コンタクト
とある朝、夏野若菜はいつもより少し早めに教室に着いた。
教室にはまだ1人もおらず、職員室に鍵をもらいに行き、軽く先生と話してからまた教室へ戻ってきた。
それでもなお人はおらず、することもないので提出期限がまだ先の課題を進めることにした。
すっかり集中していた若菜は課題が終わり、顔を上げた時に、初めて席の半分近くがうまっていたことに気がついた。
時計を見ると、ホームルームまではあと10分ある。
若菜は残り数ページの小説を手に取り、文字を追いかけ始めた。
それから数分。
急に廊下から悲鳴に似た声が聞こえてきた。
若菜は驚いて咄嗟に声の方へ顔を向けたが、すぐにその理由を察した。
若菜の幼なじみ、真田結人とその友人一条柊耶が教室へ向かっているのだろう。
2人はいつも一緒にいるので、一部の女子からあらぬ噂を立てられ、熱狂的なファンがいるのだ。
それを抜きにしても2人は個々にモテるので、その2人が一緒にいると黄色い歓声も倍になる。
毎朝その2人が廊下を通ると、多少騒がしくなるのだが、今日はあまりにも騒がしすぎる。
不思議に思った若菜は、理由が気になったので教室の扉の前で2人を待ち受け、尋ねることにした。
しかし扉が開いた瞬間、その理由は視覚的に、明白に、そこにあり、質疑の手間が省けた。
2人が手を繋いでいたのである。
若菜は目を点にし、口が半開きになるお決まりのブサイクな顔で、その動揺を露わにする。
「あ、あんたたちやっぱりそっちの気が・・・・・・」
「違う! 誤解だ!!」
すぐに返答したのは結人。
あまりにも返答が早いのは、おそらく本人にも意識があり、誰かにツッコまれることを覚悟していたからだろう。
「実はコンタクトを切らしてて、何も見えないんだよ・・・・・・」
「それで僕が手を引いて案内していた訳です」
ああ、なるほど。
一応納得のいく理由があり、若菜は胸をなで下ろした。
「まあ僕は皆さんが勘違いしてもいいと思ってます」
「おい、マジでやめろ」
お決まりのコントが始まった。
しかし冗談だとわかっていても、若菜は柊耶の発言に引っかかりを覚えた。
これは私にとってもチャンスなのではないか。
例え男の子でも結人を取られるわけには・・・・・・、とあらぬ方へ向かっている思考を振り払い、紅くなった頬を誤魔化すように会話を続けた。
「今日1日どうするつもり?」
「とりあえずお前らにサポートしてもらうつもり。こんなの頼めるの2人しかいないからさ。頼む」
まさか結人からパスがくるなんて。
これで私は受動的に、『仕方なく』結人の手を引くことが出来る。
いくら幼なじみとは言え、手は容易に握れるものではない。
またとないチャンスに若菜は高揚していた。
「とりあえず席まで案内してあげる、ほら」
なぜか赤面している若菜が、結人に手を差し伸べる。(目が悪い結人でさえその赤面ぷりがわかるので、通常通りに見れば相当なものだったはず)
今日だけは周りに甘えようと、結人は素直にその手を取った・・・・・・はずだった。
「先輩の椅子はこっちですよ。あ、なんなら私が椅子になりましょうか?」
結人は恐る恐る視点を、手からその声の主に移した。
結人の手を引いていたのは春宮桜乃。
「うわわわああ!!!!」
「なんですか先輩、いきなり大声出さないでください」
素でびっくりした結人は、思わず声を上げてしまった。
普通なら失礼なことなのだが、桜乃は全く気にしている様子はなかった。
「先輩がコンタクトを切らしてて、加えてメガネも見当たらないということなので、お手伝いしに来ました」
結人が登校してものの数分。
その事実を知っているのは、若菜か柊耶のみ。
一方は消去方で消せるとして、問題は・・・・・・。
結人は親友をちらと見た。
すると向こうも微笑んできた。
それなりに付き合いが長い結人はわかった。
目が、面白いことになったと語っていたことを。
おそらく桜乃に情報が知れたのはこいつの仕業だろう。
こいつらが接点あるなんて初めて聞いたぞ、いつの間に知り合ったんだ。
しかし今更文句を言っても遅いので、ため息と共に不満を吐き出すことにした。
席までは桜乃にまかせ、チャイムが鳴ると彼女は別れを告げて出て行った。
結人は席に着いても、落ち着けずにいた。
幼なじみだからこそわかる雰囲気で、若菜がなぜか不機嫌になっていることに結人は気づいていたのだ。
なんとなくだが、頬を膨らませている。(はっきりとは見えない)
桜乃と言い若菜と言い、視界がはっきりしない苦労よりも、2人の相手の方が苦労しそうだと、結人は1日の予想図と共に悟っていた。