あ
この500年生きてきて、初めて1ヶ月という期間を待ち遠しいと思った
1日1日がこんなにも過ぎ去らずに濃密に纏わり付くように流れたのは初めてだった
絶望の中で過ごした日々とはまた違う感覚に囚われた期間だった
「漸く……漸くこの時が……」
「橙真さん、遂にこの時が来たんですね……」
拳を握り締める橙真の横にはグランツ
後ろに流れた金髪と獅子を連想させる威圧感のある顔、その瞳は目的地方面へ鋭く向けられている
軽装の橙真に比べて、グランツは黄金の鎧に黄金の剣
まさに伝説の勇者と呼ぶに相応しい格好をしていた
『勇者王』の名に恥じない、寧ろその呼び名さえも烏滸がましいその圧倒的な雰囲気
お互いに今こそが最高の状態であり、最強の状態
「何とか周りも機能してるみたいだね」
「ええ…まずは一安心ですね」
ほんの数週間前、人族の世界を震撼させる真実が知れ渡った
『ブレイブ・ハート』の祖であり、500年前に世界を救った大英雄の霧島橙真
同じく『ブレイブ・ハート』の祖であり、魔術師の神、食文化の母、服飾文化の母と呼ばれた黒崎百合
『七芒星』及び『七凶星』において最も恐れられ、この世のあらゆる生物が恐怖と服従を差し出す魔王ルナ・エーデルワイス
この3名が今もこの世に生存しており、黒崎百合が500年前の事件において敵側に囚われ続けている事
この先数週間後にこの世界に再びその災禍が訪れる事
今この場であらゆる種族がその垣根を越えて協力を誓わなければこの世界は終わる事
損得を躊躇い、過去及び現在の軋轢に足を取られている場合では無い事
そしてこの世界は戦い、立ち向かう事を選択した
「みんな…どうか無事で……」
「……そうですね」
既に各所で戦闘が始まっている、それも数日前から
1週間程前から、様々な場所で魔物や人の失踪事件が相次ぎ、不可思議な現象の報告が絶えなかった
そこから数日前から異形の存在が多く見られるようになり、そのままなし崩しに戦争が開始された
そこから更に異形の存在との戦争が激化した今日
いよいよ本命がこの世界に顕現すると踏んで、橙真とグランツは場を任せて事前に決めていたテントへと合流した
「後は来た瞬間に転移するだけだ…そうなったらもう止まらない」
「橙真さん、最終確認は済んでいますか?」
「勿論、そわそわして何度も確認したよ」
「私もです……嫌になる程何度も最後の確認を」
緊張で唇が乾く、何度も唇を舐めて水を飲んでも喉が乾く
聞こえてくる剣戟と喧騒が加速度的に緊張を増幅させる
周りに就いている非戦闘員の世話係に無用な心配をかけている事を申し訳なく思いながら、橙真は天井を向いて深く息を吐く
肘をついて、顔の前で手を組んでいるグランツも内に秘めている焦燥感に駆られている
お互いの不安と焦りが感染し合い、場がピリついているがどうしようもない
いざと言う時に空回りしてしまいそうだが、これを解消出来る何かも思い浮かばない
この場にルナが居てくれたら良い具合に解してくれるだろう、と橙真は考えるがそれは無い物ねだり
今も担当地域で指揮を執り、最前線で殲滅しているルナはこの場には来られない
「橙真さん、反応はどうですか?」
「少しずつ、少しずつ近づいてるよ」
橙真の能力が刻一刻と迫るその時を教えてくれる
自分の力の一部がどんどん近づいているのを感じる
分かる、というのも考えものだなぁ、と橙真はすぐ目の前に感じられる反応に内心で溜息を吐く
悪戯に焦燥感を刺激されているような気がしてならないのだ
ちくりちくりと身を刺すような感覚に少し辟易しながらも心を落ち着かせる
もう間も無く、この感覚はすぐそこまで
どこかの近い次元の間、どこか近い別の世界、どこか近い時間軸のどこかに居る
「転移魔法、待機させておくね」
「はい…分かりました」
遂に、とグランツの双眸がより鋭く剣呑な物へと変わる
普段と変わらないように、そう心掛けていたが先程水のお代わりを受け取る時に相手の瞳に映った自分の瞳はそれよりも更に酷かった
力み過ぎて身体が固まらないように、立ち上がり少し柔軟を始めるとグランツもそれに倣って隣で解し始める
少しづつ解れていく感覚に心地良さを感じて、隣のグランツに声でもかけようか
そんなタイミングで、心臓を掴まれたような感覚に襲われた
「発動ッ!」
「ッ……!」
2人とも魔法陣の内側で柔軟を行なっていた事もあり、すぐさま魔法を起動させた
バッと橙真へ向いたグランツと、周りから一斉に聞こえた何か言葉、恐らくは激励の言葉を同時に認識した頃
もう既に目の前は500年前の最後に戦った場所
あの時の城は跡形もなく、生茂る緑も面影なく
死んだ大地と薄く透けた黒いドーム状の何かが残っているだけ
荒野と化したその場所を橙真とグランツは進む
ざりざりと音を鳴らす地面の先、黒いドーム状の先に居る
本能が告げるひっきりなしに鳴り響く警告音と、自分の力が示す存在の居場所
その2つが頭も身体も煩わしいほど急かして止まらない
早く早くと、今にも走り出してしまいそうな焦燥感に駆られる
「橙真さん…この先に居るんですね…」
「居るよ…これを消せばきっと目の前に」
橙真へと向いたグランツが息を飲む
知らず知らずに開いてしまった瞳孔が、恐怖を駆り立てたのか
それとも縦に開いた瞳孔が、最早人のそれではない驚愕からなのか
ここに来てグランツは実感する
橙真が既に人の領域から外れた存在であるという事を
その身から溢れ出す威圧感も、纏う雰囲気も、戦闘態勢故に練り上げられている力も
何もかもが思い出の中の橙真とかけ離れていた
「準備は良い?」
「ッ…いつでもいけます!」
1度深く息を吐いて、橙真が黒いドームに手を触れる
正反対の場所から順に橙真の掌に吸収されて、500年居座っていた黒いドームは消え去った
そのドームがあった中心、500年前に橙真がその場所から力を暴走させたその場所に
彼女は佇んでいた、懐かしむように慈しむようにそれでいて時折眉を顰めて苦々しく
「百合…さん……」
「母さん……」
絞り出すように2人が声をかける
違うと分かっていても、その見た目と表情がどうしても思い出の中の彼女と重なり合う
500年前最後に着ていたゴシック調の黒い服、手首にはいつか橙真が送った黒と橙に黄色の三色ミサンガ、首元には様々なスキルで彼女を守ってくれるように施したペアのネックレス
髪の長さも変わらずミディアム、魅惑と蠱惑的な雰囲気と左の目尻にある泣きぼくろ、上品な色気を漂わせる彼女
だが、橙真とグランツへ向いた瞬間に変わった無機質な瞳が、知っている彼女ではないと否が応でも理解させられる
「本当に…本当にこの年月を生きて待ったというのか…?」
「ルシフェル…ッ!お前こそッ!500年も百合さんの身体を使っていたのかッ!」
「500年……あの時からそれほどの時が過ぎたのか…」




