第三章:五月二十二日水曜日の出来事
キーンコーンカーンコーン……
二時間目の始まりを告げるチャイムが校内に響き渡る。そしてその音聞いたクラスの面々は、各々の机へと戻っていく。当然俺も自分の席――窓際の一番後ろの席――に戻る。
それぞれが自分の席に着いた状態でザワザワと騒がしい教室。先生が来るまでのほんの一時を楽しむ声。次の授業の先生はこれが駄目だあれが駄目だと批評(というか批判)している女子のグループ。
どこにでもある日常の一ページ。人に言わせれば他愛もなく、かけがえのないもの。
だが。ここにあるのはいわゆる特別な物語。そして俺はその主人公なのさ!! はーはっはっは――――!!
高らかに笑い、窓に向ってビシッと指を突き立てる俺。
「……何……やってるの?」
そして隣の席の浬亜にものすごく可哀想な目で見られる俺。
と、そこで二時間目の授業の先生が教室に入ってきた。教室内のざわめきも若干収まる。そして日直の号令。起立、礼、着席。
「いや、ちょっと……ね。ほら、話の方向性っていうかその辺り? はやっぱり明確にしておいた方がいいでしょ?」
着席してから、浬亜にそう微笑みかける俺。
「え、ちょっ、何? ホントに大丈夫?」
更に哀しみと気味の悪さをブレンドした目で見られ、本気で心配される俺。後悔なんてしてないよ? むしろ嬉しいさ。
「ふふふん。心配しないで。俺は至って平常だ。なんてったって主人公だからな」
窓の中の浬亜を指して言う。この行動に特に意味はない。強いて言うならなんかかっこいいから。
「先生。なんだか危ない病が発病してしまったようなので保健室に連れていった方がいい人がここに……」
おいおい。人を危ない人間みたいにいわないでくれYO。
「重症です。今すぐカウンセラーの方を……」
だから大丈夫だって。それに、名前も無いようなサブキャラ先生に台詞なんか出させると、色々ややこしくなるぜ? この文。
「もうオペが必要かもしれません。早急に救急車を――」
言い切る前に、ポン、と浬亜の右肩に隣の席の桐垣の手が置かれる。そして桐垣は彼女の顔を見ながら首を振る。
「東さん。そいつは、いつもそうなんだ……。これ以上は深く突っ込まないでやってくれ……」
「そ、そんな……もう手遅れだと言うの……?」
桐垣は軽く目を伏せ、目元を拭う仕草をした。
「ああ……残念ながら……」
「そんな……」
浬亜も顔を伏せ、悲しそうな声を出した。
「氷室 龍鵺はもう、正常ではない……」
「なにやってんだか……」
そんなやりとりを後ろの扉の一番近くの席から頬づえつきながら見ている俺――矢城功司。そしてその左隣に坂上。更に左に行って桐垣、東、龍鵺。天笠は俺の前方の席。
う〜ん、席替えしたっていうのに、なんだかあの辺変わってないな。
「……で、もういいのか、お前たち」
二時間目の授業の先生――室見先生が茶番に水をかける。
「はい」「ええ」
前者は東、後者は桐垣のもの。そして当の龍鵺は……
「いや、もう少し主人公の気分を……」
いや、それは無理だな。つか色々ツッコミたい事あんだけど、いいかな?
「却下だ」
室見先生の即断により、俺のツッコミをいれるタイミングは無くなってしまったようだ。ついでにそこでショックを受けている龍鵺が主人公になるチャンスも。
まぁ……現役主人公から一言いわせてもらうと、主人公になるにはせめて俺よりも高い国語の成績を収める必要があるぞ。語彙力ないと務まらないからね、主人公。
「じゃ、そろそろ真面目に授業開始といくか」
室見先生は教科書を開いて(ちなみに担当教科は現代文)、黒板にいま読み説いている作品のタイトルを書き出した。
「って、あっ、やべ……」と、その途中で動きが止まる。「しまった、これこの前の授業で来宮に借りてたやつだ……」
そしてそんな事を呟いた。……たしかに室見先生の持っている教科書の背表紙には『来宮 梢』という文字が書かれている。
(あれ、どこかで聞いたような気がする名前だ……)
というかそんな疑問より、教師が生徒の教科書借りんなよ。あまつさえ返し忘れて普通に使うなんて……。
「あーしまったなぁ、たしか3−Dの今の時間は……町馬さんの現代文だったよなぁ……」
室見先生のぼやきを聞く限り、どうやら来宮梢という人は現在現代文の授業中。そしてその彼女の所有物である現代文の教科書は室見先生が持っている。加えて町馬先生と言えば趣味がボクシングの忘れ物に対する罰則がめちゃくちゃ厳しい先生。それには列伝がある。俺が転校してきて間もない頃に、龍鵺が教科書を忘れた事があった。その事を聞いた町馬先生はマジギレ。そしていきなり壁を殴りつけ(ちなみにその壁にはひびが入りました)、合計二十枚にもおよぶ反省文を書いてくるように言われるという事があった。それ以来、その先生の授業での忘れ物、遅刻が無くなったのは言うまでもない。
「まぁいいか」
って、いいのか!? あの町馬先生の授業で教科書を忘れるというんだぞ!? いやその前に人として!!
「大丈夫だろ、来宮なら。あいつは肝も据わってるし、普段からしっかりしてるし。それにきっと今頃俺のせいにでもして、上手くその場を凌いでるさ」
そう言って板書しだす室見先生。
「…………」
その言葉に、生徒一同呆然。だめだ、この人はあの先生の恐ろしさをちっとも理解していない……。
……その二分後、『ドンッ!!』という音と共に教室が少し揺れた。
とりあえず合掌しておこう……。
「うーし、今日の授業はここまでだ」
という室見先生の言葉と同時にチャイムの音。
「きりーつ、れーい」
『ありがとうございました〜』
間延びしたやる気のなさげな日直の号令と共にクラス全員が頭を下げる。
「はいはいどういたしまして」
室見先生もやる気なさげにそう言って、教科書を持って教室を
――ダダダダダダダ、スパァーン!!
「室見先生!!」
出て行こうとしたら唐突に、勢いよく教室の扉が開け放たれた(教室のドア開くときって『スパァーン』なんて音するっけ?)。そしてものすごい勢いで一人の小さな女生徒が教室に入ってきた。
「室見先生!! この前先生に貸した教科書、返していただいてないですよね!?」
「ああここにあるぞ」
突然現れた乱入者に悪びれも驚きもせずに平然と返す室見先生。
「いやー悪かったなぁ、来宮。返すのすっかり忘れてた」
そして反省の色は微塵も見られない口調で笑いながら教科書を来宮と呼ばれた生徒に差し出す。
「…………」
対する来宮梢さんであられよう人は、黙ったままプルプルと震えている。
「いや別にわざと忘れた訳じゃないぞ? いやマジマジ。別に町馬さんの教科書忘れた時の反応が面白かったりそれをお前に対峙させたらより一層面白くなるなんて事はこれっぽっちも考えてなんかいないぞ?」
……きっと本当に思ってなくて今思いついて、面白い事になりそうだから言ってるんだろうけど……絶対に来宮さんはそうとらないよなぁ。だって室見先生、顔が引きつってるもん。あれ絶対笑い堪えてるよ。
「あなたはぁ……」
「ん?」
「あなたは、これで、何、回、目、だぁ―――!!!」
今まで黙っていた来宮さんは、教室がひっくり返るんじゃないかと思うほどの大声で叫んだ。
「そもそも一年生の時に私が校内で迷ってた所をあなたに助けてもらったのが間違いだったんだ!! それからというもの私に会う度会う度『よう、今日は一人で大丈夫か?』とか子供扱いしまくった挙句『あ、やべぇ教科書忘れた。……取り行くの面倒だから、来宮、お前の貸して』って……!! お前の方が子供じゃないか!!」
そして矢継ぎ早に文句を。すごい早口で。しかも途中から先生の事お前呼ばわり。
「はははは、懐かしいなぁ」
「私は笑えない!! 大体お前は本当に教員免許持ってるのかそんなずぼらな人間が取れるほど軽いものなのかそれは!?」
「そこはそれ。秋葉学園の七不思議(笑)」
「(笑)じゃな―――い!! どこまで私をおちょくるの!?」
その言葉を聞くと、室見先生は滅多に見せない真面目な表情になった。
「俺はお前の事をおちょくってなんかいないさ」
「ぅ……」
そんな室見先生の様子にたじろぐ来宮さん。
「これは、いわばお前への『愛』だ……」
「…………」
おおすごい。あんなセリフを真顔で吐けるなんて。来宮さんもついに黙ってしまったぞ。
続いて室見先生は少年のような笑顔を浮かべて、
「ほら、小学生とかって好きな子とかいじめたがるじゃん? それと一緒」
「って結局お前の方が子供じゃないか!!」
……また来宮さんに怒鳴られてた。
ちなみに我がクラスの面々はそれを遠巻きに、温かく見守っている。いや、端から見たら父親に文句言ってる子供みたいでなんか微笑ましいんだもん。
「功司君……」
「ん……なんだ、東……」
「幸せって、ああいうのを言うのかもね……」
「そうだな……」
と、なんだか俺と東の間に温か〜な空気が蔓延中。普段なら即行ごまかしに入るが、今はなんとなくそんな気分じゃなかった。
「あーわかったわかった。俺が悪かったって」
「う〜」
どうやら勝負がついたようだ。結局、室見先生が大人の貫録で負けを認めたようだ。
「ほい、教科書。ありがとな」
「…………」
それにそっぽを向いて教科書を受け取る来宮さん。……そういえば、かなり今さらだが、どこかで見た事あるような気がする。
「…………」
はて、どこで見たんだっけか。なんか会話もしたような気もするけど……。
「…………あ」
思い出した。そうだそうだ、あれはたしか新学期早々生きている喜びを感じられた時の倉庫の中で事だ。そういえばそこで話したなぁ。
「あっ……」
「ん……?」
そんな事を思い出していると、来宮さんと目が合った。
「あ―――!!?」
「え?」
そしたらなんか指さされて驚かれた。
「あなた、矢城功司……あの時の……! なんであなたがここに!?」
「え、いやなんでもなにも……俺、ここのクラスだし」
「矢城、来宮とは知り合いだったのか?」
「あー知り合いというかなんというか……」
んーなんて説明しよう。というか知り合いなのか? 互いの名前知ってるくらいだぞ俺ら。
「えーと……」
とりあえずあった事を包み隠さず――いややっぱり少し脚色して話してみる事にした。
まず俺の命が危なかったかの抗争の時、俺は倉庫の中に隠れていて、そこで来宮さんと邂逅した事。で、なんか蹴られまくった事。
「それはあなたが悪いのでしょう!?」
「いやだからあれは不可抗力だって」
「不可抗力って?」
「……秘密だ、東」
話を続けよう。
そいでじゃれあってたら、とりあえず俺を追う方々の気配がしたのでロッカーの中に隠れる事にした。
「…………」
「どうした来宮。顔が赤いぞ?」
「うるさいエセ教師……」
そしてロッカーの中に来宮さんと隠れる事二、三分。どうやら追手たちはどこかへ行ったようなので狭苦しいロッカーから脱出。
「…………」
「…………」
あれ、なんか東と室見先生からの視線が痛い……。
で、その後チャイムが鳴ったのでその場で別れた。
「以上が来宮さんとの邂逅だ……った……?」
あれあれ、なんか周りからの視線が痛いのですが……?
「功司君、一つ質問いいかな」
「な、なんだい、東」
「ロッカーの中には、来宮さんと一緒に隠れたの?」
「あ、ああそうだが別にやましい事を考えてた訳じゃないぞ? それは相互の安全を図るためにだなぁ……」
「功司」
と、今度は龍鵺に話しかけられる。
「お前は……」
「な、なんだ?」
「お前はどれだけフラグ立てれば気が済むんじゃ―――!!!」
「うわ、ちょ、待て龍鵺!!」
そしていきなり肩を掴まれ揺すられる。それも激しく。
「そうだね、功司君はちょーっと、調子に乗りすぎてるかなぁ……」
背後から、正真正銘の死亡フラグを携えた東がユラリと現れた!
「矢城……流石にそれは俺でも戴けない事だな……」
龍哉の後ろにニヤニヤした室見先生が現れた!
「……女の敵ね……」
俺の右側にすごく不気味な気をまとった天笠が現れた!
「くくく……これは楽しい事になりそうだなぁ……」
俺の左側に不敵に笑う坂上が現れた!
ヤバい、正に四面楚歌状態!! くおぉぉ、彼の項王もこのような苦渋に立たされていたのか!!
「ていうか来宮さん! ヘルプミー!!」
残った援軍となりそうな来宮さんに助けを請うが、
「ぅ、わ、私は……知らないわよっ」
赤くなって逃げ出してしまった!!
「き、桐垣! もはやお前しかいない……!!」
今まで黙って成り行きを見守っていた桐垣に助けを――
「……主人公は往々にして様々な災厄が降りかかるもの。先ほど自分で『俺、主役』と仰せられたからには、これは天意かと存じ上げられます。然るに、私のような脇役などの出る幕もなく、私程度の者にこの境地は救えませぬ。君を救うは天意のみかと」
「何時代の人間だお前は!?」
――乞うが一蹴された!!
「覚悟は出来たの? 功司君」
うなじ付近に息がかかるほどの距離から甘い声で東が!!
「何気ない出来事でフラグを立てまくる人類なんてのがいるから脇役が苦労するんだ……」
顔に息がかかるほどの距離から低い声で龍鵺が!!
「女の、て・き……」
右耳に息を吹きかけながら囁く天笠が!!
「ふふふふ……はははは……」
背筋を『つー』っと指でなぞりながら坂上が!!
「さすが矢城だ。俺たちにできない事を平然とやってのける」「でもそこに痺れないし憧れないのはなんでだろう」「それは多分犯罪だからだよ。あんな見た目中学生の女の子とロッカーに入ったら……」「あーうん確かにそうね。今いろいろ厳しいもんねぇ」「でもそれを敢えてやるとは……あいつは真の漢だな」「オレは矢城を支持するぜ? 是非とも“ロリロリハンターズ”に迎え入れたい逸材だ」「……なんだその仲良し五人組のリーダーが考えたような団体は……?」「えーそれ引くわぁ」「我らをバカにするな。我らは美幼女の未来を考えてだなぁ……」「お前らがその子たちの未来を摘んでしまいそうで怖いよ」
周りの愛すべきクラスメートたちは思い思いの事を言っている!!
「ていうかなんだこの状況!? みんな俺で遊んでないか!?」
「天意だ」
龍鵺の後ろに控える室見先生にそう告げられた!! それ否定してないですよね意味的に!!
――キーンコーンカーンコーン……
とか何とかやってるうちに三時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。
「あーやべ授業始まっちゃったよ」「次の授業なんだっけ?」「化学の実験じゃないっけ?」「あーそうだそうだ」「急ぎましょ。矢城君はほっといて(天笠)」「そうだね」「そういえばこの前発売したギャルゲ、誰ルートクリアした?」「もう全クリしたさ(龍鵺)」「ほぉ、流石二次元の申し子、氷室龍鵺だな(桐垣)」「よせやい、照れるだろ?」「ねぇ薫、実験って何やるんだっけ?」「たしか化学反応がどうたらこうたらとか言ってたような気がする(坂上)」「それじゃ、功司君も遅れないでね?(東)」「お前ら少し急げよ〜。俺はのんびり行くけどな(室見先生)」「それ職務怠慢じゃないすか?」
……そしてみんな神速をもってして俺を置いてけぼりにする。ちなみに俺は次の授業の準備を全くしていないわけで。
「…………」
ここで一句。
教室に 一人寂しく ロリ容疑 我が衣では 露に濡れつつ(矢城功司、心の短歌)
対訳。
教室に一人寂しく取り残された俺にはあられもないロリ容疑が。あまりの悲しさに、俺の制服の袖は涙で濡れてしまった。まさに濡れ衣。
「……………………」
余計に寂しくなった。
「ていうかなんなんだこの敗北感は……」
俺は次の授業で使う教科書とノートを持って、一人寂しく実験室へと向かった……。
トボトボと実験室に向かう途中、もう箱庭の中に入ってプチ遭難しようかと考え始めた頃、桐垣と龍鵺が特殊棟への渡り廊下で待っててくれていた。それに思わず涙しそうになったのは秘密だ。