第二章 2
「おー、だれかと思えば昨日のスライムじゃねぇか」
副長と呼ばれた少女は、グリムの目の前で堂々と軽口を叩く。何を今更……まるで昨日の騒動がなかったかのように呟く少女に、グリムははらわたがにえくりかえった。
誰のせいでこんな事になったと思っている……第三者から見れば、完全に八つ当たりなのだが、今のグリムにはそんな冷静さも熱くなっていて使い物にならなかったのだ。
あくまでスフィアと噴水公園で襲われた出来事は別件だ。けれどスフィアがどうしていなくなったのかわからないグリムには、とても無関係には思えなかった。
それを肌で感じ取ったのか、少女は肩をすくめて足下で倒れ込んでいるローブ姿の人物に視線を逸らした。そのまま懐をまさぐり、何かと調べ始める。そんな少女にグリムは顔を真っ赤にして怒りを露わにした。
「おい、無視すんな!」
しまいには我慢しきれず声を上げる。けれど、次の瞬間、自ら失態をさらした事に気付く。
「何だ。やっぱり喋れるんじゃねぇか」
「――っ!?」
しまった……グリムは冷水を浴びせかけられたかのように固まった。熱くなった頭が急激に冷やされて困惑する。理性がついていけない。
ああ、そういえばここに来る前……フィール平原にある東の関門でもグリムは怒りにまかせて正体をばらそうとした。あの時はスフィアが止めてくれたんだったか。
――あの時、抑えていてくれなかったら、自分はどういう行動をしていたのだろう?
現実逃避が加速する。スフィアがいなければこんなに違うものなのか。慌てふためいて、馬鹿の一つ覚えのように走り回って……何が『騎士』だ。ただの聞き分けの聞かない子供ではないか。
喝だ……どうしてこうなった。人間ではないからか、スライムになると知能が下がるのか……喝だ、喝だ喝だ喝だ喝だ!!!!
「安心しろよ。誰にも喋る気はねぇし、喋ったところで誰も鵜呑みにはしねぇよ」
その直後、沈黙を貫くグリムをおもんばかって、少女が口走る。グリムは、キッ、と目尻をつり上げた。
「……未だ聖王都に抵抗する山賊が何を言ってやがる」
「……勘違いすんなよ。うちが本気になればスライムなんて一撃だ」
それを肌で感じ、敵意だと判断した少女は、すぐさま右手に装備された機械弓の羽を広げてこちらに向けてきた……相変わらず早撃ちが得意らしい。
気付けば少女は昨日羽織っていたローブを取っていた。通気性の良い長袖に胸当てが一つ。その上からジャケットに袖を通し、下は短パンと固定されたブーツで動きやすさを重視している。
その姿は年相応の背丈も相まって、なるほど、自身を大人に見せようと必死こいている女の子のようで可愛い……右手に装着された機械弓と、きらりと光る金属矢が膝に巻き付けられていなければ、だが。
「……」
「……」
少しばかりの沈黙。今もなお機械弓はグリムに向けられている。だけど、その弓が上に向けられ、羽が小さく折りたたまれる。
「……やめだ、やめ。別にスライムの兄ちゃんと喧嘩しにきたんじゃない。あ、それとも姉ちゃんだったか?」
「……兄ちゃんであってる」
間の抜けた質問にグリムは毒気を抜かれて腰を下ろす。
やっと理性が追いついてきた。確かに今、目の前の少女と戦っても何の徳もない。それどころか、放置してはいけない疑問を今の今まで棚に上げていた。
「おまえの目的は、その足下にいる奴か?」
グリムは視線を下に向ける。そこにはローブ姿の人物と、五つの竜の紋章があしらわれた剣が転がっていた。その剣にグリムは見覚えがあった。
「シータ」
「はっ?」
「シータ・アルシス……それがうちの名前だ」
少女……もといシータは呟く。どうやら『おまえ』と呼ばれるのが嫌だったらしい。頬を膨らますシータは、少女の顔……十二歳の女の子の表情だ。だが、その手は今のなお、まさぐり続ける……ローブ姿とはいえ『騎士』の懐を。
そう、五つの竜の紋章は聖王都の証。それを剣にあしらうということは騎士の証である。今は持てないグリムの剣にも五つの竜の紋章はあしらわれている。スフィアのアトリエに置き去りにしてきたが、騎士学校からずっと共にしてきた相棒だ。見間違うはずがない。
「なぜこんな所に騎士がいる? おまえ……シータとそいつは関係があるのか?」
グリムはシータを問い詰める。昨日、噴水公園で襲ってきたシータは、同じローブを着ていた。おそらくお互い顔も知らない相手に味方だと合図を送るために使っていたのだろう。
「そのローブはシータたちが着ていた物と同じだ。シータとそいつは仲間なのか?」
「違う」
けれど、シータは真っ先に否定した。その瞳が細くなり、怒りの色が映り込む。はっきりとした言葉は意思の現れのように堅い。
「そうだな……スライムの兄ちゃんには迷惑かけたし、一通り話しても良いか」
「……?」
グリムは首を傾げる。すると、シータはまさぐっていた手を止め、足下に転がっていた騎士を思いっきり蹴り飛ばした。音を立てて騎士が二人、重なって山ができる。
「騙されたんだよ。間抜けにも、そこで後れを取っている騎士様になぁ」
シータは淡々と告げる。だが、言葉の端々にふつふつと沸き上がる苛立ちが覗きみえた。冷静そうに見えてシータの騎士を見る目は蔑んでいる。
「……」
グリムはただ黙るしかなかった。シータも、まさか目の前にいるスライムが騎士の一員だとは思ってもいなかったのだろう。何故だか、グリムが喋れることは看破できたが、その成り立ちは知るよしもない。
けれど、グリムが黙っていたのはそんなことではなく、ただ単に精神が不安定だったからに過ぎない。
信じていた騎士が、騎士のあるべき姿が歪められていく……グリムは土台がぐらついていくのを感じていた。
思えば、貴族の腐敗はまだ他人事だった。貴族という意識より騎士という意識の方が高かったからだ。
そうとは知らず、シータは腕を組みながら話を続ける。
「うちらが傭兵家業なのは知ってるよな? そんな折、とある人物から依頼がきた。そいつがそこで倒れている聖騎士を名乗る集団ってことだ」
「山賊は……聖騎士と仲が悪いはずだが」
グリムは告げる。するとシータは世間知らずの優等生を見るかのようにため息をついた。
「スライムの兄ちゃんはグロッケン邸にいたもんな……そりゃ、頭も堅くなるってもんか」
「…………何が言いたい?」
「別に。ただうちらは傭兵だ。対価を払えば、誰だろうが何だってやる。実際、初代聖王時代は聖騎士から依頼を受けて協力していた事だってあったんだぜ」
「…………え?」
グリムは目を丸くする。そうか……シータは、少し冷静になったのか、物思いに耽る。
「さては兄ちゃん、うちらの事を物取りの蛮族としか思っていないだろ。だが、うちらはただ山と生きたいだけだ。聖王の下で生きたいわけじゃない」
シータの表情は真剣だ。聖王ではなく自身の信じるものとともに生きたい……その想いは切実だ。
「けれど、生きる上で水や食料、物資はいる。だからその分は働いているだけだ」
「……」
「だが、聖王はうちらのあり方を断固として認めなかった」
「……え?」
グリムは目を点にさせる。
「それからは泥沼さ。聖騎士と山賊の間で小競り合いが続いて今に至るってやつだ」
「どうして……」
グリムはぼそっと呟いた。シータは首を横に振って答える。
「さぁね。ただ目障りだったんじゃねぇの」
目障り……グリムはその言葉に唖然とする。つまり、納得できなかったということか……理解できない相手がいることに。関わりたくないと感じてしまった。だから、押さえつけて言う事を聞かせる。
そんな自己中心的なやり方で押し通したから、不満が募って爆発した。次第にそれは大きくなって、その結果が『聖王都に楯突く存在』になったのか。
――他を認めない……たったそれだけの理由で。
グリムは拳を握りしめる……スライムに手はないだろうというつっこみはなしだ。そんな簡単な気持ちではない。
「とにかく、依頼を受けたうちらは、隠れ里から人員を募り、聖王都へ出発した。普通は裏取りをするんだが、依頼内容が緊急だっただけに、同時進行することになったんだ。だが、その結果が目の前のていたらくというわけだ」
そう言うとシータは転がっている騎士を見ながら、怒りを通り過ぎて哀れむかのようにため息を吐いた。
「こいつらはいつまで独りよがりを貫くつもりなんだろうな」
「……っ」
グリムは息を呑む。聖騎士の一人としていたたまれない気持ちになる。スライムの身体でなければ逃げ出していたかもしれない。
「ああ、わりぃ。話が逸れちまったな。結局、依頼自体が偽物。うちらはまんまと罠に嵌められたってわけで、もうグロッケン家を手出しするつもりはねぇから安心しな。いつも隣にいる姉ちゃんにも謝っといてくれ」
「!?」
そうだ、スフィア……シータに言われた事でグリムは急に現実に戻されるように鼓動が高鳴った。シータが現れたことで忘れていたが、グリムは本来、スフィアを探すために中層に降りてきたのだ。
グリムは目の色を変えて周りを見渡す。当然のことながらスフィアの痕跡はない。騒ぎに巻き込まれなかっただけ良しと見るか、ここでみつかった方が楽だったと見るか……グリムの心境は複雑だ。
「じゃあな。元気でやれよ」
「待て! いや、待って……くれ」
瞬間、走り去ろうと後ろを向いたシータに、グリムは声を上げた。待ってくれ……グリムの本心だった。シータが訝しむように目を細める。
何の手がかりもない。何の手立てもない。今ここで手を離せば、何もできないまま、取り返しのつかないところまでスフィアは行ってしまうかもしれない。グリムの顔が極限にまで歪む。
「頼む。助けてくれ」
だから、自覚してしまう。グリムは歯を食いしばった。
――「……スライムさんは私を理由にして逃げているだけです」
スフィアの言葉が脳裏をよぎり、何故だか涙が出るほど悔しいと思った。今だけは恥を忍んで頭を下げよう……グリムは地面に頭をこすりつけながらシータに訴えた。
そう、図星をつかれるほどスフィアの言葉はグリムの核心を射貫いていた。
☆
「スライムさんは何もわかっていない……」
スフィアは一人、買い物かごを片手に愚痴をこぼす。場所は中層にある商店街の一角。時刻は、グリム、もといスライムさんが中層に落ちてくる前だ。
というのも朝、スライムさんが起きる前に目が覚めたスフィアは昨日の事が気まずくなって部屋を出たのである……といってもやることはなく、屋敷を転々と歩いていると、疲れ切った使用人たちが目に入った。
使用人たちも主人がいなくなり、身の上が危うい状態なのに、それでも精一杯、自身のできることをこなしていた。スフィアとは真逆だったのである。
そんな使用人たちの一助となればと思って、スフィアは代わりに買い出しを請け負った。
そうして、中層の商店街を回り、必要な物をかごに入れていきながら、スフィアは昨日のスライムさんの事を考えていた。
愚痴をこぼす、とは言ったが、これは勝手な言い分であることもスフィアは自覚していた。
なぜなら、スライムさんは、
「記憶が無い」
リンドの町で竜の姿を形取ったことを知らない。だから、スライムさんが『凝固形態』という技を普通に使うのは仕方の無いことだ……わかっている。
しかし、それとこれとは話が別だ。
――「貴族のいざこざに、スフィアを巻き込むわけにはいかない」
その言葉が出た途端、スフィアは自身が酷く醜く感じた。私は膝を抱えて震えている子にしか見られていないのではないかという疑問が浮かび上がってしまった。だから、つい売り言葉に買い言葉で反抗してしまったのである。
その行為に後悔はない。だって、
――「私はスライムさんを絶対にグリム・グロッケンに戻して見せます」
そう約束したのはスフィアなのだ。病と闘うのは患者だけではない。治そうとする者も一緒に戦っている。ある程度信頼関係はないと困るのだ。
「でも、でも、でも…………ぁぁあああー、もう!!」
思考が堂々巡りしているようで、スフィアは小さくうめき声を上げた。とにかく買い物を終わらせよう……そう言い聞かせてスフィアは前進する。
だが、
「――聖王都はこの星で一番の大国である。
――その中で一番、格が高いのが『王』であり、見下ろす立場として……いや、一番先頭に立たないといけない。何よりも、誰よりもまず民を助け危険を被らなければならない」
まるでスフィアに聴いてくださいと言わんばかりに、詩が聞こえた。続いて竪琴の音色が耳を打つ。
顔を向けると、白装束に袖を通した女性が、街路の一角で行き交う人々を魅了していた。
8/28 本文一部修正(「山賊は……聖騎士と仲が悪いはずだが」~『グリムは拳を握りしめる……スライムに手はないだろうというつっこみはなしだ。』までの文章。『聖騎士に追いやられた』という部分を削除した内容に変更)




