第一章 1、担担麺
ジャッジャと小気味の良い音を立ててフライパンを煽る。
油がバチバチとはじけ、炒めているひき肉とねぎ、油の香ばしい匂いが立ちのぼってくる。
この瞬間が俺は好きだ。
空腹が刺激され、出来上がる料理への期待や想像が無限に広がっていく。何を作ろうかと悩んでいる時ももちろん好きだが、明確に見た目や香りが現れるこの調理の過程が俺は狂おしいほど好きだ。
「あとはこいつを加えてっと……。」
ひき肉とねぎを炒めているところに、ビンから匙ですくった辛みのあるペーストを一すくい入れてやる。木べらで混ぜながらフライパンを揺らし、全体に赤みがいきわたるようにする。そして同じく別のビンから味噌をすくい投入してやる。
「よっし。こんなもんかな。」
味を見てから最後に少量の香りづけの葉を刻んだものをいれて一瞬強火で煽り、火を止める。そして隣で茹でていた麺の湯切りをし、うつわによそいスープをかけて、その上に炒めていた肉みそをのせたら。
「ほい、担担麺おまちどお!」
「うっひょおきたきたあ!! これを食べるためだけに隣町から山を越えてきたんだよ!」
若いマントを羽織った男は目の前に置かれた担担麺のうつわに顔をつけんばかりにのりだす。
「あははっ。別に逃げやしないからゆっくり食べな。食べるときはこいつを使うといい。」
そういって男に木製の二本の細い棒を差し出す。
「おおっ、これがこの店での最大の難関と言われているハシか!!」
「そんなふうに言われてるのか……。そんな難しいもんでもないさ。こうやって指を支点にして……。」
男に簡単に箸の使い方をレクチャーしてやる。
「よし、多分使えると思う! それじゃさっそく……。」
恐る恐るといった感じで男が箸で麺を持ち上げる。持ち上げるというよりはすくうといった方が正しいかもしれないが。
「はふっんむっ……。」
男は麺を口に入れると噛み切って咀嚼をする。普段麺をすすって食べる者からすると若干もどかしい光景かもしれない。
「~~~~~~~っ?!」
「どうだいお味は。」
男は驚愕の表情を浮かべてのけぞる。
「う、うめえ……こんなものがこの世に存在していたなんて。」
男はもう使い方なんて気にせず、箸を手のひらに握りこむようにしてどんぶりを抱えてかきこんでいる。
「そりゃよかった。」
担担麺を夢中でほおばる男から離れ、次の注文に取りかかる。
ギルド「幸鍋」。
これが俺がギルドマスターを務める、小規模ギルドだ。
しかし小規模ギルドにも関わらず、二階建ての本拠地の建物からは人が溢れんばかりに……いや、実際溢れている。この人々は別にギルドへクエストの依頼をしに来たわけではない。大体今は夜の八時、もうクエストの受け付けは終わっている。それにも関わらず、建物内には人がごった返し、賑やかに談笑している。
理由はただ一つ。俺の作る料理だ。
俺ことイサルは料理が得意だ。大体のものは作れると自負している。味もそこそこ悪くないはずだ。現にこうしてたくさんの人が俺の作る料理を食べに、遠路はるばるやってくる。
しかし、これだけ繁盛しているのには理由がある。それは、
この世界には料理が存在しないからだ。
例えば肉なら火で焼いてそのまま食べる、野菜ならあらって丸かじり。魚や果物だって、味をつけたり、それぞれを合わせて料理などしない。いや、
そもそもその発想がない。
ここで軽く俺の生い立ちを説明しようと思う。
生まれたのはごく普通の一般家庭……ではなかったな。軽く家庭崩壊していた。
父は仕事をせずいつも遅くまで飲み歩き朝帰り、酒臭い息をまき散らしながら帰ってきては俺や母親に当たり散らし、暴力を振るう。
母親はそんな父親の理不尽な暴力へのストレスのはけ口として俺を使った。まあ要するにサンドバッグだ。
親二人に連日暴力を振るわれ、死にかけたこともあった。学校や警察なんて、話を聞くだけで実際には役に立たない。なるべく穏便に、話し合いで済ませようとする。
そんな俺にも一つだけ趣味があった、料理だ。
親二人に暴力を振るわれた怒りを、自分だけがおいしいものを食べているという優越感で紛らわせようとして始めた料理だったがいつしか料理そのものにどんどんのめりこんでいった。
お小遣いなどもらえるわけもなかったので、必死にアルバイトをして器具や材料などを買い揃えては新たなものを作ることに挑戦した。
そんなある日、ある個人経営のレストランに立ち寄った。なんてことない普通の料理だったのに涙が零れ落ちたのを覚えている。
俺はそこの店長に頼み込んだ。皿洗いでもなんでもいい、どんな仕事でもこなすからどうかここで働かせてくれと。そしてあなたのもとで料理を学ばせてくれと。
店長は俺の話をゆっくりと聞いてくれた。家庭のこと、学校のこと、料理のこと。そして言ってくれた。
うちに住み込みで働くかい?
夢のような提案だった。すぐさま家に帰り荷物をまとめた。
両親が何か言い争っていたが俺には関係がない。どうせ今日で顔も見なくなるのだ。
しかし大きなかばんを背負い家を出て行こうとした俺の頭に酒の入っていた一升瓶がぶつけられた。
父親が俺に向かって投げたのだ。
どこへ行く○○……お前はこの家の子供だ、勝手に出て行くことなんて許さん。
そんなことを言っていた気がする。
倒れた俺に今度は母親が馬乗りになって首を絞め始めた。
どこへ行くの○○ちゃん……あなただけは私を見捨てないわよね……?
遠のく意識の中で、俺の心は穏やかだった。ただ一つ、
あの味を学びたかった。
そんな心残りを除いて。
こうして俺の、18年の生涯は幕を閉じたはずだった。
気が付けば野原に倒れていた。
空は青く澄み渡り、風と日差しがとても心地よかった。
「死後の世界……ここが天国ってやつか。案外、悪くないな。」
「そんなわけないでしょ、何言ってんのあんた。」
「へ?」
誰かに覗き込まれていた。声からして女性だが、すっぽりとローブをまとっているため中の顔は見ることができない。
「どうしたのこんなとこに寝そべって。行き倒れ? にしては荷物持ってないし、この辺には村も町もないから住んでるわけでもないわよね?」
その誰かさんはしゃがみこんでそんなことを聞いてきたが、俺にはわけがわからなかった。
「いや行き倒れっていうか……首を絞められて意識が無くなったと思ったら気が付いたらここに……。」
「なにあんた盗賊にでも襲われたの? よく殺されなかったわね。あいつら男には容赦しないはずなのに。」
「とう……ぞく?」
「まあいいわ、とりあえずそんなところで昼寝してると今度は盗賊なんかじゃなくてモンスターに襲われるわよ。特にこの辺はファングルの生息地だし。」
「モンス……ファング……?」
「っと……噂をすれば。だからここには長居したくなかったのよね。」
「え? ってうわあっ?!」
気が付けば俺たちの周りを何かが取り囲んでいた。
犬……どっちかというとオオカミか。
体はかなり大きく太っていて、耳の近くまで裂けた口からは大きな牙が二本、天に向かって生えている。
「1、2、3……6匹ね。」
「なっ、なんだよあれ……。」
イノシシにも似ているそいつらは明らかに敵意むき出しだった。
「ファングルもしらないって……あんた今までどこでどういう風に暮らしてたのよ。」
誰かさんはやれやれといった感じにため息をつく。
「そ、そんなことよりこれってやばいんじゃ……?」
気が付けば俺らを取り囲むファングルとやらの群れはかなり包囲を狭めてきていた。
しかし誰かさんに動じる気配はない。
「はあ……ほんとはこんな慈善事業みたいなことはしないんだけど。」
誰かさんは右手をスッと上に伸ばした。
「今回だけ特別よ。」
「っ?!」
誰かさんがそう言い放った瞬間俺らを取り囲むようにして炎が燃え上がった。
「よっと。」
そしてその炎はゴオっと外に向かっていき……。
「…………。」
後に残ったのは炎に焼き払われブスブスと煙を出している地面と、こんがりと焼けたファングルの死体だった。
くうっ
「ふう……やっぱり炎魔法は燃費悪いわね。」
誰かさんはそんな風に言ってお腹を鳴らした。
「まあちょうどいいわ、このファングル食べちゃいましょ。」
そして誰かさんはこっちを振り向いた。
「あんたこれ切り分けられる? もしできるなら助けてあげた代わりにやってくんない?」
「え? あ、まあ切り分けて味付けするくらいなら……。」
「あじつけ……? まあいいわ、まだ焼き足りないと思うし焚き木拾ってくるからやっといて。」
そういって誰かさんは三十センチほどの大きなナイフを鞘ごと渡してきた。そして荷物などを下ろして森の中へと入っていってしまった。
「……どうなってるんだ一体。」
ファングルという獣に、突然現れた炎。あまりに理解が追いつかない情報が多すぎる。
「ま、とりあえずはこいつを調理するか。」
見た感じイノシシに似た感じだし、味もそっちよりだろう。
「だとすると……。」
必要なものを拾うために俺はその辺を見に、立ち上がった。
「にしても変な奴だったわね……。」
焚き木を拾い終え、さっきの場所へと戻りながら考える。
何も持たずに倒れていると思えば、死後の世界がどうこうとか言い出すし。そのうえあんなどこにでもいるようなファングルを知らないとか言ってるし。
「あ、そういえば荷物……。」
どうしてだろう、普段なら警戒して荷物は常に携帯しているのにさっきの男のところに置いてきてしまった。それにもかかわらず全然不安感がない。
「なんか、すっごい無害そうな顔してたなあ。」
思わずクスっと笑みを漏らす。
大体において、金で雇われては護衛などをこなす流れの魔道士をやってるのにさっきは無償で助けてしまった。
絶対に情などで動くことはないのに。
「どんな……やつなのかな。」
これが伝説の流れの四属魔法使いと、後に最強ギルドとなる幸鍋の創設者との出会いだった。