3 いざ、クグロフ
ポムピンに渡された紙袋には、他には花嫁のヴェールと白いハイヒールが入っていた。
でもどっちも使わないから袋にしまっておいた。
レースがふんだんに使われているヴェールは付けると動きにくそうだし、ハイヒールはかかとが切れた足ではもう履くことはできないから。
でもいつか何かの役には立つかもしれないから持っていこう。
紙袋を横に置いたら、ずっと窓の外を見ていたポムピンが歓声をあげた。
「わあ、レモーネさん見てください!クグロフが見えてきましたよ!長ーい塀に囲まれてるんですねえ。」
クグロフは深い森と、隣国トトロシュとの国境にもなっている川に挟まれるように作られた要塞都市で、その歴史は長い。
山と森に隔たれているので王都や周辺の都市とは往来がしづらいため、クグロフのことをもはや小さな国家だという者もいるらしい。
川を挟んだ隣国トトロシュとの交易のほうが国内より多いことも、そう言われる理由の一つだろう。
そして森側には広大な牧草地が広がり、牛が放し飼いにされているのが見える。
川に近くなるにつれて、黒い屋根の家々が増え、やがて整然と並ぶ明らかに計画的に作られた都市が現れた。
それらはどこまでも続く城壁で囲まれていて、他者を受け入れない閉鎖的な雰囲気をただよわせている。
その中の少し高い丘のような場所に、さらに2重の城壁に囲まれた高いいくつかの塔を備えた黒ずんだ古城があった。
その横には増築されたとみえる2階建ての今風の広い館が建っていて、その奥には兵舎のような建物もあり、多くの兵士たちが忙しそうに動き回っていた。
城門は開かれ、人の出入りが盛んに行われている。
私は馬車の窓を開けて顔を出し、前にいるカエルの御者に声をかけた。
「ちょっと、この馬車をあの一番高い塔の裏側に下ろしてちょうだい。くれぐれも、人に見つからないようにね。」
誰もまさか馬車が空を飛んでいるなんて思わないだろうから、今のところ人の目についている様子はない。
そう思っていたら、親に手を引かれている小さな子供が空を見上げてこちらを見ていた。
あわてて顔を馬車の中に戻した。
「い、いきなり城内に入っちゃうんですか?大丈夫でしょうか?それって不法侵入じゃないですか?っていうか、私はもっと、ドラマティックにたくさんの人がいる前に降り立ちたいんですけど。」
ポムピンが眼鏡のふちを持ち上げながら不満を言ってきた。
「魔法の空飛ぶ馬車なんかが街中に降り立ってきたら、いらない騒ぎが起きて面倒なことになりそうじゃない。こっそりいくべきよ。それに、この空からどこにでも降り立てる利点を生かして、さっさと城内に入ってしまいたいの。なるべく歩きたくないのよ、この足のケガがあるでしょ。」
「はあっ、わかりました。どうせ私の意見が聞き入れてもらえるとは思ってませんでしたけど......。」
馬車は指示通りに塔の裏の人目につかない場所に降り立った。
そして私たちを下ろすと、また空に飛んでいき、あっという間に見えなくなってしまった。
「さてと、ジン・フロストはどこかしら。」
歩き出そうとしたとたん、遠くで、きゃあああーーーーーっ、と大勢の叫び声が上がった。
とっさに私たち二人は近くの背の低い垣根の陰にすばやく身をひそめた。
まだ騒ぎ声は響き渡っている。
「私たちのことが騒がれてるわけじゃないみたいね。」
私はびっくりして固まってしまっているポムピンに声をかけた。
「な、なんなんでしょうか.......。なにか怖いことでも起こったんじゃないですか?」
ポムピンは顔を真っ青にして、弱弱しい声で答えてきた。
「見に行ってみましょう。」
「えええええええーーーーーーっ。やめましょうようっ。ぜったい大変なことが起きてるんですよ!殺人とか。あっ、もしかして辺境伯が処刑とかしてるんじゃないですか?私たちも見つかったら即処刑されちゃうんじゃ......。」
私はおびえるポムピンを置いて、声がする新しく作られた館の方へ身をかがめたまま向かって行った。
意外にも館の前には、王宮にあるような流行りのシンメトリー型の、美しいよく手入れをされた庭園があった。
そしてそこには100人ほどの女性たちがひしめき合って何かを取り囲んでいる。
「きゃあーっ!ロバート様ー!」
「ロバート様!こっち向いてー!」
そんな声が聞こえてくる。
「ロバート?もしかして、アンバー姫が言っていたジン・フロストの弟?」
なんでも神が愛したとしか思えない容姿に、品行良性、頭脳明晰、とかなんとかそのようなことを言っていたけれど、本当にそんな人間がこの世に存在するんだろうか?
はなはだ疑問ではある。
それにしても、あの女性の群がりは懐かしい。
私もよく王子様を取り囲む社交界の女性たちの中にいたなあ。
そして足元では女たちの壮絶な足による蹴り合い、踏み合い、が行われていたりなどした。
思い出にぼんやりとひたっていると、ポムピンが息を切らしながらやっと私のところまでやってきた。
全身に葉っぱや泥がついて真っ赤な髪はさらにボサボサになっている。
「もう、死にそうです!こんなにハラハラしたのは人生で初めてです!誰かに見つかるんじゃないかと思うと足がすくんでしまって......。レモーネさんは私のこと置いて行っちゃうし!ってゆーかレモーネさんこういうことになんか慣れてませんか?」
「もちろん。陰に身をひそめながらの情報収集は、社交界の淑女のたしなみだもの。私もよくライバルを陥れるため、将来王太子妃になった時に自分にたてつく貴族を黙らせるために彼らの弱みを握るための偵察をしていたものなのよ。」
「想像以上の怖い答えが返ってきた......。」
「しっ!兵士がこっちに向かってくるわよ。」
十人ほどの若い兵士たちが顔をこわばらせながら、バタバタと走ってきた。
彼らはまっすぐに団子状になっている女性たちの集団に突入していき、やがて彼女たちを押しやることに成功した。
その中から現れたのは、一人の年若い二十代くらいの男性。
金髪は綺麗に整えられていて、ふわりと風にたなびけばキラキラと宝石のように輝いている。
ほっそりとした顔の輪郭、陶器のように白い肌。
その中央にはサファイアのような優し気な青い瞳が、二重まぶたによりくっきりと縁どられていて、強い目力が生まれている。
細身ながらしっかりと鍛えられた体と、憎らしいほどに長くすらりとした足を、真っ白な軍服が包みこんでいる。
制服効果で二割増しによく見えるというが、彼の場合は二割増しなんてもんじゃない。
優しい雰囲気を、軍服により生み出されるりりしさと清廉さがさらに魅力的なものにしている。
なるほどアンバー姫が夢中になるのもうなずけるほどの美男子だ。
はっきりいってアンバー姫の兄の王子様より、よほど王子然としている。
「ひ、ひゃあーーーーっ!すっっっっっごくかっこいい人ですねえーーーーーっ!」
ポムピンは顔を赤らめて腰を抜かしている。
ロバートは館の玄関の扉に続く階段を数段のぼって、女性たちのほうに振り返った。
それだけで、女性たちは、ほうっとため息をついた。
「皆さん、せっかくお集まりいただいたのに申し訳ありません。私は軍会議から戻ったばかりでして、これからすぐに兄上に結果を報告しなくてはならないのです。どうか、今日はもうお宅へお戻りください。」
初夏のような爽やかな声に、あたりは一瞬、しん、と静まり返った。
隣も静かだと思ったら、ポムピンは両手を組んで幸せそうな顔をして気を失っていた。
「そんな!ロバート様!久しぶりにお会いできましたのに、もうお別れなんて嫌です!」
「ロバート様!お待ちになって!」
「ロバートさまあああっ!」
女性たちはイノシシよりも強い突進力で、それを抑え込もうとする兵士たちを押し倒すと、再びロバートを囲みこんでぎゃあぎゃあと騒ぎだした。
あまりにも殺気立っているので、ロバートはとって食われるんじゃないかとちょっと心配になってきた。
がんばれロバート、骨は拾ってやるほどに。
私はロバートと女性たちに踏み倒されている兵士たちの冥福を祈りながら、ポムピンのほほをぴしゃりと叩いて起こしてやった。
「ふにゃあ、おうじさまあ......。すてきですうっ、て、げえっレモーネさん!」
ポムピンは私の顔を見るやいなや嫌そうに顔をゆがめた。
むかついたのでもう一度ぴしゃりと叩いてやった。
「い、痛いですっ!レモーネさんっ!」
「いつまでねぼけてんのよ。さっさと目を覚ましなさい。」
「はいはい、今はっきりと覚めましたよ、ええもう、はっきりと。夢から覚めたら即レモーネさんなんて、どんな悪夢ですか。」
よくわからない文句を言っているポムピンに言い返してやろうとすると、突然ドオンッと大きな爆音が響いた。
屋敷の玄関に背の高い男が立っていて、扉に拳を叩きつけていた。
ありがとうございました。