第二章 5
そうして微妙な空気を含みつつ、グリムは移動し続けた。口に出してしまえば、また何か言われそうな気がしたからだ。
自分が悪いのか、スフィアが間違っているのか……いや、これはきっとそういう問題ではないのだろう。
目的と手段の問題……理屈はわかっているのだ。きっとこれはどちらも正解で、だからこそどちらを選ぶかの問題だと。
「ついたぞ」
グリムはシータの声で顔を上げる。すると、隠し通路の光りが漏れ出た先に円柱状のテントがたくさん並んでいた。
「ここが山賊の隠れ蓑か」
そこは少し開けていて、集会をやるにはちょうど良い広さだった。壁には大きな壁画が描かれている。カンテラの光がほのかに照らし出すのは蛇のような長い尾とそれを包み込む鱗だった。
「おい、こっちだ。何している?」
「ん、ああ……」
グリムは先に進むシータとナユタに呼ばれて隠れ蓑に踏み込んでいく。壁画の全体像が見えなかったのだけは心残りだが、今はスフィアを探す方が優先度が高かった。
「察するにここで情報を集めるのか」
「ああ、闇雲に探すよりは効率的なはずだ」
なるほど、だからここに案内したのか……グリムは静かに頷いた。確かに聖王都はリンドの町とは比べものにならないほど広い。シータが言うには今、山賊は王都の方々に散って情報を集めている。ついでにスフィアをみかけても不思議ではない。
そして、シータはパンパンと手を叩いた。すると、外で見張りをしていたらしい者が気付いて地面に膝を突く。
「副長、おかえりなさいませ」
「ああ、後ろのスライムは客人だから、他の皆にも伝えといてくれ」
了解しました……見張りは反論もせず、ただ頭を下げた。それだけでもシータの立場というものがわかる。
「それと副長に一つ報告が」
「ん? そういえば店主が何か言ってたような……」
シータが首を傾げてナユタに顔を向ける。途端にナユタは「あっ」と思い出して頭を抱えた。真っ先に報告するつもりだったのに、スライムのせいで忘れたと言いたげである。
その瞬間だった。
「そんな!? 尚更早く助けにいかないと」
聞き覚えのある声にグリムは背筋を震わせた……間違いない、スフィアの声だ。
そして、証明するかのように入り口に近いテントから白と緑を基調にした服が姿を現す。
「スフィア!?」
「スライムさん!?」
推測は正しく、飛び出してきたスフィアはグリムが目の前にいることに驚く。いや、それよりも……、
「早く、早くしないと!!」
スフィアは落ち着きがなく、慌てふためいていた。グリムは急いでスフィアの元に駆け寄った。
「どうした。ひとまず落ち着け」
「落ち着いていられません!! 早くしないとスライムさんのお父さんが……」
父がどうしたというのだろうか……そもそもどうしてスフィアがこんな所にいるのかわからない。まるで伝染するかのようにグリムも混乱してあたふたする。
その混乱を治めたのはグリムにとって意外な人物だった。
「すまない。どうやら余計に心配をかけさせてしまったらしい」
え……その声を聞いた途端、グリムは凍るかのごとく身体を震わせた。
記憶しているという次元ではない。頭で考えるよりも早く顔が地面にひれ伏す。
お……シータが面白がって覗き見る中、スフィアは不審な行動を取るグリムを見て、冷静さを取り戻した。
「スライムさん?」
「しっ! 恐れ多いぞ……このお声はまさに」
瞬間、入り口に近いテントの幕が開く。奥から毛皮をあしらった十三歳ほどの少年が姿を現した。間違いない。
「王位継承権三位……聖王都フィルガルドの王子、ナーテル・フィルガルド・アルム殿下だ」
短髪にきりっとした眉毛。服装は平民の姿だったが、そのお顔はまさにグリムが直々に遠征を命じられた時のまま。
スフィアはポカンと一泊置きながら、それでもグリムの揺るがない姿勢に真実みを感じて、
「……ほ、ほえぇぇぇええ!!」
となんとも間抜けな声を上げたのだった。
☆
その後、一堂に会したグリムたちはテント内で改めて言葉を交わす。
テントの中は全体的に飾り布に覆われていて暖かかった。ふかふかの床は触り心地が良く、地べたに座っても痛くならなかった。
その中で円を描くように座ったグリムたち。もちろん上手にいたのはこの人だった。
「改めて、ナーテル・フィルガルド・アルムだ。よろしく頼む」
「……」
しばしの沈黙。向かい合う場所に座っていたスフィアはポカンと口を開けて呆けていた。シータとナユタはスフィアから右側に座り、その様子を面白そうに窺っている。
「半信半疑といったところだね」
「だ、だって雲の上の存在ですし、こうして間近で見たこともないから信じて良いものかどうか……」
「素直でよろしい。確かにこうして国民と話すことはないから驚くのも頷ける。それはともかくとして……」
十三歳ほどの少年、もとい王子であるナーテルはスフィアから視線を降ろして前に鎮座している物体を見た。そう、言わずもがなスライムであり、ひれ伏すグリムであった。
「僕としては、王子の名がモンスターの耳にまで行き届くようになったのかの方が気になるわけで」
正直、複雑な気分だ……ナーテルは苦笑いしながら、グリムに「顔を上げよ」と命令する。命令を聞き届けたグリムはやっと床にこすりつけていた額を持ち上げて前を見る。
「えっと……君は普通のスライムというわけではないんだよね?」
こくこくと首を縦に振るグリム。すると、シータがくすくすと笑いながら謙虚なグリムを指さした。
「あー、王子も山賊の報告書を読んだだろ。そいつがそのスライムになった聖騎士だよ。聖騎士グリム・グロッケン」
「……はい?」
ナーテルが目を点にして、もう一度グリムに視線を合わせる。その後で、スフィアとシータを順番に見渡す。
「グリム・グロッケン?」
「……はい」
「あの最年少で、世界遠征の任を賜った天才聖騎士?」
「……らしいぞ」
どうやらナーテルは驚くよりも現実逃避に走るタイプらしい。何度も見渡し、現実を呑み込むのに少しばかり時間を要した。
そして、
「え、ええぇえぇぇぇえぇ」
今度は殿下自ら間抜けな声を上げる番だった。
「……ゴホン。失礼した」
数分後、落ち着いたナーテルは恥ずかしかったのか頬を赤らめながら場を仕切り直す。その間に軽くグリムの事情説明もされて、情報を共有した者たちの関心はグリムからスフィアに移っていた。
「なるほど……尋常じゃない理由があるのはわかった。しかし、錬金術士というのは人体錬成もできるものなのか?」
「確かに学問都市では人体の研究もしていると聞いたことがあるが、錬成が成功した事例なんて聞いたことないぞ?」
ナーテルとシータの目が段々と細くなる。疑いの目を向けられ萎縮するスフィア。スフィアは上流階級に慣れていない……グリムは庇うように声を上げた。
「殿下、恐れながら発言いたしたくございます!」
「よい。ここは王城でもなければ王座でもない。僕のことはただの客人と思え」
「ではお言葉に甘えて。殿下は……ナーテル様はなぜこのような場所にいるのでしょうか?」
ふむ……途端にナーテルは思い悩むように口ごもる。だが、意を決したのか「そうだな、本題に入ろう」と口を開いた。
「僕がここにいるのは、謀られたからに他ならない」
「それはまさか聖騎士に」
「そうだが……事はそんなに簡単なものではないらしい」
グリムは首を傾げた。すると、ナーテルは「順を追って話した方が良いだろう」と説明をシータに要求した。シータは「あまり外部に情報を漏らしたくないんだが」と前置きしながら、ため息を吐いた。
「うちらが聖騎士から依頼を受けたのは知っているな。その依頼内容は目の前にいる王子の救出だ」
「王子の救出……どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。『謎の集団が王子暗殺を企てている。故に城から避難させたい』っていうのが聖騎士の言い分だよ」
もちろん聖騎士が守れば良いじゃないか、という議論はあった。だが、聖騎士が側にいては逆に目立つ点、加えて、山賊は探査に長けている点を考慮した、と言われれば反論ができなかった。
その後はシータが言っていたとおり、いろいろな事情があって裏取りする時間もなく、山賊は裏取りしながら依頼を受けることになった。
残念ながらその事情は教えてくれなかったが、王都に着いたシータたちはさっそく行動に移した。聖騎士の用意したルートを使って、城に侵入。城の庭園にてナーテルと接触したのである。
だが、
「当の王子は何も聞かされておらず、突然モンスターが現れて、王子もろとも、うちらを襲ってきたんだ」
「はっ!?」
王城にモンスター……とても信じられるものではなかった。王城はそれこそ聖騎士が守っているはずだし、何より『結界』がある。モンスターは入ってこれないはずだ。
これにはシータも肩をすくめた。証拠を出せと言われてもどうしようもないのだろう。だが、モンスターに襲われたのは事実で、加えて、
「人間がモンスターを指揮していた!?」
「ああ、間違いない。白装束を着た女性が、海鳥のようなモンスターに乗って襲うように命令していた」
そんな馬鹿な……シータの言葉にグリムは耳を疑った。
だが、シータが言うには竪琴を片手に指示を出していたらしい。その後、シータは自身の探査の能力を最大限に使い、ナーテルの案内もあって、モンスターを避け、この場に避難できたという。
一瞬、その襲ってきた人間は、自分以外の者を動かせるという『召喚術士』かとも思ったが、意味が無いとその考えを捨て去った。
やはり『結界』がある以上、モンスターが入ってくることはできない。少なくとも聖王都ではそうだ。それに、
「私も同じ人に襲われました」
「はい!?」
グリムは振り返る。すると、萎縮していたスフィアが手を上げていたのだ。
話を聞けば、スフィアはグリムが捜索する前に見知らぬ女性に襲われたそうだ。騒ぎを聞きつけてナーテルが助けてくれたとのことだが、その特徴がシータが言った人物に一致していたのである。竪琴を使って操る点も一緒だった。
つまり、その白装束……ユミル・トゥルース・フィルガルドという名の女性は魔力ではなく、竪琴を使っている可能性が高い。
「あの時は混乱していたけど、あれはアイテムに違いありません!」
「わかるのか?」
「そ、それは……」
どうやら錬金術士だからと、アイテムかどうかわかるわけではないらしい。スフィアは黙り込む。
だが、アイテムを使っているのなら、錬金術士の価値も知っているはずだ。正直、本命というよりは個人的な理由でスフィアを襲った気がする。
「よい。今はわからぬ事は置いておけ。それよりも重要なのは、この騒ぎで得したのは誰かという事だ」
ナーテルもそれがわかっているのか、早々に打ち切り、別視点から話を切り出す。さすがは次期フィルガルドを担う者……着眼点はなかなかのものだった。
「そのユミルという者はあくまで使いにすぎないということですね」
「ああ、そして……」
ナーテルはシータの後ろに控えていたナユタに視線を向ける。ナユタは首を縦に振った。どうやら実行部隊をシータが、裏取り部隊をナユタが率いていたようだ。ナユタは首を縦に振った。
「はい、この騒ぎで得した者が一人だけおります。全てご想像の通りでした」
そうか……ナーテルは頭を抱える。予想が確定事項になって残念がっていた。つまり、
「フィルガルド十二刻の会議の一角、フローラ家。その当主、ナーシャ・フローラが裏で糸を引いていました」
やっぱりか……ナユタの言葉にため息を吐く。貴族の誰かが反旗を翻した……その事実にグリムは心底げんなりしたのだった。
まだちょっと続くんじゃー(推敲できなかったので、誤字多めかも。ごめん)