院長室
――20分後。
「あーもう、腹立つなぁ! あのオークいつか焼き豚にしてやろう。なんでもかんでも仕事を押し付けてくるくせに、あの人オレが居なくなったら自分の仕事が倍に増えることわかってないよね?」
薄暗い廊下で一人ごちる。
一瞬誰も聞いてないよね? と不安になり周囲を見渡したが、廊下の先には院長室しかないため誰もおらずほっと胸をなでおろした。
「っと、それはいいとしてこれからどうしよ……じーちゃん先生本当にオレのこと追い出す気なのかな?」
薄暗い石の廊下から窓の外をちらりと眺めると、先ほどまで綺麗に晴れていたはずの空には雲がかかっている。
(……たぶんあの人のことだ、じーちゃん先生の前では絶対オレに伝えたときのような言い方してないよね。あの人、目上の人が居る時は絶対猫かぶるし。ってなるとオレの悪口とか、でたらめな評判をでっちあげた? いや、もしかしたらオレならもう一人で生きていけるはずですとかなんとか言って独り立ちさせる方向で話をしてるのかもしれない。あの人、とにかく人の手柄取り捲って神父様とかじーちゃん先生にゴマすってきたからなぁ……わざわざオレなんかのことのために角が立つような言い方してないとおもうんだよね)
悪評をたてられているなら誤解を解こう。褒められつつも追い出される方向で話が進んでいたのなら、なんとかお願いすればしばらくは孤児院に残らせてもらえるはずだ。
とにかく院長としっかり話そう。なに、院長は自分のことを結構気にかけてくれている――はずだ。
扉の前までやってくると、ギンは一度その場で深呼吸をした。
よし――
コンコンと、シンプルながらも上品な作りのドアを二度ノックする。
「失礼しますじーちゃんせんせ――」
「おや? 遅かったじゃないか、ギン。お手伝いご苦労様だったね。さぁさ、早くお入りなさいな」
扉を開き、院長への挨拶をしようとした瞬間ギンは絶句した。
――やられた!
机とソファ、本棚だけのシンプルな部屋なのに威圧感を感じるのは、壁にかかった歴代院長の肖像画と無火葉巻の甘い香りのせいだろうか。
そんな重苦しい雰囲気の部屋の中にいたのは、長髪白髪の老人――院長。そしてその脇に立つ、ニコニコとまるで仏様のような顔をしたマーベラだった。
考えてみれば当然だ。自分と院長を二人きりにしてしまえば、きっと人の良い院長はギンの言うことを聞いてしまうだろう。
それを許さないために、マーベラが同席するのはごく自然なことだ。
しかし――
ギンは思い直す。
(これは、逆にチャンスかもしれないぞ)
この場で彼女を言い負かすことが出来れば、ここに居られるどころか自分を奴隷のように扱う|彼女≪オーク≫を追いだせる可能性だってある。
(だけど……どうやって?)
こずるい彼女は、きっと幾重にも言い訳とでっち上げの証拠を用意しているはずだ。
「ギン、いつまで入口に立っているつもりかね? さぁ、そっちへ座りなさい」
「う……うん」
さて……どうしたものか。
とにかく頭をフル回転で働かせながら、院長に促されるままに部屋の中央にあるお客様用のソファへと腰を下ろした。
ギンが着席したのを見届けると、院長がギンと向かい合った席へと座りその斜め後ろにマーベラが控えた。
マーベラを一瞥した後、院長へと視線を移す。
院長は、そのたくわえられた真っ白な髭が際立つワインレッドを基調とした品のいい洋服に身を包み、少し緊張したような表情でギンのことをじっと見つめている。
いつもはニコニコと窓から中庭で遊ぶ子どもたちを眺めている院長の、こんな顔を見るのは初めてだ。
やがて、院長は長い髭に隠れていた口をゆっくりと開いた。
「ギン、お主がこの孤児院に保護されてからもう一年経ったかの?」
「うん、先月の20日で一年かな。この間みんながお祝いしてくれたよ」
ささやかなお祝いだったが、あのときはうれしかった。なんせ記憶のないギンにとって、うれしい思い出も苦しい思い出もあまりない。
ちょっとした歌を歌って食事をしただけでも特別な記憶になってくる。
「そうかそうか。どうじゃ? 記憶は少しは戻ったかね?」
「いやー、大分生活には慣れたんだけど、記憶の方はさっぱり」
肩をすくめながら院長の質問に答える。
てっきりいきなり本題を持ってくるかと思っていたので拍子抜けだ。
「ギン! あんた院長先生に向かってその口のきき方は――!」
突然マーベラが声を張り上げてギンのしゃべり方を注意してきたが、院長がそれを手で遮った。
「よいよい。これはギンなりの信頼の証じゃて。こやつも時と場合くらい弁えることは知っておるでの。何も知らない無礼者じゃったら何とかせねばなるまいが、今はそう堅苦しく話す必要もあるまい」
「……失礼しました」
院長の気がマーベラに向いている間に、ギンがおちょくるようにマーベラに向かって舌を出す。
それをみたマーベラの顔は茹蛸のように真っ赤になるが、院長の手前本性を出すわけにはいかないようだ。
マーベラがムスッとした顔で引き下がると、院長はそのまま雑談を続けだした。
「ふむ、何も思い出せんか。不安じゃろうがそこはその時が来るのを待つしかなさそうじゃの。そうじゃ、あのニードルラットの方はどうなんじゃ? あれもおぬしが保護された時と変わらず眠り続けておるのかね?」
「あいつかー。ずーっと寝たままだね。時々口元においている水は飲んでるみたいなんだけど、あれも無意識でやってるみたい。ほんとうにあいつ、オレのペットなのかな?」
院長の質問に、うーんと首をひねりながら答える。
「さてのう……あんな生き物、わしも初めてみるからのぉ……」
「えっ!? あいつがニードルラットだってじーちゃん先生が教えてくれなかったっけ? てっきりオレそういう種類の生き物なんだと……」
「うむ、不便じゃから見たまんま呼んでみたら皆に納得されてしまったでの、言うにいいだせんかったんじゃ」
「えぇぇー、なんだよそれー。それじゃあいつ、偶然オレのフードに紛れ込んでただけって可能性だってあるじゃんか」
「そうかもしれんの。いやー、すまんすまん。なんせ針だらけじゃからな。わしもじっくりあの生き物を見たわけでもないしのぉ」
院長がほっほっほと、真っ白な髭を大きく揺らしながらぺこりと頭を下げた。
その後も、院長はギンの暮らしについて色々なことを聞いてくる。どうやらギンの実情調査でも行っているのかもしれない。
しばらく続けていた院長との取り留めのない会話だったが、しびれを切らしたマーベラが咳ばらいで遮った。
「院長先生? そろそろ本題の方をお話ししたほうが……」
「おぉ、そうじゃったの。なかなかこういう話は切りだしにくくてのぉ」
「心中お察ししますわ。私も心苦しいですが、こういうことははっきりと伝えて上げるべきです」
「……ふむ、そうじゃな。ギン」
来た。
ここからが正念場だ。
ギンはたたずまいを直して院長の話に耳を傾ける。
「実はの、この孤児院の経営のことなんじゃが、シスターマーベラから聞いておると思うが最近寄付も少なくてなかなか厳しいというのが現状じゃ。院長のわしに責任の一端もあるのじゃからなかなかいいづらいんじゃがのぉ……」
彼は長く蓄えられた髭を右手で撫でながら、言いにくそうに話を切り出した。
「おぬしもここへきて一年。シスターマーベラによるとずいぶん色々なことを学んできたようじゃな。もう立派にどこかの疑家に入るなり、働きに出るなりしても生きていけるでしょうと太鼓判を押しておったぞ」
後ろに控えているマーベラが、「そのとおりです」と言わんばかりに目を閉じながらうんうん頷いている。
やっぱりそういう方向か。と、ギンは思った。
「いやいや……そんな。オレなんてまだまだ……」
「ほっほ、そう謙遜するでない。朝はちぃと弱いようじゃが、それも夜中まで本を読んで勉強しておるからじゃろう?」
「げ、知ってたの?」
ギンの顔が軽く引きつる。勝手に院長の書庫から本を失敬していたのがばれてしまったかもしれない。
「偶然トイレに行く途中に、の。朝が弱い代わりに夜にはめっぽう強いようじゃのぉ。毎日7時間くらいしか寝てないのではないのか?」
「う……うん、まぁそれくらいかな?」
「よく体が持つもんじゃ……わしが年寄だというのもあるじゃろうが、若いころでも流石に毎日それはきつかったと思うがのぉ」
「オレから言わせればみんなのほうが寝すぎなんだけどね」
口をとがらせながら答える。
「ほっほっほっほ。睡眠時間が短いということはそれだけ動けるということじゃから、無理をしておらんなら良い事じゃ。辞めろとは言わんよ。本も好きに読んだらえぇ。ただし、丁重にの」
「ほんと!? ありがとうじーちゃん先生!」
どうやら小言を言いたいわけではなかったようだ。
やはり本を勝手に読んでいたこともバレていたらしいが、許しが出たことこれからは大手を振って読むことが出来る。
後ろめたい気持ちもあったので、ギンの顔がパッと明るくなった。それ以前に、追い出されるかもしれないということが頭から飛んで行ってしまっている。
ちなみに、一般の平均睡眠時間は12時間。ほぼ日の出とともに起き、日の入りと共に眠る生活が一般的なのだが、正直ギンにとっては長すぎる。暇な夜の時間に、いつか記憶を取り戻すなにかの役に立たないかと共通言語碌という本で勉強していたのを見られていたようだ。
ギンの笑顔を優しく見つめていた院長だったが、「さて」と、たたずまいを直し仕切り直した。
ギンもその院長の様子に気づき、我に返る。
(くるぞ……。切りだされたらすぐにここに居させてもらえるように頼もう。はっきりと伝えるんだ。嫌だ! ここにおいてください! まずはこれで話の出鼻をくじこう)
ごくりと息をのみ、タイミングを見計らう。
「そこでじゃ、おぬし……」
「いや――」
「冒険者になってみらんか?」
「だっ!?」
「院長!?」
ギンとマーベラが同時に驚愕の声を上げた。
話が突然思っていたことと違う方向へ舵を切られたことで、頭が回らない。
マーベラは「話が違う!」とばかりに口をパクパクとさせ、細い目を見開いて院長を見つめている。
「っほ? 今何か言ったかの?」
「え、あ……いや、なんでもないよ! それより冒険者って! オレ冒険者になるの!?」
あわてるギンに、院長が答える。
「うむ…………、その反応からするに、ギンは冒険者という職業はきちんと理解しておるようじゃの」
「一応……冒険者ってあの冒険者だよね? 怖い人が多いってイメージだけど……」
「危険な仕事じゃ。依頼次第では命に係わるものもある。だが、それ故に実入りが大きくもある」
そこまでいうと、院長は黙って懐から何かを取り出した。
院長室へ行ったらBBAが居た。
GGIと最近の生活の話をした。
GGIに冒険者にならないかと言われた。