6 イビル、イビラー、イビリスト
久しぶりにベッドで寝たので、うっかり長々と寝すぎてしまったみたいだ。
泥のように眠るっていうのはこういうことなんだろう。
死刑のことが頭から離れないんだから当然だけれど、しっかり寝たのに気分は相変わらず最悪だ。
あたりはすっかり暗くなり、隣の部屋から漏れる明かり以外は何も見えない。
つまづかないように手探りをしながら狭い寝室を出ると、ポムピンが居間の机に大きな分厚い本を開いてそれをしかめっつらで読んでいた。
私が起きてきたことにも全く気づいていない。
「なにしてるのよ、ポムピン。」
あくびを噛み殺しながら声をかけた。
「あ、レモーネさんですか。あくびなんかして、のん気なものですね。」
「のん気なわけないでしょ。これでも焦っているんだから。」
私はむっとして言い返した。
それを無視してポムピンは読んでいた本を見せてきた。
「私もずいぶんと強引な、じゃなかった、ポジティブなレモーネさんを見習って、何か役に立つ魔法がないか探していたんです。この本は魔女が使う魔術書なんですよ。」
古くてぼろぼろの本だけど、なにかよくわからないまがまがしさがある本だ。
開いてあるページを読んでみようと覗き込んだけれど、見たこともない文字で書かれているので全く読めない。
「へえ、すごいじゃない。」
このまがまがしさには期待がふくらむ。
「ところでレモーネさん、顔が悪いですね。」
「あん?」
何か聞き捨てならないことを言われたのでポムピンをじろりと見据えた。
「ああっ間違えました!顔色が悪いですね!」
「そう?」
壁に掛けてある鏡で自分の顔を見てみたら、たしかに頬はこけて顔は青ざめていた。
髪もぼさぼさで十歳くらいは老けて見える。
もともと貧血気味ではあったけれど、牢獄生活ですっかりやつれてしまったみたいだ。
私は頬を両手で挟んで、はあ、とため息をついた。
「この顔では求婚しても断られるわよね。」
「今頃気づいたんですか。ってゆーか原因は顔だけじゃないですけどね、絶対。」
間髪入れずに突っ込んできたポムピンをぎろりとにらんでやったら、
「すみませんんんんんんんんっ!」
と慌てて本で顔を隠していた。
怒る気力もなく、はあっとまたため息をついて、ポムピンの向かいの椅子に座った。
「レモーネさん、大丈夫ですか?」
「だめ、体がだるい。重い。」
机に顔をうつぶせて今度はふう、と息を吐いた。
体を動かすのがつらい。疲れでもたまっているんだろうか?
そこに、扉がドンドン、と叩かれた。
「あ、きっと夜の食事ですよ。私が受け取ってきますね。ここに来て初めての食事ですよ!おなかすいたー!」
ポムピンは椅子からぴょん、と飛び降りると扉のところにいる兵士のもとへかけていった。
そして二つの小さなパンを受け取るとそれを胸元にボスボスと押し込めて、二枚のスープ皿を受け取って机のところに戻ってきた。
絶望の表情をしている。
ポムピンが運んできたのは石のように固いパンと、野菜のクズが入った色の薄~い量が少ないスープだった。
「やっぱり、食事も最悪ですね。」
ポムピンはテーブルに置かれたそれらを眺めながらもなかなか手を付けない。
私は木でできたスプーンでスープを飲んだけれど、塩気を全く感じられない味に細かく刻まれた野菜くずが、久しぶりの食事としてはとても食べやすいと思った。
「食事もこの古城が作られた時代のものを再現してお客様に提供しているのね。」
彼らの徹底ぶりには頭が下がる。
「違いますよ!これぜったい囚人用の食事ですよ!これに懲りたらさっさと帰れって言われてるんですよ!」
ポムピンは何か言っているけれど、久しぶりの食事でそれどころではない。
夢中で食べていると、扉のところが急にがやがやとうるさくなり、突然バアンッ扉が開かれ家令のナハシュが現れた。
「ああああっ!やっぱりこんな下っぱ兵士の残り物の食事を王都からのお客様にお出しして!」
後ろから慌てて兵士が言い訳をしている。
「しかし、閣下がこれを出せと言われましたので……。」
ナハシュはやれやれと肩を落とすと、私たちのところへやってきて深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません。こちらの不手際で、お客様にこのような嫌がらせのような待遇や食事をお出ししてしまいまして。至急新しい部屋にご案内いたしますのでお許しください。」
「やっぱり嫌がらせだったんですね!」
「そうなのです。申し訳ございませんポムピンさん。」
ポムピンは、あーよかった、と喜んでいるが、私は聞き捨てならない言葉を聞いてしまって全く喜べない。
パンをぶちいっと引き裂いて、一口大のものを口に入れ、上品にゴリゴリとかみ砕いた。
私を見てナハシュが
「スズメバチみたいな顎の強さだ……。」
とつぶやいている。
砂ように細かくなったパンをごくりと飲み込んでから私はナハシュに言った。
「この待遇と食事は嫌がらせと言ったわね。」
「は、はい……。嫌がらせというかいじめというかいびりというか……。そのように受け取られましても仕方がないことで、誠に申し訳なく……。」
ナハシュはぺこぺこと頭を下げている。
私はスープ皿を持って立ち上がると、彼の前に立った。
「フロスト侯に一言申し上げたいことがあるで、案内してもらえるかしら。」
私は湧き上がる怒りを抑えながら言った。
「はい、かしこまりました。」
うやうやしく案内するナハシュについて部屋を出ると、ポムピンもついて来た。
「わ、私も行きます!あ、あの辺境伯に会うのは怖いですけど、かといってレモーネさんを野放しにはできませんから!」
ビクビク震えながら私の後ろに隠れるようにして歩いている。
古城である部分から新館と呼ばれている新しく作られた屋敷に入った途端、多くの兵士たちが現れ、私たちを見つけるとぎょっとしながらも道を開けて壁際に寄り、ナハシュに敬礼をしている。
二階の一番奥の大きな扉の部屋の前につくと、ナハシュがこちらを向いて頭を下げた。
「こちらが閣下の執務室になります。」
そして扉をバーンッと開けて私たちを中に通した。
辺境伯の執務室に入るにしては、ずいぶんと気安い対応だ。
「閣下、お客様がご意見があるということでしたのでお連れいたしました。」
ジン・フロスト辺境伯は机で書類にサインをしていた手を止めてあいかわらずの地獄の王みたいな顔を上げた。
そしてスープ皿を持って仁王立ちしている私をみると、ポカンと口を開けぱちぱちと瞬きをした。
鳩が豆鉄砲をくらったような顔というやつだ。
それからは先ほどの扉を壊した時の迫力は感じられない。
「ちょっとよろしいかしら?」
私が怒りを込めてそう言うと、彼ははっとして、それから咳ばらいをしてまた書類に目を落とした。
「取り込み中だ、出て行け。」
忙しそうに羽ぺンを走らせている。
「閣下!」
ナハシュがいさめるように言っている横を通り、フロスト侯が座っている横に立った。
彼は驚いて顔を上げ、そして固まっている。
「な、なんだ!」
私はずいっとスープ皿を彼の顔に近づけた。
「これは一体どういうことなのかしら?」
すると彼はそれを見て皮肉気に言い放った。
「我々は非常に忙しい、客をもてなす暇も労力もなくてな。それに王都育ちのお嬢様に満足してもらえるような教養も道具ない。こんなど田舎が嫌だったらさっさと王都に帰ることだ。」
「あなたが私たちを早く追い返したいがためにこのような待遇、つまり、いびりを指示したということなのね?」
「いびり?まあ、はっきり言えばそうだ。さあ、わかったらさっさとかえ……。」
私はとうとう我慢できなくなって叫んだ。
「いびり?これがいびり?こんなただ胃に優しいスープを出すことが?固いだけのなんの変哲もないパンを出すことが?快適かつ重厚な歴史を感じさせる時間と空間を提供することが?いいえ!いびりと気づかれないいびりはいびりにあらず!」
「……は?」
「甘い!甘すぎる!砂糖にはちみつと糖蜜をかけて生クリームとカスタードでコーティングするぐらい甘い!私はこんなものはいびりとは認めない!パンはカビが生えたものを用意しなさい!どろどろに腐っているとなお良し!スープにはツバか雑巾のしぼり汁を入れなさい!そしてコウモリの死骸を添えなさい!ただの野菜クズ?ハッ!オリジナリティーが感じられない!つまらん!おまえのいびりはつまらん!せめてスープにイモ虫ぐらい入れろ!」
「レモーネさあああああああーーーーーーーーーんんんんっ!何言ってんですかああああああーーーーーーーーーっ!!!!!!」
ポムピンが慌てて駆けてきて、私の腰にしがみついてきた。
「抑えて!自分を抑えて!ってゆーか何を口走ってるんですかあああああああーーーーーーっ!!!!」
「放しなさい!私はイビリストとしてこのような生ぬるいいびりが横行していることが許せないのよ!こんなのはいびり道に反している!」
「なんですかイビリストって!」
「いいこと、真のいびりとは常に相手の予想のはるか上を行くべし!」
「聞いてませんから!ほら!もう行きますよ!」
「ちょっと!ひきずらないでよ!まだ言ってやりたいことは山ほどあるんだから!特にとても牢獄とは思えない快適空間についてね!」
「すみません!ほんっとうちのレモーネさんがすみません!放心する気持ちは良く分かります!私も気絶したい!」
「正しきいびりこそ正義!」
「ほらっ!帰りますよ!ハウス!我々にお似合いの暗い牢獄で出直しますよ!」
そうやって引きずられながら牢獄に戻ったけれど、それからすぐに私たちは最上級の客室に通された。なぜだ。
辺境伯は侯爵の爵位持ちという設定ですので「フロスト侯」と呼ばれてます。
わかりづらくてすみません。
お読みいただき、ありがとうございました。