魔性の母
衝撃の事実が発覚した後、ベッドの上にいた桜乃の母である結月は、ベッドから降り、結人の左隣に座る。
「やっぱり男の子は可愛いわね」
そう言いながら、結月は結人に抱きつく。
初対面の人に対しての距離感が間違いまくっている。
母親の立場からすれば、子供と同年代の子はみんな幼く見えるのだろうか。
ゆっくり頭を撫でて顔を見つめてくる。
いやいやいや、近いって。
大きな二つの柔らかいものが、結人の左腕に密着している。
それになんだかいい匂いがする。
なんだかぼーっとしてきた。
これが魔性の力か、などと徐々に遠くなっていた結人の意識を桜乃の声が現実に戻した。
「ちょっとお母さん近いから!!」
そう言って結人の右側に座る。
そしてなぜか桜乃は結人の右腕をぎゅっと抱き寄せた。
お前も乗っかってどうするんだよ。
二つの柔らかいものが当たるが、左ほどではないな、と結人がなんとも失礼なことを考えてることも知らずに桜乃は母を説得する。
「先輩は私のものなんだから、離れて!!」
「お母さんこんな息子が欲しかったの。少しくらいいいでしょ」
いつからお前のものになったんだよ、と桜乃に反論も出来ぬまま親子は結人を取り合う。
そういえば桜乃は1人っ子だと前に言ってような気がする。
息子がいたらこんな感じかな、と想像する母親の気持ちもなんとなくわかる。
ただ、結人の意識はもっと別のところに取られていた。
あのマイペースな桜乃がツッコミにまわっている・・・・・・
このお姉さんは一体何者なのだ・・・・・・。
いや、確かに桜乃の母なのだが、そういう意味ではなく。
「先輩もこんなおばさんにベタベタされるの嫌ですよね!?」
「あら、そうなの? 結人くん・・・・・・」
桜乃さんよ、その質問はナシだわ。
結月様、そんな子猫のような目で見つめないで。
別にベタベタされることは嫌ではない。
しかし限度というものがある。
きっぱり断ると結月さんが落ち込むだろう。
ただ許可を出すとさらに悪化して、桜乃の機嫌もダダ下がりの可能性もある。
うーむ、どうしたものか。
なんとか両方を立てつつ、うまく避ける方法はないものだろうか。
結人は一つだけその術を思いついた。
さすが天然タラシと言ったところだろう。
結人はその言葉に説得力を持たせるため、いつも柊耶の棘を帯びた言葉を中和する時の優しい表情を浮かべた。
「お2人とも仲が良いんですね。こんな素敵な母娘に挟まれて、僕は幸せです」
さっきまで騒がしかった母娘がシンと静まった。
あまりに急変した空気に、結人はなにかマズイことを言ってしまったのかと心配したが、その必要はなかった。
結月が結人の腕を離し、そっと立ち上がった。
「素敵な人ね。桜乃を任せても大丈夫そうだわ」
美少女スマイルではなく、上品な笑みを浮かべる結月。
結月の発言に結人は意表を突かれた。
俺は試されていたのか?
悔しいような、それで良かったような。
「どうぞ、ゆっくりしていってね」
そう残し結月はそっと部屋から出ていった。
まだ2人とも状況があまりわかっていない。
桜乃は結人の右腕を抱きしめたまま固まっていた。
その硬直が解けた途端に結人と目が合う。
結人の腕を抱きしめたままだったことに気づいたらしい。
みるみるうちに顔が蒸気を帯びる。
しかし彼女は結人の腕を離すどころか、一層力強く抱きしめた。
そして目線を落としたままこう言った。
「も、もう少しだけこのままで・・・・・・」
桜乃は体を結人に預ける。
肯定も否定も出来なかった結人は、抵抗しないことで黙認といった形をとった。
なんとも言えない、ぎこちなくゆっくり進む時間がもどかしかった。
桜乃はそっと結人から離れた。
抱きついていたのは、ものの数秒だったはず。
しかし結人には、その時間がそれよりずっと長く感じられた。
その後の会話はどこか空回りしていて、あまり噛み合わなかった。
内容もあまり覚えていない。
そんな空間から逃げ出したかった結人は、予定より早く帰ることにした。
玄関で靴を履いていると、リビングから結月が来た。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「はい、夕飯作らないといけないんで」
結人の発言に、結月は感動したらしい。
驚きの表情には、『好感度アップ』と書かれてあった。
結人は靴を履き終え、カバンを肩にかけて立ち上がる。
「お邪魔しました。また来ます」
これは全くの本心。
今日は色々あったが、なんだかんだで楽しかった。
この不思議な母娘をもっと知りたい。
そんな思いから、また来ると断言した。
その言葉に答えたのは結月。
「今度は桜乃のいない時にでも来てください。そして2人で『いろいろ』しましょう」
美少女スマイルの結月。
今『いろいろ』と強調しなかったか?
さっきの母親らしい発言が台無しだ。
その表情からは心情が全く読み取れない。
色々にはなにが含まれるのだろう。
考えてもろくな事にならないので、結人はあまり考えないようにした。
「いい加減にして!」と結月に怒鳴る桜乃とそれを笑顔で宥める結月を、結人は苦笑いで見ていた。
「おじゃましました」と言って結人は家を出た。
扉が閉まってから2、3歩歩いたところでもう一度扉が開く音がした。
忘れ物でもしたか、と振り返ろうとしたところでグイと左腕を引かれた。
「ごめんなさい、今度は2人きりになれるようにしておきます」
桜乃は結人の耳元で囁いて、足早に戻っていった。
きっと今の言葉は、母親が迷惑をかけましたといった意だろう。
他意はないのだろうが、少しだけドキッとしてしまった。
結人は行きの道と全く違って見える道を、鼓動に比例して早足で帰っていった。