第二章:7 穏やかな時間
まん丸い茜色の太陽が西の空に落ちていく。時間と共に影は長くなり、視界は茜色に染められていく。
「…………」
「…………」
そして同じく茜色に染められた観覧車のゴンドラ内には静寂が満ちていた。まるで朝の様に静かで、まるで朝とは違う雰囲気で。
「…………」
「…………」
――女性陣にからかわれまくった昼食(結果的にこれからは名字でも呼び捨てる事を強要された)を取った後、俺たち色んなアトラクションに乗った。コーヒーカップでは桐垣と意地を賭けての回し合いをして、シューティングコースターで坂上に再挑戦して返り討ちにあって、フリーフォールのベルトが緩くてマジに死ぬと思ったり、メリーゴーランドの馬車に男三人が顔を突き合わせるという事態が発生したりと、騒がしくて楽しい時間を過ごせた。
この遊園地は夏には夜に花火を上げるのだが、春はそんな洒落たイベントもなく、閉園三十分前に迫った時間、俺たちはもう一度観覧車に乗ることになった(ちなみに俺は最後まで抵抗しまくった)。
もうお決まりになってしまった龍鵺のクジを引いて、俺は、
「…………」
「…………」
何故か借りてきた猫のように大人しくなってしまった東と同乗することになった。
「…………」
「…………」
ていうか、なんで東は喋らないんだ? 俺は観覧車怖いし、でも悟られるのはなんか悔しくて恥ずかしいから黙ったまま外の風景を眺めてるふりをしてるけど。
「……功司君」
「ん……?」
ゴンドラが頂上に近づいてきた頃、その沈黙を東が破った。
「なんか、懐かしいね……」
「懐かしい?」
「うん、懐かしい」
俺はなるべく下を見ないように眺めていた外の風景から、東に視線を移す。東は俺の方を見ておらず、彼方の山々に沈み始めた太陽のある右手側の景色を見ていた。
「憶えてない? ほら、小学校の頃、体育倉庫に閉じ込められちゃった時の事。あの時もこんな感じじゃなかった?」
「閉じ込められた……」
……あー、あったあった。
「五年の時のあれか? たしか倉庫内に『後はお若い二人でごゆっくり』とか書かれた手紙があった……」
「そうそれそれ」
東は外を眺めたままおかしそうに笑っていた。
「いや、微妙に笑い事じゃなかったろあれは」
「うん、まぁたしかにね」
――小学校五年生の時。俺は東と体育倉庫に閉じ込められるという事件があった。
まぁ事件と言っても大したことではないんだが。
小学生の時ってのは家が近い異性がいたりするだけでからかわれるもんだ。で、当時の東と俺はまさに隣同士。東も東で俺によく話しかけてたりしたもんだから、周りには絶好のからかいネタになってたんだろうな。
要するに、この事件もそのからかいの延長線上にあるものだった。
放課後、友達と共にサッカーに興じてた俺はボールの片づけを任命された。普段は違うやつに頼みっぱなしだったし、まぁいいかと安請け負いした俺は、これがいつも以上に不自然にニコニコしていた友人達の策略だとは露も知らずにいた。
夕陽の光だけが光源の薄暗い体育倉庫に入ると、東がいた。
「あれ、功司君?」
東は少し奥の方にあるボール籠にボールを入れようとしていた。
「ん、なんだお前も片づけか?」
「うん。バレーボールの片づけ。友達に頼まれちゃったから」
「ふーん。じゃあ俺と同じだな」
と、いつも通りに他愛のない会話を交わしていると、
――ガラガラガラ、ピシャン!
「え?」
「ん?」
急に扉が閉められて、
――カシャン。
「あっ」
「なっ」
鍵を閉められた。ちなみに扉を閉められた倉庫内の光源は、高い所に位置する小さな窓から射してくる夕陽の光のみなので、結構暗い。
「…………」
「…………」
いきなりな展開に着いていけない俺と東。
「…………?」
と、そこで、自分の足もとに白い紙が落ちているのに気付いた。その白い紙には、
『あとはお若い二人でごゆっくり〜(笑) ともだち想いのK.Yより』
などとふざけた事が書いてあって、ようやく俺は謀られた事に気付いたのだった。
そういえばあの時もこんな感じの時間帯で、二人とも黙りこくってたなぁ……。
「……やっぱり笑うところないぞ、あの事件」
「え〜、あるよ〜」
なおも東はおかしそうに、どことなく嬉しそうに続ける。
「あそこから出れた時のこと」
「出れた時って……俺が扉を蹴破った時?」
「そうそう」
たしか、あの時は東がなんか泣きそうな顔してて、やべぇどうにかしないとって思って、がむしゃらに扉蹴ったらすごい音をたてて扉が吹っ飛んだんだよなぁ……。いやーあの時は『やべーどうしよう扉壊しちゃったよ』って焦ったなぁ。でも泣きそうだった東が笑ってくれたからなんか『扉壊したくらい別にいいや』って思ったんだよなぁ。
「それで功司君が扉を壊した後、私の方向いて『やべーどうしよう扉壊しちゃったよ』みたいな顔が可愛くて面白くて……」
「……あー、だからあの時笑ってたのか、お前は」
「でもその後に『扉壊したくらい別にいいや』って顔して私の手を取ってくれた時……すごい頼もしかったなぁ……」
「…………お前なぁ」
なんで俺の心を正確に読めるんだ&なんで思わず赤面しちゃうような事を平然と言えるんだ?
「功司君だって、その次の日に首謀格の人に向かって『俺は別にいいけど東まで巻き込むな』ってカッコいい事言ってくれたよ?」
「……そんなカッコいい事か、それ?」
「カッコいいよ。だって、それはつまり『俺の女に手をだすな』って事でしょ?」
「違うわっ!」
「くすくす……冗談」
楽しそうに笑う東はまだ外の景色を眺めている。
「まったく……変わらないよな、お前は」
「そう?」
「ああ変わらん。普通『小学生の時』とか言うのに『小学校の時』って言ったりするセリフ回しとか、俺をからかったりするところとか」
変わってんのは身体つきくらいだよなぁ……。昼メシの時の感触とかもう……
「……功司君。今、いやらしい事考えてない?」
「……考えてません」
視線を反らし、外に向けながら言っても説得力はないだろうけど。
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ私の目を見ながら言って?」
「お前の目――ってうぉ!?」
視線を東に戻すと、まさしく目と鼻先の距離に東の顔。
「ち、近い! 顔近いってあず――」
「浬亜、でしょう?」
めっ、と人差し指を立てて、子供を叱るように言う東。
「い、いやあず――」
「浬亜」
「だから――」
「浬亜」
「その――」
「浬〜亜〜」
「ぅう、浬亜、その、顔近いです……」
「ふふふ……功司君って、やっぱり可愛い」
「ぅぅぅ……」
そう言って満足そうに席に座ってくれる東。……なんか激しく辱められた気分だ。
「それに、優しいよね」
「ぅ? 優しいって、俺が?」
「うん。すっごく優しい」
はて、俺はどこかで優しさアピールなんてしたっけかなぁ?
「……そこも、変わってないよね……」
「…………」
そんなことをこんな雰囲気のなか上目遣いで言わないでくれ。思わず状況に流されたくなるだろうが。とか、思ってしまう辺り。
「功司君は気付いてないと思うけど、私が変わってないところはもう一つあるよ」
「……変わってないところ、か……」
――多分、あまりに楽しすぎて俺は浮かれてるんだろう。それがなければ夕陽のせいだ。
「まぁそれは秘密だけどね」
そんな事言って笑う東を、ものすごく可愛く、切なく感じてしまうのは。
「ふぅ、やっぱり遊園地の締めは観覧車に限るな」
そう言って、最後のゴンドラに乗っていた桐垣が降りてきた。
「……何故だ、何故俺は観覧車の時に限って男と当たるんだ……」
そしてその後ろからゾンビのような龍鵺が続いてきた。
「さて、そろそろいい感じに日も傾いてきた事だし、帰りますか」
その桐垣の言葉に、俺たちは出口に向かって歩き出す。
そしてその道程、
「ところで浬亜」
「なぁに? 薫ちゃん」
「ゴンドラの中で、矢城はどうだった?」
……なんだか不穏な会話が横から聞こえる。というか坂上。その質問はちょっと曖昧すぎないか?
「ん〜すごく優しかった……」
そして東もそんな湿っぽい声でそんな事言わないでくれ。そういう事をすると、
「くぉ〜お〜ずぃ〜……」
ほら、ゾンビ化してた龍鵺が俺に絡んできて、
「きさま……観覧車のゴンドラの中という限りなく稀有かつ幸せな密室空間において浬亜ちゃんにあんな湿っぽい声で優しくしてもらったなんて言わせるからにはもう三途の川を渡河する準備は万全と見ていいんだろうなぁ!!!」
「あ〜もう……」
「『兵半ばを渡らば撃つべし』と孫子はのたもうたが俺は敢えて渡河前の貴様の軍勢を叩く!! 三途の川を経由せずとも地獄へと叩き落としてくれよう!!」
絶対に俺が疲れる展開になるんだよなぁ……。
「この前の勝負は時間切れの引き分けとなったが今日の俺は三味くらい違うZE!? 何故なら時間の制限がここにはないからさぁ!!」
この前のカタカナよりは読みやすいけど、読点一つくらい置こうぜ。
「はっはー実にいい気分だ!! 俺は人間を超越してしまったのかいkoujiよ!? 今なら一秒間にありえないくらいの長いセリフも吐けそうだぜ!? 喰らえTHE・ドリーム(妄想)!!」
「ああうぜぇ!!」
そして、またよく分からないモノを展開しだした龍鵺に立ち向かう俺。
「おお、氷室の第二の特殊能力が目覚めたぞ」(桐垣)
「これは面白い事になりそうだな」(坂上)
「……晒しものね……」(天笠)
「がんばってね、功司君♪」(東)
お決まりのようにそんな俺と龍鵺を遠巻きに見ながら好き勝手言いまくるディアフレンズ。
「ふっふーん功司貴様という奴は! 俺との戦闘途中だというのに浬亜ちゃんからそんな励ましの言葉を受け取るって事は俺に対する挑発だよなぁいや例えそうでなくとも君がッ! モテなくなるま――」
「うっせー!!」
「ぐほぉ!? 貴様は大事なセリフ途中に俺を殴った! つまりお前は俺を怒――」
「寝てろ!!」
「ぶべらぁ!!」
……なんというか。
こんな騒がしい毎日がいつまでも続けばいいのにな……。