第二章 6
フローラ家は何を考えているのだろうか……同じ貴族出身のグリムにもわからない。スフィアは掌を握り、怒りの余り眉間に皺を寄せる。暴走しないのはグリムに遠慮しての事だろうか。
「しかし、どうしてわかったのですか?」
グリムはナーテルに問う。当然の疑問だな……ナーテルは頭を抱えながらも、ナユタに頼んだ調査の実態を口にする。
「実は最近、自国から裏金が回っているという情報を得てな」
「裏金……ですか?」
グリムは考えに耽る。
元々、フィルガルドの王族は国交の勉強もかねて若い内から外交の一部を任せられる。事、聖騎士の役割であるダンジョン調査の任命、他国との調整などがそれに当たる。
もちろん調整の際、他国とも関係を持つわけで、いくつもの情報が手に入るのも頷けた。
「そこで資金の流れに詳しいカイエンに相談したことがある」
そう繋がるのか!?
グリムは目を見開いた。確かに税務官であるカイエンに頼めば、税収からお金の行方を辿れるはずだ。
「カイエンは調査を快く引き受けてくれた。そのカイエンが今回の騒ぎで矢面に立たされたと聞いて、もしやと思ったんだ」
グリムはシータに視線を送る。シータはみなまで言わずとも察して首を縦に振った。
「さっきの『謎の集団が狙っている』って話だが、聖騎士はグロッケン家が怪しいって言ってたな」
そして、グリムは思い出す。父は最近フローラ家の勧誘が激しいと言っていた。きっとその頃から悪事が感づかれていると気付いたのだろう。
ナユタが言葉を濁す。
「調査に寄れば、最近、商人の出入りが激しいようです。行商の格好はしていますが、大きな取引はしておらず、フローラ家の後ろ盾がある店を利用しているとのこと。おそらくは」
その話を聞いて誰もが一考を挟んだ。
「アイテムの密売か」
それしか考えられなかった。ナーテルは心底落胆しながらため息を吐く。
「これを機に罪をカイエンに着せ、あわよくば僕さえ排除して勢力を広げようとしたわけか」
これでもフローラ家は名門貴族の集い『十二刻の会議』の一つだ。王家の信頼も厚かったのである。フローラ家はその信頼をないがしろにしただけではなく、『十二刻の会議』の存在意義にまで泥を塗った。
「心中お察しします」
グリムは深く平伏する。それをナーテルは掌で制止させ顔を上げた。
「よい。だが、事が事だ。悪いがグロッケン家の一員として手を貸してもらうぞ」
「はっ、仰せのままに」
本当はこのままスフィアを安全な場所まで連れ出すつもりだったが、こうなっては仕方あるまい。スフィアにはもう少しここでじっとしてもらうしかない。
その事を伝えようとグリムはスフィアの方に振り向いた。けれど、
「助けなきゃ」
直後、今まで静かだったスフィアが決意に満ちた表情で声を上げた。
「正直、貴族の事なんてどうでもいい……でも、スライムさんのお父さんを助けなきゃいけない、そうでしょう!!」
スフィアが拳を握りながら立ち上がった。スフィアにとってはアイテムが不当の扱いをされている事は、耐えがたい屈辱のはずだが、今はその事よりも父を心配してくれている。
とても優しい子だ。加えて、ありがたい……ありがたいのだが、
「駄目だ」
「――っ!?」
どうして……そう言いたげにスフィアがグリムを見下ろす。
未だ信用されていないのか……屈辱を覚えるスフィアの心の声が手に取るようにわかる。グリムはそれを真っ正面から受け止めた。
「これは聖王都の……いや、もっと端的に言えばフローラ家とグロッケン家の問題だ。スフィアには関係ない」
事は大事になった。もういざこざの枠を超えた。グリムの存在がナーテルに知れた以上、グリムはグロッケン家の一員として協力せざるを得ない。
だが、スフィアは違う。スフィアは錬金術士だが、ただの平民だ。階級制度は上下関係を明確にするものだが、無関係に人を巻き込まないものでもある。
「関係なくありません! 実際、襲われたじゃないですか!?」
「だからこそ関わらせるわけにはいかない。スフィアはもっと自分の身を案じるべきだ」
売り言葉に買い言葉。けれど、これだけは引けなかった。そう、グリムと未だスフィアとは仲直りしていない。次第に二人とも、しこりのような苛立ちを募らせる。
「自分の身は自分で守れます」
「守れてないからここにいるんだろう」
「それはスライムさんだって同じです」
「自分はグロッケン家の一員で、聖騎士だ。スライムになったからといって……いや、だからこそ、すがりつかないといけない」
そうでなければ、自分の存在意義はどこにもない……グリムの言葉にスフィアは息を呑んだ。否定すればグリムを傷つけると理解しているのだろう。本当に優しい。
「何で!? 何でスライムさんはそうやって、いつもいつも一人で勝手に決めるんですか!」
「……」
スフィアが嗚咽を漏らす。今にも泣きそうな表情で顔をひきつらせた。
「スライムさんのバカ!!」
そして、スフィアは怒りを爆発させて、テントから飛び出してしまう。傍観に徹していたシータは「やれやれ」と首を振った。
「話には聞いていたが、まさか本当に女の気持ちがわかってないとはね」
「何とでも言え」
目的と手段を入れ替えるな……シータが言った言葉だ。今の自分にとって一番大事なのはスフィアを守ること。そして、スフィアがグリムの身体を治してくれることを信じることだ。
うむ……蚊帳の外に追いやられたナーテルが傍観する。だが、そこはさすがと言うべきだろう。グリムとスフィアが意見が合わずこじれている事を察して口を挟んだ。
「……シータ。悪いがスフィアの側についていてくれ。またどこかへ行かれても困る。ナユタは今まで通り調査を頼む。その分、解決した際には報酬を増額することを約束しよう」
言葉から察するに、どうやらナーテルも山賊に依頼を出して協力を取り付けたらしい。特に反論もせず、シータとナユタがテントから出ていった。
だが、それだけではない。きっと理解したのだろう……ここは俺に任せて欲しい、と。
「さて、グリム。少し話をしようか」
人払いをしたナーテルは静かに口を開いた。今は礼服ではなかったが、その様は威風堂々としていた。
グリムは固唾を呑む。
「話ですか?」
「何、堅苦しいものではない。ただの昔話だ。王家の者が伝え聞く『初代フィルガルド王のうぶな話』をな」
☆
ここは……グリムは見上げる。
あの後、グリムはナーテルに連れられてとある場所に連れ出されていた。そこは山賊の隠れ蓑、最奥。ちらりと見えた壁画の前だった。
間近で見ると壁画は大きく、遠くから見えた長い尾とそれを包み込む鱗……やはり壁画には蛇のようなものが描かれていた。
そう、それは聖王都の象徴とも言える竜の壁画だった。竜は一人の男と一人の女を取り囲み、周りの人間が祝福している様子も窺える。
「元々、ここは王家の者を逃がすための抜け道。それでいて聖王都の歴史を残すための場所……遺跡になっている」
壁画に手を触れ、ナーテルはそっと呟いた。ナーテルは壁画を懐かしくみつめる。グリムはその眼差しに違和感を覚えながらも、ナーテルに耳を傾けた。
「なぜここに連れてきたのですか?」
「話をするには雰囲気作りも必要だ。形式というのも時には必要なものだ。そうだろう?」
そうして、ナーテルは語り始める。その枕詞は自己紹介から始まった。
「初代フィルガルド王の名はリグル・トゥルースと言う。彼は最初、何の変哲もない農村の子だった」
一人の姉と一人の弟を持ち、慈悲と教養を併せ持ったその子は、ある日一人の女の子を助けた。
「彼女は名をアルムという」
アルム。ナーテルの名前の由来になったのは明白だった。
「アルムは不思議な容姿の持ち主だった。人の耳を持ちながら獣の耳を持ち、不思議な力も兼ね備えていた。モンスターの声を聞き、意思疎通をはかれたらしい」
「意思疎通?」
グリムは驚いて壁画の中心にいる男女を見た。男女を囲むのは五つの竜……もしかして。
「そう、リグルが竜を従えられたのは、ひとえにアルムの導きによるおかげであった」
ナーテルがグリムの想像を補完するかのように語る。その表情に一瞬、陰が映り込むが、振り向いた時には綺麗さっぱり無くなっていた。
「それ故にアルムを狙ってくる者は多かったが、リグルは旅をし、仲間と共にアルムを支えたという」
「……」
それが壁画の場面なのだろう。きっと初代フィルガルド王、リグルは勇敢で皆に愛されたのだろうな……グリムはナーテルがなぜここに連れてきたのか本当の意味を推察する。
「……ナーテル様はもっとスフィアの声に耳を傾けろとおっしゃるのですか?」
だが、ナーテルは首を横に振った。
「違うな、グリム。耳を傾けるのはおまえ自身の方だ」
「自分自身……」
グリムはスライムの身体を眺める。
「民草の声を聞くのは王の役目だ。だが、自分自身の声を聞くのはその者しかできない」
「……」
「グリム、おまえはあのスフィアと言う子を助けたい。そうだな?」
グリムは頷く。スライムの身体を治してみせると公言したスフィアに対し、貴族の邪魔無く無事に故郷に帰してやることが自分のやるべき事だと理解している。
「だが、それだけなのか?」
「え?」
「スフィアを守りたい……そうであろう。騎士としての務めも果たしたい……これもまた本当のことだろう。しかし、未だ押し殺している想いがあるように見える」
それは……グリムは言葉に詰まる。だが、それは図星をつかれたからではない。むしろ、逆……どう言えばいいのかわからないだけだ。
ナーテルは『押し殺している』と言ったが、それすらわからない。だから、
「グリムよ、驕るでない」
「驕る? 自分がいい気になっていると?」
「そうだ」
目を丸くするグリムにナーテルは断言する。
「グリムがスフィアに言ったこと、そっくりそのまま返そう。頭が高い……苦汁の決断をするのは王の役目だ。選択をするな、自分を殺すな。全てぶつけて、全てを守れ。それが本当の騎士の役目だ」
「本当の騎士の役目」
「何を勘違いしているか知らないが、全ての責任は王にある。だから『今はまだ』好きに振る舞ってみせよ」
そうか、確かに自分は身の程を考えてもいなかった……グリムは自分の胸に問いかける。それでももやもやした気持ちは形にならない。
だが、他でもない殿下の言葉だ。騎士にとって殿下の言葉は絶対だ。
「殿下のお心遣いに感謝します」
うむ……ナーテルは、膝を突き頭を垂れるグリムを眺め、にっこり満足そうに微笑んだ。
☆
その後、ナーテルはグリムがスフィアに思いの丈をぶつけに行ったのを見送った。そして、一人になったナーテルは再び壁画を見上げた。
「……本当にあの頃は楽しかった」
その瞳は思い出に浸るかのように慈しみに満ちあふれていたけれど、すぐさま曇り始める。
――「すまない。全ては自分が招いてしまった災厄だ」
ナーテルの脳裏に流れているのは、盾で攻撃を防ぐ青年の姿。その手には剣が握られ、彼は攻撃を弾き返すと、それを獣の耳がついた女性に突きつけた。
――「アルム! それが答えなら、自分は皆のためにおまえを斬る!!」
その情景が何なのか、なぜナーテルは思い起こすのか、もちろん誰も知るよしもない。語る気も無い。だが、
「この壁画の後、初代フィルガルド王はある決断を迫られ、無慈悲な王に変貌する……」
ナーテルはグリムが去った方向を眺めてただ呟いた。