第三章:15 対峙
この棟の四階は、フロアの大半を理事長室が占めていて、理事長室以外に部屋がないせいか廊下も他の階と比べると少し広めに作ってある。この理事長室に普段用がある事なんて滅多になく、この階に来ること自体が少ないため、少し広いこの廊下が少し不思議なものに見えた。
「んで、その中央におわしますのが……」
その中央に、理事長室の扉からも少し離れたところに立っている一人の男の姿があった。
体格も良く、健康そうに少し日焼けした浅黒い肌。着ているなんでもない服の所々は、筋肉によって少し盛り上がっている。それらは、こちらを見つめている男の渋い顔によく合っているような印象を俺に受けさせた。
「ああ。『何でも屋』さんのリーダー、御更木 佑だ」
廊下の中央で立っている男――御更木は、そう言った坂上に目をやる。
「薫」
発せられた声は、先ほどトランシーバー越しに聞いた声と同じく渋いもので、外見や雰囲気と合わせると、まさにハードボイルドといったような感じがした。
(……ロリコンなんて感じ、全然しないけどなぁ……)
思わずそんな場違いな事を考える俺がいた。
「なんだ、リーダー?」
「……何故、俺に歯向かう」
俺の前に歩み出て、御更木と正対した坂上にそう問いかける御更木。
「裏切った理由か? ふん、そんなの決まっているだろう」
坂上はそう言うと、俺の方を向き、俺の目の前まで来て、俺の首に腕を巻きつけてきて、まるで俺に寄りかかるようにして――
「こいつと駆け落ちするからだ」
「はぁ!? なに言ってんだ、坂が――」
「薫。そう呼べといつも言っているだろう?」
いや今はじめて聞いたからそんな言葉。ていうか何? 何がしたいのこの子?
「……貴様」
と、今まで坂上の事を見ていた御更木が俺に話しかけてくる。
「ああ? なんだよ、今お前に構ってる場合じゃ――」
「薫に何をした」
「――いや何もしてないですから。あと人の話は最後まで――」
「『何』はしてなくても『アレ』や『ソレ』はやったけどな」
「っ!!」
俺の言葉を遮って、よく分からないけどとりあえず不穏当であろう発言をする坂上。その言葉に、いささか以上の衝撃を受けたご様子の御更木佑さん。
「だからちょっと待て坂上。お前、さっきから何を言ってるんだ? あと俺の話を最後まで――」
「何って、私とお前の愛の営みについての説明をしようとしてるんだが?」
聞けよ! じゃなくて、
「いやなにを捏造してんだお前は!?」
「照れるな。なにも隠すような仲ではあるまい?」
したり顔で、わざとらしい程に俺に抱きついてくる坂上。……こいつ、絶対に楽しんでやがる……。
「いや、ていうか、それよりも……」
背を向けた坂上の向こう側、俺の真正面にいる御更木からの視線がめっちゃくちゃ痛いんですけど……なんで?
「なぁ、坂上」
小声で俺に抱きついた坂上に話しかける。
「演技だ。これは演技、だから照れるんじゃない。演技なんだからこれは」
その坂上はさらに小さな声で何やらブツブツと呟いている模様。ていうか自分が照れるんならこんな事すんなよ。
「……なんか、リーダーさんがすごい目で俺のこと睨んでんだけど」
その事にツッコミを入れるとややこしくなりそうだったので今は気にしない事にして、俺は坂上に疑問をぶつける。
「ん? あ……ああ、それはきっと奴がロリコンだからだろう」
「…………」
話が繋がってないと思うのは俺だけか?
「いやロリコンとかはここでは関係ないだろう」
「そうか? あいつはきっと自分の娘にあたるような私が、どこの馬の骨とも知れない男に抱かれてるから睨んでるんだろう?」
「…………」
あー、大体理解した。うーん、何か違うような気がずっとしてたんだよ。それも、多分、今解けた。
「なぁ坂上」
「なんだ?」
「お前さぁ……あの人に、なんか、もうこれでもか、ってぐらいに世話焼かれなかった? あとなにかと心配されまくったりとか、時にうるさく感じるくらいに」
「……よく分かったな。いや、先にロリコンという見識を与えてたんだから、それくらい分かって当然か」
「…………」
俺の推測、大当たり。
そして認定。御更木佑。東家のお父様と同類。
つまり親バカ。
「……坂上、お前ロリコンの定義、履き違えてると思うぞ」
「そんな訳ないだろう。あれだろう? そういう趣向の人間は、幼児や可愛いくて小さいものに対して愛情を抱いて、大切にしたり可愛がったりしてやるものなんだろう?」
「……いや、近いんだろうけど……多分違うぞそれ」
それくらいの愛情だったら誰でも持ってる感情だと思うぞ?
「……そうなのか?」
「多分、そう」
坂上は俺に抱きついた姿勢のままで、唖然とした表情を作った。
(坂上のロリコンの知識って、どこから仕入れたものなんだ……)
一方の俺は、そんな事を考えていた。
「じゃあ、あいつのアレは何なんだ? 私を異常に可愛がりたがるが……」
「ああ、それは――」
「いつまでその姿勢で内緒話をしている気だ、貴様らは……」
親バカだと思う、と続けようとした俺の言葉は、御更木の静かな怒りを湛えた声によって遮られる。
「……おい、あの人すごい怒ってるぞ……?」
「ああ……昔から私に言い寄ってきた男には、同じような感情を示していたよ。そして、その男共はあいつが問答無用で蹴散らしていたなぁ……。今まで私を独占したくてやっているのかと思っていたが、今聞いた話が本当なら、何のためにやっていたんだろう?」
とりあえず理解した。話を聞く限り、あの人は絶対に娘の結婚を断固認めない部類の人間だという事を。
ついでにもう一つ。今までのやり取りを振り返るに、あの人は現在怒りの限界点を今にも振り切らんばかりに怒っている事。
「言っても離れないとは、な……。いいだろう、貴様。望み通り、地獄へ叩き落としてやる……!!」
まずい。多分今すっごくまずい状況。このままでいると俺、マジで消される。
「坂上、とりあえず危ないから、保健室にでも避難しててくれ」
「ああ、言われなくてもそのつもりだ。なにせこうやって体を張ってあいつを挑発したのも、お前にあいつを向かわせるという私からのささやかな復讐だからな」
……こいつ、さっきの様々なやりとりを根に持っていやがったのか……。
「……なら、保健室で口説いたのどうだのの事は――」
「言うがな。みんなに公表するがな。もう地方ローカルで垂れ流すがな」
その上でさっきの事をみんなに、面白おかしく伝えるだと? こいつ鬼か?
「……『保健室で待ってろ』?『言われなくてもそのつもり』?『体を張って挑発』? 挙句の果てに『口説いた』?」
そして俺の前方にいる推定三十代前半のあなた。なんでそんな誤解されやすワードグランプリを開いたら予選を突破しそうな言葉のみを取り上げる?
「……く、ふふ、ふはははは……ははははは、はは、は……くくく……」
あと笑い方怖いから。そんな渋い顔と声で悪役笑いしないで。
「小僧」
御更木から発せられた言葉。低く、昏く響いたその言葉は、俺の鋭敏になった神経に危険信号を出させるには十分な威圧感があった。
「坂上、マジで危ないから避難してくれ」
まだ抱きついたままだった坂上を引っぺがし、階段の方へ行くように背中を押す。
「……本当に、本気出さないと負けるかもしんない」
「だから言っただろう? 腕は立つと。まぁ、今の君なら負けないだろう。それじゃあ、頑張って勝ってくれ」
坂上はそう言って、階段に向かって歩いていき、
「私たちの将来の為に、な」
意地悪く緩んだ頬をこちらに見せ、とどめと言わんばかりの挑発を残して去って行った。
「……勘弁しろよ……」
正直、これ以上御更木を怒らせないで欲しかった。