姉妹
結人はある家の前に立ち尽くしていた。
インターホンを押す勇気が出なかったのである。
表札に書かれた『春宮』という文字。
禍々しい雰囲気を醸し出すその苗字に、結人は棒立ちになっていたのだった。
──────1時間前──────
何も予定がない日曜日。
結人はお気に入りの作家の本を読んでいた。
1日をこのまま趣味で潰すのもたまにはいいだろう、と自分だけの時間を楽しんでいた最中、机の隅に置いていた携帯が鳴った。
画面には春宮桜乃と表示されている。
少し迷ったのだが、後で文句を言われるのも嫌なのでとりあえず出ることにした。
『先輩こんにちは。今大丈夫ですか?』
いつもと違った雰囲気の声。
その声からは上品でお淑やかな美少女を連想させる。
こちらの事情を聞くことから察して、少し話が長くなりそうだと思い、結人は読んでいた小説に栞を挟んで閉じ、椅子からベッドに腰を移した。
「大丈夫だけど、どうした?」
『もし良ければ、今から私の家に遊びに来ませんか?』
思いがけない提案。
女の子の家にお呼ばれされた男子高校生は普通浮かれて二つ返事でOKを出すだろう。
しかし結人は迷っていた。
今日1日は趣味に使うと決めたので、外に出る気分にならないのだ。
そんな結人の心情を桜乃は電話の間から察したらしく、条件を加えてきた。
『あの唐揚げの作り方教えますよ』
あの唐揚げとは、桜乃が1番最初に結人へ弁当を作ってきてくれた時に入っていた、あの唐揚げのことだろう。
あまりにも美味しかったので、あの味を再現しようと何度か試してみたのだが、再現することは出来ずじまいでいた。
桜乃に聞いても秘密だと、はぐらかされていたのは、もしかしてこういった時のためだったのだろうか。
そんなずる賢い罠に気づいても、結人はこのチャンスを逃すわけにいかなかった。
「行きます」
結人は考えるより先に言葉を発していた。
────────────────
そして冒頭へと戻るわけである。
相変わらず結人は住宅街の中で立ち尽くしていた。
その理由はただ一つ、『不安』である。
家に入れば完全に彼女のグラウンド、まさに『ホームグラウンド』である。
彼女が結人に何をしてもおかしくない。
そんな不安から、インターホンを押せずにいたのである。
しかしここまで来た手前、もう引き返せない。
今日1日彼女に振り回されよう。
結人は覚悟を決め、インターホンを押した。
『はーい』
先ほどの電話と同じ声、おそらく桜乃本人だろう。
インターホンのカメラから結人の姿を確認したのか、結人が返答する前に切れた。
そして少し間を置いて、扉が開いた。
「先輩どうぞ、入ってください」
桜乃が扉を開けたまま、逆の手を家の中のほうへ伸ばす。
結人は緊張した面持ちで、お邪魔しますという言葉と共に中へ入った。
綺麗に靴を整えた後、結人は桜乃に案内されるがままに階段を昇り、すぐ正面に見えた部屋に入った。
白とピンクを基調にした可愛らしい部屋。
おそらく桜乃の部屋だろう。
学習机とベッドにテーブル、そして少し大きめの熊の人形が置いてある。
至ってシンプルで部屋も片付いており、落ち着ける雰囲気があった。
「適当に座っていいですよ」
そう言われ結人はテーブルの前に座り、ベッドに背を預ける。
桜乃は机を挟んで結人の右側に座った。
何か話でもあるのかと思ったのだが、桜乃は雑談を始めた。
それから15分ほど話したが、特に様子は変わらない。
そんな桜乃を不思議に思い、結人は招待した理由を尋ねた。
「今日なんで家に呼んだんだ?」
桜乃は自分が理由を言い忘れていたことに気付き、少しの謝罪の後に理由を話した。
「母親に好きな人が出来たと言ったら、是非会いたいと言われたんです。それで母親に先輩を紹介しようと思ったんですけど、どうやら今出かけてるみたいですね」
理由の中でさりげなく『好きな人』というワードがあったが、改めて言われるとやはり照れる。
照れが表情に出ないよう、意識的に頬の筋肉に力を入れる。
桜乃母は話を聞いていると可愛らしいお母さんだ。
しかし理由を知った上で会うとなると、ものすごく緊張する。
結人は先程より少しだけ、背筋に力が入った。
「喉が乾きましたね。なにか持ってきますね」
桜乃はスカートがめくれないように、整えながら立ち、下へ降りていった。
結人はほっと一息つく。
桜乃と2人でいることには慣れ始めていたので、気まずさはないのだが、変な緊張感がある。
結人は精神的な不安から身を守るためか、三角座りで顔を下に向けた。
トントンと肩を叩かれた。
桜乃が帰ってきた?
いや、違う。
扉が開いた形跡はない。
結人は背をベッドに預けているので、誰かが来たら布団の音などでわかるはずだ。
きっと気のせいだ。
そう自分に言い聞かせ、また顔を下に向けた。
トントン。
もう一度肩を叩かれる。
こうなれば気のせいだと誤魔化すことは出来ない。
誰かが結人の肩を叩いている。
嫌な予感がする。
霊とかポルターガイストの類か?
結人はそういったものが苦手な訳では無いが、いざ我が身に降りかかると結構怖い。
しかしこのまま桜乃を待っているのもかっこ悪いし、なにより正体が気になる。
人間の怖いもの見たさというのは、なにより怖いものかもしれない。
早くなった鼓動を落ち着かせるように、ゆっくり顔を上げた。
そして結人は意を決して後ろへ振り返る。
ぷにっ。
「ふふっ、ひっかかりましたね」
なにかの異物が、結人の頬を押す。
これは古典的な『あれ』ではないか?
えらく無邪気な霊がいるものだ。
結人はゆっくりと目線を上に向ける。
そこにいたのは、足もしっかりある女性。
ベッドの上から、指で結人の頬をつついていた。
結人は驚くべき光景を、頭でまとめずにそのまま言葉にしていた。
「お姉さん・・・・・・?」
「結人くん、はじめまして」
桜乃を少し大人びた雰囲気にした女性。
一目見ただけでお姉さんだとわかった。
妹と似てるだけあって、お姉さんも相当な美人だ。
結人は珍しく、その魔性の魅力に惹かれていた。
その時扉が開き、桜乃が戻ってきた。
「お待たせしました・・・・・・、ってお母さんなにしてるの!?」
桜乃は驚きの表情を浮かべる、がそれ以上に驚いているのは結人だ。
は? なんて?
この人がお母さん?
驚愕の発言に動揺の色を隠せない結人は、目を丸めたまま、『お母さん』と呼ばれた女性にまた視線を戻す。
結人と目が合った『お母さん』は、桜乃と同じ美少女スマイルで結人に自己紹介をした。
「はじめまして、桜乃の母の春宮結月です」