第四章 5
一方、グリムを見下ろしているスフィアは何とも言えない焦燥に駆られていた。
《ロッキング第一炭鉱》最深部。そこにできた穴の中では、スライムさん、もとい眷属がワームハウンドを殺していた。そして、未だ混乱が落ち着かないうちに静かに微笑み返していた。その微笑みはまるで睨めまわすようで、スフィアの嫌いな貴族の眼をしていた。
正直、逃げたい気持ちでいっぱいだった。先程ワームハウンドをすり潰していくスライムさんの姿は普段からは想像がつかないものだった。相手を必要以上に痛めつけて、その上で笑顔になる姿はスフィアの両親を奪った貴族の顔にとても似ていたのだ。ウェルスが腰を抜かしているのがそのいい証拠だった。今もスフィアの隣で跪いている。
だけど、今のスフィアはそう言ってもいられなかった。
「やっぱり違う……あれは本当のスライムさんじゃない。冗談でもあんな人を貶めようとする顔はしない」
逃げ延びる事はできた。泣きじゃくる事もできた。でもスフィアは掌を握りしめる。
実のところ、いずれこういう状況になるのではないかと予想はしていた。いくら錬金術士がいろいろなアイテムを作り出せるとしても、いままで人をスライムに……もとい『人の形を変える』効果を持ったアイテムなど聞いた事がなかった。おばあちゃんのアトリエの本たちにもそんな前例など書かれてもいなかったのだ。
だから、スフィアはそれに似た現象で勝手に推論を立てたのだが、それでも未知の部分がないわけではなかった。故にスライムさんにも『病人であると自覚してください』と注意を促していた。
それがドラゴンになるなんて……スフィアは後悔する。スライムさんに隠された未知の部分がそうさせたのか知らないが、だからこそ今のスフィアには責任が伴っていた。
子供のままではいられない……半人前とはいえ、スライムさんを異常な状態にした一端を担ったスフィアに逃げる事は許されていなかった。
――錬金術士になるって人を助けるだけじゃないんだね。おばあちゃん。
その重い責任を胸に抱いたままスフィアは今のドラゴンと化したスライムさんに向き合った。
「このまま迷い続けるつもりか」
スライムさんがかけてくれた言葉を繰り返し呟いて、スフィアの心を奮起させる……これからも迷い続けないようにするために。
なにより目の前の重症者を置いていくことなんて、スフィアにはできなかった。だから、
「手伝ってください……」
スフィアは隣でびくびくと震えているウェルスに助けを求めた。途端に「え?」と声が漏れる。
「スライムさんを元に戻すために手伝ってください!」
「はっ!?」
直後、目を白黒させながらウェルスは頭を下げるスフィアに視線を向けた。その意を決した表情にウェルスは耳を傾けずにはいられなかった。
☆
そうしてスフィアたちが動いている間、眷属と化していたグリムは急ぎ足で穴の中を駆け上がっていた。ドラゴンに手があるかはともかくとして、上へ、上へ……『スライムさん』と呼びかけた少女に向かって手を伸ばす。
今度はどんな殺し方をしよう、自分を慕ってくれた者をどう残虐しよう……グリムは楽しくて、愉しくて、頬が緩む。
――あれ、でも、なぜ慕ってくれているとわかるんだ?
時偶、立ち止まりもしたが、最強のモンスターと化したグリムは衝動を抑えきれなかった。そのまま一直線にスフィアを丸呑みにしようと口を開く。
しだいに地面が揺れ、炭鉱全体がぐらついた。それが自分が起こしていることにも気づかず、直後、大噴火のごとく飛び出したグリムは空洞の天井にぶつかって地面にずしんと転がる。
そこから体勢を立て直したグリムは周りを見渡した。
周りはそれこそたくさんの人間が転がっていた。その中に高級そうな服を着た青年はおらず、皆、一様に傷つき死んだように動かない。
そんな者たちにグリムは興味はなかった。それよりも先程の少女だ……狂乱の中にいたグリムはスフィアを探す。
その想いに応えるように、直後、爆風がグリムを襲った……といっても、眷属にはそれがそよ風程度にしか感じられなかったのだが。
振り返れば、グリムを呼んだ少女、スフィアがいた。白と緑を基調にしたレース入りの服……その簡単にぷちっと潰れそうな細い身体を見た途端、グリムはニヤリと微笑む。
これでやっと遊べる。まだまだ有り余った力を振り回せる。
それがどれだけ愉しい事か、物を壊せば壊すほど盛大に散ってくれる様がグリムには面白くてたまらなかった。
特にはかない物ほど、可憐で弱々しい悲鳴をあげる……壊したくてたまらなくなる。
「こちらですよ、スライムさん!」
その時だった。スフィアが声を上げた。
――何だ? 追いかけっこか?
グリムは子供のように騒いだ。そして、スフィアが走り出したのと同時に後をついていく。蛇のように身体をくねらせ、スフィアが《ロッキング第一炭鉱》の坑道に入っていくのを眺めた後、身体をすべり込ませる。
けれど、坑道は非常に狭く、グリムは予想以上に手間取るはめになった。坑道の大きさは、ちょうど眷属化したグリムと同じ大きさだったため、身動きができなかったのだ。例えるなら全身、縄で縛られているようなもの……一直線に入ったために出る事も困難になった。
それでも、グリムは諦めなかった。むしろ白熱して、止まらなくなった。最高の餌が目の前に転がっていると思えば意地でも殺したくなる。
グリムはそう思うとドラゴンの尾を変化させる。魔力を高め、掘削機だったものを今度は三つ叉に……扇状にする。
「あれは、まさか!!」
その光景を視界に入れたスフィアは、眼を見開いた。そう、物の構造に通じていたスフィアにはそれがどういう物か理解していた。
と、その瞬間、グリムは極限まで尾をねじれさせ、解放する。すると、ねじれが回転に変わり、尾に伝わっていく。そうして伝わった力は、扇状になった部分に空気を捉えさせ風を巻き起こす。
そう、推進器……巨大なドラゴンの身体を押し出すほどの加速器が尾についたのである。
それは最初はゆっくりと……だけど、加速度的に速度は上がり、先を行くスフィアに襲いかかってくる。何の因果か、それは馬車に轢かれるようなものだった。
ドラゴンの口が……その中でギラリと光る牙がものすごい勢いで突っ込んでくる……その恐怖に瞳孔を狭めながらも、スフィアは曲がり角に滑り込んだ。刹那、怒号のようにグリムが壁にぶつかって牙がめり込んだ。もしも当たっていたら木っ端微塵になっていただろう。そんなお構いなしのグリムに苦虫を噛みつぶしながらスフィアは尚も走り続ける。
もちろんその都度、グリムもかすり傷を負うのだが、そんなものは悲鳴が聞こえれば我慢できた。
――いいぞ、それでこそ殺し甲斐がある。
グリムは再び尾をねじる。その間スフィアは逃げ続け、またグリムが突進する。その攻防が幾度か繰り返され、二人の精神はすり減らされていく。
だが、明確な違いもあった。グリムはそのやりとりを純粋に楽しんでいるのに比べ、スフィアは明らかに息があがっていた事だった。
それでもスフィアは走り続ける……目的があるかのように。
そして、その予想は当たっていた。具体的に言えば、グリムはある地点におびき出されたのである。
そこには先に高級そうな服を着た青年……ウェルスがビクビクと震えながら待っていた。側には重そうな木箱が積まれている。
そう、スフィアはグリムが穴の中でワームハウンドを倒す時からずっと考えていた。どう危険地帯へ誘い出すか……『ロッキング第一炭鉱』の中で上段の採掘場と下段の坑道がほぼ垂直線上に並んでいる所へ、どう連れてくる事ができるのか、と。
「準備の方は!」
「できてるが、本当にやっていいのか?」
瞬間、グリムはウェルスの側に積まれた木箱に目が行った。その中から鼻をつまむ臭いがしてくる。
――まさか……!?
グリムはこれから仕掛けてくるであろう事を察知して眼を見開く。だが、遅かった。
頭と身体をフル回転させたスフィアは、この炭鉱でできるとっておきの秘策を解き放つ。
それが炭鉱にとってどれだけ危険な事かは、木箱から漂う硫黄の臭いでさすがにわかるだろう。ポシェットから自前のとんでけぇー爆弾を取り出したスフィアは、ウェルスに合図を送る。
そして、ウェルスは言われたとおりに木箱を抱えてグリムの頭上に投げ放つ。全てはウェルスが聖騎士の魔力を宿している事、ここが炭鉱である事……炭鉱になくてはならない道具がある事が決め手だった。
スフィアたちが炭鉱に来る前に地図を手に入れていたのも影響は大きいだろう……そのおかげでスフィアは、蟻の巣のように張り巡らされた場所で回り道をしながら時間を稼ぐ事ができたのだ。
そうして、スフィアはとんでけぇー爆弾を思いっきり天井へ投げ放つ。それがスイッチとなって木箱は炸裂し、中から粉末が……『火薬』が勢いよくまき散らされた。刹那、グリムの頭上で幾度も爆発が起きる。
そう、大岩が坑道を塞いでいる場合、炭鉱夫は火薬を調節して岩を砕くという。そして、それを盛大に投げたという事はつまり……。
――落石狙いか!
直後、グリムは墜ちてくる大岩を視界に入れながら驚嘆する。一つ一つの岩がグリムの上にのしかかり、ドラゴンの身体を埋めていく。スフィアたちはその光景をなるべく遠くで身を守りながら眺めていた。ただの人間がドラゴンを足止めしたのである。
いや、そもそもただの人間なのだろうか……グリムは衝撃に耐えながら考える。
白と緑を基調にした服装、頭にはモチーフなのか白い花が飾られている……白い花?
――『……スノーライトフラワー』
その時、グリムの思考が停止する。気を失いかけているせいか、瞼の裏に映像が映り込む……満天の星空で誰かが楽しく談笑している情景が。
――『……スノーライトフラワーは溜め込んだ光が消えそうになった際に、最後の灯を渡して種子を飛ばすんです』
――『なるほど。――――が気に入るはずだ』
だが、どうしても顔が見えない。映像の乱れが酷くて思い出せない。脳裏に蘇る過去の情景は霞がかかっているようにうっすらとしていた。
そんな中でドラゴンの姿でいるグリムは落石に埋もれて土煙に紛れる。そうして生き埋めにされ封じられたグリムに向かってスフィアは歩き出し、ポシェットからある物を取り出した。
それは小さなアイテム……掌にのせられた丸薬だった。
「待っていてください。このままスライムさんを消させたりしません……この『清浄の丸薬』で元に戻してみせます」
グリムはその言葉に耳を傾けた。
清浄の丸薬……聞いた気がする。そう、確か長い間身を清める効果をもつアイテムだったはずだ。なるほど確かに『暴走した魔力を落ち着かせる』という意味ではあながち間違いではないだろう。それさえ飲ませれば、別に戦って勝たなくてもいいのだ……身動きさえ止められれば良い。
でも、それをどうして知っているのか、どこで聞いたか思い出せない。森だった気もするが、やはりわからない。
そもそもなぜ『スライムさん』なのだ……ワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ――メンドクサイ。
「Gyhaaaaaaa――――――――!!」
刹那、グリムが咆哮をあげた。咆哮は落ちてきた落石物を超えて、スフィアの耳をつんざく。震え上がって、足を止める。
うるさい、うるさい、うるさい……その咆哮は行き場をなくした憤りをぶつけるかのごとくスフィアの肩に重くのしかかった。
直後、グリムにのしかかった落石物が崩れ始める。ころころと小石が転げ、大岩までもが逃げ出したくてずるずると後ずさる……そう、眷属化したグリムは落石物さえ憤る勢いで持ち上げようとしていた。そんなグリムを目の前に、スフィアは悪寒を感じずにはいられなかった。
――許さない、もう一片たりとも形を残さない。
頭が痛い……痛くて痛くてたまらない。
それが思い出す反動だとは知らずに、次の瞬間、グリムは尾を再び掘削機に変化させて落石物を塵に変えた。そして、近づいたスフィアに目を合わせる。
すると、今度はスフィアが固まった。全身が痺れて動かない。それが畏怖だと理解したのは、おそらく三秒後の事だっただろう。
「こんちくしょう!!」
ウェルスが声を上げた事で、やっと、スフィアは「えっ」と声を上げる事ができたのだ。
刹那、ウェルスがスフィアの手を引っ張っるように突き飛ばす。曲がりなりにも聖騎士の魔力を使って飛び出したのだ。
その一秒後、スフィアのいた地点に穴が開いた……グリムが尾の掘削機をスフィアに向けたのだ。
そうして、スフィアは状況を再確認する……自身が今モンスターに狩られそうになっている事に。
「くそっ……こんなの僕らしくない」
そして次の瞬間、ウェルスは足を抱えていた。グリムの攻撃を完全に避ける事ができず、かすってしまったせいだ。それだけなのに右足の大部分が赤く腫れ上がっている……炎症を起こし、これ以上歩けば重症になる事、間違いなしだった。服も泥と埃にまみれ、見るも無惨な状況になり、動かす事はできない。そこまでされた時点でスフィアは逃げる道を絶たれたも同然だった。
「な、何してる!! 早く逃げろ!!」
ウェルスが嫌々ながら促すが、スフィアは微動だにしなかった。その代わりにグリムから見てもわかるほど必死に考えていた。
「考えろ……ウェルスさんを見捨てずにスライムさん救う方法を、こういう時どうするのかを」
「お、おい! 下がれ!」
ウェルスが声にならない悲鳴を上げる。それもそのはずだ……後ろではすでにグリムがドラゴンの尾を構えていた。
それでもスフィアは諦めなかった……諦めていたら、きっと一生錬金術士と名乗る事はなかっただろう。瞳孔が開くほど神経を研ぎ澄まさせる。
そうして出した答えが、
「……げてください」
「え、なんだって!?」
「スライムさんの口に向けて私を投げてください!!」
「はぁ!?」
まさかわざわざ食べられに行く気か……開いた口が塞がらないとはまさにこの事だった。ウェルスは一際瞼を上げながら驚く。だけど、スフィアの背後ではもう一刻の猶予もなかった。
ウェルスはぐるぐるとみるからに頭を混乱させながら、スフィアの手を取った。
「いいんだな」
最終確認を取りながらウェルスは残った聖騎士の魔力を使って、力一杯スフィアを思いっきり投げる。
正直、正気に戻ったグリムでもこんな無謀な行動はしなかった。騎士学校で単身特攻がどれだけ危険な事なのか学んだグリムなら、何としても皆で逃げる道を選んだだろう……わざわざ敵の手中に飛び込む必要などどこにもないのだ。そのどこか抜けているところがスフィアらしいとも言えるが……。
そして、今回だけはそれが好転に回った。掌に清浄の丸薬を握ったスフィアは無事に目標の場所へ飛ばされる。グリムの顔面近くへ……大きく映りこむスフィアにグリムは一瞬だけ気圧される。
刹那、その光景を眺めていたウェルスがほぼ投げやり気味に大声をあげた。
「それでいいのか!! 僕の尻を叩いた『聖騎士』はどこへ行ったんだ!?」
聖騎士……何の事だかわからない。だけど、
――『その性根叩きなおしてこい!!』
まただ……ウェルスの声に呼応するようにまたグリムの脳裏に情景が映り込む。今度は不誠実な貴族の横腹にきつい一撃を加える誰かが見える……けれどやはりわからない。
痛い、痛い、痛い……過去の情景がグリムを追い立てる。早く殺さなければ、早く息の根を止めなければずっとこの痛みは続いてしまう。
グリムはすぐさま尾の方向を切り替えて、スフィアを背後から串刺しにしようと構えた。
「スライムさん!!」
けれど、その前に声が響いた。自らドラゴンの口に飛び込んできたスフィアがグリムを『スライムさん』と呼んで手を伸ばす。その手の甲がグリムの視界を大きく遮った。
その陰から這い寄るように遠い記憶が呼び覚まされる。それは、胸の内から誰かが「思い出せ」と呼ぶ声に反応しているかのようだった。
――『――――の名において、――――に誓いを立てる』
そうして呼び起こされたのは、誓いの言葉。小さな騎士が身の丈以上の少女を守ると決めた小さな決意。
――『聖騎士グリム・グロッケンは、スフィアの絶対の仲間であろう』
思い……だした。
その直後、グリムは必要以上に口を大きく開いてスフィアに向けた……第三者から見れば、それはわざわざ薬を飲み込もうとしているかのようだった。
「今です!!」
そうとも知らず、スフィアは握っていた清浄の丸薬をグリムの口に放った。丸薬はグリムの口を通って胃に収まる。
そして、
――熱い……熱い、熱い熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い――――――――――――――――――!!!!
直後、薬の反応は始まった。それはまるで最初に戻ったような感覚だった。
唐突に光に包まれたグリムは、スフィアと初めて会った時と同じく、手足がちぎれ、血が沸騰しかける痛みに苛まれる……その中で思考だけは虫酸が走るほど回った。
「ス……フィア」
「スライムさん!!」
そうしてスフィアが手を伸ばすのと同時に、グリムの身体の大半が聖水に変わる……それがやがてウェルスまでも巻き込んで付近一帯を呑み込んだのだった。




