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《同棲時代》  1  研修医一年・三月

社会人となった利知未と、倉真の結婚までのストーリー、一つ目となります。 更新は不定期となりますが、また、宜しくお願い致します。

同棲時代編

    1 《研修医一年・三月》


              一


 三月十三日。 大学を卒業した十日後から、利知未は研修医として働き始めた。

 外科病棟で改めて紹介をされ、挨拶を交わした。 これから暫くは、入院患者の処置などを主にして、五月か六月頃には、週一回で半日だけ、外来の患者も扱い始める事になるらしい。

 改めて、医師として働き始める、その心は。 大きな不安と、少しの希望を秘めていた。


『裕兄が目指していたのとは、専門が違うけど……。 あたしには内科は、向かなそうだ』

 インターン生活で、内科や小児科にも当然、携わって来た。 それを通して、そう感じた。


 初日は、笹原と顔を合わせる事も無かった。 実習でお世話になってきた、ベテラン医師・塚田が、これから先の、利知未の相談役だ。 利知未の治療、処置についての、最終的な責任を、彼が負ってくれる事になる。

「先ず二年間は研修医として、焦らず、知識と技術と共に、心も磨きなさい」

始めにそう言われた。 確りと頷いて、これから宜しくお願い致しますと、最敬礼で挨拶を交わした。

 最終的な責任と言っても、患者に対する中で、利知未の医師としての責任も自身で負う事は当然だ。ただ、自分で判断しきれない時には、塚田医師に相談しながら、治療方針等を決めて行く事になる。


 初出勤を終え、精神的にやや疲れて、夜、帰宅した倉真に甘えてしまった。 身を寄せ合って、心が落ち着く。

「早速、一人、患者さん、任せて貰った」

「いきなり、そうなるのか?」

「後、五日で退院出来る人だから。 仕事に慣れる為にね」

「シフトは、どうなってるんだ?」

「三月一杯は、基本的には通常勤務。 週一で夜勤もやるけど、普段は八時から十七時までだから、今までより家出るのが、三十分くらい早くなるな」

「ンじゃ、俺も七時起きに戻すか」

「いいよ? 朝食は、作っておくし」

「お前の顔見ながら朝飯食った方が、一日の張り合いが出る」

「……あたしも、倉真の顔見てから出勤した方が、元気出る」

 寄り添って、いいムードになって、唇を重ねた。

「今日は、もう寝るか?」

「まだ、十時前だよ? そう言う、気分なの?」

「そう言う気分だ」

「そうだね。 片付けて、ベッド行こうか?」

 頷いて、後片付けを済ませて、早々に寝室へ引っ込んだ。




 準一は樹絵と付き合い始めてから、これからはナンパを止めようと、一応は決めていた。

 改めて付き合い始めた日、樹絵に言われた言葉を思う。

「マジ、ナンパ禁止な」 と、早々から釘を刺されていた。

それに、これまでやり続けて来た理由を考えても、今は取り敢えず、しなくても済む筈だ。

 けれど、習い性と言うのは恐ろしい。 つい街中で、隙がある女の子を目で探してしまう。

『自分から声掛けなけりゃ、ナンパじゃ無いよな?』

等と、都合の良い事を考えてしまう。

チャンスがあれば、一緒に遊びに行くコの一人や二人見つけても、良さそうだと考えてしまった。


 樹絵は、準一の悪癖については完全に収まる物でも無いだろうと、始めから覚悟はしていた。 浮気の気配は、流石に敏感に感じ取る。

 バイト先で仲良くしている別所に付き合って貰って、酒など飲みながら愚痴を溢す事も、シバシバあった。


 金曜日の夜も、別所と共に居酒屋で飲んでいた。

「アーユー癖って、直らないのかな。 男って、皆そう言う所がある物なのか? それともジュンが特別なのかな」

亨と付き合っていた頃には、感じた事の無い疑問ではある。

「おれは、よく判らないな。 少なくとも彼女が居る時には、ナンパはしなかったと思う」

元々、ナンパを趣味とするタイプでもない。

「別所って、今まで何人くらいと付き合ったんだ?」

「そんな多くは無いけど。 取り敢えず高校の頃と、大学入ってからの二人くらいだよ」

「長かった?」

「一年半と、一年弱。 今は、特に居ないけどね」

「そっか。 その間も浮気はしなかったんだ」

「浮気はしなかったつもりだよ。 ……大学の彼女は、ちょっと焼き餅焼きなコだったからな。 疑われて振られたんだよ」


 酒も入っている。 別所も歳の近い樹絵とは、気楽に話せる。 樹絵より一つ年下なのだから、今年で二十一歳だ。 彼女が居た経験を通して、いつかの利知未とアダム・マスターに対する疑惑は、確信に変っている。

 それでも、今までの所は誰にも話してこなかった。 ただ今夜は、酒が過ぎてしまった。

樹絵の質問に答える為に、あの出来事をうっかり引用してしまった。


「けど、浮気するヤツは、するモンだと思う。 あのマスターでさえ、瀬川さんと怪しい頃が合ったモンな」

「何だよ? それ! 始めて聞いたぞ?」

 ビックリして、少し声が大きくなってしまった。

「そろそろ時効かな……? おれがアダムでバイト始めた高校一年の秋に、見ちゃったんだよな」

「何を?」

「財布を店に忘れて、朝、八時頃に取りに行った事があったんだ。 その時、休憩所で、二人が一寸、色っぽい感じで一緒に居た所を見ちゃったんだ」

「四年半くらい、前になるのか。 ……って事は、その頃、利知未は大学一年か? ちょっと、信じられない気もする」

 以前、準一から齎された情報を思い出した。


 あの時、透子から聞いたと言って、準一が報告していた。 利知未は、高校一年の頃には、当時の彼氏と、すっかり大人の付き合いをしていたらしい。

それでも大学時代の相手が、あのマスターと言うのなら、びっくりだ。


「今は瀬川さんも、ちゃんと恋人が居るみたいだから。 取り敢えず、時効だと思うけどね。 ……一寸、口滑らせたかな」

 一応、反省もした。

「ま、時効って事で、イイのかな……?」

 あの頃は、まだ倉真の事も、友人の儘だったと思う。


 それから、準一の話をする気も失せてしまった。 もう暫く雑談をしながら酒を飲み、十二時には店を出た。


 帰宅した途端、秋絵が樹絵を捕まえた。

「樹絵! 何処へ行っていたの? ジュン君が救急車で運ばれたって!」

「何だよ? それ!」

 ビックリした。 続きを聞いて、一応は安心した。

「和尚が連絡くれたんだけど、盲腸らしいって。 直ぐに手術してくれた見たいだから、もう平気だろうとは言っていたよ」

「何処の病院?」

「西区の西横浜医科大学第二病院。 バイト中に腹痛で気を失ったらしくて、そこから運ばれたんだって」

「盲腸か。 なら、明日か明後日でも、平気かな」

「呑気ね。 良いの?」

「死ぬ事も、無いんじゃないか? 大体、浮気するから罰が当ったんだ」

「…言えるかも。 また、ナンパ?」

「みたいだよ。 良いよ、少しくらい痛い目見た方が」

さっさと風呂入って寝よう、と言いながら、階段を上がって部屋へ向かう。

秋絵は少し呆れ顔で、首を小さく竦め、後を追う様に階段へ向かった。




 その夜、利知未は夜勤だった。

 救急車で運ばれて来た準一は、直ぐに、オペをする事になった。同じく、夜勤で入っていた笹原が、執刀する前に、利知未へ言う。

「虫垂炎でも、腹膜炎を併発している訳ではないみたいだな。 瀬川さん、僕がフォローするから、執刀して見るかい?」

「私が、ですか?」

「知り合いの様だし。 大丈夫だよ、医師免許は当然、貰って来ているだろう? 親の病院を手伝って、直ぐにメスを取る新人も居るんだ。 君に出来ない事は無いだろう」

 言われて、挑戦する事にした。

『ジュン、悪いな。 勉強させて貰うよ』

本来、友人の腹を開くのは、やはり抵抗がある物だ。 それでも、良いチャンスである事は変わらない。 それに準一なら、大丈夫だろうとも思う。

 これが倉真だったりしたら、流石にイヤかもしれない。


 オペは、無事に終わった。

「二、三日は、外科へ入院する。 術後処置は君がするんだ。 塚田先生には、僕から連絡をして置くよ」

「ご迷惑を、掛けしたりしませんか?」

「どうして?」

「まだ、研修医として一週間も経っていない新人に、オペを任せてしまった事です」

「オペは無事、成功だ。 初めてにしては、かなり優秀だったと思うよ」

「マダマダです」

「良いチャンスだったんだよ。 これがもっと難しい症例だったら、僕も君に任せたりはしまい。 医師として判断した。 この症例は、新人の君でも無事に処置が可能だとね」

「……ありがとうございます」

 頭を下げて、礼を言った。


 この件については、利知未にお咎めは無かった。 笹原が確りフォローに回った事でもある為、軽く苦言を告げて収めてくれた。 無事に終えた事でもある。



 夜勤明け、朝七時半頃に帰宅した利知未は、倉真が自分で起きて、朝飯の準備をしている光景を見る。

「おォ、お疲れ。 朝飯、二人分作った」

「マジで? サンキュ」

つい、昔ながらの言葉が出てくる。 気を付けてはいるが、疲れた時などは、倉真の前では気が抜けてしまう。 反省だ。

 それでも嬉しいと感じて、キッチンへ立つ倉真の頬へ、感謝のキスをした。

「腹、減ってるか?」

「背中と、くっ付きそうだよ」

「ンじゃ、食おう」

「うん」

 利知未も手伝って、テーブルの上へ、朝食を並べた。


 朝食を済ませてからシャワーを浴び、洗濯を済ませてから仮眠を取った。 夕方、買い物へ出掛けて、夕食は利知未が作った。

 夕食の時間、昨夜、準一が運び込まれた事を報告した。

「盲腸だし、オペも無事終わったし、直ぐ退院出来るとは思うよ」

「そーか、ンじゃ、見舞いは行く必要、ネーな」

「良いんじゃないかな。 けど、からかいに来てやれば?」

「笑わせてみるか?」

「それは、医者としては反対。 ……けど、ダチとしては賛成」

 悪戯めいた利知未の言葉に、倉真は、軽く笑った。


 その日は、夜勤明け休みだった。 シフトでは、その翌日まで休める事になっていたが、準一の退院まで休みが減ってしまった。

「かなり特例に近いからね。 責任は確り果たすように」

お咎めの代わりに、そう言われた。

 それでも、まだ外来を担当している訳でもない。 融通を利かせてくれた結果だ。

「とは言え、良い経験だからね。 オペ後の経過まで、気を抜かずに確りと取り組むように」

 塚田医師から言われて、利知未は素直に頷いた。



 夜勤明けの翌日、八時からの通常勤務で出勤した。 準一は、たった一日で、病棟内の有名人になっていた。

 処置箇所の痛みは、痛み止めで誤魔化される。 流石に夕方までは大人しくしていたらしい。 翌日の土曜日に、見舞いへ来てくれた和泉に、トランプを買って来て貰った。

 夕食後から、比較的、軽い症状の同室患者を集めて、トランプマジックを始めてしまった。 中でも元気な患者が、別の病室から入院仲間まで呼び寄せてしまった。

 その様子を見て、消灯時間の見回りに来た、ナースに怒られてしまった。


「昨日、手術したばかりで、安静にしていないでどうするんですか?!」

 二十代後半のナースだ。 闊達なタイプで、大部屋患者達からは恐れられている。

「梅野女史だ。 渡辺君、要注意」

『梅野女史』とナースを表現して、彼女と同い年の患者が耳打ちした。


彼は高橋と言って、会社の運動部で足首の筋を痛めてしまった。 暫くは安静が必要で、十日間から二週間の予定での入院だ。 松葉杖をついている。 ベッドは、準一の斜め向かいだ。


「キツそうだけど、美人ジャン?」

 梅野女史が出て行ってから、再びベッド脇へ移動して来た高橋に、準一が感想を述べる。

「顔だけはな。 同じ美人なら、俺は、研修医の瀬川先生の方が好みだ」

利知未の名前を聞いて、準一は目を丸くした。

「渡辺君が羨ましいよ。 担当医、瀬川先生になってる」

ベッドの頭部分に掛けられた、患者の情報プレートを見て、高橋が言う。

「けど、研修医なんだから、実験台になったって事だよ?」

その部分に異論がある訳ではない。 利知未の事は昔から慕っている。

これも、助けられたって事になるんだよな? と、考える。

『利知未さんは、昔からずっと、人助けの為に生きて来てる様な人なんだな』

と思った。 ある意味、あの人らしいかもしれない。


 そう言えば、病院での利知未の様子は、どんな何だろう? と、考え、想像しながら、三十分後には大人しく眠った。



 翌日、午前中に利知未が、準一の様子を見に来た。

 ベッド周りのカーテンは開いたままだ。 病院での『瀬川先生』の様子を、改めて観察できた。

 利知未は笑顔で、準一に問い掛ける。

「調子はどう?」

語尾の印象が、今まで知っていた利知未の様子と、随分違う。

 少し目を丸くして、その後もよく観察してみた。

「痛み止め効いてる。 セガワセンセイが、手術したんだよね?」

「オペは成功してますよ。 一寸、傷口見せて下さいね」

利知未は立場上、柔らかい雰囲気を出しながら、少し照れ臭い感じもする。 カーテンを閉めてから、軽く溜息をついた。

「やっぱ、肩凝るな。 ジュン相手にこうしてるのは」 小声で呟いた。

準一は、その様子を見て表情だけで笑う。 腹から笑うのは、流石に傷口に沁みる。

「普通、ナースがこういう処置、してくれる物かと思った」

「病棟の医師たちは、忙しいからね。 それを助けて患者さんを労わるのは、ナースの仕事だけど。……あたしの場合は、まだ担当も少ないから。 それと、今後の為に、だ」

 最後の最後で、語尾が戻ってしまう。 自分に反省だ。

「成る程」

高橋の意見を思い出して、納得した。

「何が?」

「何でもない」

準一は、恍けた表情で誤魔化した。

 言葉使いや立ち居振る舞いに気をつける利知未の白衣姿は、中々、色っぽくも見えた。

 問診をしながら手早く処置を済ませ、経過を見た。 傷口は段階を経て、回復へ向かっている。 後、2日もしたら、抜糸しても平気そうだと思う。


 処置を終え、カーテンを開いた途端に、気分を切り替えた。

「じゃ、安静にしていて下さいね」

再び猫を被った女らしい笑顔を利知未に見せられて、準一は内心で大笑いしていた。



 その日曜日、午後一で倉真が、準一をからかいに見舞いに現れた。

「そっか、利知未さんと住んでるんだモンな。 聞いてて当たり前か」

倉真の姿を見て、準一が小声で呟いた。

「お前の所為で、折角の休みが台無しだぜ。 ほら」

倉真は、青年誌を見舞いに持ってきた。

「サンキュー」

準一は雑誌を受け取って、顔だけで笑顔を見せた。

「まだ、屁、出ないのか?」

「一昨日、手術したばっかりだよ? そりゃ、無理だ」

「樹絵ちゃんは、見舞いに来てくれないのか?」

「和尚が、連絡はしてくれてる筈だけどね。 バイトもあるし」

「アダムで、バイトしてんだよな。 俺は最近、行ってネーな」

「利知未さんが飯、作ってくれてるんだから、外食する必要、無いよね」

「そう言うことだ。 午後の回診の前に、退散するとするか」

「内緒なのか? 一緒に住んでる事」

「一応、な。 ココでこうして話してたら、内緒もクソもネーよな」

「ンじゃ、オレも気ぃ付けないとな」

「お前は口が軽いからな。 気を付けてやってくれよな。 ジャーな」


 倉真は十分ほどで、準一の病室を出て行った。

 廊下で利知未と擦れ違う。 二人にだけ判る、アイ・コンタクトを交わした。




              二


 月曜日、樹絵はシフトで、バイトが休みだ。

『まだ、入院中だよな。 ……罰が当ったんだろうとは、思うけど。 顔だけは、出してやろうかな』

下宿退去まで、二週間弱しかない。 最近、引越し準備も忙しかった。

 片付けを途中で止めて、着替えた。 見舞いに4コマ漫画の単行本を数冊、バックへ入れた。


 里沙の車を借りて、病院へ向かった。 樹絵は最近、ミニスカートを良く履く様になっていた。 スタイルも徐々に変化して来ている。

 背は平均でも、見た目には中々、可愛い女に見えてきた。



 病院へ到着して、外科病棟、3階へ上がった。

廊下の途中で、よく知った顔と、目立つ長身の白衣姿を見かけた。

「あれ? ……利知未? もしかして!」

 聞こえてきた素っ頓狂な声に、利知未は振り向いた。

「樹絵?」

小走りして来る姿を見止めて、立ち止まる。

「やーぱり! 利知未じゃん? ……なんか、綺麗になった?」

「……サンキュ」

照れ臭いながらも、小さく礼を言う。 改めて樹絵の全身を眺める。

「樹絵も、大人っぽくなったな。 一瞬、誰だか判らなかったよ」

出て来た言葉に、また反省だ。 昔の様子に、自分が戻っている。

「お見舞い?」

言葉に気を付け直して、少しは女らしい微笑を浮かべる。

 その利知未を見て、樹絵は何と無く、嬉しいような気もする。

『倉真の影響かな?』

思いながら、利知未の問い掛けに頷いた。

「そっか、ココだったんだよな。 利知未の勤務先。 まだ、春休みかと思った」

「春休みは、十日くらいはあったよ。 先週から、仕事が始まってる」

「そうだったんだ。 けど、始めに秋絵から病院名を聞いても、思い出せ無かったよ」

「健康優良児は、中々、顔を出さないからね。 思い出さなくても仕方ない」

小さく笑顔を見せられて、樹絵も微笑して、軽く首を竦める。

「まーね。 そうそう、四月から警察学校、入る事にしたんだ、あたし」

「そーなの? 大学は?」

「辞めた。 やりたい事、やっと見付かったから」

「そっか。 ま、頑張れ」


 樹絵の報告に、内心では驚いていた。 それでも、夢を追い掛ける事には賛成だ。

アダム・マスターの姿勢は、利知未にもすっかり馴染んでいる。


「もー、引越しの準備とか、色々忙しいのに。 ジュンのヤツ、行き成り盲腸だもんな。 参っちゃうよ」

「上手く行ってるんだ。 何より、何より」

「そっちこそ! 倉真と同棲、始めてから、どれ位になるんだ?」

「今に、一年かな。 ……住所、知らせてあったんだ」

チラリと思う。 友人として仲が良かったのだから、倉真から引越しの報告があっても、当たり前ではある。 自分からも連絡はしてある。

「病院では、一部の人間しか知らない事だから、よろしく」

人差し指を唇に当て、小声で付け足した。

「あ、ごめん。 秘密だったんだ」

樹絵が慌てて、周りをキョロキョロと見回した。 外見は随分、大人びて来た樹絵の、昔から変わらない様子に小さく笑ってしまう。


 回診の準備を整えたナースが、利知未に軽く目配せをして、横を過ぎる。

 ナースが行き過ぎてから、話を切り替えて、樹絵が言う。

「引っ越す前に、一度あの家に来てよ。 ゆっくり話がしたいから」

別所から先週、聞いた話を、軽く突っ込んで見たいと思う。

「良いよ。 何時、引越し?」

「四月一日。 学校、三日から始まるから」

「そっか、警察学校の寮。 ……そうすると、中々、会えなくなるんじゃない?」

準一と会えなくなるのではないか? そう思う。

 自分が、インターン一年の頃を思い出して、可哀想な気がした。

「まぁ、仕方ないよ。 アイツもそろそろ、真面目に仕事、始めるって言ってたし。 あたしが警官になるのと、どっちが先か、競争になる予定」

 屈託無い笑顔を見せる。


『あたしも、大学時代は同じ事、言っていたよな』

 仕方ない。 そう割り切って頑張って来たが、結局、不安に襲われて、同棲生活へと踏み込んだ。

『樹絵の方が、恋愛については、逞しいかもな』

あの頃の自分と、同じ思いを抱えてしまわなければ、一番良いことだとは思う。

昔からよく知っている樹絵を思い出す限り、自分よりは余程、逞しい精神の持ち主だとは、思っている。


「判った。 今月一杯は、土曜夜勤明けの日曜休みだから、週末には行けると思うよ」

 大部屋から、ナースが顔を覗かせていた。 気付いて、利知未が言う。

「ごめん、あたしは仕事があるから。 ゆっくりお見舞い、してあげて」

「あ、そーだよな。 こっちこそ、ごめん」

「まだ腹筋、使わせない様にね」

「分っかりましたぁ! 瀬川センセイ!」

警官風の敬礼を見せて、樹絵が無邪気に笑ってみせる。

「じゃ、ね」

済みません、とナースに詫びて、大部屋へ入った。


 一人で担当している患者は、準一を含めても、まだ2、3人だ。今日は、塚田医師に指示された通り、ナースと共に、彼の患者を数人、診て回る。

 割り当てられた患者は、もう直ぐ退院出来る患者が殆どだ。

 塚田は、本日夜勤だった。 笹原も、自分の担当患者以外の何人かを、塚田から預かっている。

この病院の外科は、勤務時間のずれを、そうやって持ち回っていた。


 大部屋を回り、患者に声を掛けられる。

「美人な先生が入ったな」

「また、そう言うことばっかり言って」

ナースが、苦笑いしながら呟いた。

「塚田先生は、今日は休み何ですか?」

「今日は夜勤です」

返事をして、患部を改める。

「もう、すっかり良くなってると、仰ってましたよ。 確かに、もう直ぐ、退院出来る筈ですね」

 勉強もある。 ベテラン医師の処置後を、確りと観察させてもらった。

『綺麗な傷跡だな』

 そう、感心してしまった。 処置の能力差かもしれない。

『ジュンの患部は、どうなるんだろう……?』

 自分の処置を、チラリと思い出した。


 塚田医師から預かり分の回診を終え、自分の患者へ回った。



 樹絵は、準一の病室を訪ねた。比較的、軽い患者が多い所為か、ベッドが殆ど空いている。回診の後、リハビリや談話室や、喫煙所へと消えている。

 カーテンの脇から顔を覗かせて、樹絵が声を掛ける。

「よ。まだ、お腹痛い?」

「お、来てくれたん? 流石にね、動くとまだ、少し痛いよ」

「はい、お見舞い」

 樹絵から、4コマ漫画の単行本4冊を渡され、準一が言う。

「うわ、有り難メーワクな見舞い、持って来たな。 笑うと腹、痛―じゃん」

「だけど、暗い本、持って来たら、気が滅入るだろーと思って」

悪戯心が半分だ。 樹絵は、にやりと笑って見せた。

「そりゃ、そーだ」

「だいたい、金ケチるから入院が長引いたんじゃん。 今は、一日か二日で退院出来る手術も、あるんじゃないか?」


 まだ、小学生のころ。 両親と共に北海道で生活をしていた頃だ。

 今はアメリカに居る由香子が、どうしても見たいテレビアニメがあり、腹痛を訴えずに、盲腸から腹膜炎を併発しかけた事がある。

 幼馴染の樹絵と秋絵も、見舞いに行った記憶があった。 中学から双子は、この神奈川へ越して来たのだから、恐らく小学三年生か四年生の頃だ。

 あの頃は、昔ながらの手術法しか、無かった筈だ。


「シャー無いよ、余分な金、ねーもん」

 ヘラリと、準一が言う。

「貯め込んでいた筈だよな? なんに使う気なんだ?」

「内緒」

「ま、いーけど。 あたしも今は忙しいんだからさ、こーして来てやっただけでも、有り難がってもらわなきゃ」

「感謝感激。 流石、我が愛しのラバー」

「何処まで本気なんだか……」

何処までもふざけた準一の調子に、樹絵が呆れて突っ込んだ。

 準一は早速、単行本を開いていた。

「あ、これ、樹絵が好きな少女マンガの4コマだな」

「そう。 頭使わなくていいし、面白いよ。 退院したら返してよね」

「漫画とか、どうするんだ? 持ってくのか?」

「持ってけ無いよな。 売るか、実家に送るかだよ」

「どうしても、取って置きたいのあったら、オレが預かっとくよ? 寮、出るまで」

「その間、読んでる?」

「偶には、借りるかもね」

「そーだな。 じゃ、厳選しておこう」

準一も面白がりそうなモノを、幾つか預けておこうかと考えた。

「担当、利知未なんだ!」

改めて、ベッドへ掛かった患者の名前と、担当医、入院日、手術日が書かれた、プレートを見た。

「そう。 実験台にされちゃったよ。 どーしよー? 大事な所を見られたかもしれない」

「何時も、倉真の見てんじゃないか。 ……比べられてたりして」

真っ昼間から、下ネタチックになってしまう。 準一から一番離れた窓際のベッドには、患者が一人、足の爪を切っている。

 チラリとこちらを見られた気がして、樹絵は少し赤くなる。

「オレ、もーお婿に行けないよ」

少し、オーバーアクションを見せて、いてててて、と、腹を押さえる。

「バーカ」

「テテテ……冷たいなぁ」

「くだらない事、言ってるからだよ。 ……剃られたんだよね、どーなってるんだろう?」

 一寸だけ、興味を持ってしまった。


 そのまま、ふざけた会話で遊んでいると、利知未が病室へ入って来た。

「何、じゃれ合ってんの? 回診です。 先に、藤堂さん診て来るから、少し待っていて下さいね」

「ふぁーい」

準一の気の抜けた返事を聞いて、小さく笑ってしまった。

 利知未はナース無しで、一人で現れた。 窓際のベッドへ向かう。


 問診をしながら、手早く処置を済ませた。

「退院、予定通りになりますか?」

 藤堂から問われ、少し考える。

「そうですね、この調子なら、少し早めに退院できると思いますよ。 検討して見ます」

「お願いします」

処置を終え、準一のベッドへ回る。 藤堂は、トイレへ行った。


 利知未の様子を、樹絵も興味深く眺めていた。 カーテンを閉めて、患部を診る。 気が少し抜けてしまう。

「明日には、抜糸出来そうだな。 順調、順調」

言葉と態度が、昔ながらに戻ってしまった。

「直ぐに、退院出来ると思うよ。 ガスは出た?」

「まだです」

「そっか。 お前、痛みで朦朧としながら、『なるべく安くお願いします』って、繰り返してたぞ? 覚えてるか」

「覚えてるよ。 だって、本当に金、ねーんだもんな。 シャーないよ」

「保険、使えば安くなるンじゃないか?」

樹絵の言葉に、準一が言う。

「取り敢えず、出して置く金がないんだ。 保険使っても、手術したらかなり出るし。 実家、出る予定だからね」

ついでのように、報告をする。 行き成りの報告に、樹絵は少し呆然とした。

「そーなんだ。 知らなかった」

「女、連れ込み難いもんな、実家じゃ。 特に、これから月に一度くらいしか、会えなくなりそうじゃ、焦るよな?」

 利知未が、すっかり昔通りの調子で、ニヤリと笑って見せた。

「……あたしの、ため?」

準一が、照れ臭そうに笑いながら言う。

「寮に入って休みの時さ、北海道の実家に帰る事、無いだろ? オレが一人暮らししてれば、そっち泊った方が楽じゃん?」

「そー言う事らしいぞ」

 利知未も笑顔だ。 やっぱりな、と、思う。

「……嘘」

「ま、そー言う事」

 樹絵の呟きに、準一が言って、寝返りを打って向こうを向いてしまう。

「…イテ!」

 身体を動かしたついでに、回復の音がした。

「あ、出たな」

「…格好悪―」

「おめでとう。 明日、抜糸したら、退院して良いぞ。 入院が長引くとベッド代も嵩むからな。 痛み止めは、三日分くらい出してやるよ」

「どーも」

「じゃ、何か有ったら、ナースコールしろよ?」

ニコリと笑って、カーテンを開いて出て行った。 樹絵が慌てて追いかける。

「瀬川先生! ……有難うございました」

「どーいたしまして」

カーテンの外で、利知未は女らしい様子に戻っていた。


 利知未が病室を出て、暫くすると、高橋がリハビリから戻る。

「彼女か?」

 樹絵を見て、少し目を丸くした。

「可愛い子だな。渡辺君は、面食いだったんだな」

そんな風に褒められたのは、樹絵は始めての経験だった。 赤くなってしまう。 その様子を見て、高橋が準一をからかう。

「高橋さん、オレ、明日の午後には退院できるってさ」

「回診、回って来たのか? リハビリの時間、ずらして貰えばよかったな」

その言葉に、準一が笑顔で、樹絵に説明した。

「瀬川先生の、ファン」

「そーなんだ。 判る気もする」

利知未の、昔よりも女らしい雰囲気を思い出す。

「美人だよな。 俺は渡辺君が羨ましいよ。 担当、替わってくれないかな」

「高橋さん? の担当は、笹原先生って言うのか」

「外科の若先生だよ。 腕は良いみたいだ」

「ナースの人気者だよね」

「みたいだな。 ……ココだけの話し、俺は、あの気障臭い感じが気に入らないよ」

「そんな先生なの?」

「まだ独身で、顔もまぁまぁ良くって、腕も良い。 将来有望って、事らしいよ」

「ジュン、何処からそんな情報、貰ってくるんだ?」

「勿論、ナースのお姉さま達から」

「……まさか、病院でナンパなんか、してないよな?」

「お、読まれてるな」

「あ、シー!」

 高橋の言葉に、準一は慌てて、人差し指を立てる。

「今更、遅い!」

樹絵は準一の頭を、軽く小突いてやった。 仲の良い二人の様子を見て、高橋も笑っていた。


 外科の医師は、利知未の他に四人居る。 塚田医師と、一人は妻帯者だ。 もう一人は、利知未よりも四年ほど先輩で、彼には結婚を考えている恋人が居る。 目立って腕が良いという訳でもないが、スポーツトレーナーの資格も持っている関係で、そちらの方面には強い。 何人かのアスリートの、掛かり付け医に成っている。 自然、ナースの注目は、笹原に集まり易い。


 今の所、利知未に対して、目立ったアプローチもしてはいなかった。 まだ働き始めて一週間だ。 時間が合う事が、あの日、夜勤以外では無かった。



 翌日、午前中に、準一の抜糸が終わる。 昼まで病院食の世話になり、午後の早い時間に退院して行った。

 利知未は忙しくしていて、準一の退院の見送りもする暇が無かった。


 午後三時を過ぎてから、一仕事終え、ナースステーションに顔を出すと、準一からの手紙を渡された。

〈お世話になりました。 週末、オレも行きます。 久し振りに酒でも飲みましょう。 PS/白衣姿の利知未さん、中々、そそられましたよ! 倉真に飽きたら、是非お相手願います?!〉

 と、書いてあった。 軽く吹き出してしまう。

『何のお相手だよ?』

くすくす笑っている利知未を見て、ナースが言う。

「瀬川先生のお知り合いだったんですね。 面白い子だったわ」

「ご迷惑、お掛けいたしました」

利知未は改めて頭を下げた。

「そうそう、塚田先生から、支持を預かっていました」

「何ですか?」

「藤堂さんの退院予定、三日ほど早めても良いそうですよ」

「有難うございます」

早速、藤堂へ知らせに行った。



 帰宅して、晩酌の時間に、準一からの手紙を倉真に見せてやった。

「アイツ、ふざけた事、書いてんな」

倉真は呆れ顔で、そう言っていた。




              三

 その週の土曜日、利知未は夜勤明けの仮眠を取り、午後二時頃には、懐かしい下宿の前に居た。 その日、倉真は仕事だった。

「変わってないな」  つい、小さく呟いた。 当たり前だと、思い直す。

 利知未がこの下宿を出てから、二年の月日が経とうとしている。


 始めの半年程は、一人暮らしの寂しさを紛らわす為、それでも偶には遊びに来ていた。

 倉真と生活を始めてからは、暇も無かったが、寂しいと感じること自体が少なくなっていた。 今日、およそ一年半振りの来訪だ。


 チャイムを鳴らして暫く待つと、中からスリッパのパタパタと言う音が聞こえて来た。 玄関を開けて、樹絵が顔を出す。

「よ、遅くなった」

ライダージャケットを羽織り、昔ながらの雰囲気が現れる。

「まだ二時前じゃん。 ヘーキ、ヘーキ。 上がってよ」

樹絵が、来客用のスリッパを出してくれた。 何と無く変な感じだ。

「バイト、今日は休みなのか?」

「引越しが近いから。 昨日までで、一応は終わりだった」

「そうか。 マスター、元気か?」

「元気だよ。 今年に入ってから、あの人の変りに昼間のカウンターへ入ってたよ。 大体、別所と一緒だったけど」

「まだ、あの癖、直らないんだな」

「直らないだろ? 普通」

 話して、笑いながら、リビングへ通った。


 樹絵が出してくれた珈琲を飲んで、感心した。

「美味い珈琲、淹れられるようになったんだな」

「あの人、厳しいよな。 殆ど毎日、勉強して、二ヶ月掛かったよ」

「二ヶ月なら、優秀じゃないか」

「週二日で、三ヶ月の利知未が、一番優秀だったらしいじゃん」

「日数で言ったら、そうなるのか? けど、好きな事を覚えるのは、苦にはならないよな」

「珈琲が好きって、事か?」

「そうだな。 その代わり、紅茶は時間掛かったよ」

 樹絵は、タイミングを計っている。 …いつ、あの話を、突っ込んでみようか…? 利知未が、話を再開する。

「今日は、朝美が仕事か。 里沙は?」

「今、チョット出てるよ。 直ぐ帰ってくるって言ってた」

「そうか。 皆、元気か?」

「冴吏は、あたしより一日前に退去予定。 最近、新しい部屋と往復してる」

「もう、そんな歳だよな。 樹絵より一つ上なんだから」

「うん。 美加は、アルバイト始めた。 秋絵は相変わらず」

「皆、出掛けてるのか」

「秋絵は今日、撮影だよ。 最近、エキストラ出演する事が増えた見たいだ。 見せて貰ったんだけど、変な感じだよな。 自分と同じ顔が画面に居るって」

「だろうな」

「で、今、あたしたちが昔、使っていた部屋、中学生の姉妹が使ってる」

「下宿は、まだ続けるつもりなんだな」

「みたいだよ。 また、これから増えるのかは、知らないけどね」

「そっか……懐かしいよ。 このリビングも。 後で、部屋見せてくれないか?」

「いいよ。 利知未が使っていた頃と殆ど変わらないよ。 今、引越し準備で少しバタバタしてるけど」

利知未がウエストポーチから、タバコを取り出した。 それを見て樹絵が、灰皿を出して来てくれた。 空気洗浄機もスイッチを入れる。

「気が利くようになったじゃないか」

「マスターに仕込まれた。 珈琲の淹れ方だけじゃなくて、言葉使いや、他にも色々なことを仕込まれたよ。 マジ、厳しーんだよな」

「けど、良く面倒、見てくれるだろう? あのヒトは」

「余り良く、面倒見て貰い過ぎないように、気をつけていたりして……?」

「何だ? その含み笑い」

「別に。 ただ、チョットね。 ……聞いちゃったからな」

 その言い回しと表情に、利知未はピンと来た。

「……知ってしまった訳だ」

「先輩アルバイトから」

 別所か? と思う。 あの朝の疑惑は余程、根強く彼の心に引っ掛かっていたのかも知れない。

「ま、仕方ないか。 ……倉真には、内緒ね」

昔の雰囲気で話していた利知未の様子が、一気に女っぽくなってしまった。

「二人とも、酒、かなり飲むからな」

「利知未は高校時代から、アダムでも1、2を争う酒豪だったって」

「酒の勢いって、ヤツ。 ……けど、そんな何回もって訳じゃ、ないよ」

「でなきゃ、大変じゃん。 だって、不倫って事だろ?」

「それを言うか。 ま、そう言うことになるよな。 ……普段は、男同士みたいだったから。 多分、マスターは不思議がってると思うけどね」


 自分からの想いは、本気だった。 あのヒトは優し過ぎただけだ、と、今は思っている。 それでも、あの時のことを思い出して、雰囲気がますます女っぽくなってしまう。


 玄関から物音がした。 樹絵がソファから立った。

「里沙かな?」

リビングから顔を出し、廊下を歩いてくる里沙を見止めて、声を掛けた。

「お帰り。 利知未、来てるよ」

「その様ね。 バイクが止まっていたから」

「里沙も珈琲、飲む?」

「折角、利知未と久し振りに会えるのだから、一杯だけ戴こうかしら」

「OK、準備するよ」

「お願いね。 荷物だけ、置いてくるわ」

里沙はスリッパの音を響かせて、仕事部屋へと向かって行った。


 部屋へ荷物を置き、里沙がリビングへ入る。 樹絵が珈琲を運んで来た。

「利知未も、お代わりいる?」

珈琲メーカーのポット毎、持ち込んで来た。 利知未は残りの珈琲を飲み干して、お代わりを注いで貰った。

「樹絵も美味しい珈琲、淹れられるようになったでしょう?」

「そうだな。 お得意様の、珈琲党のクライアントは樹絵の担当か?」

「そうよ、お陰で助かってるわ。 次は、秋絵にでも覚えて来て貰おうかしら?」

微笑しながら、里沙が言う。

 利知未も十年間、世話を掛けて来た相手だ。 高校時代の友人と久し振りに会っても、過ぎた時間を感じない事がある。 丁度、里沙と利知未は、そんな感じだった。

「久し振りなのに、久し振りって感じがしないよな」

「そうね。 けど随分、綺麗になったじゃない?」

「里沙も三十三歳とは思えないほど、若々しいよな」

「素敵な旦那様が居て、遣り甲斐のある仕事があるんだもの。 老け込んでなんか居られないでしょう?」

「成る程。 どっちも充実してるって事だ」

「そうね」

「子供は、まだ作らないのか?」

「今、チョット仕事を抱え込み過ぎているのよ。 これが一段楽したら、考えるつもりよ」

「どっちにしろ、高齢出産だ。 子育て、大変そうだな」

 姪っ子・真澄の、ヤンチャ振りを思い出した。

「利知未は、どんなつもりで居るの?」

「……それって、結婚、出産の事か?」

「もう、社会人でしょう? ステディな相手が居て、一緒に住んでいるんだもの。 考えない事は、無いんじゃないの?」

里沙に突っ込まれて、利知未は始めて、今の自分の夢を短く語った。

「……そうだね。 考えてない事は、ないけど」

樹絵も、黙って珈琲を飲みながら、聞いてみた。

「あたしは、……昔、里沙に言われたけど。 自分の、理想の母親を目指してみたいと思ってるよ」

「それって、結婚したら、医者は辞めるって事か?」

「…そうなるかな? けど、金は必要だから、直ぐって訳には行かないな」

「何年計画?」

「それは、一人じゃ決められない」

「ふーん」

感心したような樹絵の声に、気恥ずかしくなってしまった。

「取り敢えず、今の夢は、……いい家庭、何時か作れたら良いなって、思ってる」

「そう。 随分、成長したものね」

 里沙が言って、満足そうな笑みを浮かべた。

『ってことは、倉真とは結婚まで、真面目に考えてるって事か』

 樹絵は、声には出さずに、自分で勝手に納得した。


 それから暫く、三人で雑談をしていた。 二十分程そうして過ごしてから、里沙が珈琲を飲み切って、ソファを立つ。

「じゃ、また、遊びに来てね。 今度は、私もゆっくり出来る時に」

「分かった。 朝美にも会いたかったな」

「仕事だからね、仕方ないよ。 そろそろ、あたしの部屋、行く?」

「そうしようか」

「ごゆっくりね」

里沙がキッチン側から、リビングを出た。 利知未は二杯目の珈琲を飲み干して、ソファを立った。



 樹絵の部屋へ足を踏み込むと、利知未は、懐かしい思いに捕らわれた。

「カーテン、そのままなんだ。……懐かしい」

一歩踏み出して、暫し呆然としてしまう。

「ベッドの位置も、そのままだよ」

「本当だ。 変えても良かったのに」

「あたしも、利知未が居た頃の部屋が、好きだったんだ」

「そっか。 …ありがとう」

「何が?」

「何と無く」

軽く樹絵を振り向いて、微笑を浮かべる。 そのまま、机に向かって歩く。

「……十年、居たんだもんな。 ここに」

机を指で辿って、懐かしい表情になる。

「あたしが、この下宿に入居してからも九年経つよ。 利知未と一緒に居たのは、二年前までだから…、七年かぁ。 結構、長い付き合いだったよな」

「本当だな」

 さっき、先の夢を語っていた時には、女らしくなった利知未の雰囲気が、今は、二年前まで、この下宿に暮らしていた頃の雰囲気に、戻っている。


 暫く沈黙の中に居た。 ふと現実に気が戻り、樹絵に問い掛ける。

「ジュンとは、何時頃から、そーなったんだ?」

 樹絵を振り向いて、再び女らしい微笑を見せた。

「……付き合い始めたのは、半年くらい前」

「それで?」

「それでって? ……って、そっちの事、言ってるのか」

赤くなってしまう。 その樹絵を見て、利知未がくすりと笑う。

「服のサイズ、変わったんじゃないかと思って」

自分が覚え始めてしまった頃と、倉真と生活をするようになってから、サイズが少し変わって来た事を思う。

「定期的に、そう言うことしてると、微妙に変化して来るもの何だよね」

意味ありげに笑った。 赤くなったまま、樹絵が言う。

「……そーなったのは、五ヶ月くらい前だよ」

「成る程」

「確かに、洋服のサイズ、チョット変わってきちゃったよ」

「だろうね。 樹絵も、あたしの昔に、そっくりな体系してたもんな」

腕を組んで、現在の樹絵の姿を改めて眺めてやった。

「興味あるな。 あたしのミニチュアと言われていた樹絵が、どんな恋愛をして来たのか……? あたしの過去は、知ってしまった訳だし」

「情報交換か? 仕方ないな。フェアじゃ無いもんね」

 改めて、樹絵がベッドの端へ腰掛ける。 利知未は、机の椅子を引き出した。

「灰皿、ある?」

「あるよ、朝美用のが。 待ってて」

腕を伸ばして、机の引き出しから小さな灰皿を取り出した。

 それから、樹絵から大学時代の恋愛話を、始めて聞かせてもらった。


「ジュンが初めてって訳じゃ、無かった訳だ」

「そりゃ、一応ね。 二年くらい、付き合ったヤツがいたから」

「そっか。 ……色々、勉強して来たんだな」

「かなり、色々と教わって来たよ。 今は、元彼二人には感謝してる」

「イイ事だ」

「な、利知未は、マスターと倉真の他には、居なかったのか?」

 そんな筈は無いと、判っていながら突っ込んでみた。

「情報、持ってるんじゃないの?」

利知未に見透かされて、樹絵は小さく舌を出す。

「少しだけね。 昔の彼氏は、某有名バンドの、現メンバーだとか」

「ジュンか? それバラしたの」

「ま、良いじゃん。 で、本当の所は、どうなんだ?」

「後でジュンのヤツ、苛めてやらないとな。 ……そうだな。 あたしの恋人は、倉真で二人目だよ」

「じゃ、マスターと、その元彼と、倉真の三人って事か」

「…そんな所」

 視線を外して、肯定した。 ……哲は、彼氏とは言えない関係だった。


 二人で、過去の恋愛暴露話が、盛り上がってしまった。 ノックの音がして、里沙の声がした。 時計を見ると、午後五時を回っている。

「利知未、ご飯、食べて行くでしょう?」

「もう、準備始める時間だな。 手伝うか?」

「そうしよう」

「手伝うよ」

「そう? じゃ、お願いしてしまおうかしら」

里沙の返事を聞いて、二人でキッチンへと降りて行った。


 七時には、居酒屋へ行っている事になっていた。 それ以降の連絡は、店に入る約束だ。 準一と倉真とは、そこで待ち合わせをしていた。


 三人で夕食の準備を手早く済ませ、里沙とも久し振りの食卓を囲んだ。

「樹絵、少しは料理、出来る様になったんだな」

「レシピ通りになら、作れるようになったよ。 里沙先生のお陰で」

「ただ、分量とか、味付けの融通が利かない所が、玉に瑕ね」

里沙の言葉に、樹絵が軽く膨れた。

「でも、頑張ったんだからな。 お嫁に行っても、困らない程度には成れたと思うよ」

「そうだな。 良く頑張ったと思うよ。 始めて樹絵に教えた時には、一体どうなる事かと思ったけどな」

利知未にもからかわれて、樹絵は益々、膨れてしまった。


 二人が、六時半ごろに下宿を出るのと入れ違いに、冴吏が帰宅した。

 軽く言葉を交わして、情報を貰った。

「今年の五月に短編集、出せる事になったよ」

「そうか! おめでとう。 あたしは、余り読書とかしてる暇もないからな。 その内、時間が出来たら読ませてもらうよ」

「お楽しみに。 もう、帰るの?」

「これから飲みに行くからね。 ジュンと倉真が、後で来るんだ」

冴吏の質問に樹絵が答えながら、玄関へ向かう。

「ダブルデートって事だ。 じゃ、新しい住所、また連絡するね」

「待ってるよ。 あたしの住所は、判ってるんだよな?」

「勿論。 彼氏と同棲中でしょ」

「…そりゃ、ばれてるか」

「じゃ、元気でね」

「冴吏もな」

一足先に靴を履いていた樹絵に呼ばれて、玄関を出た。



 徒歩三十分ほどの距離だ。 昔、良く倉真と二人で入っていた居酒屋だった。 あの頃は、綾子の事についての、相談ばかりだった事を思い出す。


 到着した店の前で、利知未が呟いた。

「樹絵と居酒屋へ来る日が、来ようとはなぁ……」

「そー言えば、初めてだったよね。 下宿では、何度か晩酌してたけど」

「未成年の癖に、お前も良く飲んでたよな」

「利知未に言われる事じゃ無いよな。 入ろう」

「…ま、そーだけど」

 首を竦めて、店内へ踏み込んだ。


 座敷席へ通されて、落ち着いた。 始めに生ビールを頼んで、飲みながら二人を待つことにした。

 樹絵とは一年半も会わなかった。 その間の話をしていれば、二人を待つ時間も退屈はしなかった。


 席へ着き、ジャケットを脱いだ。 それでも暖房が暑くて、利知未はシャツのボタンを三つ程外した。 中には夏のTシャツを着ている。

「まだ、三月じゃん。 何で、半袖?」

「下宿までは、バイクで来たからね。 エンジンの上に体、倒す形になるから。 運転中は結構、暑いんだよ」

「そうなんだ。 あたしも取ろうかな、二輪」

「樹絵は、車だけ?」

「そう。 しかも、学校辞めてから、合宿で取った」

「その方が早いもんな。 あたしも、普通車は合宿で取ったからね」

「そーだったよな。 合宿も、アレはアレで、楽しかったよ」

「普段と違う生活、出来るからね。 あたしも免許合宿でバイク仲間、見つけたんだ。 そー言えば、あの時の約束、果たさなかったな」

「約束?」

「その時、知り合ったバイク仲間と、その内ツーリング行こうって、言っていたんだけどな。……大学入ったら、忙しくて連絡もしなかったよ」

「そうなんだ。 あたしは免許取って直ぐ、ジュンの車でドライブに行った」

「何処まで行ったの?」

「朝美に勧められて、埼玉の城峰公園まで」

「成る程。……それで、朝帰りだったんだ」

「……何で、判った?」

 ビックリした樹絵の顔を見て、利知未が笑う。

「下宿で、樹絵とジュンの話を聞いてたからね。 そう思っただけ」

「……利知未って、意外と鋭いのか?」

「さぁ? そー言う訳でも、ないと思うよ」

 手持ち無沙汰になった頃、注文してあった中生が、突き出しと共に運ばれて来た。 二人で乾杯をして、話を続けた。

 それから、利知未は丁度、樹絵が免許を取った頃の話をし始めた。

「去年の十月頃って言うと、倉真と三崎マグロ、食べに行った頃だな」

「ツーリング?」

「そう。 その時、面白い事があったな」

 利知未は、去年十月、観音崎での出来事を話して聞かせた。


 話が終わる頃には、ビールが半分になっていた。 泡も、すっかりなくなってしまった。

「そいつら馬鹿だな! よりにも寄って、利知未と倉真の喧嘩最強カップルに絡むとは。 怖いもの知らず」

「あの辺りにまで、噂は届かないだろ、普通」

「けど、雰囲気でヤバそうだとか、思わなかったのか? 利知未はともかく、倉真って、見た目に怖そうじゃん!」

「それだけ、あたしが猫被っていたって、事になるんじゃない?」

声を上げ、笑いながら、利知未が言った。

 昔の赤毛モヒカンを辞めても、短気そうに眉尻がキュッと上がった、一重瞼、釣り目顔の倉真は、十分、怖い顔と言えるかもしれない。 もう少し目が細かったら、どこぞのチンピラに間違われても、不思議ではない。

「今に、倉真たち来るよね。 楽しみー!」

壁掛けの時計を見て、樹絵がワクワクした顔をしている。

「何が?」

「利知未が、どれくらい変わったのか、目の当たりに出来そうじゃん」

「セーカク、悪いな。 多分、大して変わらないよ」

ビールを飲んで、誤魔化した。

 倉真と二人きりで居る時の、自分の態度の違いは、言われるまでも無く把握しているつもりだ。 ……あの様子が出て来たら、恥ずかしいかもしれない。


 約束の時間は七時半だった。 十五分ほど過ぎて、準一が現れた。

「やっほー、遅くなって、ごめん」

 何時も通り呑気に声を掛けて、樹絵の隣へ腰を下ろす。 直ぐに注文を取りに来た店員に、メニューを指して、適当にオーダーした。

「後は、倉真が来てからで良いか」

「良いと思う。 チョット、遅いな」

時計を見て、利知未が呟いた。

 倉真の土曜出勤は、残業があったとしても、何時も大体、七時には終わっていた。 アパートへの帰宅は、遅くても七時十分頃だ。 職場からココまでは、三十分の距離の筈だった。

「仕事、忙しいのかな」

利知未が心配そうに呟いて、もう一口、ビールに口を付ける。

「この前は、お世話になりました」

準一に言われて、目を丸くする。

「一応、挨拶くらいは出来るようになったんだ」

準一から『お世話になりました』と、言われる日が来るとは、考えた事も無かった。

「どーゆー意味だ?」

「言葉通り、じゃないか?」

恍けた反応も相変わらずだ。 樹絵が突っ込んで、夫婦漫才のようになる。

「相変わらずだよな。 入院中は世間話する時間も、余り無かったけど」

「もうすっかり、痛みも無いよ」

「そりゃ、良かった。 初オペだったからな、少し気になってた」

「それよりもオレ、この前から聞きたい事があったんだ。 利知未さん、何時から化粧するようになったんだ?」

行き成り言われて、赤くなる。

「……化粧って、程の事はしてないけど」

「ジュン、そー言う事だけは、目聡いよな」

樹絵が突っ込んで、利知未は、照れ臭い表情のまま答えた。

「ファンデーション何かは、殆ど使わないし。 日焼け止めと口紅くらいだよ」

「眉も、弄ってる?」

「整えてるくらいだよ。……って言うか、何でそー言うこと、目聡く見つけるんだ? 倉真は、何にも言わないけどな」

「照れてるんじゃないのか? 樹絵も化粧すればイーじゃん、利知未さんでさえ気を使ってるんだし」

「でさえ、ってのは、どーいう言い草だよ」

照れ隠しに、怖い顔をして突っ込んでみた。

「やべ、墓穴掘った?」

「知―らないっと! 自分でフォローすれば?」

樹絵は軽く舌を出して、面白そうな表情で、そっぽを向いてしまった。

「冷てーなー! いっつも、こーなんだよ? 何とか言ってやってよ」

「自分で何とかすれば良いだろ? あたしが言うより、効き目もあるんじゃないか?」

「だって。 化粧して、もう少しオレに、優しくしてくれ」

「何で?」

「見てみたいから」

「どーしよっかなぁ……?」

 二人の仲良い雰囲気に、利知未は少し、当てられている気分だ。

「ご馳走様」

「え?」

「あたしの存在、忘れてるだろう?」

ニヤリと笑われて、準一が誤魔化し笑いをした。

「そー言うつもりは、ありませーん。 倉真、遅いよね」

話を摩り替えて見た。 利知未が反応するより早く、準一が注文したビールが運ばれて来た。 摘みの一部も運ばれる。

「あ、やっと来た! はい、乾杯、乾杯!」

利知未のグラスと樹絵のグラスに、準一がグラスを合わせて、一気に半分、飲んでしまった。 二人も付き合って、口を付ける。

そのタイミングで、倉真がやっと現れた。

「悪い、遅くなった」

 倉真の姿を見て、利知未の雰囲気が、一気に変わってしまう。 それを見て、樹絵と準一が、軽く顔を見合わせた。

「仕事、忙しかった?」

樹絵達の前に居る時よりも、可愛らしい声になってしまう。 自分の声を耳で聞いて、利知未は少し照れてしまった。

「チョイな。 よ、樹絵ちゃん、久し振りだな」

言いながら、利知未の隣へ腰を下ろした。 直ぐに店員が注文取りに現れる。 昔から良く来ていた店だ。 倉真はメニューさえ見ない。

「中生。 利知未も、追加するだろ?」

「あたしも、もう一杯、中生でいいよ。 倉真、お腹空いてるんじゃない?」

「任せる」

「OK。 じゃ、お握りで良いか」

 さっきまで利知未に当てていた二人が、今度は当てられている気分だ。 二人の雰囲気は、すっかり恋人を通り越して、新婚夫婦のようだった。

 利知未が適当に、倉真の分も選んで注文をする。 そして倉真も加わって、話を再開した。

「利知未に腹、切られた感想は?」

「大事な所、見られたかもしれない。 責任取って貰わなきゃな」

「どー、責任取らせる気だ?」

「お婿に貰ってもらうとか」

「お前、俺に殺されるぞ? そー言うコト言ってっと」

「穏やかじゃないな。 けど、そーかも」

利知未が笑いながら突っ込んだ。 樹絵が参戦する。

「倉真にやられる前に、あたしが大事な所、ちょん切ってやる」

「あ、イーのか? そー言うこと言って」

「いいよ、別に。 そしたらあたしも、もっと真面目な男、好きになるし」

 本気ではなくても、キツイ一言だ。 それでも準一は、悪乗りをする。

「ンじゃ、オレ、新しい人生、生き直さなきゃ」

「新しい人生って?」

「胸、作って、スカート履いて、そー言う店で働く」

「透子に、そっくりに成りそうだな」

「トー子さんが、変な噂のタネになっちゃったりして?」

全員で笑ってしまう。 このメンバー揃って、透子とも顔見知りだ。

「透子の事だから、調子に乗って、なにヤラかすか分からないよ」

「言えるかも。 そう言えば、トー子さん、結婚したんだよな」

「披露宴、行って来たよ」

「新婚旅行先から、ノロケ葉書が届いてた」

「アイツらしい!」

 自分が振った準一宛に、惚気葉書を出す当り、彼女らし過ぎるかもしれない。

「披露宴で、ミニライブやらされたよ」

「そうなのか?! 良いな、何時か、あたしが結婚する時もやってよ?」

「樹絵は、あたしのライブ、見たこと無いよな?」

「うん。 だから、興味ある。 な、利知未って、ライブ中はどんなだったんだ?」

「格好良かったぜ? 俺は、始めて利知未のライブ見て、マジ憧れたよ」

「男として、ステージに立って居たんだよな?」

「ああ。 だから、兄貴分として憧れた」

「もう、いいよ。 あの頃の事は」

「自分で振っといて、照れるか?」

「……だって」

 赤くなり、照れる利知未を見て、樹絵が思わず、言ってしまった。

「利知未、可愛い!」

「樹絵まで、くだらない事いうな」

利知未が少し、怒った顔を見せる。 その表情も女らしく、可愛らしかった。 樹絵は、その顔を見てまた、にやけてしまう。

「後で、カラオケ行こうよ? で、利知未さんに歌ってもらおう」

「いいな! それ。 したら、始めて利知未の歌、聴けるよ」

「カラオケ、なぁ」

「倉真は、イヤなのか?」

「俺よりも、利知未だな」

「…余り、行った事は無いけど」

「けど、歌うのは好きなんだよね?」

「そりゃ、好きだから、三年近くもバンドやってたんだけどね」

「んじゃ、イーじゃん? どうせ、酔い冷まししてからじゃないと、バイク乗って帰るのも危ないんだし」

樹絵と準一に押されて、この後の予定が決まってしまった。

 話が変わって、準一が利知未に渡した、手紙が話題に上った。

「お前、入院中、利知未にちょっかい出さ無かっただろうな?」

「何で?」

「手紙を読ませてもらった」

「何だ? 手紙って」

「ジュンが、利知未に渡した手紙だよ」

「…何、書いてあったんだよ?」

「倉真に飽きたら、お相手お願いしますって、書いてあったんだよね」

「あ、ちょっと、タンマ! 樹絵には、見せてないんだから!!」

「ほー。 成る程ねぇ……。 ジュン…? ナースだけじゃなくて、利知未にも手を出そうとしてたのか?」

樹絵が、鳴らない指の関節を、鳴らす振りをする。 それに合わせて、倉真が自分の指の関節を鳴らしてやった。

「うわ、怖い音させないでよ? マジ、樹絵が鳴らしたのかと思うじゃん?!」

「俺も、同じ気分なだけだ。 さぁて、ダチの女に手を出そうとした報復、させて貰おうか……?」

「いいぞ! 倉真、やっちゃえ!!」

笑いながら、倉真が準一の頭をグリグリとし始めた。 樹絵が調子に乗って、その倉真を煽る光景を見て、利知未が笑い出す。

「冗談だよ! ロープ、ロープ!」

「許さネー。 食らえ!」

「タンマ! オレ、病み上がりだって!!」

「ンな、元気な病み上がりが、居るかぁ?!」

 賑やかな席を、居酒屋の別の客達も、面白そうに観察していた。


 それから、また一時間は、雑談をしながら飲んでいた。 その内に、利知未と倉真の距離が、かなり近くなる。 気付くと倉真の左手は、利知未の腰へと回っていた。 二人の様子を見て、樹絵は少し、当てられてしまった。



 居酒屋を出て、酔い覚ましにカラオケへ向かった。

 利知未と倉真は、余りマイクを持たなかった。 樹絵と準一が歌っているのを、盛り上げてやった。 それでも二、三曲はマイクが回り、利知未は昔、ライブ時代にコピーしていた洋楽を、披露してくれた。 倉真も中々、上手にハモリを入れてくれた。

 その様子を見て、準一は利知未のFOX時代を思い出した。

 樹絵は、始めて聞く利知未の歌と、その雰囲気の格好良さに、思わず見惚れて聞き惚れてしまった。

 利知未がFOX時代、かなり人気があったという話を、納得してしまった。

 その日、四人が解散したのは、深夜二時を回った頃だった。



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