第三章:5 トイレへ
『ありがとうございました〜……』
と、消え入りそうな程元気のない声で、授業終了のあいさつをする我がクラスの面々。
「はい、どういたしまして」
それに対して、消え入りそうな程の小さな声で的崎先生はそう言うと、教科書を持って教室を出て行った。
――途端。
机に突っ伏すクラスの大半。その中の半分くらいはもうイビキをかいてたりするという、数学の授業の甚大なる傷跡。起きている人の半分くらいも眠そうにボーっとしている。
かくいう俺も、眠ってはいないものの睡魔からかなりの攻勢を受けていた訳で、めちゃくちゃ眠い。それでも眠らなかったのはあの手紙? のお陰だろう。
(えーと、次の授業は自習だったかな、たしか)
起きていられた事を坂上たちに感謝するべきだろうけどなんかそれは悔しいからあえて言わずにおくとして、朝のHRで室見先生がそんな事を言っていた気がした。なんでも、次の授業の担当教師の奥さんが、今日明日には出産するという状態らしく、今は付きっきりで病院にいるらしい。
(ずいぶん家内思いな先生だこと……)
……ああいう人が東のお父さんみたいな親バカになるんだろうなぁ、と少し遠い目をしながら、生まれ来る赤ちゃんの幸せすぎる日常の範囲にある楽しい不幸に対して気の毒のような羨ましいような感情を抱いたところで俺はその赤ちゃんの人生に干渉できる訳でもなく――なんて回りくどい且つよく分からない事を考えて、
(そういや、さっきの最初に送られてきた手紙? の意味、全然理解できてなかったな)
と、そんなことに思い至った。
(坂上に直接聞いてみるか……)
しかし、立ったまま教室内を見回してみるが坂上の姿は見当たらない。
(……いないな……)
したらば他の誰かに……ともう一度教室を見回す。
(えーと、龍鵺は授業中と同じ格好のまま寝てるし、東も見当たらない……。天笠……もいない、か。ああたしかあいつは次の授業の自習課題を取りに行ってんだっけか)
「そして最終的に頼れるのはこの桐垣のみ、ということだな」
「…………」
眠いしだるいし今さらだし、もう俺の心が読まれてるんだとしてもツッコミも驚きもしないようにしとこう。
「なぁ桐垣、坂上がどこに行ったか知らないか?」
という訳でいつも通りに、俺の背後に現れた桐垣に尋ねる。
「……つまらん」
「は?」
「まったくもってつまらん反応だな矢城功司よ……。いつからお前はそんなキャラになってしまったのだ……」
いやキャラって……。
「俺はずっと前からこんなキャラだったが?」
「いいや」俺の言葉を、大げさなアクションまでつけて否定する桐垣。「お前は、もっといいリアクションをしてくれるキャラだった」
「例えばどんな?」
「今の状況なら『くっ……流石に幾度の危機的状況も一緒に潜り抜けてきた相棒の中の相棒、桐垣秀智様は騙せないか……だが、お前になら……お前に心を読まれるのは……嫌じゃない……』ぐらいは間違いなく言っただろうな」
「それはどこの世界の矢城功司なんだ」
誰が言うか、んな気色悪い事を。
「で、坂上の行方は知らないのか?」
「知らない――が、大体の予想はつく。大方、トイレにでも行ってるのであろう」
「トイレか……」
ふーむ、それならばここは教室で待っていた方がいいか。
「どうした? 坂上さんの、用を足してる姿を妄想してるのか?」
「俺をそんな変態に仕立て上げるな」
なんていう事を言うんだこいつは。ていうか、なんか無性に疲れた。
(……俺もトイレにでも行ってこよう)
そう思い、俺は教室を出ていこうとする。
「なんだ? 妄想だけじゃ飽き足らず、ついに覗きに走るのか?」
「誰が覗くか。俺はトイレに行くんだよ」
「そうか、妄想してたら我慢できなくなったのか」
「お前は少し呼吸をするな」
ていうか下ネタ反対。
(まったく、なんでこんな昼下がりの気だるげな教室で下ネタトークをしなくちゃならないんだ)
俺は軽く溜息をついて、教室から出て行った。




