七曜天性
「遅い!! こっちへ来な!」
「っげ! なんでシスターマーベラが……」
腕組みをし鼻息を荒げている女性を見た瞬間、思わず悲鳴を上げてしまった。
女性のあまりの怒号の大きさに、慌ただしく厨房を動き回っていた修道服姿の女性達の手が一瞬止まるが、すぐにいつものことかと再起動される。
一枚岩でできた巨大な調理台と、石の竈がいくつも並ぶ大きな厨房。様々な調理器具と、窓がないために灯された松明の灯りがどこか懐かしい雰囲気を醸し出している。
ギンが厨房へやってくると、すでに数名のシスターが朝食の準備を行っていた。
この孤児院は教会が運営しているため、職員はほとんど教会関係者が二足のわらじで業務を行っている。
ギンもあわてて厨房へ入って手伝おうとしたのだが、そのうちの一人、体重80キロはあろうかという巨漢のおばさんシスターに捕まってしまった。
「いたた、引っ張らないでよ」
「うるさい子だね! いいからこっちへ来な!」
彼女は動揺するギンをみんなの目から隠すように隣の食糧庫へと連れて行くと、その場に立たせた。
狭い部屋の壁一面に天井にまで届く棚が並び、所狭しと色々な食材が置いてあるが少しかび臭い。
「あんた、来るのがちょっとばかり遅いんじゃないかい? 記憶喪失のあんたがかわいそうだからって院長先生は何も言わないみたいだけど、ここはあんたみたいな穀潰しを置いておくほど裕福じゃないんだよ。火属性しか取り柄がないくせに、一番最後に厨房に入るなんて私たちを馬鹿にしてんのかい?」
「まさか! シスターにはいつもお世話になりっぱなしで頭が上がりません!」
「それなら、一番に厨房に入って準備を済ませておくのが普通なんじゃないかねぇ? 」
「えーっと……それは……その……あはは、おっしゃる通りです」
元々の細めをさらに吊り上げギンを睨みつけると、マーベラは近くにある木箱にドスンと座り込んだ。その姿はまるでトドのようだ。
その体勢のままひたすら、なんで寝坊したんだい? や、昨晩なんで早く寝なかったのか等、とにかく威圧的な態度での質問攻めが10分以上続いた。
何を答えても質問が戻って来て、もはや何を応えればいいのかわからなくなってくる。
(あぁもう、全然仕事に入れないじゃん! さっさと謝っちゃって解放してもらおっと)
「どうもすいませんでしたシスター――」
「謝って済まそうなんて思ってるんじゃないよ!」
「うわっ!」
バンッという机をたたく音と共に鳴り響いた、更なる怒号。
(一体なんなのこの人……。何を答えてもダメ、謝ってもダメ。ただ怒鳴りたいだけなんじゃないの?)
ギンは正直、この女性が苦手だ。彼女が繰り出すとにかく大きな声と高圧的な態度。さらに一度熱くなると話が全然通じない。
じゃあ一体どうすればいいんだと悩む目の前に、手を差し伸べられた。
「え?」
目の前に出された手が、一体どういう意味なのかわからない。
「あいたっ」
握手かと思って手を出そうとしたらパチンとはたき返された。
「あいた、じゃないんだよ。人に迷惑をかけたらどうすればいいのかくらい自分で考えな。聞いたよ、あんた結構な小遣い溜めこんでるんだって? 」
シスターマーベラは汚い歯茎を見せながらニヤニヤと笑い、まるで赤ちゃんのようなプクプクとした綺麗な手を突き出してくる。
「うわっ、どっからばれたんだろ……」
ギンは聞こえないように小さくつぶやいた後続けた。
「あのお金は神父様がオレが旅立つときのためにってくれてるお金だから好きに使えるお金じゃないよ。それにシスターマーベラは土属性だから厨房のことに関係は――」
「おだまり!!」
「――っ」
完全に恐喝だ。そう思って反論しようとしたが、その声は最後まで発されることなくマーベラの唾混じりの怒号にかき消されてしまった。
マーベラは、実際にはシスターではない。ただこの孤児院での呼び名の決まりとして必ず女性職員にはシスターを付ける決まりがあるためそう呼ばれているだけだ。
彼女はただの家事手伝いであり、何の権限も持っていない。ただその生来の気性の荒さと、立ち回りのうまさから陰で子どもたちや下っ端の職員を威圧するため影の院長と呼ばれている。
「いいかい、すべてを忘れて馬鹿になっていたあんたに色々教えてやったのは誰だい? 子どもでも知っているような七曜天性についてもそうさ。何にもできやしないあんたの属性を見つけてやったのは私だろうが! それをあんたは私に向かって説明するのかい! っは! 火属性持ちってのはそんなにえらいのかい、えぇ??」
もちろんギンは偉ぶっているつもりはこれっぽっちもない。だが、こんなに早口でまくりたてられてしまうと反論することすらできない。
事実、ギンがこの孤児院にやってきたときに優しく世話をしてくれたのは彼女だった。
生活に関する様々なことや、一般常識を教えてくれた彼女の態度が豹変したのはギンがこの孤児院へやってきて数か月後だろうか。
いつまでも何もせずに世話になるのは申し訳ないと思ったギンが何か手伝いをしたいと申し出たところ、喜び勇んでギンの適正属性を調べ始めた。
そして、最初に行った火属性適性で結果を出した瞬間のあのシスターの顔をギンは一生忘れないだろう。心の中の妬み、嫉みだけを固めたらこういう顔になるのかというひどく不快な顔を。
そしてそれ以来、マーベラはことあるごとにギンに当たり散らし、まるで奴隷のようにこき使うようになった。
もちろんあれこれ理由をつけるなりして極力抵抗してきたのだが、それがさらに彼女をイラ立たせる原因にもなっているらしい。
それにしても今日はいつもに増して当たり方がひどい気がする。
今までは、流石に金品の強要までされるようなことはなかった。虫の居所が悪かったのか、それとも小遣いをためていることを今まで知らなかっただけなのだろうか。
(仮にもシスターと呼ばれてるくせに恐喝行為を働くなんて、ほんと人として最低だね。いや、よく見てみろよ。これは人か? このふてぶてしい態度……。実はオークの変種とかじゃないか? っは! そういえば最近食糧庫のヘリが早いってシスターが言ってた。これはきっとこのオークのせいだな。うん、間違いない!)
「大体あんたは最初から目つきが気にくわなかったんだよ! 死んだ魚のような目しやが――」
「人里にうまく紛れやがったな……。このトワイライトナイトギンが……」
「あぁ? なんだい!?」
「あ、いえなんでもないです」
(危ない危ない。トワイライトナイトはちょっとゴロが悪かった――じゃなかった。妄想が口から漏れちゃってたのか)
そんなことを頭の中で妄想しながら彼女の罵声を受け流していく。
(はぁ……さっさと終んないかな……。大体オレ、この人に迷惑かけたわけじゃないはずなんだけど……)
確かに遅刻をしてしまったギンに非はあるのだが、そもそもマーベラは土属性のため彼女に怒られる筋合いはない。
というのも、この孤児院では――いや、一般的な常識として家事や仕事は七曜天性と呼ばれる才能のようなものの中で、それに適した属性の者が担当するのがふつうだ。
ギンが習った七曜天性というものは、万物には精霊が宿っており生き物には各種類の精霊に適合する能力があるというものだ。
精霊が気に入った人間以外がそれを扱おうとすると、へそを曲げた精霊に結果をいたずらされてしまう。火ならば焦げてしまったり火が通らなかったり、水なら温度が安定しなかったり濁ってしまったりといった具合だ。これらは人々の生活に大きくかかわるもので、料理など繊細さが必要なものには特に重要な要素でもある。
火、水、風、土、雷、木、金。世の中のすべてはこれら7つの属性に分けられる。火、水、風、土、雷の基本属性に、木、金の特別属性。
これらの属性が各々に宿っており、そしてギンには火の素養が、マーベラには土の素養があるというわけだ。
これらの属性は、本人が持っていなくても近くに属性を持っているものが居ればある程度作用しあい扱うことができるのだが、
やはりその属性を持っている者がその場では重宝される。そして、台所ですることと言えば調理。調理で使うものと言えば火と水だ。
土属性であるマーベラがこの場にいること自体が場違いなはずなのだ。臨時の手伝いに来るという可能性も考えられたが、どうやらそういうわけでもないらしい。
第一、ギンはあくまで手伝いを自分で申し出ているのであり仕事をしているわけではない。
それをマーベラはいつの間にか少しずつ責任を押し付けていき、今では時に職員よりもひどい待遇で家事を強制されている。
「ふん、全く恩知らずな小僧だよ。まぁいいさ、どうせあんたは今日でここを出ていくんだからねぇ」
「えっ!?」
何度も手を突きだされながらも、頑なにお金を渡そうとしないギンにしびれを切らしたマーベラが続ける。
「院長に私が掛け合ったのさ。あんな穀潰しさっさと出て行ってもらいましょうってね。そしたらあんたを呼んできてくれって言われたわけさ。あっはっは、良いざまだね。あんたがおとなしく出すもんだして私に媚びれば院長に掛け合ってあげようかなと思ってたんだけどねぇ。残念残念」
「え、え? ちょっとまってよ!」
椅子の上でたるんだお腹を揺らしながら豪快に笑う彼女。あまりに唐突な話にてんぱってしまって言葉が出ない。
ただ、なぜ普段いるはずのないマーベラがここにいたのか。そしてなぜ何時もにも増してギンへのあたりが強くなっていたのかは理解できた。
(この人、オレを試してたのか!)
彼女はギンを呼びに来るついでに、最終面接を行ったのだ。ギンが彼女の従順な奴隷になれるかどうかの最終面接を。
そして、結果は落第。
「……まじで?」
「マジさ、マ・ジ! ようやくあんたの顔を見ないで済むと思うとせいせいするねぇ」
「え、だってオレここを追い出されたら住むところが……」
「そんなのこっちの知ったこっちゃないよ! 元々あんたがここにいるのがおかしかったのさ」
「記憶が戻るまで好きなだけ居なさいって院長先生が……」
「社交辞令っていう言葉も知らないのかいあんたは! ちょっと院長先生がやさしくしてやればつけあがっていつまでも居候していい迷惑さ! これから住むところぐらい自分で探すんだね」
「そんな……」
この様子では、いくらこの人に言っても決定が覆ることはなさそうだ。
こうなったらとにかく院長室へ行って何とか居させてもらえるようにお願いするしかない。
記憶を失って一年。ある程度普通に生活をできるようになったとはいえ、記憶が戻る兆候もなく、まだとてもじゃないけど一人で生活して生きていけるような段階ではない。
お金もなければ、経験もない。今放り出されてしまったらあっという間に野垂れ死んでしまう。
「待ちな!」
頭の中で色々と考えを巡らせながら院長室へと向かおうとするギンを、マーベラが呼び止めた。
「どこに行こうとしてるんだい?」
「え? どこって院長先生の部屋に……」
「あんたの仕事を済ませてからに決まってんだろうが!! 自分の仕事を人になすりつけてから行くつもりかい!! 仕事を舐めるんじゃないよ!! 」
テーブルに肩肘をつき、凄みを効かせるその姿は思いっきり女マフィアだ。
「……っく」
(いつもは自分の仕事を無理やり押し付ける癖に。なんて理不尽なオークなんだ)
だが、それを言っても何の解決にもならない。言われていることは確かに正論だ。
このオークには何の関係もないが、確かに他のシスターには自分が抜けることで迷惑がかかってしまうかもしれない。
「なんだいその顔は? 返事は!!」
「…………はい!」
言いたいことをグッと飲み込み、腹いせに怒鳴るように返事をしたギンは厨房へと向かう。
怒号を浴び、すごすごとほとんど支度の終わってしまった厨房へと入る姿を、マーベラはニタついた笑顔で満足げに眺めていた。
厨房でBBAに捕まった
厨房でBBAに怒鳴られた
厨房でBBAにたかられた