第三章:14 心配だから
「さて、ここまでは順調だが……」
坂上と来宮さんをおぶった俺は、なるべく人目につかない場所を選んで、どうにか学園長室のある棟の入り口まで到着した。
「ここから先はそうはいかないかもしれない」
「まぁ、職員室とか近いしなぁ」
「それだけじゃない。あの変態もこの棟にいそうだからな」
「…………」
ついに変態の一言に済まされるようになってしまったリーダーさん。……俺も将来、娘が出来たらこう言われんのかなぁ……。
「あいつは変態だが、腕の方は確かだ。銃の使い方とか、日常生活じゃあ使わない様な事とか、私は仕込まれたからな」
「ああ、だからあんなにシューティングコースターの成績良かったのか……」
「そうだ。だから、いくら人の平均を凌駕している君といえども、気をつけないとやられるかもしれない」
確かに、なんか場数とか踏んでそうだもんな。
「ああ、わかっ――」
「だから遠慮も容赦も何にもなく殴ってくれて構わない。というより、むしろ全力で殴ってやってくれ。主に頭とか」
「…………」
……どこまで嫌いなんだ、この人は、そのリーダーさんを。
「さっきから、君はどこか手加減をしているように見えるが、本当にうちのリーダーにはそんな遠慮はいらないぞ」
「……あー、悪いが、手加減するっていうところは譲れないな」
「何故だ?」
「いや、手加減しないと、多分俺……歯止めが利かなくなるというか……」
……本当は、父さんと母さんとの約束。やむを得ずその力を使う事があっても、絶対に手加減する事、というのは。
でもそれを言うのは何か……少し照れるので適当に言葉をぼかす。いやまぁ歯止めが利かなくなるってのもあながち間違ってないのですが。
「構わん、やってしまえ」
「え?」
「と、言うのは冗談だが……まぁしょうがない」
いや今絶対本気の目だったよねあなた。
「手加減してできる範囲で殴り飛ばしてくれ。主に頭を」
「……善処する」
本当に嫌ってんだなぁ……。
将来、娘にこうは思われまい――ていうか思われたくない。そう思いながら、俺はそのリーダーさんが潜んでいるであろう棟に踏み入る。
「……静かだな」
「ああ……」
この時間は係の人もいないのか、入ってすぐに広がる学食と購買には人気がなかった。
ただ椅子と机が規律良く置かれた空間は隠れるにはそこそこいい場所だが、どうやらこの階にはいないようだ。
(流石に来宮さんを背負ったままじゃ闘えないし、保健室に着くまでは出会いたくないな)
俺はそう思い、足音だけを残してさっさと階段へと向かった。それに坂上もついてくる。
階段に辿り着くと、まず上の階の方に意識を向けた。
(なにか覗かれるような視線は……感じないか)
絶対に安全、とは言い切れないが、高確率で上からの攻撃はないだろう。
「どうしたんだ?」
「いや……また上からの奇襲とかないか警戒してた」
「大丈夫だろう、別に」坂上はそう言うと、俺の背中――来宮さんを指差した。「こっちには来宮梢がいるし、あの変態には攻撃できないだろう?」
「…………」
そうか? 普通は攻撃されそうな気がするけど……。
そう思いはしたものの、確かに上の階からは妙な視線を感じないので、俺は階段に足をかけた。そして、駆け出す。一応は安全だろうけど、万が一にでもこんな狭い空間で、しかも上から奇襲なんてされたら、こちらの動きがかなり制限されてしまう。さらにこちらは来宮さんを背負っている訳だし。
来宮さんを振り落とさない程度の速度で、なるべく音をたてないように階段を上り、折り返してさらに上る。
二階に着いたが、そのまま通り過ぎてさらに上り続ける。職員室があるし、何よりもまず安心できない。同じように階段を上り続けた。
三階に着いたら、俺は速度を落として普通に歩くような速さに歩調を緩める。そして、保健室に向かうために廊下に出る。
「……とりあえず、無事に着いたみたいだな、坂が――」
そう言って振り返って、初めて坂上がいない事に気付いた。
「……坂上?」
……なんでいないんだ?
(はっ!?)
その事に頭をひねっていると、一つの仮定に行き着いた。
(も、もしや俺……騙された!?)
ありえない事じゃない。上手く俺を取り込んで来宮さんを運ばせる。それでこの棟まで誘導して、所定の場所――この場合で言えば保健室――にまで俺を誘い込む。そしてこの棟に隠れていた百人くらいの『何でも屋』構成員で俺を取り押さえ、黒ずくめのニクいあんちくしょうに変な薬を飲まされて、俺は幼児退行。そう、外見が来宮さんみたくなってロリコン疑惑のあるリーダーさんに攫われて、海外貿易の商品として取り扱われて「こんなでも高校生〜幼い顔して大胆フテキ〜」的なキャッチフレーズと共に市場デビュー。サヨナラ僕の日常……っていう展開が俺を待ち受けているに違いない。
「……おい」
ていうかそもそも組織を裏切る理由が反抗期っていうのも怪しいもんな、普通。反抗期ってのは「お父さんなんて、大っ嫌いっ!」とか言われたりするくらいの可愛いもののはずだ。
「……おい、矢城功司……」
そんな普通を鵜呑みにしている俺って……。お人好しすぎるのか、俺は? いやだけど友達を疑うの、よくない。
「や、ぎ、こ、う、じ!!」
「はっ!?」
友達を疑う事の重大さ十分ほど誰かに説き始めた辺りで、俺は我にかえる。そして我にかえった俺の目の前には、息を切らして、すこし頬が赤くなった、猛禽類のような瞳で俺を見つめる坂上薫さんご本人。
「……良かった、俺は正しかったんだ……」
「……何が、正しいかはこの際、置いておくとして……あんなに全力で、走る事は、ないだろう……」
息を切らしている坂上は、いまだ俺の事を獰猛な瞳で見つめたまま、文句を言ってくる。
「そんなに俺、速く動いたつもりはないぞ?」
「黙れ……階段を、六段飛ばしで上る、奴に、普通の、人間が、追いつけるわけ、ないだろう!!」
途中からの読点は息を切らしていたからではなく、強調のための読点だったと思う。
坂上はそこまで言い切ると、大きく深呼吸した。スーっと吸って――
「そのせいで私は階段を全力疾走して途中で室見成二に見つかって恥ずかしい思いをしてあいつはあいつで『まぁほどほどにな。授業サボるのはいいけど、逢引きは行き過ぎたら処罰されるぞ』とか訳分からん事を言ってどこか行くしそれを追いかけて逢引きじゃない事を懇々と言い聞かせた後また階段を全力で上ってくる羽目になったんだぞ!?」
――吸った量とは釣り合い取れないくらいに捲し立てて、また吸って、
「あーそうか。授業サボるのはいいんだ、あの人の基準だと……」
「理解を得るのはそこじゃないだろう矢城功司ええ貴様は私を侮辱しているのかそうかそうなんだな先ほどの行動から薄々は感じ取ってはいたがもう承知できない大人しく私に成敗されろ!!」
――やっぱり釣り合わないんじゃないかと思える程の言葉を一息で吐き出す。
「あー、坂上、盛り上がってるところ非常に申し訳ないんだが……声、大きいぞ?」
「知るかそんな事大体貴様はさっきから私に対しての接し方が不遜だろう年上は敬えというか敬うべきなんだ特に貴様は」
「いやな、ここで大きな声を出されると――」
「ん〜? 廊下で大きな声出してどうしたの〜?」
……ほら、白井先生が保健室から出て来ちゃったじゃないか。
白井先生は俺の姿を確認すると、のんびりとした足取りでこちらに向かって歩いて来る。俺は白井先生に背を向ける。
「いやなんでもないです、白井先生」
「え〜? 授業中にこんなところで幼女背負って女の子と痴話喧嘩してるなんて、女の子がすごく首突っ込みたくなるシチュエーションじゃな〜い?」
いやいいです首突っ込んでくれなくて。
「いや〜、若いっていいわね〜」
「あなたも十分若いでしょうが」
「あら嬉しい。でも〜、私にはもう夫がいるから〜、ごめんね、功ちゃん」
「今の発言の何をどう斜め上に取ったら夫がどうとかって話に発展するんですか?」
あと俺の目の前にいる坂上薫さん。なんでそんなに嬉しそうにいやらしい笑みを浮かべているの?
「ふ、ふふ、ふふふふふ……いいネタを手に入れた……。矢城功司が保健の白井由衣を口説いた、と……今度桐垣と浬亜に教えてやろう……」
「…………」
俺は一週間後くらいの俺にエールを送った。頑張って逃げてね、未来の俺。
……今はそれより。
「ところで功ちゃん、どうしてずっとそっちの方を向いてるの?」
「…………」
もう俺のすぐ後ろくらいに立っているだろう白井先生に、俺の瞳を見られない事。
もしも見られたら、非常にマズイ事態に発展するかもしれない。
「功ちゃん?」
「……白井先生、ちょっと来宮さんをお願いできますか? 貧血か何かで倒れちゃってたみたいなんで」
その問いに答えず、来宮さんの容態を見てくれるように頼んでみる。
「うん、それは先生としてもちろん看病してあげるけど――」
「それじゃあ頼みます」
俺はなるべく白井先生と視線を合わせないようにして保健室へと向かい、保健室へ入ると空いているベッドに来宮さんを降ろして静かに横たえた。
「ちょっと、功ちゃん」
「……失礼します」
それに追いついて、声をかけてくる白井先生の言葉を強引に遮り、俺は保健室を出て行こうとする。
「――功ちゃん」
その足が止まる。止められた。白井先生の、滅多に聞かない鋭い声で。
「正直に答えて。……今、使ってる?」
主語を欠いた曖昧な質問。だけど何を指しているかはよく分かった。
「…………」
俺は少し逡巡した後、頷いた。
「……そう」
白井先生の声に陰がさす。何かを諦めたような、何かを認めたような。
「……頭は痛くない?」
「……少しだけ」
「眩暈とかは?」
「まだ、ないよ」
「これからどこに向かうの?」
「…………」
言っていいか、少し悩んだ。本当に、少しだけ。
「……理事長室」
でも隠し事はできなかった。というか、したくなかった。
「……分かった」
白井先生が、一つ溜め息を吐くのが聞こえた。それはなんの溜め息だったんだろう。
「それじゃあ、俺は急ぐから」
「うん……気を付けてね、功ちゃん」
でも、かけられた声は温かかった。
保健室を出ると、坂上が扉に寄りかかって待っていた。
「お待たせ」
それだけ言って、俺は階段へと歩く。
「不躾な質問だが……昔、なにかあったのか、あの人と?」
「いや、なにかあったっていうか……」
何かあった訳じゃない。あの人と俺を端的に一つの言葉でまとめると――
「そうだな、過保護な叔母と異常な甥の関係かな?」
「過保護?」
「ああ、過保護」
……能力のせいで、苦しむ俺を見るのが何よりも嫌だった叔母。俺が笑っていられるように、いつも明るかった叔母。何かと俺の事を気にかけてはドジを踏む叔母。
「まぁ……親とかの過保護は時に子供には鬱陶しく感じるものなんだよ」
「ふぅん。……恵まれていたんだな、君は」
「まぁ、な」
様々なものに恵まれすぎた。そのせいで辛い思いも温かい思いもした。
「だから今回も、俺の事を心配して、心配しまくって、そのせいで今頃コーヒーに砂糖と塩を間違えて入れたり書類の記入ミスなんかをしてると思う」
その姿が目に浮かぶように想像できる。……昔から変わらないもんな、由衣姉さんは。
「だから、心配はかけたくなかったんだよ。俺のせいで自分が失敗するなら、俺の事なんか気にかけなくてもいいのに」
「君は、心配されて嬉しくないのか?」
「……嬉しいさ」
嬉しいに決まってる。だけどそのせいで苦労するなら、心配なんかしなくていい。
それでもやっぱり――心配されたい。
「なんとも厄介な性格だな、君も」
「……気にするな。俺ももう、多分気にしないから」
これも性分。なら開き直って、ガキはガキらしく心配されまくっておこう。
「という訳で、さっきの口説くとか何とかの話は黙っててくれるよな?」
「それはそれ、これはこれ」
「…………」
いい話的な流れで有耶無耶にしたかったが、さっきの事を言う気満々な坂上。人生は時に無情だ。