19 やった、やってない、でよくもめる
「絡まって取れない……。」
おかしい、フロスト侯の作った芸術的作品に及ばないまでも、それなりの花の指輪ができるはずだったのに、シロツメクサが両手の指に複雑に絡み合ってしまってどうにもならなくなってしまった。
「なんで三本の草でここまで絡まるんだよお前すごいな!」
「侯爵様にそんなに褒めていただけるとは、恐縮です。」
「褒めてない!ったく……。」
フロスト侯が大きな手で絡まった草をあっという間にほどいてくれたので両手が自由になった。
「ありがとうございます。さすがは神の手をお持ちの侯爵様。」
「考えなしに行動するからこうなるんだ。ハチの巣に棒を突っ込んだり、後先のことを考えてないだろうお前は。」
「ああ、あの時も助けていただいてありがとうございました。ずっとお礼を言いたかったんですけど、なかなか会ってくださらないから今まで感謝の気持ちを伝えることができませんでした。」
本当にあの時助けてもらえてなかったら、私は王都で首が飛ぶ前に熊に頭を飛ばされていたかもしれない。
「何を今さら……。それに、べつに……。」
「はい?すみません、良く聞こえなかったんですが。」
フロスト侯は何かをもごもごと言っているようだったけれど、あまりにも小さな声だったので夜風に消されて聞こえなかった。
そして何かを迷うそぶりをみせた後、封書を胸元から取り出すと、それを私に寄越してきた。
「これをお前に渡しておく。」
「なんでしょうか?」
封を開けて中の紙を広げると、それは私が書いた完ぺきな詫び状だった。
ただ赤鉛筆でところどころ、空白を開けろ、とか、接続詞がおかしい、などが書かれて添削がされている。
そして下の空欄に、ナメクジと言われて傷ついてなどいないし、あれはそもそもキスですらない!!!!!と大きな字で書かれていた。
「ナハシュあたりにでも何か言われたんだろうが、このような書面を受け取らないといけないような事態は起こっていない。」
フロスト侯は真剣な顔をして言ってきた。
「ですが、私はナメクジみたいだと言ったことは本当に後悔していて、侯爵様も嫌な思いをされただろうと思ったからその素直な気持ちをこうしてしたためたんです。侯爵様の粉々になった繊細な男心が少しでも修復されればと。」
「だ、だから、傷ついていないと、い、言ってるだろうが!」
と、言いながらも声は震えているし、目が潤んでいるように見える。
もしかして泣きそうになってるんだろうか。
フロスト侯の心はやはり、傷ついているのに、傷ついているとすら声に出せないほどぼろぼろになってしまったようだ。
「本当に申し訳ありません、私がキス初心者であったばかりに。」
「いやだからあれはキスではないと言っているだろうが。」
「いいえ!あれは間違いなくキスでした!ポムピンが、キスをしなければ子供から大人の姿には戻れないと言っていました!つまり、元に戻れたということはあれはキスだったのです!」
「A→BだからB→Aが正しいとは限らん。お前が元に戻ったのは他の要因もあったかもしれないだろうが。例えば、元に戻る時間がやってきたのがたまたまキス(仮)をしたときだとも考えられるだろう。他の可能性はいくらでもあるということだ。」
フロスト侯は屁理屈で自論を押し通そうとしてきた。
なんでそうキスしたことを否定したがるんだろうか。
さすがに私もムッとして言い返した。
「でも私、結構唇を押し付けたんですけど。こう、ぐにゅっとするくらい。」
「ふん、ちょっとかすったくらいだろうが、嘘をつくな。」
「いいえ、あれは完全なる私のファースト・キスでした。」
「っ!?ふぁあっ!!!」
フロスト侯は奇声を発すると、目を泳がせせてうろたえだした。
急にどうしたんだろうか。
珍しい様子を見守っていると、やがて落ち着きを取り戻したらしく、咳払いをしてぎろりとこちらをにらんできた。
「と、とにかく、あれはお互いの意見が食い違うくらいのささいで取るに足らない出来事だったということだ。もう忘れろ。」
「たしかに二人の初めての共同作業は息が合わずにうまくいきませんでしたね。残念です。」
「おい、その言い方はやめろ。」
ようは私の勉強不足だったのだ。
今度は絶対に言い逃れができないくらいの完ぺきなキスをしなくてはいけない。
「わかりました、今度こそ侯爵様の記憶に戦慄に残るほどのキスをしてご覧に入れます。」
「はあ!?なんでそうなるんだよ!」
「こういうことは、習うより慣れろ、ですので誰かに協力してもらわなくては……。」
「お、おい、お前何を言って……。」
ポムピンに聞いても妄想トークを延々と聞かされることになるだろうし、ナハシュはレモンしか言わないだろうし……。
ロバートなんかは頼めば何でもさせてくれそうだけれど、アンバー姫に万が一そのことが知れたらジ・エンドだ。
「バーン副隊長あたりは経験豊富そうなのでいい練習相手になりそう。」
「やめなさい。」
フロスト侯が真顔で止めてきた。
「あいつにそんなこと頼んだらただじゃ済まんぞ、何考えてるんだ!」
「あら、大丈夫です、きっと。だってあの方、たしか私のことを男に全く邪心を抱かせない女だと言ってましたから。木の棒か何かだとでも思ってるはずなんでなにかあるはずないです。キスに関する経験を教えてもらえればいいだけですし。」
「あいつの女好きを甘く見るな。」
「いえいえ、あのくらいのことでは女好きの内にはいりませんよ。」
ハカティアの男性や私の実父に比べれば可愛いものだ。
「あいつは十分女好きの、仕事をしないエロジジィだ!」
「大丈夫ですって、女というのはそういう直感があるんです、あ、この人、口ではこういってるけど私のこと何とも思ってないなっていうのは。それに、バーン副隊長は、私のこと胸がないから無理っすわー、と言われてましたし。」
「いいや、あいつのことだ、俺が胸を育ててやるとかなんとかうまいこといっていやらしいことをしようとしてくるにちがいない。」
「え?胸って育つんですか!」
それはなんたる朗報!
ないよりあったほうがいい、何事も。
「育たん!」
そう言った後、フロスト侯はなぜか片手で顔を覆っている。
「とにかく、キスの練習なんかするな!これから一生俺とお前がそういうことをすることなんかないから、無駄なことだ。わかったな。」
そう言い捨てると、フロスト侯は立ち上がって服についた泥を払っている。
「つまり、侯爵様は私とキスはしたくないということですか?」
「そうだ。キスもしないし結婚もしない。いい加減、諦めるんだな。」
何度も言われてきた言葉だけれど、なぜか今回はショックだった。
私が死刑を免れる方法はただ一つ、ジン・フロストと結婚するということで、そのために彼に結婚してもらうようにいろいろとしているわけなんだけど。
それだけのはずなのに、彼にキスしたくないと言われて、今まで感じたことがないような胸の痛みを感じた。
その痛みをこらえて、なんとか
「いえ、諦めません。」
とだけ言った。
なんだろうかこれは?
体の力が抜けて動けないし、目がじんわりと痛くなってきた。
そのままフロスト侯が立ち去るのを見ていることになるんだろうとぼんやり考えていたけれど、彼はその場を動かなかった。
「部屋に送って行ってやるから、今日はもう寝ろ。」
そう言って見下ろしてきた。
その言葉に従おうと力を振り絞って立ち上がるけれど、ふらりとよろめいてしまい、思わず右足で踏ん張ってしまう。
最近良くなってきていたかかとの傷が、じくじくとまた痛みだしてしまい思わず顔をしかめてしまった。
お読みいただきありがとうございました。