第二章 3
「――王よ立ち上がれ。民衆を守るために、自ら招いた災厄を拭うために」
それから少しの間、吟遊詩人の詩は続いた。私も気になって足を止める。
王様を称えた一節。内容は危険に相対する王の勇ましさを現したものだった。その歌声を耳にして皆で拍手喝采を送る。けれど、私は首を傾げた。
王は危険を取り除かねばならない。聞こえは良いけど、それは、
――王様のせいだ。
そう言われているような気がして、違和感を覚えた。
王様が危険を招いたから、王様がどうにかしろ……そう聞こえて仕方がない。
一個人としての意見であれば、それでも良い。だが、詩の中に絶妙に隠され、賛同を求める光景はどこか気持ち悪いものを感じた。
――この感じ……リンドの町にいたウェルスさんと同じだ。
よく見れば、人を貶めようとする目をしている。関わり合いになる前に逃げよう……スフィアは腰を低くしてその場を後にしようとした。
「おやぁ、そこの君。何かご不満でもあったかな?」
けれど、白装束の吟遊詩人は人混みをかいくぐるスフィアにさえ目を配っていた。さりゆく白と緑を基調にした服の少女を視界に入れた途端、詩をやめて大きな声で言葉をかける。
瞬間、聞き惚れていた王都の民衆が一斉に振り向いた。一気に人混みの中心がスフィアに変わる。吟遊詩人が歩み寄り、一歩離れた場所に立ち止まる。
気付けば人混みはスフィアを取り巻くように動いていた。隙間なく肩を並べ、まるで陣形を組むかのように……。
――待って、おかしい。あくまでここにいる人たちは聖王都の住民だ。平民だ。
平民というのは、この聖王都において守られる存在の事を言う。その中から優れた者を選んで、忠義を認められた者が貴族となるのだが、一般的に習うのは読み書きと簡単な計算と歴史のみ。上級貴族を目指す騎士や兵士でもないのに、誰もが一糸乱れぬ動作などできるはずもない。
それも街中であるにも関わらず、騒ぎ立てる気配が無い。店の定員も一切見向きしない。
「ユミル様の歌声は世界一。ユミル様の奏でる音色は癒やしの風。ユミル様バンザイ」
「いやぁ、ありがとう、ご声援ありがとう! お布施の方もよろしく!」
途端に金銭が投げられる。甲高い音を立て地面にまばゆい絨毯が敷き詰められる。それを見た白装束の吟遊詩人は目の色を変えて両手を合わせた。
「やっほーい! おかね、おかね、お金があーれば、大抵のものは手に入るぅ!」
ぽいぽいぽいぽい……白装束の吟遊詩人は上機嫌で地面に転がった金を懐の金銭袋に入れていく。なんなんだ、この人は……スフィアは一歩下がる。
けれど、チャリン、と音が鳴り、再度、白装束の吟遊詩人がこちらに視線を向ける。
「おっと、私としたことが! 一番の上客に逃げられるところでした! ねぇ、スフィアさん」
「どうして、私の名前を……?」
「どうしてって、私たちの中では恩人ですから」
「恩人?」
何を言っているのだろうか……さらにスフィアが距離を取る。だが、囲まれている以上逃げられない。
「まった、待った。警戒しないでほしいっすよ。私は君とお近づきになりたいだけですよ」
すると、白装束の吟遊詩人は慌てて、被っていたフードを外す。そして、服の下に隠していた長髪を払って外に出した。どこか物足りない白装束に水色の長髪が相まって、一つの美を生み出した。
「私の名はユミル。ユミル・トゥルース・フィルガルド」
「ユミル……トゥルース……フィルガルド?」
「そう、初代フィルガルド王の直系……初代聖王の姉とは私の事なのです!」
私は目を点にする。異様な雰囲気を放つ吟遊詩人だが、腰に手を置き胸を張る姿は無邪気だった。無邪気ゆえに相手の心境を推し量ることができない。
「恐れ多いにもほどがある。フィルガルドは王の名……王族しか冠する事ができないっていうのに」
「だから、本当にそうなんだって!」
「え……?」
妙にはやし立てる吟遊詩人に、スフィアは困惑する。いや、待った。ユミル・トゥルース・フィルガルド……どこかで聞いたことがある。誰もが知っている歴史。誰もが耳にする名前。
そうだ、確かにユミルは初代聖王の姉の名だ。だが、ありえない。初代聖王が生きていた時代は今から四百五十年前の話だ。魔力が行き届いた時を起点とした暦……星歴から三百五十年の時代だ。
今は星歴八百年……現フィルガルド王も九世に至った。到底、生きているとは思えない……スフィアは顔をしかめながら答える。
「誰だかわかりませんが、知らない人とお近づきになりたくありません」
「そう言わないでよ。正直、仲間になってくれないと、ちょっと厳しいんだよぉ!」
両手を合わせる吟遊詩人……もとい、自称ユミル・トゥルース・フィルガルドは、あくまでも陽気に懇願する。本当に悪気はなさそうなのが怖い。その証拠に、
「そうだ! なら、こうしよう!!」
ユミルは手招きしてスフィアと同い年の少女を呼び寄せる。商店街を散策していたと思わしき少女は、言われるがまま近づき、ユミルの前で立ち止まった。そして、
「君が仲間になってくれるなら、好きな相手を宛がおう……こんな風に、ね」
ユミルは少女の唇に自身の唇を重ねた。少女はそれをいやがることもなく受け入れる。それどころか、もっとほしがるように首に手を回した。強く抱きしめる。
強く強く強く強く強く強く。
スフィアの背中に悪寒が走る。まるで生気を吸い取られているかのように、少女が動かなくなるまで続ける様はとても尋常な精神状態とは思えなかった。
ぷはっ……瞬間、ユミルは何事もなかったかのように唇を離し、少女を突き飛ばす。
「やっぱり女の子の唇はみずみずしくては良いなぁ。で、どう? お近づきになれば好きな相手と好きなだけ」
「お断りします」
即答。ぐったりと倒れ込む少女を見た以上、他の選択肢などスフィアにはありえなかった。きっと周りにいる人たちも似たような状態になっているのだろう……即座にポシェットから涙ぐむドクロが描かれた爆弾を取り出した。錬成で爆風だけを強くしたとんでけぇー爆弾だ。
ごめんなさい……スフィアはそれを民衆に向けて投げ放つ。直後、爆風が巻き起こり、周りを取り囲んでいた何もかもを吹き飛ばし、なぎ払っていく。
もちろんスフィアも吹き飛ばされるが、囲んでいる民衆を巻き込んで、何とか地面に着地できた。そのまま爆風でできた包囲網の穴をくぐり抜ける。
あらら……ユミルは呆れるように肩をすくめる。
「どうやら本格的に嫌われちゃったみたいだね。なんで私が絡むと、こうなるのかなぁ?」
腕を組みながら平然と首を傾げる……爆風の中にいるというのに、だ。
だったら、仕方ないよね……水色の長髪が流水のようにはためいて煌めく。あくまでも優雅に佇むユミルは開き直ったかのようににっこり微笑んだ。
「言うこと聞かないんだったら、力尽くしかないよね」
瞬間、ユミルが右手を挙げる。直後、爆風で転んでいた民衆が立ち上がった。その中には女、子供、頭に血を流している者、擦り傷を負っている者もいる。
「捕まえてきて」
けれど、ユミルの号令で痛がる素振りもせず、全員が走り出した。
☆
それからしばらくして、グリムが中層に落ちてきた頃、スフィアは商店街から逸れて、薄暗い小道に出ていた。
そこは日差しが届かない立地のせいか、開いている店は少なく、まるでゴーストタウンのようだった。開いている店もどこかしら妖しい雰囲気をまとっている。
そんな中を、スフィアは息を荒くして周囲に気を配りながら走り続ける。あのユミルとかいう吟遊詩人からにげるために。けれど、目の前の曲がり角から声がした。
やばい……スフィアは顔を青ざめる。瞬間、曲がり角から男二人組が飛び出してきた。その手には太い縄が握られていた。
「おい、いたか!?」
「いや、そっちは?」
男二人組はぶんぶんと首を振りながらスフィアの影を探す。その光景をスフィアは建物の隙間から眺めていた。とっさに入り込んだのはいいが、腹ばいのごとく滑りこまないといけないほど狭くて細い。
――動きにくい……。
息を潜めながら、そっと足を後方へ。だけど、突如、コロンと音が鳴り、スフィアはびくっと肩をふるわせる。振り返れば背後には打ち捨てられた空き瓶があった。うそっ……スフィアはありえないといった声を上げる。
瞬間、男二人組がスフィアをみつけ駆け寄った。やばいやばいやばい。
「もう、ポイ捨てしたのは誰ですか!? ゴミはゴミ箱の中に、ですよ!!」
そんなこと言っている場合か……スライムさんがいればきっとこう言ってくれることだろう。スフィアは返事のないポシェットを軽く感じながら空き瓶を飛び越える。こんな時、スライムさんなら立ち向かっていたのだろうか?
「くそっ、駄目だ。入れない」
運が良いことに男二人組はがたいが良すぎて、滑り込むことができないらしい。今のうちに取り抜けよう……スフィアは慎重に先に進む。だけど、
「任せて」
直後、幼い子の声が聞こえて振り返った。すると、男二人組の合間から四歳児の女の子が出てきて、スフィアは驚愕する。女の子の手には男二人組から受け取った縄が……ミスマッチにもほどがある。
「あんな小さい子でさえ手玉に取れるの!?」
改めてユミルという吟遊詩人の異常さを目の当たりにしたスフィアは、今度こそ考える暇も無く精一杯動く。
何とか勢いよく反対側の路地に出たスフィアは周りを見渡した……女の子は細い隙間を縫ってくるように来る。男二人組も回り込むように走り出す。このままでは挟み撃ちにあう。
「この先、どっちにいけば……」
「こっちだ!」
瞬間、声が響いた。振り向けば、建物の裏口が開いている。
「こっちだ! 早く来い」
どうする……スフィアは一瞬戸惑った。これが罠である可能性は否めない。もしかしたら誰かがまたユミルに操られているかもしれない。けれど、
「ゴミはゴミ箱の中に、だろ」
その言葉を聞いた途端、足が動いた。手法はわからないが操られている状態の人が、関係ない言葉を口にできるとは思えない。それはユミルが商店街でしたことを誰も咎めなかったことで証明できている。
とっさに裏口に飛び込み、ドアを閉める。途端に路地に出た女の子が誰もいないことに面を食らい、回り込んできた男二人組は再度慌てて捜索を開始した。
スフィアはその様子をドア越しに耳にしながら、ほっと一息つく。
「危ないところだったな」
スフィアは振り返る。そこにいたのは腰に手を置き、毛皮をあしらった服を着た十三歳ほどの少年だった。