁ一応この三つの棟に囲まれた中庭を通って移動できなくはないんだけど……」
「なにか不都合でもあるの?」
「ああ、まぁ……よく分からんものが……」
なんでか知らないが、中庭となるおよそ二十メートル四方の空間には迷路が作ってある。迷路の壁は、背の高い木(?)が担っていて、その構造はかなり複雑。ナメてかかるとプチ遭難する。それ故ついた俗称が『箱庭』になるほどだ。この箱庭を解明しようと尽力する人もいたが、結局解明はされていない。ただ一つ分かったことは、なんでも入る度に道が変わるそうだ。
「……そっちの方が時間かかるね……」
「ああ。そういう訳でこの箱庭を通路として使う奴は少ない」
桐垣は好んで使うけど。
「なんでそんな物が学園にあるの?」
「……七不思議の一つだと思っといた方が精神衛生上いいと思うぞ」
その曰く付きの箱庭は置いておいて、他の説明に入ろう。
この学園には、体育館は当然の事、この体育館とグラウンドの中点位のところに部室棟という物がある。この部室棟もなかなか大きく、各運動部やよく分からない同好会の部室として使われている。
「まぁとりあえずはこんなもんだ」
東に学園全体の簡単な説明をして、その説明した内の生徒棟、特別棟を案内し終わったところで俺は一息ついた。
「ねぇ」
「ん?」
「何で生徒棟じゃなくて特別棟から案内したの?」
あぁそれか。確かに生徒の各教室がある生徒棟から説明した方が効率が良かったな。だけどな、
「あの状態であそこにお前といると、俺の明日が危ないからだ」
「?」
簡潔に説明したが、東はあまり理解していないようだ。まったく……もしも桐垣にこの状況を見られでもしてみろ。俺の平穏なる学園生活がなくなるぞ。いや、既に危ないが。
「ていうかお前も転校して来てあまり経ってない俺じゃなくて他の奴――例えば天笠さん辺りにでも頼めよ」
「あれ? 功司君も転校して来たの?」
「…………」
そういや言ってなかったっけ。そんな暇もなかったしな。
「それより、天笠さんって、誰?」
ん? 何だか笑顔の東から微かな何かが……。何だこの感じは……?
「誰?」
東から放たれる謎めいた気に首を傾げながらも、質問に答えることにする。
「俺の前のクラスの委員長」
「どんな人?」
「あぁ、えーと……髪がほんの少し紫っぽくて腰までとはいかないけど背中の真ん中位まであって、そんでちょっとお節介。んで……良く分からないところとかあるけど、まぁ中々いい人だよ」
俺の返答に、東思考中。恐らくはそういった人物がクラスにいたかどうかを思い出しているのだろう。
「……ああ。あの人ね。確かに案内してあげるって言われたけど……功司君に頼んだからって悪いけど断ったの」
そう言って微笑む東。さっきはなんか様子がおかしいように見えたけど……気のせい、か。
「別に俺の事なんか気にしないでいいのに」
「だって……」
「ん?」
東が何かを呟いた気がした。が、良く聞こえなかった。まぁいいか。
「さて、さっさと次行くか」
俺は東を率いて管理棟へと向かった。
管理棟には、生徒棟の西の端から繋がっている渡り廊下から向かう。途中に箱庭を通ってみるかと東を誘ってみたが固辞されてしまった。
「一階が広大な食堂&購買。購買の焼きそばパンは人気があるから気を付けろよ」
何か質問は? と東に尋ねて、特にないようだったので二階へあがった。
「んで、二階は少々広大な職員室と生徒会室」
更に三階へ。
「三階は保険室とAVホール」
「普通保険室って一階とか低い階にあるんじゃ……」
「そういう質問はこの学園の理事長にしてくれ」
そう説明して保険室の前を通り過ぎようとした時、不意に世界が傾いた。
「うわっ」
どうやら俺の体は斜め左後方に力を掛けられたようで、そちらの方向へと引っ張られてしまう。バランスをとろうと、無意識に手を伸ばし、何かを掴む。
「きゃ――」
しかし掴んだものにも俺を支えるだけの力がなかったのか、そのまま斜め左後方――ドアが開きっぱなしだった保健室の中へ引きずり込まれてしまう。
――ドテッ。
俺は引っ張られるままに尻もちを着いてしまった。
――いたたた……誰だよこんな事するのは……。まったく、昼間っから男を保険室に引きずりこむ奴なんて――
「俺は一人しか知らねぇ」
そう言って振り返った俺の視界に納まっていたのは……
「こんにちわ。功ちゃん」
「やっぱりあなたですか。白井先生」
予測通り、我が秋葉学園保健医にして癒されたい時に癒して欲しい人ランキング(桐垣調べ)一位の白井 由衣先生だった。この人は俺の母さんの妹で叔母に当たる人。実年齢不詳だが見た目はかなり若い。秋葉の制服を着てても違和感無しなくらいに。性格は能天気、お茶目と、中身も結構若い。
「あぁん、もう。二人の時は由衣って呼んでって言ってるでしょ?」
それはともかく、なんでこの人はこういう誤解を招くような事を言うかな。まったく……そのせいであの時桐垣に……。
「あらあら。功ちゃんたらこんな可愛い子を保険室に連れこんじゃって〜♪」
本当にこの人は自分の立場ってものをしっかりと……って、え、なんだって?
言われてみてから初めて気付いたが、どうやら俺はとっさに東の手をとって保険室に連れこんでしまったらしい(多少語弊有り)。
「あ、い、いや、これは事故であって不可抗力な訳でして決してわざととかじゃなくて……」
「こ・う・じ・君♪」
俺の必死の弁明を遮った笑顔の東から、また例の気を感じた。先程のヤツとは比べ物にならないくらいに。ちなみに笑顔も先ほどとは比べ物にならないくらいすさまじいですよ?
「ハ、ハイなんでしょうかッ!?」
「ふふふ……だぁれ?」
そのたった二文字の言葉の中に怒りを感じたのはきっと気のせいじゃない。
「誰なの……?」
再び答えを吐かせるためのとてつもなく甘い声で言う東。
「え、と……この人は俺の叔母さんにあたる人で――」
「まぁ、功ちゃんたら酷い……男子生徒が夢中になっちゃう麗しきお姉さんに向かっておばさんだなんて」
よよよ、泣き真似をして白いハンカチ口元に当てているを白井先生を、俺は目だけでを制した。質問からして東が何に対して怒っているかはよく分からないが、ここは大人しくした方がいいと俺のシックスセンスが叫んでいるからだ。
「だぁれ……?」
再三そう促す東からダークサイドが広がっていくのを感じる。非常に危険だ、俺の生命。
「さ、先程言った通りこの人叔母――つまりはうちの母親の妹な訳でして、特にやましい事とかはない……のですよ?」
焦りのあまり、ついおかしい日本語になってしまう。
「本当に?」
「本当に……ですよ?」
「そう……」
東から感じた妙な殺気じみたものが、段々と小さくなっていく。とりあえずはおさまったようだ。
「初めまして。東 浬亜といいます」
元に戻った東は、そういって白井先生に頭を下げた。
「あ、どうも初めまして。功ちゃんのお母さんの妹の白井由衣です」
叔母っていいなよ、という言葉はもう言わない。会う人会う人にこう言うから、ツッコむのにも疲れたからである。そんなに叔母さんって言われるのが嫌なのかねぇ……。
「あの……失礼ですけど……お幾つですか?」
絶対聞くだろうと思っていた質問がやっぱり発せられた。そりゃそうだよな。俺の母といい、白井先生といい、若いを通り越してもはや幼いだもんなぁ。
「二十七よ♪」
その質問に、人差し指を立てて、笑顔のままでそう答える白井先生。これも会う人会う人の聞く事に返す答えだ。
「確か四年前に聞いた時もそうだったような……」
と、事実を思わず本当に小さな声で呟いた。蚊の鳴く位での声だったはずだ。
「こ・う・ちゃん♪」
しかし聞こえていたらしい白井先生は、相変わらずの笑顔で俺の肩に手を置く。……その笑顔の裏に何かとてもヤバいモノを見たような気がする。
「世の中にはぁ……」飽くまで笑顔の白井先生。その微笑みが怖い。「知らない方が良いことも、あるのよ〜」
……確かに、このままだと俺がこの後どうなるか知らない方がいい気がするというか知りたくない。
というわけで、
「失礼しました!!」
東の手をとって戦略的撤退。
「え、ちょっ、功司君!?」
東はかなり慌てていたが、俺の命の為についてきてもらった。というか有無を言わさず連れだした。本日二回目。命の危機は本日一回目……いや、二回目か?
命からがら保険室から脱出した俺は、ほっと胸を撫で降ろした。
「ふぅ……危なかった……」
主に俺の生命が色んな意味で。
「悪いな、東。無理矢理連れだしちゃっ……て?」
何故だろうか、うつ向いた東の顔が赤い。まるで夕陽を浴びているトマトの様に。
疑問に思った俺は東の視線を辿ってみる。
「あ……」
そこで、東の手をこれでもかってくらいに握っているのに気付いた。そんなに必死だったのか俺は……。いや、今はそれよりも僅かでも弁明を試みてこのエマージェンシーな状態をどうにかしなければ!
「あ……と……いや……これもなんというか事故……みたいなものでして……えっと……その……ごめん!」
俺は慌てて手を離した。
「う、ううん。いいの。私も……その……」
更に下を向いて、更に顔を赤くさせモゴモゴと呟く東。
――――――何だその生々しい反応は。そういう恥じらい反応をされると、なんというか気まずい。寧ろはっきりとけなしてくれ。あっ、勿論変な意味じゃないぞ。ただその方が後腐れがないからであってだな……。
俺の心の弁明はさておき、この後はなんか……本当に気まずかった。俺のそっけない案内にただ頷く東、黙ったままでお互いをなるべく見ないように歩く……などの状況が暫く続いたのだ。しかし、それも校庭や体育館等を案内しているうちになくなっていき、校門を出るときには二人はすっかり……とは言わないかもしれないけど元通りの状態になっていた。
「まぁ学園の案内はこんなもんだ」
一通り簡単な説明を終えた俺は、校門でそう言った。辺りは昼過ぎの穏やかな陽光に包まれ、暖かな風が時折桜の木々を揺らす。
「うん。ありがとね、功司君」
校門から桜並木に歩きだしながら、東はそう言って笑った。
「別に大した事じゃないさ」
本当に大した事じゃないよな。
「ところで、さ。お前の家ってどっち方面?」
桜の木々が見上げる空を狭めている並木道で、何となく尋ねた。別にやましい気持ちで尋ねたんじゃないぞ。本当に本当だぞ。
「ん〜と……あっち」
指した方向は住宅街の方。
「方向は一緒だな。なんなら途中まで一緒に帰るか?」
「うん」
東は特に迷うでもなくそう言った。朝とは違い急いでないので、今度はゆっくりと桜を眺めながら歩いた。
こんなところを桐垣に見られたら俺の明日はどうなるんだろう……。
そんな事を考え、東と他愛のない話をしながら歩いていると、すぐに住宅街に差し掛かった。
「っと、この辺でお別れだな」
その言葉に、キョトンとした感じの表情で東はこう尋ねてきた。
「え? 功司君の家ってこの辺なの?」
「いや、もっと遠い」
こんだけ学園の近くに家があれば苦労しないって。今日だってあんな醜態を晒して恥かく事も……。
「じゃあなんで?」
「お前ん家ってこの辺じゃないの?」
学園の正門方面の人は、大抵この住宅街に家がある。もしくは電車通学で駅に向かう人。だから、正門方面で家が遠い人はあまりいない。というわけでそう思ったのだが……。まぁ俺はそのあまりいない内の一人なんだけど。
「私ももっと遠いよ」
どうやらここにも、もう一人あまりいない奴がいたらしい。
「まぁいいや。ならさっさと帰ろうぜ。腹へってきたし」
「そうだね」
俺達はまた並んで歩きだした。
んで、十五分くらい歩き続けたわけだが……
「なぁ、俺、家……着いちゃったんだけど」
俺の目の前には、少し慣れてきた自宅があった。
「…………」
東はなにやら驚いた顔をして一時停止している。
「どうかしたか? 誰かに一時停止のボタンでもおされたか? ならいかんな。直ぐ様再生ボタンを押さないと」
えっ? 再生ボタンの位置? おいおい、俺にそんなことを言わすなよ〜。
「功司君の家って……ここ?」
スルー。流された。見事に。くそっ、俺のボケを流すとは……。中々やりおるな。……というかなんか寂しい。
「そうだけど……」
寂しくなりながらもそう答えた俺の言葉に、更に驚く東。
「私の家……こっち……」
驚いている東が指さしたのは、最近できたばかりの俺の家の向かいの家。表札を見てみると、確かに『東』と書かれている。
「…………」
「…………」
お互い黙る俺と東。
なんというか……家、近っ。




