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その時、突如《脱法キメラ》の首がゴロリとコンクリートの床に転がった。大量の血しぶきを浴びながら彼は床に刺さった鉄板を一瞬目にする。
まるで流血の圧力にはじき出されるように機械の影から転がり出すと。今度は《脱法キメラ》の胴体に天井から降って来た鉄棒が深々と突き刺さるのを目撃する。
見上げると、天井を支えている鉄骨の張りが、まるで刃物で切られたように細く削がれ、鋭利な鋼鉄の槍となって垂れ下がっていた。
そして、接続点が切れると、真っ直ぐ《脱法キメラ》の胴体に二本目の槍として突き刺さる。それが三本、四本、五本、仕舞いには《脱法キメラ》は標本にされた昆虫か、針山の様に七本もの鋼鉄の槍に差し貫かれ、床に釘付にされる。
物凄い雄叫びが聞こえたかと思うと、もう一匹の《脱法キメラ》に、巨大な獣が飛びかかっている最中だった。
それは虎ほどのサイズの獣で、鋭い牙を剥き出しに、鋭利な爪を逆立てて、先ずは《脱法キメラ》の首筋に食らいつき、飛翔した勢いと己の体重を利用して首をもぎ取り、それを咥えたまま軽々と工作機械の上に飛び乗る。
ここでやっと真也の目にも、それが白と黒、こげ茶のまだら模様の体毛を持っている事が解った。つまり、三毛猫の怪物だ。
ベッと首を吐き出し、再び《脱法キメラ》に躍りかかろうとする三毛猫の怪物の背後を、今度は真っ黒い巨大な翼が駆け抜ける。
それはゴウゴウと風切り音を上げながら、彼にとっては狭い構内を器用に飛翔しつつ、残りの《脱法キメラ》に迫る。
狙われた相手は、必死にカマキリの様に鋭く尖った腕を振り回して対抗するが、羽根を巧みに動かし、ヒラヒラと舞う黒い怪鳥を捉えることは出来ない。
フェイントに誘われ、腕を伸ばしきって出来てしまった隙間に、漆黒の嘴が容赦なく差し込まれ、新しい胴体に深々と食い込む。
大量の出血でよろめく《脱法キメラ》を、今度はその爪でしっかりと掴み、大きく羽ばたいて一瞬床から持ち上げたかと思うと、重力と己と相手の体重に任せて思い切り叩きつける。何度も、何度も。
全身血まみれ、ズボンは小便で汚し、腰を抜かして床にへたり込む真也の頭上で、あの、よく通る澄んだ高笑いが聞こえてきた。
「キモイ《脱法キメラ》三匹も連れてきたら余裕で勝てる思うたんか?エエ?ホンマあんたら、眠たすぎるで!」
天井クレーンのガーターの上で、慧は仁王立ちに成り、勝ち誇った笑を下の男達に投げる。
一斉に黒い筒が付けられた銃口が彼女に向けられる。間髪いれずに発砲、絶え間なく連続するくぐもった銃声がまるでモーターの作動音の様に鳴り響き、滝のように落ちる薬莢がコンクリートの床の上を踊り狂う。
無数の銃弾が慧に殺到する。しかし、それらは彼女に食い込むことは無く、ターゲットは相変わらず笑ったまま。
胸のスマートフォンには、敵の攻撃をそのままそっくり敵に帰す力を持つ《火星の第六の護符》が。
「魔女相手にカラシニコフが通用する思うとんのか?トコトン眠たい奴らやなぁあんたら、そんなに寝たいんやったら、あの世で永遠に寝とけ!」
彼女が腕を横殴りに振るった途端、ピュンピュンと弾丸が空気を引き裂く音が鳴り響き、男は立ち上る土煙に巻かれながら、鮮血を吹上げ次々と倒れてゆく。自分が放った弾丸に、自分自身が射抜かれてゆくのだ。
その光景を眺めながら、遥高みで慧は、まだ笑っていた。さも愉快げに。真也の体の震えは完全に止まった。
男たちの殆どが、血を吸ったぼろ布のように床に転がる。しかし、一人だけが肩から出血しているものの、呆然と立っていた。
何が起きたか理解できていな様だったが、あたりを見回し、状況が理解できると、目出し帽越しに訳の解らない悲鳴を上げ開け放たれた資材搬入口に向かって走る。
「逃がすな!虎鉄!アントニオ!」
慧が叫ぶと、まず怪鳥が生き残りの頭を飛び越し、行く手を遮り翼を広げる。続いて三毛猫の怪物が背後から飛びつき、のしかかる。
「この化けもんがぁ!放せ!放さんかい!ワレぇ!」
威勢良く叫ぶ男に、虎鉄は耳元で囁いた。
「ああ、兄ちゃん、ええおケツしてるやないのぉ、このまま、オカマ掘ったろか?」
「そんな馬鹿でかい腐れ魔羅で掘られたら、この兄ちゃんが死んじまうだろが、情報を取ろうって生かしてあんのによ」
アントニオは羽根を繕いながら言う。
天井クレーンから軽々と飛び降りた慧は、血まみれ小便まみれで呆然と座り込む真也の横をすり抜け、男たちの死体を平然とまたいで虎鉄の傍らへ、その首筋を愛おしげに撫でながら、組み敷かれている男に言った。
「さぁ、兄ちゃん、これから色々教えてもらおかぁ?ダンマリ決め込もうなんて考えなや、魔女相手に秘密を守れるやつなんてこの世には居らんからなぁ」
そして、真也に向き直り言い放つ。
「自分、えらい格好やなぁ、その上ションベン臭いで、この兄ちゃん縛り上げたら、体、洗おて来ぃや、工場の外に水道有るから」
虎鉄の前足で押さえつけられた捕虜の手足を、トラック用のロープで縛ったあと、真也は転がる死体をおっかなびっくりで跨ぎ、工場の外へ向かう。
途中、凄まじい悪臭を放つ《脱法キメラ》の死体の脇を通ったが、元の形が解らないほどぐちゃぐちゃにされていた。
胃袋が裏返りそうになり、思わず口を手で押さえ、足早にその場を去る。
散水栓を開いて水の冷たさに震えながら体を洗う。一着十六万はしたディオールのスーツは台無し。シャツは当然ながらパンツまで血が染み込み病気にならないかと心配になる。
その後、素っ裸で工場内に戻り、更衣室で油まみれ鉄粉まみれの作業着を見つけそれを着る。
情けなくて泣きそうに成った時。男の罵声が聞こえた。
「オオゥ!このクソ餓鬼ぁ、舐めとったらしょっせんぞ!」多分、捕虜が喚いているに違いない。
近くまで来ると、哀れな捕虜は魚河岸のマグロの様に床に転がされ、その横には元のサイズに戻った虎鉄とアントニオを従えた慧。
「目ェくり抜かれようが、腕落とされようが、喋らん言うたら喋らんのじゃ!ボケ!」
と、男は右へ左へ転がりながら威勢良く吠え続ける。
「ギャァギャァうるさいなぁ!この、腐れチンピラがぁ!」
そう言うなり慧は脚を上げ、エンジニアブーツの靴底で男の腹を思い切り踏みつけた。
「ぐぇ!」と呻き、体をエビの様に曲げて転げまわる男に向い、慧は。
「誰が喋らす言うた?エエ?アンタのダミ声なんて、ウチは聞きたないんや、ウチの欲しいんはアンタの知ってる情報だけや」
言うなり男の頭のあたりにしゃがみこみ、おもむろに髪を引っこ抜く。そして、胸のスマホにタッチし《太陽の第四の護符》を呼び出した。
「ふーん」とか「なるほどなぁ」とか、独り言をつぶやきながら、しばらく男の周りをグルグルと歩き回った後、慧は真也に。
「アンタの彼女、高山組の若頭、青木に拉致られたみたいやなぁ」
「あ、青木さんに!何で!」車椅子の高山の背後に、そっと立っていた長身の男の顔を思い出し冷たい視線で睨まれた感覚が一瞬、蘇る。
「偶然、青木が高山のオヤジさんを裏切ってた事を知ったみたいやなぁ、ほんで事の重大さを知って、自分の魔法で飛んだんはエエが、相馬に捕まった。ま、そういうことや」
「ほんじゃ、今、菜々美はどこに居るんや?」
「和歌山の白浜にある青木の別荘」
そこまで慧が言うと、マグロ状態の男がまた喚き出す。
「このクソ餓鬼ぁ!汚い手ェ使いやがって!ただじゃ置かんぞ我ぇ!」
慧は、転がりながら叫ぶ男を、汚物を眺める視線で見下ろし。
「アンタ、そこ退いとき、また返り血浴びるで」
『まさか!』と思いながらもわててその場を飛び退く、慧と虎鉄、アントニオが男のそばを離れると、彼は嫌な雰囲気を察してまた喚く。
「お、おい!ワレ、な、なにさらすんじゃ」
慧は男に背中を向けたまま言った。
「用済みの極道は野良犬より始末におえん、殺処分」
言い終わるなり、右手で自分の横にあるNC旋盤を指差す。それは見る見る間に形を失い、やがて人の身長ほどもある鉄のボールに成ると、男めがけて転がってゆく。
男が断末魔の悲鳴を上げるのと、真也が失神したのはほぼ同時だった。




