役割
自由期間にしましょう、そうリーリウムが言ってから1週間が経った
既にステラも城へと戻り、リーリウムも取り敢えずの用事は終わった
彼の元へは少しずつ、範囲を広げながらあらゆる場所からの情報が流れてくるようにもなってきた
「さて、本日も特に大きな問題もなく終わりそうですね」
「油断は禁物かと存じますが」
「それは間違い無く。僕はまだ起きてますからステラさんは先に休んで下さい」
「では、お言葉に甘えて先に休ませて頂きます」
今の時間帯は夜、活気のある城下町も今は静かな時間が流れ、城内も夜番の担当たちが静かに過ごしているだけとなっている
リーリウムもその日の仕事を終えて後は床に就くだけ
集まる情報を頭の中で整理して、今後起こるであろう様々な事象を想定する
前回通りとはいかないだろうが、それでもシュミレーションはしておいて損は無い
「さて………」
リーリウムは立ち上がり、戸棚から一本のワインを取り出して席に戻る
『薔薇の雫』という安物の赤ワインだが、彼はそれを好んで飲んでいる
厳密に言えば、好んでいたのは彼ではなく彼女なのだが、リーリウムはそれを真似して好んで飲むようにしている
元々、酒が特別好きなわけでもなく、酒の席があれば飲む程度なのだが
なんとなく寝れない日にはこうして思い入れのあるワインを飲み、思い出に浸り、昔の記憶に溺れながら自分を落ち着かせてから眠る事にしている
しかし、今日は眠気も訪れずただただ思い出の中の風景に意識を向けるばかり
そんなぼーっと寝酒を嗜んでいる最中に、執務室に取り付けられたバルコニーへと続く扉からノックの音が聞こえた
遠くを見ていた瞳が急速に現実へと戻り、リーリウムは深夜の来客をもてなす
「どうぞ、開いてますよ」
「………こんばんは、今夜は眠れませんか?『魔王様』」
「なんとなく、起きていたんですよ。いらっしゃい、シャルロットさん。それとも『落ち人』の汐里さん?」
「勿論今夜の私は、冬木汐里だよ!こんばんわ、私と同じ『落ち人』の橙真君」
深夜の来客、それは以前この城にリーリウム討伐に来ていた、女勇者のパーティーメンバーであったシャルロット
しかし、今夜は空色の髪を本来の黒へと戻し『落ち人』冬木汐里としてリーリウムの執務室へと来訪した
『落ち人』、それは神に使わされた異世界人を指す名称
この世界には複数の『落ち人』が確認されており、同時にそれだけ『落ち人』に頼らなければならないほど全世界が不安定になっていることも示される
リーリウム・シュヴァルツ。彼も冬木汐里と同様に異世界からこの世界に落とされた異世界人
500年という最も永きに渡り君臨し、最弱であり気弱な魔王は異世界転移者の日本人、霧島橙真という日本のどこにでもいそうな気弱な青年なのだ
『落ち人』達はこうして様々な機関や組織内で動く傍ら、『落ち人』同士で連携し合っている
全世界が不安定な今、『落ち人』としてではなく、何らかの原因で異世界へ転移もしくは転生してしまう者は『流れ人』と呼ばれ区別されている
「汐里さんもどうですか?」
「うん、折角だから貰おうかな!」
「…………毎回思うんですけど、見事な演技ですよね」
「ふっふっふー!でしょう?!私、一応演劇部だからね!」
普段はシャルロットとして見た目から中身まで丸ごと変えて過ごしている彼女
髪と瞳は魔法で空色に、性格も感情をあまり表に出さないタイプとして日々を過ごしている
元々の明るい性格を隠して、大人しい性格を演じる裏で周りの状況や、情報収集などをして橙真と情報交換をしている
橙真としては思った以上に優秀で、自分の陥っている状況やこの世界の状況に対しても対応している姿は心強いのだが
如何せん、ゲーム感覚と言うか遊び感覚というか、危機感が足りないような気がしてならない
その事を対して文句は無いのだが、いつ危機が訪れるか分からない立場上、その時になって恐怖に支配され身体が竦み、何も出来ずに死なれては困る
やはり、知り合った以上は出来るだけ生きて、最終的にはみんなで帰りたいと橙真は考えている
『落ち人』同士で殺し合い、不始末を自分達で尻拭いをしなければないならい最悪も今まであったので、今後は出来るだけ『落ち人』の暴走は勘弁して欲しい橙真でもある
「先に報告だけするね!ちょっとずつ、変な動きが出てきてるかなって感じ。他の人達も何となく感じてるみたい」
「変な動きですかぁ…………」
「特に何かしてる訳では無いみたいだけど、人を集めてるみたい」
彼が待ち望んだこの異変の現象として、終末思想というか悪魔信仰というか
何かしらのあまり良くない集団が出来上がる事が挙げられる
元々そう言った面を持った者から思考誘導された者までありとあらゆる種族が集まって形成されていく
それも複数団体の存在が確認されている
そうして膨れ上がった団体を後回しには出来ない
大した脅威は無いと、侮ると後で痛い目に合うのだ
元凶となる存在が確認された後、その集団はその元凶の元へと集う
まるで誘導されるように、明かりに群がる虫のように、ひとつの場所へわらわらと集まっていく
その後、何かしらの手を加えられて異形の存在へとその姿を変えて、凶暴化した魔物たちをも巻き込んで世界を破壊し尽くさんと世に放たれる
「まあ、一応観察対象ということで」
「もうしてるから大丈夫!」
「流石ですね、もう慣れましたか?」
「流石にねー。最初は戸惑ったけどさ、やっぱり憧れの異世界転移!これは捗るよね!やっぱりさ!………って橙真君には悪いけど、私は嬉しかったなぁ」
最初会ったときはとても困惑していた彼女だが、今は『落ち人』としての役割を誰よりも全うしている気さえする
自分を訪ねてきたのが今では懐かしい、と困ったような笑みを浮かべる橙真
「いえいえ、僕のことは気にしないでください。それに………まだ終わったわけではありませんからね」
「………橙真君、私たちも全力でサポートするからね?」
「勿論、期待してますよ」
いつの間にか来客時に用意したテーブルの上には二本目のワインが開けられ、それも三本目に突入しそうな勢いで二人の手が止まることはない
すでに日付を跨いで、聞こえてくる音も虫の声が大半を占める
少し前は、夜番の声も聞こえてきていたがそれもすでに落ち着いたらしい
「あ、そうだった。勇者王さんからお手紙だよ!」
すっかり忘れえた!と慌てて差し出された手紙を、橙真は困ったような笑みで受け取る
彼女の服の中から出てきた手紙は体温で少し、温かい
特に他意は無いのだが、思わずその手紙に困ったような笑みを落とす
温かい、とか部下からの扱いが可哀想だな、等の様々な感情がその笑みに表れている
「あはは………グランツ君」
「?、見てもいい?」
勇者王、本名グランツ・ミスト。彼から送られた手紙を開けば、そこには今回に懸ける熱い想いが3枚にも及ぶ分量で刻まれていた
途中から熱が入りすぎたのだろう、だんだん文字が荒くなってきている。一応、読めるようにという理性は残っているらしく解読に手間はかからない
残りの2枚には、情報と打ち合わせをしたいと言う内容などが書かれていたが、最早どちらが本題としての手紙かわからない
この2枚がどうしても申し訳程度に取り繕った感が拭えない
汐里も苦笑いでその内容に目を通している
「まあ、でも………ありがたい。僕と同じくらい、彼はこの機会を待ち望んでいたからなぁ」
「みたいだね………ちょっとだけ聞いたけど」
グラスをくるくると回して、ちらりと橙真に視線を向ける汐里
汐里から見た橙真もグランツもその内に渦巻く様々な感情が今にも爆ぜてしまいそうで見ていられない
彼女は前回の件に関してあまり良く知らない
軽々しくと言うつもりは無いが、当事者である橙真とグランツの雰囲気の前ではとてもではないが「教えて」という言葉が口に出来ない
知らないまま、今回の戦いに身を置く事を確かに思う事もある
ただ、どうにかしてあげたい。助けてあげたい。それだけで居場所を定められるのだろうか
立ち位置があやふやにならないだろうか、いざと言う時に手助けになるだろうか
正直にいえば不安だらけではある、浮かれているだけではないのかとも思う
けれど、状況に酔っていようと、浮き足立っていようと
目の前の橙真と、所属先のトップであるグランツを見ているとそんなぐるぐるとした不安や悩みよりも早くどうにかしてあげないと、と言う感情が前に出てくる
でなければ壊れてしまう、きっとこれ以上の負荷はこの2人を内側から喰らい尽くして壊してしまう
出来ることを出来るだけ全力でやるしかないのだ
「返事の手紙を書きますね、忘れないうちに」
「あ、うん!」
重くなってしまった雰囲気を切り替えるように、橙真は自分の机に戻りさらさらと手紙を書いていく
書いている途中で、ふと顔を上げて汐里へと視線を向ける
「?」と首を傾げる汐里に珍しく悪戯っ子のような笑みを浮かべて書いていた手紙をそのままゴミ箱へと捨てる
「あれ?お手紙は?」
「汐里さん、今夜は泊まっていきますよね?」
「え?あ、うん。そうさせて貰う予定だけど……?」
「そして、帰るのは明日。少しゆっくりしてからですよね?」
「流石だね……その通りだけど………?んー、まさか………えーっと」
橙真との問答で、何となく橙真が言いたいことが分かってしまった汐里
分かってしまったが、頭の中でそれは良いんだろうか、ちょっと色々不味いのではないだろうか、とちょっと頭の中がよく分からなくなってきた所で橙真は告げる
「なら僕もそのまま着いて行きますね。ステラさんを説得するの手伝って下さい」
「あー………そう来たかぁ!無理だよ?!私あの人には逆らえないもん!お菓子くれなくなったらもうここに来ないよ?!」
「そこをどうにか!」
「ならないよっ!聞いてた?!私の話?!」
一緒に着いてくる、までは予測できた
ただその先までは予測出来なかった、それにしたくもなかった
ステラと言えば、この国の影の支配者と言っても過言ではない
何故なら、橙真の頭が上がらない相手なのだから
そして汐里の大切な甘味補給源でもある
そんな相手に、ちょっとお宅の魔王さん連れていきますね!
等と巫山戯たお願いが出来るわけが無い
むしろしたくない、しかも自分のお願いでは無い所がタチが悪い
「では、仕方ない。自分でどうにかお願いします」
「うん、仕方なくないけどそうして!」
やれやれ、といったリアクションをする橙真に中々イラっときたが、ここはぐっと我慢をすることにした汐里
散々、この場内で紅茶と甘いものを貪った身としては少々の苛立ちも我慢せざるを得ない
それにこの世界に来て右も左も分からない自分を導いてここまで世話をしてくれた事に対しても膨大な恩がある
なのでこの程度では怒らないし、怒れない。ただむかつくだけで
「さてさて、そろそろ休みましょうか。明日に響かないように」
「そだね、前に借りたお部屋でいいの?」
「ええ、定期的に掃除してますから綺麗なはずですよ」
「ありがとう、じゃあお部屋お借りしまーす」
そのまま部屋から出て行った汐里を見送り、橙真も残っているワインを飲み干して片づけをする
明日の事を考えれば、ちょっと憂鬱だが、まあなるようになるだろうと暢気に自己完結して部屋の明かりを消して自室へと向かう
普段は寝るときくらいしか使っていないが、やはり自分の部屋は落ち着く
ベッドの中に入って、勇者王グランツ・ミストに会って何を話そうか、折角なら街で食べ歩きでもしたいなぁ、等と考えている内に段々と意識は落ちていく